虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第16回 「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUC(ユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(2)

3月 01日, 2017 古谷利裕

 
 

ブルース・スターリングの「招き猫」

『ガッチャマン クラウズ』の元ネタの一つだと思われる、1997年に書かれたブルース・スターリングの「招き猫」という短編小説があります。この小説では、人工知能によるマッチングで、ネットワークにつながっている「見ず知らずの友人たち」の間で常に善意が交換されつづけている社会が描かれます。前半は、そのようなネットワーク型贈答経済の(多少鬱陶しい感じですが)ポジティブな姿が描かれています。この贈答経済のコミュニティに参加している人は、人工知能に手引きされ、ひっきりなしに見ず知らずの人々を助けつづけ、そして助けられつづけています。喫茶店に行った主人公は人工知能の指示通りに見ず知らずの誰かのためにコーヒーを1杯分余計に買い、彼の妊娠中の妻には、人工知能の指示によって見ず知らずの誰かからピクルスや苺が届けられます。招き猫はそのコミュニティの名で、それ以外にも複数の同様のコミュニティがあるようです。

しかし後半では、その恐ろしい側面が描かれます。ネットワーク型の贈答経済は、国が認めた正規の経済を縮小させるだけでなく、そのような経済活動からは税金を徴収できない(無償で与え合っているから)という理由でネットワークの一部を攻撃したアメリカの連邦地区検事補の女性が出てきます。しかし彼女は、その報復としてネットワークから無際限に細かな攻撃を受け続けることになります。攻撃の一つ一つは小さな嫌がらせ程度ですが、それが予想もできないような様々な方向から、多量に襲ってくるので精神的に参ってしまいます。その攻撃は匿名的であり、おそらく、攻撃している人はそれが攻撃だという意識すらなく、普段から行っている善意の交換の一部だと思ってそれをしているでしょう(主人公も、それと知らないうちに攻撃に参加していたのでした)。ネットワークでつながれた一人一人のどうということのない行為が連鎖して、波状攻撃になっているのです。

ここで攻撃する主体は、ネットワークの維持を指示する人工知能のプログラムでしょう。問題は、分散型のネットワークに生じたこのようなメタ的な悪意を、ネットワークの参加者は誰もチェックできないというところにあるでしょう。ネットワークには全体を制御する中枢に当たるものがないので、この攻撃は止めることができない(止めようと意思する「なかの人」が存在できない)のです。小説では、彼女はコンピュータも電話もEメールもない、山奥の教団の僧院に逃げるしかないというオチになっています。
 

クラウズと、ルイの矛盾

ルイの主催するGALAXには適切なマッチング以外にもう一つの隠された機能があります。それはクラウズと呼ばれるもので、アバターを実体化させ、ネットワークを通じて実体化したアバターを物理空間のなかで動かせるというものです。操作可能なロボットのようなものを、現実空間のどこにでも自由に発生させることができ、それをどこからでも操作できるのです。これはテクノロジーを超えた超技術で、この力はベルク・カッツェという宇宙人から与えられたものです。そしてこの宇宙人は、支配や権力とは無関係に、破壊そのものを享楽的に楽しむ純粋な悪意をもつ存在として描かれています。ベルク・カッツェは、地球人たち自身の手で地球が滅びてゆく過程を見たいと欲しているのです。彼は「招き猫」における止まらない報復を擬人化したような存在と言えます。

GALAXを運営可能にする人工知能が総裁Xと呼ばれ、GALAXのユーザーがギャラクターと呼ばれるのは、その技術の出所が悪(破壊)の側にあるからです。ルイは、悪の技術をポジティブな方向に転用しようとしているのです。だからルイはその危険性を充分意識していて、クラウズという破壊と暴力につながる機能を、特に意識が高い選ばれた100人のユーザーにだけ限定して使用可能にし、かつ、目的を事故や災害時の人命救助にのみ限定して使うようにしています。

意識の高い100人にだけに限定して特別の力を行使できるようにするということは、「世界をアップデートするのはヒーローじゃない、僕らだ」というルイの理念に反しているとも言えます。『ガッチャマン クラウズ』が「招き猫」と異なるところは、GALAXというネットワークはルイという中枢によって管理され、制御されているという点にあります。そして、ハンドレッドと呼ばれる特別な100人は、いわばGALAXの警察であり、軍隊であるようなものだと言えるでしょう。国家が、警察や軍隊という形で暴力的な力を一元的に管理することで、対外的な安全保障や内的な治安維持を実現しているように、ルイもまたGALAXで同様のことをしていると言えます(ルイは自ら設けた禁を破り、クラウズを使ってベルク・カッツェを排除しようとして失敗します)。つまりルイは、ネットワークによって自ずと世界が変わり、人々の意識も自ずと変わるような革命を目指しながらも、「招き猫」コミュニティのように、中枢的制御をもたないネットワークが暴走してしまうという危険性を意識し、それへの抑制力としてクラウズを使おうとするのです。

しかし、このような現実主義的な二枚舌は、どこか体制内アウトローやフル・フロンタルを思わせるものです。ルイは、悪を倒すのではなく、人々が自分からすすんで良いことをするようになるシステムを目指していて、だからこそ特別な存在としてのヒーロー(ガッチャマン)を否定していたはずです。それなのに、悪を排除する軍隊としてクラウズを使ってしまったのです。これはあきらかに思想的な弱点(不徹底)であり、この弱点を突かれた形で、ベルク・カッツェにクラウズと総裁Xの管理権を奪われてしまうのです。
 

絶体絶命と、ルイの決断

ベルク・カッツェは、地球を支配したいのでも、たんに滅ぼしたいのでもなく、地球人たちが互いに攻撃し合って自滅してゆくところが見たいのです。そのためにクラウズはうってつけの機能と言えるでしょう。クラウズは、人よりずっと大きく、力も強く、自由自在にコントロールできるし、どんなところへも行けます。その上、すべて同じ形をしているので匿名的であり、しかも、アムネジア・エフェクトという技術により透明になることが可能です。人の破壊衝動を誘発するのに十分な力をもっている上に、匿名で透明なので、何をしてもいくら暴れてもお咎めもなしです。

ルイになり変わって総裁Xへのアクセス権を得たベルク・カッツェはまず、ハンドレッドのメンバーのなかで、ルイの方針に不満をもち暴力的な改革を主張していたメンバーと接触します。カッツェは、彼を焚きつけることで、国会議事堂や首相官邸、防衛省などの国の主要機関を襲うテロを行わせます。アムネジア・エフェクトのかかったクラウズは透明なので、人々の眼には国会議事堂が自然に崩落しているかのように見えます。彼らはネオ・ハンドレッドを名乗って犯行声明を出しているので、自然現象ではなく人為的な破壊だということは分かるのですが、一体何が起こっているのかは分かりません。

一方、総裁Xを失ったルイはガッチャマンと合流します。これまで秘密裏に活動してきたガッチャマンは、はじめの提案によりその存在を公にし、そして、その注目度を利用して、クラウズやベルク・カッツェという宇宙人についての情報を人々に伝え、警戒を促します。顕在化により、ガッチャマンと警察や自衛隊などの国家的制度との共働も可能になります。

ルイは、GALAXの活動を通じて特に意識が高いと認められた100人を選んでクラウズの使用を認めました。カッツェはその逆のことを行います。ハンドレッドに加え、クラウズを絶対与えてはいけないと判断されるヤバい約3万人を選んで新たにクラウズを与えた上で、国の施設の崩壊に伴って立川に避難しようとしている首相をターゲットにした「首相狩りのゲーム(祭り)」を仕掛けます。

ガッチャマンの力によってアムネジア・エフェクトが解かれてクラウズは可視化しますが、それでも匿名的であることは変わりません。3万のクラウズたちがラスボスである首相を狙って立川に集結し、暴れ回り、立川の街は破壊され、混乱を極めます。5人しかいないガッチャマンでは、3万もの匿名的なクラウズの群れに対処しきれません。絶体絶命です。

ここでまずルイは、街中にある監視カメラを通じてXに呼びかけ、自分こそがルイなのだと認めさせ、GALAXの管理権を取り戻します(しかし、クラウズを管理するための「手帳」はまだカッツェの手にあります)。そして、立川の騒乱に関するネット掲示板の論調の変化に気づきます。それまで祭りを面白がっていたり、傍観者的であったりすることの多かった発言に、いくらなんでもこれはヤバいのではないかという冷静で建設的な書き込みが多くなってきているのです。潮目が変わりつつあることを感じたルイは、クラウズ管理のための手帳を取り戻すと、誰でもが無条件にクラウズが使えるようにするのです。すべての人に自由にクラウズを。このルイの決断こそが、この物語で示された「変わり得る」という新しい可能性です。
 

1 2 3 4