ジャーナリズムの道徳的ジレンマ

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
 〈CASE 01〉 最高の写真? 最低の撮影者?

4月 12日, 2016 畑仲哲雄

 
さまざまな情報にふれ、わたしたちは日々ものごとを考え、自分の行動を決めています。多くの人が無意識のうちに接する情報を送り出すメディア。なかでも「報道」の現場が発する情報は、喫緊の難題を受け手につきつけます。同時に、その報道を担う人びとも結論を一刀両断には出せない場面で、瞬間的な判断を迫られています。いわば「引き裂かれる」現場の難問を、『地域ジャーナリズム』の著者・畑仲哲雄さんが、実際にあった事例をもとに考察します。月1~2回更新予定です。記者からジャーナリズム研究の道へと進んだ畑仲さんの問いかけを、みなさんぜひ一緒に考えてみてください。[編集部]
 
 
 新聞やテレビ、雑誌で報道の仕事をする人たちは、「ジャーナリスト」と呼ばれています。ひとくちにジャーナリストといっても、仕事はさまざまです。事件や事故の現場でマイクを手にレポートする人、企業経営者にインタビューする人、戦場で写真を撮る人……。やっていることは違いますが、社会のできごとを広く知らせる仕事をしている人を、広い意味でジャーナリストといっても差し支えないでしょう。
 そんなジャーナリストの活動や考え方の全体をあらわすのが「ジャーナリズム」という言葉です。ここでは厳密な定義はしません。学問世界のことをアカデミズムと言ったり、男性が支配的な社会のあり方を問う思想や運動をフェミニズムと言ったりするのと同じように、大ざっぱに考えてくださってもかまいません。
 ジャーナリストは、犯罪捜査官や医療者と同じように、ふつうの人があまり経験しない難しい局面に立たされることがある職業です。さまざまな難局を乗り切るため、ジャーナリズムの世界では基本原則や倫理規定が作られてきました。でも、ルールブックは万能ではありません。ジャーナリズムの世界では評価される行動が、読者・視聴者から「道徳心のかけらもない」と非難されることは過去にいくつもありました。
 この連載では、ジャーナリストが直面するかずかずの問題を、道徳的なジレンマという観点から考えていきます。毎回、[思考実験]→[異論・対論]→[まとめと解説]という順番で書き進め、思考実験の元ネタともいえる[実際の事件]を紹介します。とりあえず[思考実験]で道徳的なジレンマに直面してみてください。頭で考えるのではなく、まずは心でどう感じるか。主人公になったつもりで、じぶんなりの答えをだしてみてください。
 

〈CASE01〉 最高の写真? 最低の撮影者?

ジレンマにおちいる――。相反する2つの選択肢を前にして思わず立ちすくむとき、わたしたちはこんな表現を用いる。以下に示す[思考実験]の主人公は、深刻なジレンマにおちいった。あなたならどうするだろう。
 

1:: 思考実験

みすぼらしい格好をした老若男女が、難民キャンプを目指してぞろぞろ歩いていた。その地域では、行き倒れた人はそのまま放置されている。道ばたに転がる死体など、ここではありふれた光景だ。ハエがたかり、腐臭がただよう。子どもたちに笑顔はない。みな栄養失調で、まばたきを忘れたような眼をしている。
 フリージャーナリストのわたしは、2日前、先進国の報道写真家として初めてこの紛争地に潜入した。干ばつと長引く内戦。そして飢餓。「この世の地獄」をカメラに収め、その作品が世界の一流メディアで紹介されれば、わたしは「無名の写真家」から抜け出せるだろう。なんとしてもここで踏ん張って、いい写真を撮りたいと思う。
 難民の群れから少し離れたところに、はだかの子どもがうずくまり、その向こうに大きなハゲワシがいた。死肉を主食とするハゲワシほど不吉な鳥はいない。黒い肌の子どもは前のめりに倒れ、まるで神に祈る苦行者のような格好をしている。135ミリのレンズに映った2つの被写体は、この国の人びとを象徴していた。反射的に1回シャッターを押した。その瞬間、わたしの心は2つに引き裂かれた。

    [A]このまま待て。ハゲワシが翼を広げたり、クチバシを開いたりしてくれるのを、待て。より悲劇的な構図になるはずだ。できれば子どもはうずくまったまま動かないでくれ。
    [B]バカを言っているんじゃない。すぐにハゲワシを追い払って、子どもを助けるべきだ。人としての心がわたしに残っているなら、難民キャンプに送り届けてやるんだ。

 わたしはその場にしゃがみ込んだ。額の汗が眼に入り、視界がにじむ。カメラを持つ手が汗でぬめり、心臓が高鳴る。わたしは自分自身に命じた。「5秒以内に決断を下せ!」

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみたい。
 
[報道優先の立場] ジャーナリストが負っている責任は、社会にとって重要なニュースを広く届けることだ。カメラを放り出して人命救助をはじめれば、目の前の子どもは救えるかもしれない。命を救う行為は尊い。しかし、目の前の子どもと同じ状況にある人は百万人単位でいる。1枚の写真が国際世論を動かし、各国から救援の環を広げることは、ジャーナリストにしかできない。そのためには、できるだけ人びとに衝撃を与える作品を撮らなければならない。
 
[人命優先の立場] 特定の職業が求める使命よりも、普遍的な道徳感情が優先することはいうまでもない。棒きれを振り回したり、石を投げつけたりすれば、ハゲワシを追い払うことはできるはずだ。助けられる命を、あえて助けない写真家はハイエナだ。人権を尊重する社会で暮らす人びとは、人間性の欠落したジャーナリストを非難する。写真を撮るなとは言わないが、まず少女を助けろ。写真はそのあとで何枚でも撮ればいい。
 
[報道優先の立場から反論] ジャーナリストは客観的な観察者に徹するべきであり、対象に働きかける行為者になってはならない。ニュース報道に携わるすべてのジャーナリストが新人のころにたたき込まれる規範だ。もし、ハゲワシが子どもを襲い食べはじめたとしたら、その現実も記録にとどめるべきだ。ジャーナリストは歴史の記録者といわれる。それをハイエナと呼びたければ呼べばよい。ジャーナリストだって心を痛めるし、涙も流す。ただし、プロとしてシャッターを押してからのことだ。
 
[人命優先の立場から反論] そもそも客観的なニュースなど存在したことがあるのだろうか。マスメディアが伝える日々のニュースは、かなり偏った断片的な情報にすぎない。新聞や雑誌の紙面は限られているし、番組に使える時間も制限がある。なにを大きく扱い、なにをボツにするかは、ゲートキーパーである編集者の胸先三寸だ。過酷な現場を伝えるジャーナリストは、命の大切さを訴える行為者であるべきで、冷淡な傍観者であってはならない。
 
[報道優先の立場から再反論] 事実と意見を区別せよ、というのはジャーナリズムの世界では最も大切な基本原則だ。ニュースに私情を差し挟むことは絶対に許されない。ひとたび許してしまうと、ジャーナリストが世論を誘導しかねない。戦時下のニュースに、敵国を憎むような意見が組み込まれ、プロパガンダが行われたことを思い出すべきだ。意見を表明するのは論説記者やコラムニストであり、事実を伝達する者は、その事実の価値にコミットするな。
 
[人命優先の立場から再反論] 誰もが納得できるように事実と意見を区別できるならば、だれも苦労はない。伝達者はどのような理由からその「事実」を伝えようとしているのか。それをどのような手段で収集したのか。それを検証可能な形式で提示するのであれば、それは誠実な態度といえるだろう。たんにファインダーに映ったものが客観的な「事実」だというのは乱暴すぎる。かりに歴史的な1枚になったとしても、写真家が1人の子どもの命を犠牲にして撮られたことを、読者は見抜くだろう。
 
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