自然法と呼ばれるものについて

憲法学の散歩道
第9回 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

 啓蒙思想家として知られるクリスティアン・トマジウスは1655年、ザクセン公国のライプチヒに生まれた。父のヤーコプ(1622-84)は、ライプチヒ大学の哲学教授であった。クリスティアンは、1669年、同大学に入学し、1672年に修士号を取得する。  1672年は、ザムエル・プーフェンドルフの『自然法と万民法De jure naturae et gentium』が刊行された年でもある。クリスティアンは後に、プーフェンドルフの自然法に関する著作と父親のグロティウスに関する講義とを、彼を法学の研究へと向かわせた主な要因として挙げている。……

憲法学の散歩道
第7回 自然法と呼ばれるものについて

 A. P. ダントレーヴは1902年、ヘクトール・パセリン・ダントレーヴ伯爵の四男として、スイス、フランスとの国境に近いピエモンテ州のアオスタに生まれた。トリノ大学で法学を修めた後、ロックフェラー財団の支援を得てオクスフォードのベルリオール・コレッジで学んだ。彼がオクスフォードで研究対象としたのは、神学者リチャード・フッカーである。1929年、イタリアに帰ったダントレーヴはトリノ大学の講師となり、メッシーナ、パヴィアでの教歴を経て、1938年にはトリノ大学教授となる。しかし、彼は教職を退き、故郷に帰ってレジスタンス運動に身を投じた。解放後の短期間、彼はアオスタの市長を務めている。……

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