ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 14〉世間に制裁される加害者家族をどう報じる

3月 14日, 2017 畑仲哲雄

 
犯罪報道をめぐり、いろいろな角度から難題が突きつけられます。前回の被害者匿名報道につづき、今回は加害者報道をとりまく事例を考えてみます。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

腕時計は午前2時を指していた。
 容疑者の自宅が見下ろせる雑居ビルの外付け階段に身を潜めて4時間あまり。今夜も無駄骨か……。ため息ついて引き揚げようとしたとき、黒っぽい人影が近づいてきた。
 容疑者の家族だろうか。わたしはその姿を高感度の望遠カメラで隠し撮りすると、階段を駆け降り、家のほうに歩を進めた。
「ごめんください、夜分すいません」インターホンを鳴らしたが返事はない。ドアは内側から施錠されている。
 良妻賢母と評判の主婦は殺人犯なのか? 事件はナゾだらけだ。全容を知るには、警察や検察への取材だけでは足りず、できるだけ多くの関係者を取材して、ジグソーパズルのピースのようにつないでいく必要がある。大手メディアはすでに主婦の実家を訪ね、高校の同級生や教員から人物像に迫っていた。
 家族を直撃したメディアはまだない。逮捕から1週間ほどは、この近辺は取材陣がうろつき、家族は近づけなかったはずだ。わたしは夜な夜な張り込み、家族と接触する機会を待ち続けた。
 容疑者はどんな母だったのか。どんな妻だったのか。職業記者であろうと、一般人であろうと、知る権利はある。わたしはじぶんにそう言い聞かせ、しつこくドアをノックし続けた。
 ややあってドアが細く開き、男性の声が聞こえた。「帰ってください」
「ご迷惑はかけません」わたしは声を潜め、フリーのジャーナリストだと告げた。
 ドアの隙間から顔をのぞかせた男性は、容疑者の夫だった。うつむき加減で、拳を強く握りしめているのが見えた。怒りと恐怖をないまぜにしたような空気が伝わってくる。わたしは男性の言葉を待った。
「なんだか悪い夢を見ているようで……」妻が逮捕されたその日、男性は警察から電話を受けて、即座に職場を早退した。隣県に嫁いだ妹に連絡を取り、2人の娘を預かってもらうことにした。警察で、妻が犯行を自供したことを知らされ、家宅捜索がおこなわれた。懇意にしていた同僚のアパートに数泊させてもらったあとはネットカフェを泊まり歩いている。
 じぶんを罵倒する電話が会社にかかっていたことを知り、退職を申し出た。会社の正面玄関には報道陣に混じり、ビデオを手にした“素人の取材者”も現れたという。
 妹夫婦には、家のテレビを隠し、新聞の購読も止め、娘たちから携帯電話を取り上げるようお願いした。だが、いつまでも妹夫婦に頼っていられない。
 きょう夕方、ニュースで自宅の壁一面が多数の落書きで埋め尽くされているのを見て、慄然とした。過去に容疑者の自宅が放火された事件を思い出し、せめて貴重品だけでもと人目を忍んで今夜やってきた、と男性は話した。
「ご遺族の悲しみや苦しみは、想像に余りあります」男性は声を震わせた。「わたしは会社にも、この町にも、いられません。でも、2人の娘に罪はあるんですか。娘たちはマスコミから、世間の目から、死ぬまで追われるんでしょうか」
 わたしは絶句した。「奥さんは、まだ、無罪の推定を受けています」その言葉はなんの慰めにもなっていない。
 そのとき、背後でカメラのフラッシュがいくつも光った。「おまえら、死んでお詫びしろ」そう叫ぶと、その一団は逃げ去った。加害者の家族に向けられる仕打ちに怖気が走った。
「お願いです。いまはそっとしてください」男性はドアの向こうで膝を折った。
 わたしは記者として、なにをすべきなのか。なにをしてはならないのか。

    [A] 書くのをやめよう。興味本位の大衆の欲求に応えるのはジャーナリズムの役割ではない。のぞき見的な取材やセンセーショナルな報道は、バッシングに傾斜しがちな世間の風潮を煽るだけだ。
     
    [B] 詳細に書こう。ジャーナリストが書くのをやめても、ネットが普及したいま、バッシングはやまない。加害者家族ら関係者が、どれほど苦しんでいるかも含めて冷静に報道して警鐘を鳴らそう。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[書かない立場] 加害者の家族には、すさまじい社会的制裁が加えられている。中傷する手紙や電話にはじまり、インターネットで実名や写真をさらす人もいる。少なからぬ加害者家族が、夜逃げや失業、離別・離婚を経験してきた。ひどい場合には自殺もある。世間にはびこる安易な処罰感情を増幅させてはいけない。公共性に乏しく、特定の人を苦しめるだけの情報は書くな。
 
[詳しく書く立場] 加害者家族が直面している問題だけでなく、世間の人々による嫌がらせも、インターネットで頻発するプライバシー侵害も、すべて俎上に載せ、事件の全容を報じよう。「寝た子を起こすな」と難じる人もいるだろうが、事件をじぶんたちの問題として考える機会を提供するのが報道の使命。事実を隠蔽したり、見て見ぬふりをしたりしてはいけない。
 
[書かない立場からの反論] 加害者や家族のプライバシー暴露や匿名の電話や手紙による嫌がらせ。社会悪といっていいこうした行為は、一部のセンセーショナルな報道が咲かせた“あだ花”のようなものだ。自殺者が出るような“なんでもあり”の状態を放置すれば、やがて権力による規制を招く。「報道の自由」を手放さないためにも、ジャーナリストはみずからを律する必要がある。
 
[詳しく書く立場からの反論] 取材は、警察・検察、弁護士、目撃者、被害者やその関係者だけでは足らない。加害者家族も必要だ。あえて無視するのは不自然だし非現実的だ。むろん加害者家族が自殺する事態は防ぎたい。ならば、なおさら彼らの苦境も丁寧に報じるべきだ。報道にはいろんな立場があっていいが、安易に自粛するジャーナリストには「報道の自由」を担う資格はない。
 
[書かない立場からの再反論] 政治や経済などのニュースは、多様な視点から報じられるほうがいい。権力からの干渉には体を張ってでも闘うべきだ。だが権力をもたない市井の人々と向き合うとき、ジャーナリストはみずからの権力性に鈍感であってはならない。ニュースと刃物は使いよう。困っている人を救い、社会を善い方向に導くこともあれば、その逆もある。使い方を誤ってはならない。
 
[詳しく書く立場からの再反論] 報道で社会を導こうというのは独善的なエリート主義だ。取材対象が「そっとしてほしい」と言うのなら、その言葉を伝えるべきだ。市井の人々にこそ、異議申し立てや発言の機会を確保しなければならない。人権を踏みにじられている人の存在を無視するのはおかしい。メディアがタブーを増やせば増やすほど、人が物事を判断する材料も失われる。
 
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