ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 14〉世間に制裁される加害者家族をどう報じる

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2017/3/14By

 
犯罪報道をめぐり、いろいろな角度から難題が突きつけられます。前回の被害者匿名報道につづき、今回は加害者報道をとりまく事例を考えてみます。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

腕時計は午前2時を指していた。
 容疑者の自宅が見下ろせる雑居ビルの外付け階段に身を潜めて4時間あまり。今夜も無駄骨か……。ため息ついて引き揚げようとしたとき、黒っぽい人影が近づいてきた。
 容疑者の家族だろうか。わたしはその姿を高感度の望遠カメラで隠し撮りすると、階段を駆け降り、家のほうに歩を進めた。
「ごめんください、夜分すいません」インターホンを鳴らしたが返事はない。ドアは内側から施錠されている。
 良妻賢母と評判の主婦は殺人犯なのか? 事件はナゾだらけだ。全容を知るには、警察や検察への取材だけでは足りず、できるだけ多くの関係者を取材して、ジグソーパズルのピースのようにつないでいく必要がある。大手メディアはすでに主婦の実家を訪ね、高校の同級生や教員から人物像に迫っていた。
 家族を直撃したメディアはまだない。逮捕から1週間ほどは、この近辺は取材陣がうろつき、家族は近づけなかったはずだ。わたしは夜な夜な張り込み、家族と接触する機会を待ち続けた。
 容疑者はどんな母だったのか。どんな妻だったのか。職業記者であろうと、一般人であろうと、知る権利はある。わたしはじぶんにそう言い聞かせ、しつこくドアをノックし続けた。
 ややあってドアが細く開き、男性の声が聞こえた。「帰ってください」
「ご迷惑はかけません」わたしは声を潜め、フリーのジャーナリストだと告げた。
 ドアの隙間から顔をのぞかせた男性は、容疑者の夫だった。うつむき加減で、拳を強く握りしめているのが見えた。怒りと恐怖をないまぜにしたような空気が伝わってくる。わたしは男性の言葉を待った。
「なんだか悪い夢を見ているようで……」妻が逮捕されたその日、男性は警察から電話を受けて、即座に職場を早退した。隣県に嫁いだ妹に連絡を取り、2人の娘を預かってもらうことにした。警察で、妻が犯行を自供したことを知らされ、家宅捜索がおこなわれた。懇意にしていた同僚のアパートに数泊させてもらったあとはネットカフェを泊まり歩いている。
 じぶんを罵倒する電話が会社にかかっていたことを知り、退職を申し出た。会社の正面玄関には報道陣に混じり、ビデオを手にした“素人の取材者”も現れたという。
 妹夫婦には、家のテレビを隠し、新聞の購読も止め、娘たちから携帯電話を取り上げるようお願いした。だが、いつまでも妹夫婦に頼っていられない。
 きょう夕方、ニュースで自宅の壁一面が多数の落書きで埋め尽くされているのを見て、慄然とした。過去に容疑者の自宅が放火された事件を思い出し、せめて貴重品だけでもと人目を忍んで今夜やってきた、と男性は話した。
「ご遺族の悲しみや苦しみは、想像に余りあります」男性は声を震わせた。「わたしは会社にも、この町にも、いられません。でも、2人の娘に罪はあるんですか。娘たちはマスコミから、世間の目から、死ぬまで追われるんでしょうか」
 わたしは絶句した。「奥さんは、まだ、無罪の推定を受けています」その言葉はなんの慰めにもなっていない。
 そのとき、背後でカメラのフラッシュがいくつも光った。「おまえら、死んでお詫びしろ」そう叫ぶと、その一団は逃げ去った。加害者の家族に向けられる仕打ちに怖気が走った。
「お願いです。いまはそっとしてください」男性はドアの向こうで膝を折った。
 わたしは記者として、なにをすべきなのか。なにをしてはならないのか。

    [A] 書くのをやめよう。興味本位の大衆の欲求に応えるのはジャーナリズムの役割ではない。のぞき見的な取材やセンセーショナルな報道は、バッシングに傾斜しがちな世間の風潮を煽るだけだ。
     
    [B] 詳細に書こう。ジャーナリストが書くのをやめても、ネットが普及したいま、バッシングはやまない。加害者家族ら関係者が、どれほど苦しんでいるかも含めて冷静に報道して警鐘を鳴らそう。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[書かない立場] 加害者の家族には、すさまじい社会的制裁が加えられている。中傷する手紙や電話にはじまり、インターネットで実名や写真をさらす人もいる。少なからぬ加害者家族が、夜逃げや失業、離別・離婚を経験してきた。ひどい場合には自殺もある。世間にはびこる安易な処罰感情を増幅させてはいけない。公共性に乏しく、特定の人を苦しめるだけの情報は書くな。
 

[詳しく書く立場] 加害者家族が直面している問題だけでなく、世間の人々による嫌がらせも、インターネットで頻発するプライバシー侵害も、すべて俎上に載せ、事件の全容を報じよう。「寝た子を起こすな」と難じる人もいるだろうが、事件をじぶんたちの問題として考える機会を提供するのが報道の使命。事実を隠蔽したり、見て見ぬふりをしたりしてはいけない。
 ↓ ↓ ↓
つづきは、単行本『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』でごらんください。

 
取材先でセクハラに遭ったら?
被害者が匿名報道を望んだら?
取材で“ギャラ”を求められたら?
被災地に記者が殺到してきたら?
原発事故で記者は逃げていい?
 etc.
 
正解はひとつではない。でも、今、どうする?
現場経験も豊富な著者が20のケースを取り上げ、報道倫理を実例にもとづいて具体的に考える、新しいケースブック! 避難訓練していなければ緊急時に避難できない。思考訓練していなければ、一瞬の判断を求められる取材現場で向きあうジレンマで思考停止してしまう。連載未収録のケースも追加し、2018年8月末刊行。
 
〈たちよみ〉はこちらから「ねらいと使い方」「目次」「CASE:001」「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉


【ネット書店で見る】

 
 

畑仲哲雄 著 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』
A5判並製・256頁 本体価格2300円(税込2484円)
ISBN:978-4-326-60307-7 →[書誌情報]
【内容紹介】 ニュース報道やメディアに対する批判や不満は高まる一方。だが、議論の交通整理は十分ではない。「同僚が取材先でセクハラ被害に遭ったら」「被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか」「被害者が匿名報道を望むとき」「取材謝礼を要求されたら」など、現実の取材現場で関係者を悩ませた難問を具体的なケースに沿って丁寧に検討する。
 
【ページ見本】 クリックすると拡大します。

【本書のトリセツ】
ステップ1、実際の事例をもとにした[思考実験]を読んで「自分ならどう?」と問いかける。
ステップ2、次のページを開いて[異論対論]で論点ごとに考える。対立する意見も深めてみると……?
ステップ3、事実は小説より奇なり。[実際の事例と考察]で過去の事例を振り返りつつ、支えとなる理論を探そう。
 
【目次】
ねらいと使い方 ジャーナリズム倫理を絶えず問いなおす
第1章 人命と報道
 CASE:001 最高の写真か、最低の撮影者か
 CASE:002 人質解放のために警察に協力すべきか
 CASE:003 原発事故が起きたら記者を退避させるべきか
 CASE:004 家族が戦場ジャーナリストになると言い出したら
第2章 報道による被害
 CASE:005 被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか
 CASE:006 被害者が匿名報道を望むとき
 CASE:007 加害者家族を「世間」から守れるか
 CASE:008 企業倒産をどのタイミングで書く
第3章 取材相手との約束
 CASE:009 オフレコ取材で重大な事実が発覚したら
 CASE:010 記事の事前チェックを求められたら
 CASE:011 記者会見が有料化されたら
 CASE:012 取材謝礼を要求されたら
第4章 ルールブックの限界と課題
 CASE:013 ジャーナリストに社会運動ができるか
 CASE:014 NPOに紙面作りを任せてもいいか
 CASE:015 ネットの記事を削除してほしいと言われたら
 CASE:016 正社員の記者やディレクターに表現の自由はあるか
第5章 取材者の立場と属性
 CASE:017 同僚記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら
 CASE:018 犯人が正当な主張を繰り広げたら
 CASE:019 宗主国の記者は植民地で取材できるか
 CASE:020 AIの指示に従って取材する是非
あとがき ジャーナリストの理想へ向けて
 
■思考の道具箱■
傍観報道/番犬ジャーナリズム/共通善/危険地取材/臨時災害放送局/CPJ/自己責任/メディアスクラム/合理的な愚か者/サツ回り/犯罪被害者支援/熟議/被疑者と容疑者/世間/特ダネ/倒産法/コンプライアンス/知る権利/取材源の秘匿/2種類の記者クラブ/地位付与の機能/ゲラ/報道の定義とは?/小切手ジャーナリズム/記者会見/「ギャラ」/キャンペーン報道/アドボカシー/黄金律/NPO(非営利組織)/地域紙と地方紙/アクセス権と自己情報コントロール権/良心条項/記者座談会/ゲリラとテロリズム/ポストコロニアリズム/倫理規定/ロボット倫理/発生もの
 
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はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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