コヨーテ歩き撮り#83
ざくろといえばペルシャを思い出しますが、中東一帯の代表的果実。トルコでもたくさんたくさん使われます。一粒ごとに、宝石のような美しさ。抗酸化の味わいが、体にしみわたる。
ざくろといえばペルシャを思い出しますが、中東一帯の代表的果実。トルコでもたくさんたくさん使われます。一粒ごとに、宝石のような美しさ。抗酸化の味わいが、体にしみわたる。
ボスポルス海峡はヨーロッパとアジアを隔てつつむすぶ海。フェリーの甲板から群れ飛ぶかもめたちを見ながら、disjunctive conjunction というフレーズを思い浮かべていました。
春のイスタンブル。肌寒い小雨の中、丘を登りつめるころには青空に変わり、そこにアヤソフィア(ハギア・ソフィア)が聳えたっていました。輝く建築。東方正教会、カトリック、モスク、そして世俗化。この場所を流れていった千数百年が、たちどころに甦ってくる思いです。
「ハバナ色」といいたくなる組み合わせがあるみたいです。熱帯の熱を、絶妙に涼しくする感覚。ハバナ市街のまんなかで。
ハバナ旧市街地のグラフィティ。「現実主義者になりなさい、不可能を求めるんだ」というシュルレアリスト/シチュアシオニスト的メッセージが効いてます。われわれに必要なもの。
光が神の徴だとしたら、突然現われた彼は神の顕現かな。神々しい人でした。汚れた街路が突然に変容する瞬間。ハバナにて。
青空を見ていると自分が帰ってゆくところがあるような気がする、みたいなことを書いた詩人がいたじゃない。その気持ちもわかるけれど、ほんとうはヒトは空には全面的に拒絶されている、閉め出されている。帰ってゆくべきところがあるとすれば、それは海。陽光がゆれ無限のパターンを生む、光の海。ハバナにて。
生物も無生物も歳をとる。ショーウィンドウのフィギュアだって、確実に古びてゆく。でもタンタンとミルーそのものは、けっして歳をとらない。フィクション存在の強さだね。
旅先では食事はひとり。でもだいたい、何かを読みながら。きょうのお昼はタルタルステーキ、食卓の連れはフィリップ・デスコラとティム・インゴルド。なんという贅沢でしょう。
本格的エチオピア料理! それぞれの煮込み料理、ぜんぶ味がちがいます。テフという穀物から作る、インジェラという酸味のある発酵パン(パンではない)を適当な大きさにちぎって、手で巻いて食べます。巻いた手で食べさせてあげるのが、同席する人々への親愛のしるし。東京の一角で、エチオピア・ディアスポラの人々に教わりました。