『掌の美術論――触覚と想像力に』、2026年7月2日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
昔の玩具箱を開く――デ・キリコを介して
芸術家の作品や著述を振り返ってみると、20世紀美術と聖性の関わりを示す例には事欠かない。ナビ派やスーラの理論、あるいはヒルマ・アフ・クリントやクプカの抽象画における神秘主義。カンディンスキーが描く黙示録。マレーヴィチの絶対主義絵画に秘められた東方キリスト教の聖画像の記憶。モーリス・ドニが推進した「聖なる芸術」運動。第一次世界大戦で荒廃した大地を出発点としながら、ウィリアム・ブレイクの描く天地創造のイメージを介して1920年代に聖書の創世記を版画化し、30年代には線と球体の構築物で支配された月面旅行の場面を描いたポール・ナッシュ。第一次世界大戦を契機にキリスト教信仰に目覚め、第二次世界大戦後には教会装飾も手がけたキュビスムの画家アルベール・グレーズ。自然と人間との秘義的な融合を思い描いたシュルレアリスムの画家アンドレ・マッソン。カトリックの聖変化の儀礼や薔薇十字団の教えを、自らが開発したクライン・ブルーの顔料を用いてパロディー化したイヴ・タンギー。原始的な祝祭や儀礼を思わせる過激なパフォーマンスを展開し女性の身体性について問うたシンディ・シャーマン。以上はすべてこれまで論じられてきたことであるし、そのうちのいくつかについては私のこれまでの論考の中でも紹介してきたことなので、ここでは詳しく触れまい。実際このテーマに関わる作家は無尽蔵におり、その名をリスト化しようとしても終わりはなく、美術史研究が進めばリストはますます長大になるだろう。
だが芸術と聖性との関係に、玩具が関わってくるとなると、幼児の純粋さも聖なるものの真正性も虚ろな幻影であるとみなすシニシズムに根差したポップ・アート以降の芸術家でない限り、途端に事例は限定されたものとなってくる。理由は単純だ。「聖なるもの」として作品を制作する芸術家は、儀礼に必要とされる危機迫る真剣さや出来事の真正性を台無しにするような不真面目な遊びを介入させたがらず、またあえて玩具を意識した芸術作品を制作する芸術家は、宗教的な儀礼が持つ堅苦しさや教条主義など端から退ける傾向にあるからだ。
それでも20世紀西洋美術において、芸術と聖性のあわいにある玩具を作品のテーマに掲げる試みは存在する。その最初の例の一つは、ニューヨーク近代美術館にあるデ・キリコの《王の悪霊》(1914-15年)である。背景には建築物があり、その手前には急な傾斜の台がある。台上にはさまざまな形の、色とりどりの事物がある。中央には大きな赤い壁があり、光を遮っている。場所がどこなのかも、道具にも玩具にも見える物が何かもわからない。すべてが謎めいている。あらゆる図像学的解釈を確信犯的にはねつけるかのような絵だ。そのタイトルもこの絵についてまったく説明しないどころか、謎めいた不穏な緊張感を高めるだけだ。ときには守護神や創造的な閃きを与える悪霊=ゲニウスに取り憑かれた王の姿は、ここにはない。そして王の不在がより一層、精霊ゲニウスという、幽霊のように目に見えない不気味な存在を意識させることになる。
この作品の誕生を告げるかのように、デ・キリコはパリ滞在中に次のようなメモを残している。
一般には取るに足らないと考えられている事物の謎を理解すること。ある種の感情現象や、ある人の性格の謎を知覚し、私たちがあらゆる角度から探るとても奇妙な事物、そうした過去の事物を創造する天性(=精霊ゲニウス)を思い浮かべるところまで到達すること。まるで、姿を変える興味深い多彩色の玩具で満たされた不思議で巨大な博物館に棲まうかのように、世界のうちに生きること。私たちはときどき、まるで幼い子供のように、この玩具を壊して中がどうなっているのか見ようとし、結果中身が空であることに気づいてがっかりするのだ*1。
つづきは、単行本『掌の美術論』でごらんください。
身体を通して、世界に触れ、世界と戯れ、世界を模倣し、そして世界とずれていく。そのずれの中にこそ、芸術の可能性は宿っている。
2026年7月2日発売
松井裕美 著『掌の美術論――触覚と想像力に』
四六判上製・352頁 本体価格4000円(税込4400円)
ISBN:978-4-326-85207-9 →[書誌情報]
【内容紹介】遊びが手触りや感覚を頼りに新たなゲームや楽しさを創造し、ときに新しい認識や価値を開いていくように、触覚を軸にした鑑賞の方法を提示する。触覚に関わる美術史を整理したうえでフェミニズムや歴史・記憶と芸術作品の関係など、現代的な問題意識を織り込んだ作品解説を通し、触覚と想像力が拓く遊戯場としての美術史を紡ぎだす。
》》》バックナンバー ⇒《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手
第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい
第15回 キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた
第16回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(前編)
第17回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(中編)

