めいのレッスン

めいのレッスン ~まわりにたくさん

4月 22日, 2016 小沼純一

 
 
 

雷の音がずっとしててね。

 

いくぶん唐突にサイェは話しだす。

いつものように。

 

客席はけっこう暗くて、舞台なんか見えない。

席についてプログラムがやっと読めるか読めないか。

そのあいだ、ずっと、なってるの。

あいだをおいて、遠くで、ずっと遠くで、

また、ちょっと近づいて、ってかんじ。

 

こんなところで字なんか見たら眼が悪くなっちゃうから、

とおかあさんが言うから、

することもなく、ふたりでならんで座ったまま。

だんだんとお客さんが席につくんだけど、

ふつうより声を低めてしゃべってる。

こそこそ。

ひそひそ。

どんなこと話してるのかな、って耳をすましてると

けっこうほかの音に邪魔されるんだね。

そのうち、あっちこっちでおこる音のほうがおもしろくなっちゃった。

 

コート脱いで、

膝のうえにおいとくけど、けっこう音がするの。

それぞれに違ってて。

かあさんのは革で、わたしのはウール。

ほかにもいろんなのがあるんだな、って、見え方じゃなくて、感じてた。

きぬずれ、ってこんなのかな、とか。

それに、

咳があちこち。

ちらしやプログラムがこすれたり、床に落ちちゃったり。

 

雷がちかくなった、

とおもったら暗くなって、つよく雨が降ってきた。

夕立だ、って。

舞台に光がはいってくると、ほんと、に、雨が降ってる。

わぁ、雨だ、

水だ、

って、見とれちゃった。

 

お芝居はね、女の人がひとりでセリフを語るんだ。

ある男の人にあてた三人の女の人の手紙を、

ひとりが、それぞれ、ね。

途中で衣裳をかえたりして。

ひとりめだと水のなかを歩いてく。

水にあしうらがあたって、ちょっとひきずるようで、

またあしからしずくがながれ、おちるようなのも。

ぱしゃ、とか、ぺた、とか。

ふたりめは小石を踏んでゆく。

砂利じゃないんだよ、もうちょっと大きい、

あしうらひとつに小石がふたつとかみっつとかよっつとか。

ちょっとずれたりこすれたり、石どうしが。

ごろ、とか、

かち、かな。

ち、じゃないんだな、ぬれてるからもちょっとしめってて。

さいごは床に座っててほとんど動かないからそういう音はなくて。

さいしょの人は、ときどきマッチを擦るから、

小さいけど、一瞬、びくっとする。

しゅ、っ、と。

音もだけど、舞台で、光がぱあっと。

それがまたすぐ小さくなって、なくなっちゃう。

 

めいのサイェが、紗枝といっしょに出掛けたのは

紗枝とわたしが母につれられてはじめていった劇場だった。

舞台には役者が6人、

あたまには、馬を線だけでかたどった金属のかぶりもの、

足にもひづめのような金属のはきものをつけて、いる。

セリフがある役者は2人。

ときどき、金属のひづめががたりと動いて、

その音でからだがかたくなった。

そのことはよくおぼえている。

十歳になるかならないか、だったか。

紗枝はどうだったのか。

娘と行ったのが、あの劇場だとおぼえているだろうか。

 

サイェのはなしでおもいだしていたのは、でも、もうひとつ、

学生のときにした入試監督のアルバイトのこと。

大きな教室で、よく知らない先生の指示で、入試問題を配り、

あとは終了時刻まで、ただひたすら静かに、

静かにではるけれど、絶え間なしに、

試験場内をゆっくりと巡回してゆく。

不正行為があったら、と言われてはいたけれど、みつけたことはない。

さいわいなことに、突発的なことは何もおこらず、

ただひたすら、かったるく退屈な時間をこらえなくてはならない時間だった。

 

はじめ、わざとゆっくり歩いたりして時間をつぶした。

教室のはじからはじまで、五分かけてみる、というように。

歩き方、足への力のかけ方を変えてみたり。

これはお能の。

これは暗黒舞踏の。

これはどろぼうの。

ぬきあし、さしあし。

かかとからゆっくり床ににおろして、つまさきにだんだん体重をうつしてゆく。

ぬき、あし、さし、あし。

ぬ、き、あ、し、さ、し、あ、し。

たわむれにつづけ、

しのび、あし、いさみ、あし、って。

 

じぶんの動作に集中するのにも飽き、いつしかただ立っているばかり。

放心していると、

ずっと、どこかで、小さいけれど、ひびいている、

ひとつのかたまりのように、うなっている。

紙の、めくったりこすれたりするのが、

エンピツの、消しゴムの、腕のこすれるのが、

むこうから、こっちからゆっくりと歩いてくるおなじ監督員の靴音が。

そのあいまあいまに、

貧乏ゆすりが、足のくみかえで机がゆれるのが、

咳が、くしゃみが、鼻をかむのが、

あそこ、で、こんどはこっち、で、突発的に。

今度はあそこ、あのあたり、

と予想をたてても、きっと、はずれる。

古いスチームは、小さいけれど、しゅうううと、

また、ときにカチン、カチン、と金属的な音をたて。

それからは、ときどき、両目をとじて、まわりに音があるのにききいった。

場所を移し、

顔の位置を変え、

ときには、わざと靴ひもを結ぶようにしゃがんだり、

誰かが床に落としたものを拾おうと、ちょっと耳をすませてみたり。

 

受験生たちは真剣に設問にむかっているから、誰も、きっとこの音を、

このいろいろとかさなり、あちらこちらでたっては消える音をきいてはいない。

たぶん……

そのときうれしいようなさびしいようなおもいでいたのだったが、

そのことはおぼえていても、いま、おなじようなおもいがやってくることがあるのかないのか。

 

サイェは、いつか、入試監督をすることが、あるかもしれない。

あるとしたら、何か、おもうんだろうか。

それを何十年も抱えていたりするんだろうか。

 

小沼さん連載11
 
[編集部より]
東日本大震災をきっかけに編まれた詩と短編のアンソロジー『ろうそくの炎がささやく言葉』。言葉はそれ自体としては無力ですが、慰めにも、勇気の根源にもなります。物語と詩は、その意味で人間が生きることにとって、もっとも実用的なものだと思います。不安な夜に小さな炎をかこみ、互いに身を寄せあって声低く語られる物語に心をゆだねるとき、やがて必ずやってくるはずの朝への新たな頼と希望もすでに始まっているはず、こうした想いに共感した作家、詩人、翻訳者の方々が短編を寄せてくださいました。その一人である小沼純一さんが書いてくださったのが、「めいのレッスン」です。サイェちゃんの豊かな音の世界を感じられる小さなお話、本の刊行を記念した朗読会に小沼さんが参加されるたびに続編が生まれていきました。ここではその続編にくわえ、書き下ろしもご紹介します。今後、不定期連載になります。
 

【バックナンバー】
     めいのレッスン ~小さな店で
     めいのレッスン ~南の旅の
     めいのレッスン ~あかりみつめて
     めいのレッスン ~気にかかるゴーシュ
     めいのレッスン ~クリスマス・ツリー
これまでの連載一覧はこちら 》》》めいのレッスン連載一覧

表1_1~1管啓次郎、野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』
「東日本大震災」復興支援チャリティ書籍。ろうそくの炎で朗読して楽しめる詩と短編のアンソロジー。東北にささげる言葉の花束。
[執筆者]谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html
小沼純一

About The Author

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。