憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第9回 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

 
 
 啓蒙思想家として知られるクリスティアン・トマジウスは1655年、ザクセン公国のライプチヒに生まれた*1。父のヤーコプ(1622-84)は、ライプチヒ大学の哲学教授であった。クリスティアンは、1669年、同大学に入学し、1672年に修士号を取得する。
 
 1672年は、ザムエル・プーフェンドルフ*2の『自然法と万民法De jure naturae et gentium』が刊行された年でもある。クリスティアンは後に、プーフェンドルフの自然法に関する著作と父親のグロティウスに関する講義とを、彼を法学の研究へと向かわせた主な要因として挙げている*3。1674年、19歳のとき、彼は法学を修めるため、フランクフルト(オーデル)大学に赴き、1679年に法学博士号を取得した。
 
 フランクフルト(オーデル)は、ザクセンの隣国、ブランデンブルク選帝侯国に属する。君主からはじまって諸都市、等族の大部分がルター派を奉ずるザクセン公国と違い、ブランデンブルクの君主は、17世紀初頭以降、カルヴァン派であった。
 
 1613年のクリスマスに、ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムントは、ベルリン大聖堂において、ルター派からカルヴァン派に改宗することを宣言した。当日行われた儀式もカルヴァン派流の簡素なものであった。イングランドのジェームズ1世の大使やドイツの他のカルヴァン派の諸侯は列席したものの、ルター派の聖職者はもちろん、ルター派を奉ずるブランデンブルクの等族の代表も出席しなかった。
 
 その後の歴代のブランデンブルク選帝侯は、自国をカルヴァン派とルター派の共存する国家へと変容させると同時に、国内の権限集中をはかった。当然ながら、ルター派の諸都市、等族、聖職者たちは信教の自由を楯に激しく抵抗した。とりわけ、キリストが多数の聖餐式に同時にかつ現実にあらわれるとするルター派の神秘的な教義を否定する勅令に対して、頑なに抵抗した。
 
 ブランデンブルクの宗教政策は、大筋において他のドイツ諸邦の採用した政策と一致している。宗教改革の結果、普遍的であるはずのキリスト教会は(少なくとも)3つ──カトリック、ルター派、カルヴァン派──に分裂し、各宗派はその教義の唱導と学校教育を通じて、相互に敵対した。16世紀終わりには、中央ヨーロッパには宗教的に敵対する領邦や都市が混在するにいたる。各地の支配者は、自分の支配地を単一の宗派に統一しようとする。1555年のアウグスブルクの宗教和議によって認められた「領主の宗教がその地の宗教cuius regio eius religio」という原則は、君主による教会の「改革権 jus reformandi」を基礎づけると主張された*4。1648年のウァストファリア条約で、カルヴァン派にもルター派と同等の地位が認められる。
 
 ブランデンブルクの歴代の君主は、等族や市民のカルヴァン派への改宗(あるいは他邦への移動)を強制したわけではなく、ルター・カルヴァン両派の共存と相互寛容を強制しようとした。教会の再統一も臣民の強制改宗も非現実的である以上、これのみが域内平和を確立する途である。
 
 トマジウスが修学したフランクフルト大学は、ルター・カルヴァン両派に開かれており、ホッブズ、プーフェンドルフの影響を受けた学者の講義も行われた。トマジウスは1679年にライプチヒにもどり、大学で私講師として講義を開始したが、彼によるプーフェンドルフ流の世俗的自然法論の唱導やライプチヒ大学の神学教授等への批判のため、1689年に彼の宿敵たちはトマジウスをドレスデンの宗教裁判所に告発し、1690年、彼は勅令により講義を禁止された。
 
 トマジウスはブランデンブルク選帝侯国へ移り、ハレ大学の新設に関与する。彼は、ブランデンブルク政府擁護の視点から、ルター派の神学、哲学、法学理論を批判する言説を展開する。彼の狙いは、ブランデンブルク政府の政策に沿って、対立抗争する宗派、とりわけルター派とカルヴァン派相互の寛容を「強制」することで、社会の平穏を維持することであった。
 
 ルター派の抵抗は、カルヴァン派を「客観的に」誤りとする頑なな教義の唱導にとどまらない。彼らの教義は、聖餐式、洗礼、告解等の宗教儀礼と分かちがたく結びついていた。このため、聖餐式の儀礼の簡素化や洗礼にあたっての悪霊払いの省略は、ルター派の頑強な抵抗をひき起こした。彼らによれば、これらの宗教儀式は、君主が関与し得る教会の外的側面ではなく、教義の内容たる内的側面に属するものであり、君主による関与は信者の良心を侵害すると同時に、唯一正しい宗教への攻撃でもある。
 
 これに対抗するブランデンブルク政府側の論争の手段は、これらの宗教儀礼は神によって命じられても禁止されてもおらず、したがって魂の救済にとっては、「どちらでもよいこと adiaphora or indifferent things」であると論ずることであった*5。したがって、これらの儀礼は省略可能であるし、域内平和の確立を目的とする君主の命令によって廃止することも認められる。
 

 
 クリスティアン・トマジウスの議論は多様な要素から構成される。
 
 第一に彼は、宿敵であるライプチヒ大学の神学教授らが拠って立つ神学=哲学を歴史的淵源に遡って解体する*6。彼の父、ヤーコプの研究が示すのは、キリスト教の伝統において異端とされてきた思想のすべては、古代ギリシャ哲学がユダヤ=キリスト教の教理に流入することによって出来上がったことである。
 
 神が世界を知的に意味づけることでこの世を創造したとするプラトン=アリストテレス流の創造神の観念は、無からこの世を創造したキリスト教の神の観念と両立しない。さらに、現に存在するこの世界自体と不可分一体の神というストア流の神の観念がさまざまな神学思想家を経てスピノザへと受け継がれる。
 
 これら、元来キリスト教とは無縁の哲学が、ライプチヒ大学に盤踞するルター派の神学=哲学の実体である。コンスタンティヌス帝から宗教改革にいたるまで、何が普遍的教義で何が異端かの問題で争われてきたのは、哲学的・形而上学的問題であり、無数の人々が神のためではなく、アリストテレスやプラトンの形而上学のために惨殺されたり追放されたりしてきた*7
 
 当時の標準的な神の観念──無限、単純にして非物質的実体であり、この世のすべてを直感的に知覚する全能遍在の神──は、あらゆる聖餐式に同時かつ現実にあらわれる神というルター派教義の核心を支えていたが、それはキリスト教とは本来無関係のものである。ある特定時点でこの世を創造したことのみが確実に知り得る神の特性であり、それ以外の全能、遍在、全知等の特性は、人間の理解の及び得ないことがらである。
 
 したがって、神の理解にあずかることによって人の意思を純化することができるとする当時のキリスト教神学における「神聖」性の観念にも根拠はない。神の神聖性に参与することで永遠の自然法を了知し得るとする神学者連の主張は、根拠なき虚偽論によって「不純な」人々の排除を企てるもので、社会の平穏を破壊する危険な議論である。
 
 救済者としての神は信仰と啓示の領域にのみ属するもので、哲学的教理によって理解したり知識を得たりすることはできない。神の理解からこの世の構成原理である自然法が導かれることはない。理解や知識の領域に属していない以上、「誤った信仰」なるものもあり得ない*8
 
 人の世の構成原理は、堕罪のために自身を理性によって統制し得えず、争いがちな人間からなるこの世に平和を確立し、人々の社会生活を可能とする法でなければならない。理性を通じてそれを構築するのは法学者、つまりトマジウスが大学の法学部で教育する学生たちである。
 
 ルター派神学を根底から粉砕する一方で、トマジウスは、スピノザの無神論に対しては、思弁的議論のレベルにとどまっている限り、その存在を許容している*9。誠実な意図から神について思索をめぐらし、混乱の末に神を見失ったにとどまる者にオランダ社会が寛容であったことは、慎慮を欠いたものとは言いがたい。この世の平和を害するものでない限り、世俗の権力が無神論者に制裁を加えるべき理由はない*10
 
 もっともスピノザに関するトマジウスの寛容論は、スピノザ自身とは異なり、信教の自由、哲学の自由を根拠とするものではない。以下で見るように、トマジウスによれば、信仰に関しては、臣民と為政者との間に権利・義務の関係は成立しない。彼の議論は、社会平和を確立・維持する世俗権力の使命に照らしたとき、権力行使の範囲にはおのずと限界があるというものである。哲学と国家論とを直結するスピノザの哲学も、トマジウスからすれば、法学の基盤とはなし得ない。
 

 
 第二にトマジウスの権利・義務論を理解する必要がある*11。彼は、標準的な自然権論者と異なり、自然法により各個人の権利が基礎づけられるとは考えない。聖書が定める──神が実定化した──婚姻や親子関係に関する権利・義務をのぞくと*12、権利と義務はあくまでこの世の実定的な秩序の中でのみ観念することができる。1つの権利は1つの義務と正確に対応する。
 
 人は、国家権力に服従する限りで臣民としての身分を与えられ、それに応じた権利と義務とがある。あらゆる者は、上位者の命令に服従する義務がある。上位者には下位者の義務を定め、それを強制する権利がある。国家においては、政府がこの上位者である。
 
 他方、キリスト教徒としては、人は権利や義務を持つことはない。トマジウスにとって、教会とはひたすら神を信仰する者たちによって構成される不可視のものであり、現実にここかしこにある教会の建物に出入りしたり、そこでの宗教儀礼に参加したりするメンバーとは一致しない。真のキリスト教徒であるために必要なのは、神への愛、隣人への愛、自身の卑下を真摯に貫く意思である。何らかの知識や理解を得ることでキリスト者となるわけではない*13。愛によって結集するキリスト教徒はすべて平等であり、そこに上下関係は何らない。したがって、真のキリスト教徒同志は相互に権利や義務を持つことはない。
 
 こうした観点からすれば、教会で行われる宗教儀礼のいずれも、真のキリスト者であるために必要不可欠なものではない。儀式にあたってどのような所作をするか、ラテン語でどのような祈りを捧げるか、賛美歌として何を歌うか、どのような衣装をまとうか、教会内に聖像が飾られるべきか否か、それらは「どちらでもよいこと」である*14
 
 信仰の問題が各個人の内心の領域に縮減されることで、その他のことがらは「どちらでもよいこと」へと括りだされる。外形的な儀式を行うか否かにかかわらず、神は各人の内心を正確に知ることができる。外的行動のレベルで各人に求められるのは、自然法を遵守し、他者に対する義務を遂行することである*15
 
 君主の権利・権限も、その身分に応じて定まる。統治権者としての君主の使命は、社会の平穏を確立・維持することである。そのための権限が君主には与えられている。統治権の正当化根拠は、いかなる宗派とも無関係である。特定宗派の宗教儀礼への固執が他宗派との対立抗争を招き、社会の平穏を害するものであれば、それを規制したり廃止したりすることが、君主としてはできる*16。「どちらでもよいこと」なのであるから。ときと場合に応じて寛容を強制することも、君主の権限である。
 
 他方で、たとえばユダヤ人をキリスト教の宗教儀礼に参加するよう強制することは、信仰の観点からして意味がなく──ユダヤ人がその結果として真のキリスト者になることは期待できない──かえって社会の平穏を害する危険がある*17
 
 君主である個人にも国法に服従する一般臣民と同様の法的身分がある。これについてとくに説明する必要はないであろう。
 
 君主である個人にもキリスト者としての身分がある。この身分において君主が保持するものは、他のキリスト者と変わることはない。愛によって結びつくキリスト者は、相互に権利・義務を持つことはない。そこには何らの上位者も存在しない。全員が平等である。
 
 したがって、「正しい宗教」「正しい信仰」を領域内に行き渡らせる責務が君主にあるという議論は誤りである。彼がキリスト者であるのは、その信仰のゆえであり、宗教や信仰について正しい理解や正しい知識を持っているからではない(そんな理解や知識はあり得ない)。各人の信仰に立ち入ることは、君主にはそうしようと思ってもなし得ないことである。
 
 別の言い方をするならば、君主が君主であると同時にキリスト者として行動することはあり得ない。キリスト者であることは、君主の身分を離れることである。君主として求められるのは、「どちらでもよいこと」によって人々の良心が揺るがされ、社会の平穏が乱されることのないよう、宗教上の儀礼等が「どちらでもよいこと」であることを人々に伝えることである*18
 
 逆に、「どちらでもよいこと」にこだわって君主に抵抗し、社会の平穏を乱そうとする教会は、愛によって結びつくキリスト者の不可視の結集である真の教会ではあり得ない。聖職者たちは、当然に、君主の統制に服し、その指令に従うべきである。
 
 以上のようなトマジウスの議論からすれば、日本でときおり議論される「首相としての公式参拝」なるものは、そもそも概念として成り立ち得ないことになる。信者として神社を参拝する個人は、彼がたまたま首相の地位にあったとしても、首相として参拝することはない。あらゆる参拝は私的参拝である。
 
 純粋な観光目的や支持者に訴えかけようとする党派政治的目的で参拝する格好だけする不心得者もいるかもしれないが、それらは「参拝」の名には値しない。特定の儀礼に従うことで参拝が公式になったり私的になったりすることもない。すべての儀礼は「どちらでもよいこと」である。
 

 
 同じく宗教上の寛容を説く議論ではあるが、トマジウスのそれと、同時代のジョン・ロック(1632-1704)のそれとは、いろいろな点で異なっている。
 
 世俗の権力の権限が世俗の問題に限られること──ロックの場合でいえば、社会契約に参加する各人の「固有のもの」の保全に限られること──では、両者は見解を同じくする。ロックも、「自分が信じてもいない宗教によって私が救済されるということはありえない」ことを理由に、世俗の権力が臣民に特定の宗教を押しつけることを否定している*19
 
 しかしロックは、そうした結論を各人の権利にもとづいて正当化する。世俗の権力は、人々がこの世における「固有のもの」を保全することを目的に社会契約によって設立された人為的な制度である。したがって、各人の信仰に立ち入って特定の宗教を押しつけようとし、それに従わないことを理由に各人の「固有のもの」を侵害することは、各人の権利・自由の侵害となる。ロックにとって、市民であることとキリスト者であることとは、不可分一体である*20
 
 このためロックは、衣装や髪形、洗礼を受けたか否かなどの、守っても守らなくても「どちらでもよいことindifferent things」についても、為政者が好むままに命令を下してよいということはなく、教会や礼拝の形式として取り入れられた場合には、為政者の管轄を離れると言う。ローマ風に礼拝することも、ジュネーヴ風に礼拝することも、ラテン語でどのようなお祈りを唱えるかも、教会でどんなパンやワインを飲食するかも、各自の自由のはずである*21
 
 もっとも、ロックは、他国の支配を受けることを基礎として設立された教会──カトリック教会やイスラム教──が為政者による寛容の対象となることはあり得ないし、社会生活の絆となる誓約や契約を守ることが期待できない無神論者も寛容の対象とはならないと言うが*22
 
 トマジウスは異なる論理の道筋をたどる。前述したように、異なる宗派相互の寛容は、信仰の自由や権利にもとづくものではない。各宗派に属する者は、その信者としては、何の権利も享有していない。宗派相互の寛容は、社会生活の秩序を確立・維持すべき君主の使命によって要請され、強制されるべきものである。「どちらでもよいこと」であれば、そうであるだけに、こうした使命を遂行する世俗の権力の強制から自由となることはない*23
 
 トマジウスからすると、君主の使命は社会の平穏を確立・維持することであり、その範囲において、臣民を義務づける権限がある。君主と臣民との権利・義務関係はその限りのものである。裏側から言うならば、信仰そのものに関して、君主と臣民との間に権利・義務関係が発生する余地はない。信仰は、法的権利・義務とは異なる平面に属する。こうした考え方からすると、無神論であれ異端論であれ、それが思弁的に説かれるだけで社会の平穏を乱すものでなければ、君主がそれを抑圧する理由はない。
 
 両者の議論の違いは、それぞれの置かれた立場の違いによるところもあるであろう。ロックは政治的・宗教的迫害から逃れるために他国に亡命した非国教徒の立場、つまり圧倒的少数者の立場から、多数派の信仰が個人に押しつけられるリスクを念頭に置いて議論を展開した。トマジウスは、自身の支持するブランデンブルク政府の立場から、対立する宗派間の寛容を強制するために、議論を展開した*24
 
 いずれの議論が現下の問題の解決により有効であるかは、各論者の立場によっても、また、特定の哲学理論へのコミットメントの有無によっても答えが異なるであろう。人権や基本権の基礎に関する深遠な哲学理論の用意がなければ、現実の法律問題に対する適切な解決が得られないというわけではない。深遠な基礎に関わらないより浅いレベルで、多様な立場の間に共通了解を形成することや、社会の平穏を保つために何が必要かという良識による判断で、適切な解決が可能となることもしばしばある。おそらくそれは、現代日本における憲法問題についても、同様であろう。
 
 深い思想のロックより、浅い慎慮のトマジウス、という途も開かれている。
 
 

*1 クリスティアン・トマジウス(1655-1728)の生涯については、Ian Hunter, The Secularisation of the Confessional State: The Political Thought of Christian Thomasius (Cambridge University Press 2007) chapter 1参照.
*2 Samuel Pufendorf (1632-1694)は、ドイツ出身の法学者・政治哲学者。ハイデルベルク、ルンドで教え、スウェーデン国王とブランデンブルク選帝侯(いずれもプロテスタント)のアドバイザーを務めた。グロティウスにならって、自己保存を旨とする最小限の自然法を立脚点とする政治哲学を構築し、トマジウスの他、ロック、ルソー、モンテスキュー等に影響を与えた。
*3 Christian Thomasius, Institutes of Divine Jurisprudence with Selections from Foundations of the Law of Nature and Nations (Thomas Ahnert ed and trans, Liberty Fund 2011) 2-4.
*4 カトリックの支配地域においても、教会の統制権は教皇ではなく、君主および各都市にある。
*5 「どちらでもよいこと」という観念は、古代ギリシャ哲学に遡ることができる。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第5巻第7章において、人の定める法はその通りであってもそれ以外の定め方であっても本来は差し支えのないものであるが、いったんこうと定めた以上はそうでなければ差し支えを生ずるものであるとし、犠牲の山羊が1頭であるべきか2頭であるべきかをその例として挙げている(1134b)。とにかくいずれかに決まっていることが大事だという調整問題を解決するルール設定であって、本来からすればどちらでもよい、という趣旨が述べられている。
*6 Christian Thomasius, Essays on Church, State, and Politics (Ian Hunter, Thomas Ahnert, and Frank Grunert eds and trans, Liberty Fund 2007) Essay 1 (On the History of Natural Law Until Grotius) especially 31-43; cf. Hunter (n 1) chapter 2.
*7 Christian Thomasius, ‘On the right of Protestant princes regarding heretics’, appended to Hunter (n 1) 178 [§28].
*8 Thomaius (n 6) Essay 4 (Is Heresy a Punishable Crime?) 175-78 [§VII].
*9 Hunter (n 1) 72.
*10 Thomasius (n 6) Essay 4, 166 [§IV]; see also Thomasius (n 6) Essay 6 (On the Right of a Christian Prince in Religious Matters) 257-58. トマジウスは後者で、人民が邪悪な意図や性向を表明することも、公共の安寧を害しない限りは、君主が統制することはできないとする。
*11 Hunter (n 1) 133-38.
*12 トマジウスは1705年に公表された『自然法および万民法の基礎』以降は、神法はフィクションにすぎないとの立場をとる。Cf. Thomasius (n 3) 575.
*13 Cf. Thomasius (n 6) Essay 6, 266-67.
*14 Thomasius (n 6) Essay 2 (The Right of Protestant Princes Regarding Indifferent Matters or Adiaphora).
*15 Ibidem, 54-55.
*16 トマジウスは、ルター派の賛美歌の「教皇の残虐な手口」という歌詞を例に挙げる(ibidem, 76)。
*17 Ibidem, 71.
*18 Ibidem, 97.
*19 ジョン・ロック『寛容についての手紙』加藤節・李静和訳(岩波文庫、2018)21-26頁、58-59頁。本書はロックのオランダへの亡命中に執筆され、1689年に刊行された。加藤・李訳では、‘indifferent things’は「非本質的なことがら」と訳されている。
*20 Hunter (n 1) 162-63.
*21 ロック(n 19) 62頁、104-05頁。
*22 ロック(n 19) 95-96頁。
*23 もっとも、ロックも宗教儀式として子どもを犠牲にすることを禁止したり、疫病で牛が減少したときに牛の屠殺を禁止するように、正当な世俗的利益を実現するために政府が宗教儀式に介入することを否定はしない(ロック(n 19) 69-70頁)。ロックとトマジウスの結論における差異は、程度の問題とも言い得る。
*24 初期のロックが、「どちらでもよいこと」に関して政治権力による統制を認める立場をとっていたことについては、ロック(n 19)の訳者解説(158頁)参照。

 
 
》》》バックナンバー
第1回 現実感覚
第2回 戦わない立憲主義
第3回 通信の秘密
第4回 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
第5回 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
第6回 二重効果理論の末裔
第7回 自然法と呼ばれるものについて
第8回 『ペスト』について
第9回 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第7版』(新世社、2018年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。