ジャーナリズムの道徳的ジレンマ

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 02〉人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか

5月 10日, 2016 畑仲哲雄

 
一刀両断には結論を出せない報道の現場で直面する難問を、実際にあった事例をもとに問い直していく連載の2回目です。前回に続き、人命が危険にさらされる場面で起こった問題にどう向きあうのか、従来的な視点から一歩踏み出して考えます。[編集部]
 
 
 記者だからこそのジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたが記者ならどうするだろう――。
 

1:: 思考実験

駅前のロータリーに到着すると、警察の大型輸送車が2台、幼稚園の通園バスを挟むように停まっていた。周りには10台以上のパトカー。野次馬をかきわけて、「KEEP OUT 立入禁止」と書かれた黄色いテープの前まで進み出た。すぐ内側に、新聞社や放送局の腕章をつけた20人ほどの一団が見えた。「ウチも入れてください!」そう叫び、報道腕章を高く掲げて、規制線の内側へ強引に入っていった。
 わたしは日刊紙の記者だ。ただ、全国紙ではない。全県に配達される大きな地方紙でもない。この町だけをカバーする小さな地域紙。社是が「地元を元気に」だけあって、まちづくりや伝統行事の話題は大きく報じるが、事件はあまり扱わない。被害者も加害者も取材者もみな同じ町の住人だし、心の傷口を広げるような記事を載せるのは、社是に背く。
 でも、きょうは事情が違う。短銃を手にした男が幼稚園児の送迎バスに立てこもったのだ。東京から大手新聞社や雑誌社の取材陣が大挙してきた。立ちレポを始める放送記者。上空を舞う報道ヘリ。まるで映画のようだ。全国の視線が、いま、わが町に注がれている。地域紙も無視することはできない。
 事件を指揮する刑事課長が、報道陣を集めて概要を説明してくれた。バスの中には園児が3人。怪我はしていない。捜査員は園児を解放するよう説得している。男は「記者をつれてこい」とわめくばかりで、ここ1時間ほど膠着状態が続いている。そこまで言うと刑事課長が突然、報道陣に向かって頭を下げた。「どちらの会社の方でもかまいませんが、腕章を貸してくださいませんか」。ベテランの捜査員が記者に扮して1人でバスに乗り込み、人質を解放するよう男を説得したいという。「子どもの命がかかっています」大手メディアの記者たちは、にべもなく断った。わたしはふと、左腕に巻いた自社の報道腕章に目をやった。

    [A]この腕章は取材や報道をしていることを示す証だ。部外者に貸すなどもってのほか。医者が白衣を貸さないのと同じ。例外を作るな。腕章を貸せばわたしは記者失格だ。
    [B]最優先すべきは子どもの命のはず。銃口を突きつけられているのは、地域の子ども……。近所の子かもしれない。知り合いや親戚縁者の子だったらどうする。叱責や非難は甘んじて受けよう。さあ、腕章を差し出すんだ。

 ふと顔を上げると、刑事課長と目が合った。「一刻を争うんです」わたしは腕章に手をやった。さあ、どうする。

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[腕章を貸さない立場] ジャーナリストの仕事は世のできごとをありのまま公平・中立、客観的に報道することだ。特定の勢力に利用されてはならない。戦時中のジャーナリストが軍政に協力した歴史を振り返れば、警察に腕章を貸す行為がどういうことか理解できるだろう。表現の自由や言論の独立を守るために、貸してはならない。警察は公権力だ。警察の捜査が適正かどうかをチェックすることに集中せよ。
 
[腕章を貸す立場] ジャーナリズムの目的は市民社会に奉仕することで、報道はその手段にすぎない。ジャーナリストが客観的な観察者で公平無私な報告者だというのは一種の理想的なモデル。現実のジャーナリストは神様でも透明人間でもない。取材者は現場のプレーヤー。大手メディアの記者たちも、腕章を貸さない「行為」をしているといえる。その「行為」は現実に影響を及ぼす。もし、警察の要請を拒む記者たちの「行為」が可視化されたら、冷徹な傍観者と市民から非難されるだろう。理想と現実を混同してはならない。
 
[腕章を貸さない立場から反論] ジャーナリストが理想を捨ててどうするのか。市民社会がジャーナリズムに求めているのは公権力の乱用を厳しくチェックすること。すなわち権力監視だ。ジャーナリストよ、自由と民主主義の番犬たれ――それはジャーナリズム先進国のアメリカで確立された鉄則。警察にすすんで協力する行為は、報道の中立性や言論の独立性を損なう。ジャーナリストはあらゆる組織や団体から距離を置くべき。腕章を貸すよう執拗に求められれば、そのことを報道すべきだし、腕章を警察に貸すジャーナリストがいれば、それをニュースにせよ。
 
[腕章を貸す立場から反論] 東京から大挙してきた報道陣にとって、人質の子どもは赤の他人。そのニュースを、全国民に向けて報道する行為は、「ハゲワシと少女」という写真を撮ったカメラマンと同じではないか。だが、人質の子どもは、わたしにとって地元の子であり隣人だ。よそ者の報道陣と、地元に骨を埋めるわたしとで、行動原理が違うのは当然。東京からやってきた取材陣が腕章を貸さないことが合理的ならば、地域メディアの記者が隣人としての使命を果たすことも理にかなっている。非難されるゆえんなどない。
 
[腕章を貸さない立場から再反論] ジャーナリストの倫理や規範が、その場その場で変化するのは危険だ。そんなことをしたら、ダブルスタンダード、トリプルスタンダードがまかり通ってしまう。「あの地域は別」「この民族は特別」「あそこの国民はちょっと違う」……と、はてしなく例外が設けられる。医者に「ヒポクラテスの誓い」、看護師に「ナイチンゲール誓詞」があるように、ジャーナリストにも守るべきルールがある。公権力をもつ者に安易な協力をして、本来すべき仕事の手を止めるようでは、プロのジャーナリスト失格だ。
 
[腕章を貸す立場から再反論] そもそも権力監視を絶対視するジャーナリストは自律的な判断をしているのだろうか。それはルールの奴隷ではないのか。腕章を貸さない判断を瞬時に下せるジャーナリストに、人間性を見いだせない。ジャーナリズムは多様であるべきだし、職業倫理や規範は一部のエリートたちに絶対化されるべきじゃない。職業倫理は、難問に直面するたび、市民社会と対話して模索していけばどうか。腕章問題でいえば、まずは人命救助を優先し、その後、この問題について読者と意見交換してもよい。それもジャーナリズムの大切な使命だ。
 
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