サイェにはときどき、うまくできたものだけを持たせてやった。持ち歩くときににおうといけないので、ビニール袋にいれ、さらに保冷剤と一緒にべつの袋にいれ、よくしばって、小さな手提げ袋の底に。
おいしかったよ、やっぱり売りものよりいいね、とサイェの母、わたしの妹・紗枝からメールは来たものの、それ以上に何かを言ってくるわけではない。
母のところに持っていくから、と、ぬか床を冷蔵庫からだしたときのこと。
ぬか漬けは好きでも、ぬか床にはさして興味を持っていなかったようにみえたサイェが、自分から、やらせて、と言いだした。
あ、いいけど、いやなんじゃないの? 手ににおいもついちゃうし。
サイェは、いい、と、おばあちゃんのところに持っていくのは自分がぬか床からだす、とばかりの顔をしている。べつにこちらはかまわない。
じゃあ、手を洗っておいで、石鹸できれいにね。
調理台にぬか床を置く以外、こちらが手をだすことはない。めいはゆっくりとふたを開け、右手をゆっくりぬかにひたしてゆく。表情がすこしかたくなる。左手がひたされる。両眉がまんなかに寄ってきて、唇がつきでてくる。頬に力がはいっている。それから、気づいたように、口を一回あけて、息を吐く。
どう? 粘土いじりをしてるみたい?
サイェは黙っている。
子どものときはね、紗枝とよく庭で泥をこねたんだよ。そのかんじに近いかな。
手を、指をちょっと動かすと、何か違和感があるようで、とはいえ動かさなくちゃしょうがないというのもわかっているから、そのままめざすものを指は探っている――のだろう、きっと。じつはこっちも何十年かぶりにぬか床に手をいれたとき、おなじだった。それをサイェも体感しているにちがいない。
手がひきあげられる。
きゅうりが右手に。
つぎにかぶをつかんだ左手があらわれる。
指と指のあいだ、やわらかくうごいていくかんじが、まだ、ちょっと慣れない。
うごいてるのが、耳に聞こえるわけじゃないんだけど、手と指に音みたく感じてる。
泥っこねとか、紙粘土に水をたっぷりつけて、というのが似てるんだ、ってかあさん言ってたけど、そうなの?
めいはひとりごとのようにぼそぼそと問い掛けてくる。
あは。
こちらはとりあえず口で音を発して、聴いてるよということだけ伝えておく。
蛇口からでる水でぬかを洗いながして、まな板にのせる。
ぬか床にもう一度手をいれて、ゆっくりとかきまぜる。サイェの表情はさっきよりすこし堅さがとれているものの、真剣だ。
まな板は、衛生面で気にならないでもないのだけれど、包丁がたてる音が好きで、プラスティック製ではなく、昔ながらの木製。子ども用の小さなナイフのような包丁では音もあまりたたないし、ぬか漬けは湿り気もあってどうしても湿った音になってしまう。それでも、プラスティックよりはいい。かぶの身の半分より下まで刃がはいって、のこりに力をこめるのか、ぽつ、っと音がたつ。きゅうりは、かぶよりも押しつけるようにして、一気に。
サイェはきゅうりのはじっこをちょっとつまんで口にいれ、一噛みしてから、ん、よく漬かってる、と祖母をまねて言う。
小さなタッパーに切ったきゅうりとかぶをいれ、ビニール袋で包む。保冷剤を忘れずに。スーパーの手提げ袋にいれて、できあがり。
サイェ、おばあちゃんに、「わたしのぬか漬け」って言う?
言わない、とめいは無表情にかえしてくる。わたしが漬けたんじゃないし、とりだして、切った、とは言うかも。
あいかわらず生真面目というか、かたいというか、そこがまたおもしろい。わたしの媚びたもの言いなど、この子は頓着しない。サイェ、おまえもぬか漬けにしたほうがいいのかも。そう笑いとばしてみたいとおもったけれど、また不思議な顔をされても説明に困るので、黙っていた。
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「東日本大震災」復興支援チャリティ書籍。ろうそくの炎で朗読して楽しめる詩と短編のアンソロジー。東北にささげる言葉の花束。
[執筆者]小沼純一、谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html