ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 18〉新聞の「編集権」はだれのものか

6月 20日, 2017 畑仲哲雄

 
外部制作の紙面がノーチェックで掲載されるといわれると、記者ならだれしもギョッとしそうです。でも実際にあるそういう取り組みから、何か見えてきませんか?[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

「NPOに紙面の一部を作ってもらい、人件費を抑制します」
 先代から経営を引き継いだ三代目の若社長は、そんな再建案をぶちあげた。それも、社長就任の初日に全従業員を前にして。
 初代の社長はジャーナリストとしては優秀だったが経営の才覚がなく、二代目社長が再建に取り組んだものの、経営は一向に好転しなかった。次にバトンを受けた三代目は、記者経験のない30代。就任の挨拶に対して、編集局の老練な記者たちから“洗礼”を浴びた。
「紙面作りを外部に任せれば、編集の独立を手放すことにつながります」
「紙面を他人任せにする新聞社がどこにありますか」
「すこしはジャーナリズムの勉強をしてください」
 記者たちにも意地があった。県庁所在地から離れた地にある小さな新聞だが、農家の跡継ぎ問題、医師不足、買い物弱者……など、過疎地の課題を熱心に報じてきたし、地元の政財界も遠慮なく批判した。全国紙や県紙には負けていない。そんな自負もあった。
 新社長は、その場は引き下がったが、翌日、あらためて従業員を招集した。
「ぼくには記者経験はないし、新聞経営は初めてです。でも、この累積赤字を見てください」社長は決算書類を全社員に配布した。「もはや自力再生は不可能です。いつ倒産してもおかしくない。だからパートナーが必要なんです」
 政治団体や宗教団体から資金を融通してもらえる可能性はあったが、NPOのような市民組織と協働するほうがいい。三代目はそう判断した。この地域には、小さな市民活動団体を支援するNPOがあり、彼はその団体とプランを練りはじめていた。

・新聞社は月曜紙面のうち2ページをNPOに開放する
・NPOは自力で編集した紙面データを新聞社に提供する
・新聞社はNPOの紙面に口出しせず印刷する
・両者間で金銭のやりとりをしない

 新社長がそこまで説明したとき、記者たちが口々に異論を唱えた。
「われわれには掲載責任というのがあって、外の人が記事を書いたとしてもファクトチェックは必要でしょう」
「掲載拒否する権限が留保されない限り、そんな案には乗れません」
「NPOは運動団体なので、中立的で客観的な報道は無理です」
「たとえ紙面の一部だとしても『編集権』を手放したら、新聞社失格です」
 社長は大きなため息をついた。「中立、編集権、言論の独立……。そういうのは記者の自己満足でしょう。若者が流出し、高齢化が進むこの地で、なくなったら困ると思われているのは、この新聞社じゃなくて、地元の課題解決に取り組むNPOやボランティアのほうです。われわれ地域メディアは、大手紙のまねをしたジャーナリズムを捨てて、地域の人たちと一緒に新聞を作るべきなんです」
 われわれ記者は、新しい社長の提案をどのように受け止めればいいのだろう。
 

    [A] 紙面制作を外部に任せてはいけない。NPOへの依頼が蟻の一穴となり、やがて「編集権」を放棄することになる。
     
    [B] 紙面の一部を外部組織に委ねてみよう。この地域には新聞社もNPOも必要だ。「編集権」は業界の慣習にすぎないのかもしれない。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[NPOに紙面を任せない立場] 人件費抑制のため社外の人に紙面を作らせるのは手抜きだし、無責任きわまりない。編集局の使命は、命を賭しても外部からの干渉を排して紙面を作ることだ。編集局が口出しも手出しもできない紙面を外部に提供するなんて、じぶんでじぶんの首を絞めるのと同じ。新聞社にとって「編集の独立」は何よりも大切で、編集の権限は手放してはならない。
 
[NPOに紙面を開放する立場] 「編集権」について過去に論争があったが、現在は所有者に帰属するというのが統一見解だ。うちの場合、三代目の新社長に帰属する。彼は、宗教団体や政治団体に紙面を乗っ取らせようとしているのではなく、NPOに自由に使ってもらうことで、経営再建と地域の課題解決を促そうとしている。経営は行き詰まっているのだし、挑戦してみる価値はある。
 
[紙面を任せない立場からの反論] 「編集権」概念が所有者に帰属するというのは経営側の一方的な主張にすぎない。今回はNPOと協働する提案だが、ある日突然、民主主義を否定するような団体と組むと言いはじめたら、阻止しなければならなくなるだろう。編集局は自律した職能集団であるべきで、資本の論理に惑わされることなく、あくまでも「表現の自由」を追求していくべきだ。
 
[紙面を開放する立場からの反論] いい記事を書いていれば、それでいい――。そんな甘えが編集局にあったとすれば反省が必要だ。われわれは一段高いところから問題を指摘するだけの特権的な職業人ではない。課題が山積する地域のため、地域住民や市民団体と一緒に汗を流す地元民なのだ。NPOに紙面を任せることは人件費抑制だけではなく、記者の意識を変える効果もありそうだ。
 
[紙面を任せない立場からの再反論] 編集の独立や、表現の自由をめぐる議論をする以前に、ノウハウのない人たちに紙面を任せようすること自体、間違っている。取材や編集には技術と経験が必要だ。たとえば、インタビューの作法、誤読されない文章術、裏付け取材の方法。それらはNPO側にあるのか。新聞は売り物である。他人様に金を払ってもらえる水準の紙面をNPOは作れるのか。
 
[紙面を開放する立場からの再反論] NPOが作る紙面は、新聞の論理に従う必要はない。新聞社の仕事は事実の提示だが、NPOが目指すのは具体的な問題解決や社会の変革だと言われる。行政や公的団体が見過ごしてきた社会問題に取り組んでいるNPOの活動を、報道各社はたびたび記事にしてきた。休廃刊が相次ぐ新聞業界にあって、NPOとの協働は新しいモデルになるかもしれない。
 
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