ゼーガペイン

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第14回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(4)

物語は、世界のなかに何かしらの出来事が生じ、それに対して登場人物たちがどのように反応するのかという形で進むことが多いでしょう。この時、登場人物による世界への働きかけ方、能動性のあり様によって物語の進展の様々な形があるのですが、それはたんに登場人物の特質や能力によって決まるのではなく、その物語世界がどのような構造になっているのかに多くを依存します。世界の仕組みがこのようになっているからこそ、このような働きかけが有効(あるいは無効)になる、というふうに。世界観は登場人物のあり様以上に物語の性質に影響を与えます。

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第13回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(3)

『ゼーガペイン』は、主人公のキョウにとって、世界の底が何度も抜けるという物語です。何かを決断し、それに基づいて行動するという能動性を発揮するための基盤となる、あるいは、日々の暮らしを成立させ、そこで生起する感覚や感情や愛情に実質を与えるための基盤となるはずの、世界の枠組みそのものが、何度も崩れてしまうのです。その度に、世界観が崩壊し、実が虚になり、世界への信が失われます。何が現実で何がそうでないのか、何が本当で何か嘘なのかは、キョウの選択によってではなく、世界の枠組みの崩れにより虚実の軸が移動することで決定します。そしてそれは、一度だけではなく、何度も起こるのです。

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第11回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(1)

ここで問題として取り上げたいのは、ハードサイエンスとしての物理学そのものではなく、物理学の発展によって、私たちの世界観がどのように影響され、揺るがされているのかということについてです。リアリティの基底としての世界観とは、私たちが「何を現実として信じ得るのか(何をリアルと感じるのか)」を下支えしているフィクション(信念)の枠組みだ、と言えるでしょう。つまり私たちは、「現実」を信じるために、出来事に現実感を与える何かしらのフィクションを必要としているということです。しかしそれはあくまでフィクションとしての枠組みなので、より強く現実的なものの出現(ここでは、数学やブラックホールが観測されたこと)によって否定され、書き換えざるを得なくなることがあるのです。

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