ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE06〉組織ジャーナリストに「表現の自由」はあるか

8月 09日, 2016 畑仲哲雄

 
だれもが意見を表明しやすくなったSNS時代、組織に所属すれば職種を問わずつきまとう問題かもしれません。生活の基盤でもある所属組織。勝手に代表もできない。でも、個々人の意見もその人自身の存在にかかわります。ましてジャーナリストならば……?[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

記者会見の冒頭、市長がいきなり、わが社の新聞を広げ、例のコラムに人差し指を突き立てて言い放った。
「この差別コラムに、断固抗議します」
 市長は眉間に縦皺を寄せ、わたしを睨んだ。唇が怒りに震えている。無理もない。さすがに今朝のコラムのタイトルは常軌を逸していた。人権感覚の欠片もない。ジャーナリズム史上、類を見ないタイトルだ。

〝市長のDNAに卑しい血統〟

 なんという役回りだろう。わたしは、あのコラムを掲載した新聞社の社員記者として、この記者会見場に来なければならない身の上を呪った。正直、今回の一件は、社員として恥ずかしい。会見が済んだら、会社で社長を突き上げるつもりだし、コラムを書いた外部筆者をぶん殴ってやりたい。
「政策論争なら受けて立ちますよ。わたしの政策が間違っているのなら、具体的に指摘してほしい。けど、わたしの先祖をさかのぼって、怪しい人物がいたとか、血のつながりがどうだとか……。血統やら出自で人間性を全面否定するのは、ナチズムと同じ危険な考え方だよ。これが言論の自由として許されるのか。これがジャーナリズムなのか」
 いたたまれなかった。100%、わが新聞社の側に非があるのは明白だ。
「そこの君。わたしは君の意見を聞きたい」市長はわたしを指さした。「これはだれが見ても、新聞という公器を使ったヘイトスピーチだ。そう思わないか」
 わたしは市長から目をそらさず、つとめて平静を装っていたが、渡されたマイクを受け取るとき、指の震えを止められなかった。
「あのぅ、わたしは取材記者で、社を代表する立場ではありませんし」カメラのシャッター音が響く。フラッシュの光で目がくらみそうだ。
「そのコラムを書いたのは、そもそも外部の……」そう、外部の辛口コラムニストで、社長が独断で依頼して書いてもらっているので、編集局の記者たちは迷惑に思っている。「つまり、契約コラムニストなので、わたしたち記者はノータッチで……」
「待ちなさい」市長はわたしの言葉を遮る。「それは内輪の論理で、世間じゃ通用しない!」
「そうはいっても、現場の記者は会社を代表するスポークスマンじゃないですから」
「じゃあ、社を代表しなくても構いませんよ。あなた個人の意見はどうなんですか。ひとりの言論人としての見解を聞きたい。言論人が大げさだったら、ひとりの市民、生活者として、この差別記事についての意見をお聞かせ願いたい。さあ、どうぞ」
 会見場のすべての視線が、わたしに集まっているのがわかった。あす、ライバル紙の紙面で、わたしの醜態は晒されるのだろうか。市長にやりこめられた憐れなサラリーマン記者? 反論ひとつできない能なし社員ジャーナリスト? むろん、わたしにも言いたいことはある。だが……。
「ほら、何とか言ってみなさい。言論の自由を守るジャーナリストが、言論の自由を新聞社から制限されているわけでもないでしょう。あなたは自分の意見も自由に、満足に言えないのですか。あなたには人としての誇りがないのですか。それでも記者ですか」市長は勝ち誇ったような目で見おろす。
 全身から汗が噴き出た。マイクを持つ手がぬめり、頭の芯が痺れる。
 逃げ出したい。だが、逃げ場はない。逃げちゃいけない。わたしは心の中で自分に命じた。いま為すべきことだけを為せ。

    [A]記者会見の席で市長は、わが社を罵倒し、記者であるわたしを詰問した。その事実を読者に伝えるのがわたしの仕事だ。わたしにも良心があるし、言いたいこともある。だが、ここは観察者に徹するべきだ。
    [B]市長からみればわが社は差別事件の「加害者」で、わたしはその社員のひとり。周囲の記者とは異なる立場にいる。もはや取材者という言い訳は通らない。ならば市民のひとりとして差別問題と向き合おう。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[意見を言わない立場] 取材記者の使命は、「事実」をありのまま市民社会に伝えること。市長の問いに答えてはいけない。ジャーナリストで意見を書けるのはコラムニストや論説記者など限られた者だけ。それくらい市長だってわかっているはずなのに、執拗にわたしを問いただすのは、この一件を政治利用しようとしているからだ。市長がコラムに激怒し、記者を難詰した事実だけを、淡々と書け。それで取材記者としての責務を果たせる。それ以外のことはするな。
 
[意見を言う場] あのコラムで、わが社はジャーナリズムを名乗る資格を失った。あんな差別記事を黙認すれば、わたしも記者失格。だが、これはチャンスでもある。新聞社の中にもいろんな意見があるということを示せる。あの記事は市民社会では容認されるものではない。新聞社は、市長にも、市民社会に対しても、謝罪して、説明責任をはたすべき。わたしが意見を述べることで、新聞社も、わたしもジャーナリズムの世界に復帰する資格が得られる。
 
[意見を言わない立場から反論] じぶんが組織ジャーナリストだということを忘れるな。新聞社はけっして社員から「言論の自由」を奪っているわけではない。社員記者は新聞社という主体の一部として行動しているだけ。社説を書く論説記者も自説を述べているのではなく、新聞社の見解を表明しているにすぎない。今回の一件は組織の問題。社長が記者会見を開き、説明責任をはたすべき。わたしが勝手に謝罪すれば、組織で仕事をしている意味がなくなる。
 
[意見を言う立場から反論] 雇われの身であろうと、記者にも良心があり、良心に背くことは拒否できる。もし会社から「ホロコーストのガス室はなかった」と書くよう命じられれば拒否してもよい。例のコラムは血統主義という点でナチズムにも通じる。「外部の人が書いたから」「書かせたのは社長」「じぶんは末端の取材記者」……。言い訳を並べて責任逃れをするなんて卑怯だ。「こんな記事が紙面に載るのは耐えられない」と言い、読者に共感の輪を広げよう。
 
[意見を言わない立場から再反論] 会社に忠誠を誓う必要はないが、事実には忠実であるべき。それはジャーナリズムの鉄則。記者がニュースに意見を埋め込み、読者を誘導してはならない。「神州不滅」「鬼畜米英」……、そんな理性なき言葉が紙面を飾った戦時下の新聞紙は集団ヒステリーを引き起こした。記者なら個人の意見を胸にしまい、あえてロボットになるべきだ。それは一種の安全装置であり、ジャーナリストたちが経験から学んできた智恵の結晶なのだ。
 
[意見を言う立場から再反論] ジャーナリズムもひとつのイデオロギーであり、わたしたちは理想社会を求める市民だ。社長だろうと雇われ記者だろうと、わたしたちは知る権利、表現の自由、民主主義を守る念を掲げてきたし、それを尊ばなければならない。今回のコラムは、現在のわたしたちの理念を完全に否定していた。市長に指摘される前に、わたしたちはこのコラムに声をあげておくべきだった。手渡されたこのマイクを使って市民としての責任をはたそう。
 
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