ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 13〉被害者の実名・匿名の判断は誰がする?

2月 21日, 2017 畑仲哲雄

 
詳しく正確に報道すること。悲惨な事故や事件に見舞われた人たちの苦しみ。この2つが天秤にのってしまうとき、〆切までの短い時間で難しい判断を迫られます。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

社にあがってきたサツ担が、デスク席のわたしのところにやって来るなり言った。
「匿名にすると約束しましたから。ネットには中傷が出回ってますし、嫌がらせの電話もある。新聞は遺族を苦しめちゃいけない。実名は書きたくありません」
 おい、なにを血迷ってるんだよ。そんな言葉を飲みこんで、サツ担のほうを向いて言った「理由を説明しろよ、納得できる理由を俺に」
 ことの始まりは、けさの県警での記者発表だった。サツ担は訥々と説明し始めた。
   *   *   *
 県警広報課の発表によると、市内の小学校で一昨日、2年生の女子児童が昼休みの時間にいなくなりました。教職員が手分けして探したところ、近くの用水路で溺れているのが見つかり、病院で死亡が確認されました。
 すべて匿名発表でした。理由は「遺族の強い希望」です。
 事故なのか。事件なのか。報道陣からの質問に、刑事課長は「あらゆる可能性を視野に入れている」と含みを残しました。事件の可能性が高いかもしれません。
 発表の最後、刑事課長は報道陣に釘を刺すのを忘れませんでした。「通学途上の児童へのインタビュー行為は絶対に、いいですか、絶対に控えてください」と。
 すぐに亡くなった少女の名前や自宅を割り出しました。こんや自宅で通夜が営まれることも。弔問すれば遺族のようすがわかるし、うまくすれば取材できる。そう考え、喪服姿で“取材”に出かけたのです。
「線香をあげさせてください」どさくさに紛れて名刺を差し出し、広間に進みました。参列者は20人ほど。ライバル社の記者の姿はありません。正面に祭壇が組まれていて、少女の両親と思われる夫婦が石のように固まって座っていました。
 祭壇に進み焼香しました。焼香台のすぐ先に、驚くほど小さな棺があって、幼い顔がのぞいていて、もらい泣きのマネをして、ハンカチで目頭を押さえてみたんです。
 そのとき、受付のほうから駆け寄ってきた男性に腕をつかまれて言われました。「取材はおことわりしています」
 へたな言い訳はしませんでした。膝を折って頭を下げました。
「申し訳ありません」ほんとうに、いたたまれなくて、恥ずかしくて、ただじっとしていたら、父親の声がしました。
「そっとしておいてください。名前も顔も出さないでほしい。心ない電話や手紙をもらいたくありませんし、ネットで面白おかしく書かれたくないんです」
 嘘泣きの目に涙があふれてました。「わかりました、約束します」そう言って辞去してきたんです。
   *   *   *
 サツ担の気持ちも少しわかる気がした。だが……。
「うーん、うちは原則実名だしなあ」わたしは頭を抱えた。「どうせネットでは名前も写真も出回っているんだろ。よそは書くんじゃないか。うちだけ匿名にするには理由が必要だよな」
「それは、『みんなで渡れば怖くない』という論理ですよ」サツ担はわたしを睨んだ。「じゃあ、デスクは僕に、あの人たちを苦しめろと命じるんですか」
 返答に窮した。実名報道がわが社の基本方針だが、場合によっては匿名にしてきた。今回はどうすべきだろうか。

    [A]実名で書くべきだ。ジャーナリストに必要なのは同情心ではなく理性。原則実名の方針を軽々に揺るがすべきではない。記者が動転しているときこそ、デスクは冷静であるべきだ。
     
    [B]今回は匿名にしよう。他人の痛みを理解できない者は報道に携わるべきではない。報道指針は、日々現場で起こっている問題を通して鍛えられるもので、不磨の大典ではない。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[実名で書く立場] 報道の目的は、歴史の記録と検証可能性の確保。それが〈知る権利〉を支える。万人が正確な事実を得るため実名報道は国民に支持されてきた。むろん例外はある。暴力団事件や性犯罪の被害者は、生活権が侵害されることが明白なので匿名だった。ところで、今回、匿名にするだけの十分な理由は見当たらない。市民社会に奉仕するため、実名原則を貫くべきだ。
 
[匿名にする立場] 名前をさらされたくない。そんな遺族の願いが一方的に踏みにじられていいのか。事件事故に巻き込まれた市民の実名や写真を、不特定多数に広く知らせることが〈知る権利〉に応えることにはならない。実名報道の論拠の大切な柱は権力監視で、大衆の俗悪な興味に応えることではない。傷ついた市井の人に、さらなる傷を覚悟させる権利は、メディアにはない。
 
[実名で書く立場からの反論] 心ないことを言う輩はいつの時代もいる。いまはソーシャルメディアがその受け皿になっている。他方、ジャーナリストの役割は、同じような事件事故を防ぐため、傷ついた人に寄り添い、その痛みを伝えることだ。少女の名前は彼女の尊厳を示す。報道に訴求力と重みを持たせるため、実名は欠かせない。犠牲者の家族を説得して実名で報道しよう。
 
[匿名にする立場からの反論] 事件事故の被害者の中には、実名を出して訴えたい人もいる。だが、今回はそうではない。実名と顔を出さないでもらいたい。そう懇願された記者が、参列者が見つめる前で、涙ながらに確約し、デスクに匿名報道したいと願い出た。その記者を再び通夜会場に派遣し、実名の許可を取らせることは、ジャーナリストとしての良心をも踏みにじることになる。
 
[実名で書く立場からの再反論] わが社は原則実名の編集方針を掲げている。取材記者もわたしも、それを承知で入社し、実務を担ってきた。今回の匿名報道の提案は唐突すぎる。社主や経営者は、一介の記者やデスクに編集方針を変える権限を認めようとしていない。報道の一貫性を保つことも組織ジャーナリストには必要だ。いまから別の記者に取材を命じてでも実名報道させよう。
 
[匿名にする立場からの再反論] 社主や経営者だけに「編集権」があるのではなく、末端の記者やデスクも「内部的自由」を持とうという考え方がある。編集方針は、市民社会とメディアとの約束のようなもので、必要に応じて見直さないといけない。市民社会の側の変化を敏感に察知できるのは現場の記者しかいない。いま匿名報道することが、将来「英断」と称賛されるよう決断しよう。
 
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