ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈10皿め〉
在りし日のレバノン、ベイルート。
1990年に内戦が終結した今も、通りには銃撃の傷を残した建物と壁が連なる。今を生きる人々のユーモアと混沌。今は銀行が連立する界隈にはかつて市場があり、街の中心で食材を買うことができたと、内戦中この街で生き抜いた友人が教えてくれた。
なかの・まき サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
在りし日のレバノン、ベイルート。
1990年に内戦が終結した今も、通りには銃撃の傷を残した建物と壁が連なる。今を生きる人々のユーモアと混沌。今は銀行が連立する界隈にはかつて市場があり、街の中心で食材を買うことができたと、内戦中この街で生き抜いた友人が教えてくれた。
リハーサルの後、あるいは演奏の後はみな腹ペコだ。
途中バナナやもろこし、炒ったり茹でたりしたピーナッツを食べるが、演奏をするそばで女性たちが作っているごはんの香りが気になる。休憩時に彼女たちのそばに寄り、何を調理しているのか鍋の中を覗く。
加速するリズム、繰り返す旋律、脳天を突き抜ける高音。この音の空間の中、トランスに陥る人々がいる。
彼らを前に、音楽という語彙の意味はどこにあるだろうと問うてみよう。ここには、ここにしか響かぬ音がある。それだけだ。
ギリシャ人の父、フランス人の母を持つピアニスト、ステファン・ツァピスStéphane Tsapisと共に演奏を始めてかれこれ16年ほど経つ。音楽の在る場での出会いが今まで続いているのは彼の出自を色眼鏡でみて興味をもったからではなく、単に彼の演奏に魅了されたから。
パリ19区。
この区の西と北は、移民が多く住む地域とされている。
同区東の方にあるビュット・ショーモン公園を囲む地域はボボ(プチブル)が住み、早朝週末はジョギングに精を出すパリジャンの姿。
パリ生活の時間の多くはこの移民街で過ごすわけで、道端では、紋切り型な言い方になるが多言語が飛び交い、軒を連ねるハラルの店では羊の頭の丸焼きが並ぶ。母国、北アフリカやサハラ以南の地域に送るダンボール箱が積まれた運送屋や、色鮮やかな生地が積まれた仕立て屋。
これがわたしにとってのパリの日常だ。