ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 03〉その「オフレコ」は守るべきか、破るべきか

5月 24日, 2016 畑仲哲雄

 
「そもそもオフレコ取材なんてするからダメだ」というのは簡単です。原則オンレコなのは当然。とはいえ原則だけで突っ走れない以上、場面にあわせて考えてみる機会が大事ではないでしょうか。[編集部]
 
 
 記者だからこそのジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたが記者ならどうするだろう。
 

1:: 思考実験

その懇談会は、県内の記者たちと良い関係を築きたいという、中央官庁からきた新任局長の呼びかけで開かれた。地元の新聞社やテレビ局のほか、全国紙や通信社の支局から記者が10人参加した。今後の参考にしてもらうため局長は本音で話す。記者たちは報道しない。メモを取ることも禁止。完全なオフレコが条件だ。
 東京から赴任してまだ日の浅い局長の舌は滑らかだった。昼間の記者会見とはうってかわり、運輸や航空業界のウラ話を、グラス片手に話してくれた。勢いあまって与党の政治家をコキ下ろしたりもした。「完全オフレコ」という約束が大胆にさせたのだろう。ざっくばらんで気さくな話しぶりは、エリート官僚らしくなく、わたしは親しみを覚えた。
「そりゃさあ、あそこを『捨て石』にするのは忍びないよ」局長は周りの記者に気を遣ってビールを注ぎながら言った。「でも、どこかに作らなきゃいけないものだし……」
「あのぅ……『捨て石』っていうのは、県北部の」地元紙の若い記者がサっと右手を挙げた。「例の、処分場予定地の下流域のことですか」
 わたしたち全国メディアの記者はまだ1行も報じていなかったが、産業廃棄物処分場予定地の下流域の集落では反対運動が起こっていて、団結小屋が作られたという話を地元メディアは伝えていた。
 若い記者は続けた。「着工の時期は、どのように住民側に伝えるんですか」
 局長はこう言った。「来週木曜にレイプします、なんて言えないよ。水曜まで知らん顔して木曜の明け方に、一気に押し倒して突っ込む……なんてね」下品な喩えに追従笑いも聞こえた。ここに女性記者がいれば、局長もあんな言い方をしなかっただろう。
 話題はその後あちこちに飛び、懇談会はお開きになった。記者が官僚と飲む。それを「癒着だ」と批判する人はいるが、これは権力に肉薄するひとつの取材手法。そもそもこの手の懇談会は東京でも状態化している。
 参加者全員が店の外にでたとき、例の若い地元紙記者が言った。「今ごろすみません。でも、なんか引っかかるんです、『捨て石』と『レイプ』という言葉。それと抜き打ち着工の話も。正直、オフレコの約束を反故にしてでも書くべきだと思います」
 わたしは腰が抜けそうになった。この若造、なにを言い出すんだ。他社の記者と顔を見合わせた。みな動揺を隠せない。
「おい、もし書いたら、今後いっさいおまえんところの取材受けないぞ」局長は言ったが、例の記者は一礼して走り去った。その場には局長と残りの記者たち。みな顔を見合わせている。わたしはどうすべきなのか。

    [A]不適切な発言があったのは事実だが、メモも録音もない。あやふやな記憶だけで正確な記事は書くのは危険だ。あの発言を除けば、結果的によい情報収集の機会だったと思う。オフレコ懇談の是非はあるが、受け入れてしまったのだ。信義則は守ろう。
    [B]オフレコの約束を受け入れたことは事実だ。だが局長が口にした「捨て石」や「レイプ」は暴言。権力者が性暴力に喩えて、県北部の住民を愚弄し、産廃処分場建設の抜き打ち強行も示唆した。これはニュースだ。書かない理由はどこにある。書け。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[それでもオフレコを守る立場] 調査報道のお手本とされるウォーターゲート事件の報道で、『ワシントンポスト』の記者は情報源が誰かを明かさなかった。これだって一種のオフレコみたいなもの。今夜の懇談会は完全オフレコの「オフ懇」だったし、参加する・しないは記者側の自由意志に任されていた。たしかに不適切発言はあった。だが、懇談会が終わった後で「書くかもしれない」と言った若い記者は、取材のイロハをわかっていない。いやなら、次回から参加しなければよいだけのことじゃないのか。
 
[オフレコを破って報道する立場] ウォーターゲート事件では記者も情報源も正義と自由を守るために闘った同志だ。今回のケースはまったく別。局長は県民を傷つける暴言を吐いた。書けないのはオフレコを受け入れたからだ。ミスだった。これ以上のミスを重ねないためには、オフレコを反故にすべきだ。さもないと、わたしたちもあの暴言の共犯者になる。
 
[それでもオフレコを守る立場から反論] 産湯とともに赤子を流してはいけない。懇談会に参加したおかげで、公式会見ではわからない情報やヒントが得られた。業界のウラ話はおもしろかった。「捨て石」や「レイプ」は褒められた発言ではない。だが、懐に飛び込まなければ取れない情報もある。記者の仕事は風紀委員じゃない。指摘ばかりしていると、めぐりめぐって市民社会の利益にならない。
 
[オフレコを破って報道する立場から反論] 行政官僚が「オフ懇」を催すのは、記者を飼い慣らすためで、それを承知でわたしたち記者は参加している。じぶんでは当局と緊張関係を保っているつもりでも、こんなことを続けていたら、批判精神を失いかねない。今夜起こったことは単純だ。官僚が、わが県の北部を「捨て石」にし、異議を申し立てている住民を「レイプ」すると言ったのだ。市民社会に隠しておくことは正しいことだろうか。
 
[それでもオフレコを守る立場から再反論] きれいごとを並べてなんになる。例の記者が会社で「書く」と言っても、業界の慣例として十中八九ボツだ。万が一あすの朝刊に載ったとしても、わたしは夕刊で追いかけて書けばいい。その時点で「オフレコ」は自動的に解除になる。オフレコを破った地元紙は「寝首を掻く新聞社」というレッテルが貼られ、今後取材しにくくなる。だが、わたしにペナルティが科される心配はない。ずるく立ち回ることもジャーナリストには必要だ。
 
[オフレコを破って報道する立場から再反論] 打算的に考えても書く方に分がある。1社でも「書く」と言い出したのだから、オフレコは解除されたようなもの。そもそも、わたしたちは国民の「知る権利」のために仕事をしているのだ。記者懇談は権力との密会で、オフレコは密約。こんなことをしていたら不買運動が起こりかねない。権力者の怒りを買うより、読者から石をぶつけられるほうが打撃だ。店の前に残された記者たちに呼びかけて、局長にオフレコ解除を提案しよう。
 
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