ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 17〉犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか

5月 23日, 2017 畑仲哲雄

 
主張には耳を傾けるべき内容がある。けれど、それが人質をとってなされた主張だったら? そのまま伝えていいのか。社会の歪みが凝縮されているような場面で、人質の安否情報も重なるとき、どういう道筋で考えることができるのでしょうか。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

現地の取材班が撮影した特ダネ映像をどう報道するか。それが東京本社で緊急招集した部長会議の課題だった。
 南半球の小国で1か月ほど前、高級リゾートホテルが武装グループに占拠された。現地の駐在員家族たちを招いてパーティーを開いていたところへ、自動小銃を手にした男女数人が乱入。子供と女性は解放されたが、12人の日本人男性が人質に取られた。
 その国の大統領府は、「テロリスト」たちを孤立させる目的で、ホテルの通信回線をすべて遮断し、電力供給も極力制限した。その作戦は、報道機関がホテル内部を取材する機会をも奪った。記者たちにとって、大統領府が唯一の情報源となっていた。
 そんななか、わが関東TVの現地取材班が昨夜、ホテルに運び込まれる医療品の箱に取材を申し込む密書を紛れこませたところ、けさになって、ホテルの窓ガラスに「関東TVへ 進入可」と書かれた紙が貼り出された。それを確認した取材班が、ホテルを取り囲む治安部隊の隙を突いて建物に駆け込み、衛星回線を通じて人質の映像を日本に送信してきた。
 緊急会議の冒頭、スクープ動画が再生された。カラシニコフと呼ばれる自動小銃とダイナマイトを手にした男女が画面いっぱいに映った瞬間、会議室はどよめいた。
 犯人に指示された人質が、邦訳された長い声明文を読み終えるまで10分近くを要した。
「第一の要求は不当に投獄されている仲間の解放。第二は結社と言論の自由。第三は少数者差別に対する謝罪と格差の解消。これより三つの要求の理由を説明いたします……[後略]」
 続いて20代前半とみられるリーダー格の男が現地語で話し、人質が通訳した。
「わたしたちは独裁者の弾圧に抵抗する少数民族の農民ゲリラです。大統領は貧しい者を抑圧し搾取します。独裁者の名に値します。わたしたちは人質を傷つけません。身代金も求めません。人質には申し訳ないが、この国の人権状況を世界の人に知ってもらいたいという一心で、死を覚悟してここへ来ました」
 話しぶりは穏やかで、若い教師のようだ。彼の手下たちはさらに年若く、10代に見える。大統領府が喧伝する「狂信的で残忍なテロリスト」とは異なる。
 続いて人質がひと言ずつ家族へのメッセージを伝えた。みな健康そうだ。じぶんたちが無事だということを家族に知らせたい。そんな人質の気持ちが伝わってくる。
 動画の再生が終わり、社会部長が言った。「人質の安否情報はスクープです。ただ、取材班がいうには、犯人側の声明をノーカットで放送するのが取材を受ける条件でした」
「そこが問題なんだ」政治部長が顔をしかめた。「あちらの大統領が『テロの宣伝に協力するな』って日本政府を通じて強く求めてきたんだ。公共の電波を使って奴らの演説を10分も垂れ流せば、さすがに日本の総務大臣も『停波』をちらつかせてくるだろう」
「取材は現場の独走と言い訳できても、オンエアは社の責任になる」「スクープを握りつぶせば士気が下がる」「国際問題に発展したらどうする」……
 報道局の責任者として、わたしはどう判断すればいいだろう。
 

    [A]犯人たちの言いなりにならず、われわれの裁量で声明を編集して部分的に放送する。
     
    [B]犯人たちとの約束を守り、通常ならありえない長さの声明をノーカットで放送する。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[犯人の主張を独自に編集する立場] 人質の命が大切なのはいうまでもないが、「テロリスト」の言い分を無批判に流せば、犯罪に手を貸すことになる。声明をノーカット放送しなければ人質を殺す、と脅されているわけではない。ここは、犯罪集団の言いなりにならないという姿勢を示そう。犯人たちのへの同情は禁物。罪のない人びとを銃で脅して立て籠もることは、重大な犯罪なのだ。
 
[犯人の主張をノーカットで流す立場] あらゆる取材は信頼の上に成り立っている。たとえ相手が「犯罪者」と名指される人であっても、われわれが嘘をついていい理由にならない。時と場合によっては騙し討ちのような取材をする報道機関は、いずれ市民社会からも信頼されなくなる。映像を見る限り、「狂信的で残忍なテロリスト」ではない。包み隠さず伝えて、視聴者に判断を委ねよう。
 
[独自に編集する立場からの反論] 問題は現場が独断で「約束」をしたことだ。日々のニュースは部長やデスクの裁量に任せるのがふつうだが、今回のような国際問題に発展しかねない難しい事案は、現場で勝手に判断してはならない。彼らの求めに従うことは、放送法で定められている「番組編集の自由」を手放すことだ。すぐにだれかの言いなりになる報道機関は、市民社会から見捨てられる。
 
[ノーカットで流す立場からの反論] 大統領府の側だけを取材していても事件の全貌が見えない。犯行グループ側への取材は絶対に必要で、それを報道することは権力監視となる。権力側が恐れているのは、犯行グループの主張にも理があり、それが拡散すること。言論の自由がない国で、抑圧されている側が訴えたいことと、われわれが報道すべきだと考えたことが、今回は一致している。
 
[独自に編集する立場からの再反論] 貧しい農民たちが幸せになるなら、人質を犠牲にしてもいいという考え方は受け入れられないし、日本のテレビ局が内政に干渉することもやり過ぎだ。邦人の安否はできるだけ丁寧に伝えよう。それは日本の視聴者に対するわれわれの責任だ。しかし、その国の武装集団と大統領府に対して、われわれはどんな責任を負っているのだろう。争っている二者がいるとき、どちらにも与せず、どちらからも等しく距離を取るのが、ジャーナリズムの常道だ。
 
[ノーカットで流す立場からの再反論] 人質を取るのは立派な犯罪だ。だが、彼らは何十倍もの武装警官に包囲され、逃げ場もなければ展望もない。あの国の大統領のことなので、犯人たちはいずれ射殺されるだろう。彼らは命をかけて犯行に及んだと思われる。われわれが彼らとの約束を破れば、彼らは絶望し、自暴自棄になるかもしれない。人質の安全のためにも、約束は守るべきだ。
 
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