ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 10〉取材謝礼のグレーゾーン

12月 13日, 2016 畑仲哲雄

 
語られにくい「お金」と「ジャーナリズム」。今回は「取材謝礼」をめぐる事例から。わかりやすい対抗軸とはかぎりませんが、考えてみたいと思います。[編集部]
 
 
 記者ゆえのジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

取材に応じてくれたその男性は、待ち合わせの喫茶店にスーツ姿で現れた。
「先月から、ティッシュ配りとポスティングのアルバイトで暮らしています」
 男性は地元の中堅大学を卒業後、メーカーの子会社で中間管理職をしていたが、会社の業績悪化に伴い、リストラの対象となった。抵抗したところパワハラ[1]を受け、自主退職に追い込まれた。いい会社だったのに、気がつけば、ブラック企業になっていた。
「会社への恨みは、正直あります。でも、今では、人を大切にしない社会の風潮にメスを入れないといけないと思っています」その口調は抑制的で、内容もどこか知的に感じられた。
 わたしが手がける新聞連載のタイトルは「滑りやすい坂道」。ちょっとした不幸で人生が暗転し、やり直しがきかなくなる。そんな社会病理を当事者の視点から描くのが狙いだ。
 インタビューは順調だった。深刻な内容にもかかわらず、ときに笑顔を浮かべて話してくれた。わたしたちはコーヒーをおわかりし、取材は3時間に及んでいた。さすがに、彼の時間を奪いすぎている。
 わたしは礼を述べ「記事なったら、そのときは新聞を郵送します」と言った。
「あの……ボツという可能性はあるんですか」
「ええ、まぁ、可能性としては」取材に協力してくれている人はほかにもいると告げた。
「……このインタビューがボツだとしたら、報われませんね。この3時間はわたしにとって骨折り損になります」
「えっ」わたしは首を横にも縦にも振りかねた。
「3時間あればティッシュも配れたし、ポスティングもできました。それを犠牲にする価値があると信じたから、取材に協力したんですよ」
「あぁ……取材謝礼のことだとすれば」
「馬鹿にしないでいただきたい。金をせびってるんじゃない」彼はまっすぐわたしを見つめる。「マスコミが芸能人や著名人にはギャラを払って取材していることくらい知っています。でも、わたしのような者には平気で犠牲を強いて、ボツかも知れないなんて平然と言う。それに抗議したら、次はお金ですか。無神経だと思いませんか」
 気まずい沈黙が流れる。わたしはどうすべきなのか。そもそも、どうすべきだったのだろう。

    [A]いまからでも取材謝礼を払うべきだ。インタビューが相手の時間を奪うことはわかっていたことだし、最初から謝礼について説明しておけばよかった。
     
    [B]取材謝礼を払ってはいけない。犠牲を払う価値があると思って取材に協力してくれたその気持ちを、最大限尊重するべきだ。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[謝礼を支払う立場] 極論すれば、取材は取引のようなものだ。取材者には聴きたいことがあり、相手には社会に訴えたいことがあった。ただし、相手は生活に困窮しているのだから、バイト代を補填するくらいの取材謝礼を支払うべきだった。そうすれば、たとえインタビューがボツになったとしても、納得してもらえるはずだ。
 
[謝礼を支払わない立場] 取材を取引と考えてはだめだ。そんな考えに立てば、金持ちを取材する際には高額の取材謝礼を支払うことになる。取材に金銭が介在するのは例外的な場合に限られる。取材した内容がボツになるのも珍しくないと相手に丁寧に説明し、時間を割いてくれたことに感謝の言葉を伝えるべきだ。
 
[支払う立場からの反論] 今回こそ謝礼を支払うべき例外的な取材だと思う。犠牲を払っている人に相応の礼をするのは市民感覚として当然。そもそも、食べるのに困っていないような著名人や芸能人に多額の謝礼を支払って取材しているメディアには恥を知れと言いたい。謝礼とボツの可能性は最初から説明しておくべきだった。
 
[支払わない立場からの反論] 今回のような取材こそ、最初から謝礼を支払ってはならない事例だ。相手が嘘をついている可能性もゼロではない。ジャーナリストは一時の感情に流されてはならない。わたしたちが奉仕すべきは情報源ではなく市民社会。取材相手から誤解されたり、訴えられたりすることを恐れるな。
 
[支払う立場からの再反論] 相手の目から取材者がどのように映っているのか考えてみよう。今回の取材相手は生活に困窮している人で、仕事を後回しにして取材に協力している。わたしは営利企業の正社員で、仕事で彼と向き合っている。こういう場合、感謝の気持ちを表するのは市民として義務。謝礼金はこの国の文化だと思う。
 
[支払わない立場からの再反論] 「文化」というのはマジックワードで、カースト制度やナチズムを「文化」として尊ぶ人がいるし、小切手ジャーナリズムだって文化だと強弁できる。相手の困窮ぶりが尋常ではないなら、取材を打ち切って公的な援助を受けるよう奨めればよい。取材の対価として金品を差し出すのは明らかに間違っている。
 
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