ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 15〉「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か

4月 04日, 2017 畑仲哲雄

 
もはやインターネットのない世界は、仕事でも日常生活でも考えられません。そんな時代のジャーナリズムならではの新しい問題を、「忘れられる権利」という言葉とともに考えてみます。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

ニュースサイトの編集管理画面に「この記事をサーバーから削除しますか」というメッセージが表示された。画面まん中に「実行」と「キャンセル」の2つのボタンが並ぶ。わたしは、その記事をいま削除すべきなのだろうか。それとも……。
 けさ、デスク席に着いたとき、「削除依頼」という件名のeメールが編集部に届いているのに気づいた。ニュースサイトで公開されている1本の記事を消してほしいという。差出人は男子大学生を名乗る人物。半年ほど前に彼の父親が軽微な事件で逮捕され、地方版ではあったが実名が報じられた。だが、父親は起訴猶予となり、被害者との間で示談も成立したといいい、検察庁の処分通知書と和解書の写真画像まで添付されていた。
 気になったのは、メールの文面だ。

人の噂も七十五日といいますが、父の逮捕を伝える記事が御社のサイトで200日近くも晒されています。しかし、父はもう「容疑者」ではありません。(中略)わたしは就職活動中ですが、すでに3つの企業から、たて続けに「内々定」を取り消されました。企業側が学生本人やその家族についてネット検索するのは当たり前です。わたしが「容疑者」の息子だとわかります。(中略)「容疑者」とその家族には、「忘れられる権利」がないのでしょうか。できれば一刻もはやく記事をネットから消してください。

 マニュアルにしたがえば、その種のメールは所属長を通じて法務担当の部署に転送すればそれで済む。
 ニュースサイトの編集業務は、編集局で刻々と作られる新聞用の原稿をウェブ版に加工してニュースサイトを更新することだ。当番デスクであるわたしは、ニュース速報を打つほか、ニュースをチェックしてサイト全般を管理すること。記事に誤字脱字があれば修正するのも仕事のうちだが、目下の業務に直接関係ないメールが舞い込んだときは、所属長に転送して一声掛けるだけでよい。
 ただ、けさの「学生」からのメールは、みょうに引っかかるものがあった。
 わたしにも、メールの差出人と同じく就職活動をしていた息子がいる。やつは先日、ある会社からようやく内々定をもらい、「あとは新聞沙汰になったり、ネットで炎上したりしない限り正式採用だ」と喜んでいた。そんなことが脳裏をよぎる。
 うちのニュースサイトでは膨大な記事やデータ蓄積されている。半年前の小さな記事はトップページには出ていないが、検索ボックスにキーワードを入れれば、簡単にすぐに呼び出せる。つまり、公開されているのだ。
 ただ、新聞社としていったん公開した記事を、当番デスクの一存で簡単に消すわけにはいくまい。編集局が訂正記事を出したわけではないし、記事は正確で誤りはない。「消して」と求められるたびに記事を削除するようでは、報道機関としての独立性が疑われる。「気の毒な話だから」というのは正当な理由にならない。
 所属長にメールを転送してもいいが、それでは時間がかかる可能性がある。法務担当の部署が木で鼻をくくったような判断をする疑いもぬぐえない。
 目の前の編集管理画面には、記事削除の「実行」と「キャンセル」の2つのボタンが表示されたままになっている。はたして、どちらのボタンをクリックするべきなのか。

    [A] いますぐ削除する。依頼してきた学生に落ち度はない。軽微な事件をいつまでも公開し続けるのは間違っている。
     
    [B] すぐには削除しない。学生の言い分を社内で検討したうえで、会社として削除するかどうかを判断するのが好ましい。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[削除する立場] 社会を揺るがす事件でもなかった。父親は起訴もされなかった。被害者との間で示談も成立した。ひとことで言えば、もう世間から忘れられてよい事件だ。なのに、うちのニュースサイトは、逮捕時点の記事を、検索可能な状態で放置し続けている。学生の憤りや悲しさは想像にあまりある。彼の就職活動に影響が出ている恐れがあるのだし、即刻削除すべきだ。
 
[削除しない立場] メールの事実を確認もせず、求められるまま記事を削除してはいけない。メールの送り主は実在するのか。写真は本物なのか。ネットの逮捕記事を消しますという新手の商売もある。いま記事を削除するのは一種の事なかれ主義ではないか。真の問題解決には、事実の確認と社内での合意が必要となる。まずはメールを所属長に転送し、担当部署の判断を仰ごう。
 
[削除する立場からの反論] 紙とネットは性質が異なる。地方版の記事は狭い地域にしか伝わらないが、ネットではすべての記事が世界に公開される。注意が必要なのは、刑事裁判に至らなかった事件。不起訴や起訴猶予が記事になっているとは限らず、逮捕記事だけがネットで参照されるケースは少なくない。人道上の疑念が生じれば、ひとまず削除しておくのが賢明だ。
 
[削除しない立場からの反論] メディアの違いをいうなら、ニュースサイトの記事が日常的にソーシャルメディアを通じて拡散し、たびたび無断転載されているではないか。ひとたびネットで公開すれば、あわてて削除しても意味がない。不起訴や起訴猶予になった記事を、今回のように弥縫びほう的に削除するより、逮捕段階の記事をネットに載せないルールづくりを議論していくべきだ。
 
[削除する立場からの再反論] 大手メディアが匿名で報じても、ネットでは「容疑者」の家族の個人情報ネットで暴かれることがある。問われているのは、実名報道か匿名報道かの議論ではなく、いま苦痛を訴えているメールの差出人とどう向き合うか。いわば良心の問題だ。社内のルール作りなら、あとでもできる。いまやるべきは、人として、人の親としての最低限の義務ではないか。
 
[削除しない立場からの再反論] 今回、青年の訴えに罪の意識が頭をもたげた。この感覚を、社内で共有することが問題解決の一歩になるはず。マスメディアは、ときに人を破滅させる力がある。ネットの犯罪記事は“犯歴データベース”のように悪用されることもわかっている。これを機に社内で「忘れられる権利」を議論していくべき。情に流されて問題を矮小化してはならない。
 
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