現実は変えられないという「現実主義」に抗するためにフィクションは意味をもち得るか、SFアニメで考える骨太フィクション論。
科学、技術の急速な発展をうけて、現実主義者は、フィクションは意味がないしくだらない、あるいは、無責任で害悪でさえあるという。それに対し、そのような態度こそがわたしたちの現実を堅く貧しくしているのだと反論することはできるのだろうか。名作SFアニメを題材に、フィクション、現実、技術について、深く検討する。本連載を大幅修正加筆し、2018年12月末刊行。
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古谷利裕 著
『虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察』
四六版判上製・304頁 本体価格2600円(税込2808円)
ISBN:978-4-326-85196-6 →[書誌情報]
電脳メガネと心身
『電脳コイル』では、現実空間の一部に仮想のデータがプラスされるような拡張現実ではなく、現実空間とそっくり同じ仮想空間が現実と重ね合されています。虚と実という二重の層が、ぴったり重なることで一体化しているのです。そして、重なっているはずのものにズレが生じることで起こるエラーが、この物語に魅惑や深さを与えています。
この二重化は、空間だけでなく、電脳メガネを使う人の身体にも及びます。メガネをかけていれば、両手を胸のあたりに置くだけで、自動的に仮想のキーボードが現れます。物理的には存在しないそのキーボードのキーを叩けば、もちろんきちんと入力を行うことができます。また、物理的に存在しない電脳ペットも、メガネをつけていれば体をすり抜けることはなく、抱き上げることもできます(触覚や重さは感じられないようですが)。これらが可能なのは、電脳メガネがそれを使う人の身体を常にスキャンしていて、身体の大きさ、動き、位置などのデータを市が管理する仮想空間内にリアルタイムで同期させているからだと考えられます。
つまり、メガネを装着し、起動させることで、その人の身体は現実空間と仮想空間とに同時に存在することになります。そして、現実空間と仮想空間とが重ねられている以上、現実の身体と仮想(データ)の身体も重ね合されていることになります。であれば、重ねられた空間の間にズレが生じることがあるのと同様に、重ねられた身体の間にもズレが生じることもあるでしょう。
実在の身体とデータ上の身体の位置のズレは、例えば、事故防止機能が作動した自動車が、データ上の身体の方を避けようとして実在の身体に衝突してしまうなど、深刻な事故の原因ともなり得る危険な出来事です。とはいえ、データの身体は、実在する身体の大きさ、動き、位置などを模した中味のないハリボテのようなものに過ぎず、データの身体とのズレが大きくなったり、データの身体の方に問題が起き、仮に破損したとしても、それだけでは物理的な身体の方には何も影響を及ぼすことはないはずです。
理屈の上ではそうですが、しかし『電脳コイル』という物語は、身体の二重化とズレという出来事を、あたかも心(魂)と体のズレであるかのように用いるのです。これは、理屈には合いませんが、感覚的には説得力をもつでしょう。通常、身体から魂が抜けるという場面を表象するとき、物理的な身体から、重さのない、形だけで実体のない、物をすり抜けてゆく、といった特徴をもつ非物質的な何かが分離してゆくというイメージを用います。それは、電脳メガネによってスキャンされたデータの身体のイメージにとてもよく似ています。物理的身体からデータの身体が分離し、二つの距離が大きくなる時、まるで幽体離脱した魂が戻ってこられなくなるようなイメージが生まれるとしても、それは必然でしょう。
そもそも、この作品のタイトルである『電脳コイル』とはまさに、データの身体と物理的身体とが分離することで、意識が向こう側に持っていかれてしまうという現象を指す言葉です。この現象は、イマーゴと呼ばれる、身体動作なしに意識だけで電脳メガネを操作する技術(あるいは能力)と関係があるとされます。ここには、深さのイリュージョンと同様の、イメージ的短絡とでもいうべき操作があります。しかし、身体の表面的データを魂であるかのようにみなすイメージ的短絡は、たんに市が運営するものでしかない仮想世界を、登場人物である子供たちにとっての、生き生きとした、と同時に、死の危険を孕んだものでもある、リアルな場とするためのもので、物語上に仕掛けられた、仮想世界と子供たちとの紐帯として機能していると考えられます。
ポケコンというデバイスの特徴
以上にみたように、『電脳コイル』という物語を可能にする「電脳メガネ」という虚実一体型のVRデバイスは、深さのイリュージョンやイメージ的短絡によって、物語にとても強い吸引力を生じさせます。電脳メガネは、技術的な仮想世界を人類学的な異世界の想像力へと近づけ、両者を結びつけるでしょう。
『ロボティクス・ノーツ』の中核に位置すると言えるポケコンというデバイスは、これまでみてきたものとはかなり異なっています。HMDを装着して完全に異なる世界へと没入する『ソードアート・オンライン』でも、メガネをかけることで現実世界と仮想世界とを重ね合わせる『電脳コイル』でも、いったんその世界へと入ってしまえば、そこで行動するにあたって、自分の身体がその世界のなかに存在しているものとして行動が可能です。つまり、身体がその仮想世界のなかにあります。しかし、ポケコンが指し示すのはたんに画面であり、その画面のなかに身体は入っていけません。
ポケコンとは、小型のタブレットPC、あるいは大きすぎるスマホのようなものです。いかにも中途半端な大きさで、持ち運びにも不便そうです。主人公の海翔(かいと)はポケコンを携帯するためのホルダーをいつも腰からぶら下げています。『ロボティクス・ノーツ』の世界は2019年とされ、その時代にはスマホに取って代わりポケコンが圧倒的に普及しているという設定なのですが、実際には普及するとはあまり思えないというのが正直なところです。ポケコンは、電話、カメラ、テレビ、メール、ゲーム、インターネットなどの機能が使えるほか、「居ル夫。」というアプリをインストールすることによって、ジオタグの貼りつけや読み取り、3Dマッチムーブなどができるようになります。
ジオタグとは通常、写真に張り付けられたメタデータとしての位置情報(緯度と経度)のことを指します。GPS機能を内蔵したデジタルカメラで写真を撮ると、その画像データには撮影した場所の位置情報が埋め込まれ、Google Mapなどと突き合わせることで地図上にその位置を示すことができます。しかし『ロボティクス・ノーツ』では、現実上のある場所に仮想のしるしをつけ、そのしるしを「居ル夫。」というアプリを使っている人すべてと共有できる(共有に条件付けをすることもできる)という意味でジオタグという語が使われます。写真に位置データを付与するというより、実際のある地点に、「居ル夫。」を通じてだけ確認できる仮想の旗を立てるようなものです。その仮想のしるしを探すためには、現実空間を歩き回る必要があります。いわば、「居ル夫。」を通してボケストップのようなものを設置したり、探したりできるということです。
3Dマッチムーブとは、動画撮影した映像に、その動きにあわせて何か別のもの(CGなど)を合成するという技術です。「居ル夫。」は、今、カメラによって撮影されている映像に、リアルタイムで合成画像を同期させることができるという機能をもっているようです。目の前にいるヒロイン(あき穂)を撮影しているポケコンの画面には、猫耳と尻尾をつけたあき穂が映し出されていて、現実のあき穂の動きに合わせて猫耳が見事に同期する、というようなことが可能です。目の前にいるあき穂に猫耳はありませんが、ポケコン画面のなかの猫耳のあき穂が、現実のあき穂とまったく同じ動きをしているのです。
「居ル夫。」を使って、現実空間のなかでジオタグを探したり、リアルタイムで3Dマッチムーブを行ったりしている時、ポケコンの画像のなかの世界は、『電脳コイル』と同じような虚実一体型の空間になっていると言えます。ただ、その虚実が一体化した世界とのインタラクションは、身体によって直接行われるのではなく、あくまでポケコンの表面をタップする、あるいは言葉(音声)で命令する、という行為によってなされるだけです。ポケコンという窓(媒介)を通して虚実一体の世界を見るのですが、鏡の向こうへ行けないのと同じように、そこには画面という壁があり、窓の先には入れません(窓の先には現実があります)。つまり、身体は現実の側にあり、「ここ」にあるのです。
とはいえ、深い没入は、必ずしも身体ごとその世界へ入り込まなければ得られないとは限りません。主人公の海翔は、ポケコンを使って行うオンラインロボット格闘ゲーム「キルバラッド」で世界ランク5位という成績を維持しています。海翔が、その卓越した技術と集中力でゲーム上の対戦を行っている時、彼はそのゲーム世界に深く没入していると言えるでしょう。海翔は、時間さえあればこのゲームばかりやっているのですが、彼がゲームに没入する時、彼の意識は『ソードアート・オンライン』と同様の、虚構没入型の世界の方に行っていると言ってもいいかもしれません。この場合、ゲームの世界の設定でも、自分の身体で戦うのではなく、ロボットを操作して戦っているはずなので、身体的な動作としては現実も虚構内と変わらず、ポケコン画面という壁を越えて、身体も半分くらいは「向こう」にいると考えることもできるでしょう。
また、この「キルバラッド」というゲームは、物語世界内の人気ロボットアニメ『機動バトラー ガンヴァレル』を題材としてつくられたもので、海翔がゲームにハマっているのに対し、あき穂は、アニメの方の大ファンであり、アニメに出てくる巨大ロボットを実物大で実際に制作しようとしています。ポケコンはこのアニメを視聴するためにも用いられます。
それ以外にもポケコンは、電話、メール、ツイぽ(ツイッタ―のようなSNS)のためのデバイスとしても使われます。これらの機能は、『ロボティクス・ノーツ』という物語内での「現実」的な通信手段と言えます。つまり、ポケコンは、現実世界で使えるツールであり、虚構世界へアクセスする窓(スクリーン)であり、そして、現実と虚構とを重ね合わせる媒介装置でもあるのです。一つのデバイスの上に、世界の複数の層(現実・虚構・現実+虚構)が交錯し、それぞれの層においても複数の役割(目的)が交錯しているのです。
(例えば、現実の層でも、電話とツイぽではコミュニケーションのあり様が違いますし、虚構の層でも、ゲームをすることとアニメを観ることでは虚構への態度が違いますし、現実+虚構の層でも、ジオタグを用いる時と3Dマッチムーブを用いる時とでは目的が異なります。これらのすべての事柄が、ポケコンというデバイスを交点として、交差し分岐してゆきます。)