『ベルクソン 反時代的哲学』13

About the Author: 藤田尚志

ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。
Published On: 2016/1/6By
§45. situsの論理――記念碑的なもの(le monumental)から記憶を絶したもの(l’immémorial)へ(『物質と記憶』第4章)

ベルクソンの四大著作――『試論』、『物質と記憶』、『創造的進化』、『道徳と宗教の二源泉』――は、定型性(文学部系では三章構成、法学部系では二章構成)が求められる博士論文(『試論』)を除けば、すべて四章構成である。そしてそれらの著作において、最終章となる第四章というのはいつも、奇妙な(bizarre)ことではないとしても、特異な(singulier)ことが生じる場である。ベルクソンはそこでいつも、最後の大胆な一歩を踏み出す。

『二源泉』はどうか。最終章は「結びの考察――機械的なものと神秘的なもの」(Remarques finales. Mécanique et mystique)で、ベルクソンはこんな風に述べている。

この著作の目的は、道徳と宗教の起源を探究することだった。われわれはそこばくの結論に達した。ここで満足してもよいのかもしれない。だが、われわれの結論の根底には、閉じた社会と開かれた社会との根本的区別があった。〔……〕そこでこの本源の本能は、いったいどの程度にまで抑えられることができ、ないしはかわされうるものなのかをわれわれは問わねばならぬ。そして、われわれに向かって当然提出されてこよう一つの問いに――幾らか考察を付け加えて――答えねばならぬ。(DS 306-307)

結論のさらに「根底」へと掘り進めようとする姿勢がうかがえる。『創造的進化』第四章も同様である。その冒頭で彼は、理論的錯覚の「原理」を「根底から」見据えようとする。

なお二つの理論的錯覚をそれだけで取り出して吟味する仕事が残されている。それはここまで来る途中でよく出会った錯覚で、しかも今まではそれの原理(le principe)よりはむしろその諸帰結(les conséquences)が前面に出ていたのであった。本章では原理の方が対象となるであろう。〔……〕われわれが不在から現前へ、空虚から充実へと進むのはわれわれの悟性の根本的錯覚(illusion fondamentale)による。この誤謬から生まれる結論の一つを私は前章で注意してもらったわけであった。さきにも仄めかしておいたとおり、この誤謬を後腐れのないまでに克服するためにはそれと体当たりで取り組むほかない。われわれはこの誤謬を剥き出しにして、それが否定や空虚や無について根底から(radicalement)誤った考えを含んでいるところをしっかりと正面から見据えなければならない。(EC 275)

さて、以上を踏まえたうえで、予告しておいたように、ベルクソンに戻り、『物質と記憶』第4章の読解に取り掛かることにしよう。第四章冒頭で、ベルクソンはこう述べている。「厳密に言えば、私たちはここまでにしておいてもいいのかもしれない。というのも、私たちがこの仕事を企てたのは、精神生活における身体の役割を定義するためだからである」(IV, 317/200)。では、ヴォルムスの言うように、「著作の当初の目的とは関係のない、一種の〈代補〉(supplément)のように」現れるこの最終章は、いったいいかなる役割を果たしているのであろうか?形態(forme)から基底(fond)へと移行するように、ベルクソンは知覚から物質へと移行する。monument(像・碑など記念建造物、記念碑的作品、途方もないもの)は、基本的に物質からなるもの、純粋な物質性を指すはずだが、語源的にはmonereすなわち思い出させるものに由来する語である。厳密にこの意味で、つまり物質的なものを通じて想起させるという意味で、私たちは『物質と記憶』第四章におけるこの知覚から物質への移行をmonumentalと呼ぶ。というのも、『物質と記憶』第一章から第四章へのこの移行自体が、そのまま第二章・第三章へと私たちを導いていくからである。そこでは、今度は、「記憶を絶したもの」(immémorial)という逆説的な表現で表される事態が問題となるであろう。なぜなら、この表現において問題となっているのは、まさに記憶を助けないもの(in-memorialis)、記憶にないものと、しかしそのような形で記憶において存続し残存するものとの間で生じる事態だからである。immémorialは、まさにこの意味で、『物質と記憶』の中核をなす第二章・第三章の動きをうまく要約してくれる表現であるように思われる。

 『物質と記憶』第四章に後続する「要約と結論」において、ベルクソンは、「この『純粋知覚』の理論は次の二つの点で、緩和されると同時に補われなければならなかった」と認めている。

この純粋知覚というものは、実際、実在からそのまま切り取られた断片のようなもので、他の物体の知覚に、自己の身体の知覚すなわち感情を交えることもなく、その現在の瞬間の直観に別な諸瞬間の直観すなわちその想起を交えることもないような存在に属するであろう。言い換えれば、われわれはまず研究の便宜のため、生きた身体を、あたかも空間内の数学的な一点のように扱い、意識的知覚を時間内の数学的瞬間のように扱ってきたということだ。身体にその延長(étendue)を、知覚にその持続を回復してやらねばならなかった。そうすることによってわれわれは、意識の中に二つの主体的要素、つまり情動性と記憶を再統合することになるだろう。(MM 262)

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つづきは、単行本『ベルクソン 反時代的哲学』でごらんください。

 
立ち止まっている人にだけ見える景色がある。概念とイメージの緊張関係を精緻に読み解き、ベルクソンを反時代的哲学として読み返す。
 
藤田尚志 著 『ベルクソン 反時代的哲学』

A5判・624頁・6,600円(税込み) 2022年6月刊行
ISBN:978-4-326-10300-3→[書誌情報]
 
【内容紹介】概念の解像度を上げるだけが哲学の仕事ではない。ベルクソンは、イメージとの往還と緊張関係を強調してやまない。本書は、最新の研究成果を踏まえつつ、『時間と自由』や『物質と記憶』など主要著作の鍵概念である「持続」や「純粋記憶」を深く理解するには、「リズム」や「場所」のイメージの精確な読解が欠かせないと説く。勁草書房編集部ウェブサイトでの連載時より大幅改稿。
〈たちよみ〉はこちらから「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉
 

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【目次】
序 論 言葉の暴力
 §1 功利性と効力
 §2 生命(vie)・生き長らえ(survie)・超-生(sur-vie)
 §3 哲学と科学、良識(ボン・サンス)と常識(サンス・コモン)
 §4 メジャーな概念とマイナーな論理
 §5 言葉のふるう暴力
 §6 言語にふるわれる暴力
 §7 「見かけに騙されないようにしよう」──言語のアナモルフォーズ
 §8 言語の速度学──遅れとしての隠喩
 §9 否定的転義学
 §10 螺旋としてのベルクソン哲学
 §11 言語の手前、言語の彼方
 §12 transports amoureux、あるいはピルエットとしての直観
 §13 マイナーな論理は何をなしうるか(本書の構成)
 
第Ⅰ部 測りえぬものを測る──『意識に直接与えられたものについての試論』における持続のリズム計測(rythmesure)
 §14 計測から遠く離れて(第Ⅰ部の構成)

第1章 計測のリズムを刻む──『試論』第一章の読解
 §15 「心理的諸状態」の類型論(『試論』第一章の構造)
 §16 呼びかけⅠ──リズムと共感(美的感情の分析1)
 §17 催眠的リズム(美的感情の分析2)
 §18 強度と深度(美的感情の分析3)
 §19 ベルクソンの手Ⅰ──「例えば、拳を徐々に強く握りしめてみてほしい」
 §20 中間状態の分析における「注意attention」と「緊張tension」
 §21 自由の始まりとしての感覚
 §22 「音楽の表現力、というよりむしろその暗示力」
 §23 多様性と有機組織化のあいだにある強度
 
第2章 リズム数論(arythmologie)──『試論』第二章の読解
 §24 数の問い──カント、フッサール、ベルクソン
 §25 場所学Ⅰ──コンパス化された存在(拡がりと空間)
 §26 メロディーからリズムへ
 §27 数(arithmos)とリズム(rhuthmos)──アリストテレスとベルクソン
 §28 リズム計測Ⅰ──構造的リズム
 §29 内在的感性論のほうへ
 
第3章 自由の度合い──『試論』第三章の読解
 §30 決定論批判
 §31 自由はいかにそのリズムを刻むのか(ベルクソンとハイデガー)
 §32 催眠、自我の測深
 §33 記憶の問題系へ
 §34 数に関する思考の未来
 
第Ⅱ部 場所なきものに場所を与える──『物質と記憶』における記憶の場所学(khorologie)
 §35 存在論的、憑在論的(第Ⅱ部の構成)
 §36 ベルクソンとカント──超図式機能のほうへ
 §37 ベルクソンによるコペルニクス的転回──場所論としてのイマージュ論
 
第1章 『アリストテレスの場所論』に場所を与える
 §38 場所と空間──ライプニッツの位置
 §39 『アリストテレスの場所論』から『物質と記憶』へ
 
第2章 知覚の位置──『物質と記憶』第一章・第四章の読解
 §40 ファイネスタイの論理としての現象学
 §41 ベルクソンの手Ⅱ──『物質と記憶』第一章における幻影肢
 §42 二つの身体の理論──距離の現象学
 §43 実在的(リアル)なもののしるし(サイン)、あるいは『知覚の現象学』における幻影肢
 §44 situsの論理──記念碑的なもの(le monumental)から記憶を絶したもの(l’immémorial)へ(『物質と記憶』第四章)
 §45 リズム計測Ⅱ──差動的リズムとしての持続のリズム
 
第3章 唯心論(スピリチュアリスム)と心霊論(スピリティスム)──ベルクソン哲学における催眠・テレパシー・心霊研究
 §46 亡霊を尊重すること、あるいは経験の転回点
 §47 催眠とベルクソンの記憶理論
 §48 テレパシーと共感(シンパシー)──ベルクソンの知覚理論
 §49 収束する(converger)──「歴史家と予審判事の間」にある心霊研究の方法論
 §50 転換させる(convertir)──「おそらくは〈彼岸〉であるような〈外部〉」へ
 
第4章 記憶の場所──『物質と記憶』第二章・第三章の読解
 §51 Spacing Imagination
 §52 運動図式──ベルクソンとサルトル(『物質と記憶』第二章)
 §53 図式機能の問い──カント、ハイデガー、ドゥルーズ
 §54 崇高と走馬灯──構想-暴力と純粋記憶の無為の暴力
 §55 場所学Ⅱ──locusの論理(『物質と記憶』第三章)
 §56 呼びかけⅡ──無為・待機・憑在論的
 §57 もう一つの「生の注意」としての膨張
 §58 もう一つの「スペクトル分析」のほうへ
 
第Ⅲ部 方向づけえぬものを方向づける──『創造的進化』における生の弾み(エラン・ヴィタル)の諸方向=器官学(organologie)
 §59 目的論と生気論、危険な関係?(第Ⅲ部の構成)
 
第1章 ベルクソンと目的論の問題──『創造的進化』第一章の読解
 §60 目的論の亡霊
 §61 場所学Ⅲ──傾向としての存在、意味=方向としての実存
 §62 リズム計測Ⅲ──「持続のリズム」から「生命の衝迫」へ
 §63 ベルクソン的目的論の四つの根本特徴
 §64 急進的な目的論への「否」──創造的目的論
 §65 内的合目的性への「否」──ベルクソンとカントの目的論
 §66 伝統的な生気論への「否」──(非)有機的生気論へ
 §67 二つの生気論──超越論的生気論と内在的生気論(ベルナールとベルクソン)
 §68 来たるべき承認のための闘争──哲学と科学
 
第2章 「生物の丹精=産業(industrie)」について、あるいはベルクソン的器官学──『創造的進化』第二章の読解
 §69 『創造的進化』の撒種──受容の(複数の)歴史
 §70 ベルクソンの生気論は(非)有機的である
 §71 ベルクソンの生気論は非個体的である
 §72 ベルクソンの(非)有機的生気論は一つの器官学である
 §73 ミダス王の手──延長の法則
 §74 知性と産業
 §75 人間の努力、人間という努力──生命の道具主義(ベルクソンとスティグレール)
 §76 「可塑的な溝」──知性と物質性
 §77 来たるべき生気論
 
第3章 ベルクソンの手Ⅲ:(非)有機的生気論──『創造的進化』第三章の読解
 §78 いかなる生気論か? ベルクソンにおける手の範例性
 §79 人間の手──人間性と動物性、自然的なものと人工的なもの
 §80 哲学者の手① 鉄のやすり屑を貫く手
 §81 哲学者の手② 抹消線を引く手
 §82 呼びかけⅢ──神の手(無限に有限な努力)
 §83 (非)有機的生気論の歴史に向けて
 
第Ⅳ部 呼びかけえぬものに呼びかける──『道徳と宗教の二源泉』における響存(écho-sistence)
 §84 テクストの聴診(方法論的考察)──功利性と効力、生命の二つの運動
 §85 行動の論理の探究としての『二源泉』
 §86 『二源泉』に固有のアポリア
 §87 声・火・道・息のイメージ──動的行動の論理を露わにするもの
 
第1章 声の射程──呼びかけと人格性
 §88 呼びかけⅣ──動的行動における人格性の孕む逆説の諸相
 §89 静的行動における人格性
 §90 生命の移調
 
第2章 火の領分──情動と共同体
 §91 二つの根本気分──ベルクソンとハイデガー
 §92 人類の彼方へ向かう人類愛
 §93 人格性・表象・伝播との関係における情動
 §94 熱狂とは何か──ベルクソンとカント
 §95 場所学Ⅳ──灰の共同体
 
第3章 道の途中──二重狂乱と政治
 §96 『二源泉』における「道」のイメージ
 §97 情動の政治学
 §98 〈道〉の哲学小史──デカルト、スピノザ、ベルクソン
 §99 デカルトの道、ベルクソンの道
 §100 交会法と神秘家の旅
 §101 疎通の論理と拡張された道
 §102 リズム計測Ⅳ──計り知れなさには計り知れなさを
 §103 「二重狂乱」と前進
 §104 計算しえぬものを計算する
 
第4章 ベルクソンの身体概念──フランス唯心論のもう一つの歴史に向けて
 §105 「結びの考察」の意味=方向(sens)
 §106 「二つの身体」論・再論──固有身体(corps propre)の所有・固有性(propriété)の問題
 §107 視覚に対する触覚優位の顚倒──知覚と直観の問題
 §108 ベルクソンの手Ⅳ──身体という拡張、技術(テクネー)という補綴(プロテーズ)
 §109 もう一つのフランス・スピリチュアリスムのほうへ
 
結 論 明日の前に
 §110 辺獄(リンボ)のベルクソン
 §111 反時代的哲学とは何か
 §112 スピリチュアリスムは新たな生を開始する
 
あとがき
文献表
事項索引
人名索引
 
全連載はこちら》》》ベルクソン 反時代的哲学

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ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。
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