ジェンダー対話シリーズ 連載・読み物

《ジェンダー対話シリーズ》第2回 隠岐さや香×重田園江: 性 ―規範と欲望のアクチュアリティ(後篇)

 
 

筒井晴香(つつい・はるか) 博士(学術)。東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野特任研究員。心の哲学、社会科学の哲学、脳神経倫理学、ジェンダー研究。
筒井晴香 ありがとうございました。ちなみに、生殖技術をめぐる生命倫理に関する話題ですが、今回のワークショップの協力をしております東京大学「共生のための国際哲学研究センター(UTCP)」と、立命館大学「生存学研究センター」が合同企画として、2015年2月にシンポジウム「出生をめぐる知/技術の編成」を開催し、筒井が司会を務めました。不妊治療や出生前検査、受精卵診断など、近年の生殖技術をめぐる現状やその中での経験について議論した研究会です。UTCPのブログに報告記事がありますので、ご関心のある方はご参照ください(http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2015/03/utcpl/)。それでは、後半は、藤田さん、宮野さんのコメントおよびお二人からの応答をお願いします。
 
宮野真生子 それではまず、私からいきたいと思います。少しだけ自己紹介しておくと、私は近代日本の哲学を専門にしていまして、思想史とか、京都学派、特に九鬼周造の研究に長く携わってきています。一応、哲学と呼ばれる業界に属していると思っております。
 
隠岐さや香 才能が必要ですね。
 

[恋愛は学問のテーマにならない?]

 

宮野真生子(みやの・まきこ) 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。福岡大学准教授。日本哲学史、九鬼周造研究。
宮野 そういうことになりますね。まさに哲学というジャンルは、才能が必要だと言われている領域なんですよね。すこし私自身の話をすると、まさに隠岐さんが初めお話しされていたように、学生のときには割とアカデミックな世界で受け入れられやすいところから攻めていくという戦略をとりました。九鬼周造をやるときにも、『偶然性の問題』と『「いき」の構造』という2トップがあるわけですけれども、「いき」の話はやらない。「いき」は男女間の恋や誘惑の問題を扱うもので、いわば、すこし「軽い内容」と思われているんですよね。だから、そのあたりにはほとんど手を出さずに、まず『偶然性の問題』からやっていって、就職して初めて、『「いき」の構造』とか、恋愛について書きました。
 
それで2014年に恋愛の近代日本思想史で本を1冊書かせていただいたんですけれども(『なぜ、私たちは恋をして生きるのか:「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』ナカニシヤ出版、2014)、やっぱりそれを出したときの周りの男性哲学研究者たちの反応というのが、もちろんすごく好意的に迎えてくださった方も多数おられたんですけれども、結構微妙なものがあって、正直、辛かったというところがあります。「なんか、おもしろいもの出してるね(笑)」みたいな。「読んだけど(笑)」みたいな。「えっ、こういうのも本になるんですね」というようなことを言われたりとか。やっぱり、恋愛という切り口がまずかったようです。哲学の問いとして恋愛を取り上げるなんて……という雰囲気をいろんなところで感じ取りました。
 

[人やケアに関わることは複雑か?]

 
宮野 それで、さっき、まさに、哲学領域というのが天賦の才を求めるものだというお話があって、隠岐さんのスライドの中で、いわゆる才能とか才気を前提としないから軽視されるジャンルとして、人とかケアの話がある、というふうにおっしゃっていましたよね。そのときに、人とかケアの話というのは、複雑な対象だから、才能とか才気が前提とされないという、たしかそういうようなスライドがあったと思うんですけれども、果たしてそうなんだろうかという疑問があります。つまり人やケアに関わる学に才能が前提とされないと考える人たちは、そもそも人とかケアを複雑な対象だというふうに、とらえていないんじゃないか、というふうに思うわけですね。
 
むしろ、そうした人たちは、人とかケアという問題をすごく複雑で重要なことというよりも、単に自分自身に関わることで、その人にとっての私的でシンプルな出来事だから、才能とか才気なんかは必要のないわかりやすいことと考えているんじゃないかなと。そして、いわゆる伝統的な哲学が扱うことの多い、大きい話、たとえば国家だったりとか、政治とか、歴史とかという、より複雑なことが扱えることのほうがえらいことだし、だからこそ才気が必要というふうに、思われているところがあるんじゃないのかなというのが1つ目の問いです。
 

[有用・無用の枠組み以外の価値観はないのか]

 
宮野 もう1つは、では、セクシュアリティとか、介護とかケアの問題をどういう領域でやっていくかというときに、もちろん必要なものだから実学においても完全に無視されることはないんだけれど、でもやっぱり若干軽んじられている面があるという話がありました。これにたいして、セクシュアリティやケアという課題とどう向き合うのか、それには2つ戦略があると。1つは、あくまでも実学の中にとどまって、そのなかで学のレベルを上げることで対応するという戦略です。もう1つは、一旦実学の外にこうした課題を出してしまうという戦略ですね。隠岐さんの結論というか、解答としては、1つは、ジェンダード・イノベーションを通じてこういった問題を実学のほうに寄せていくという話と、もう1つは、セクシュアリティをめぐる試みは役に立つからいいとか、そういうものではなくて、それ自体尊いんだ、それ自体、有用性だという話があったと思います。しかし、それ自体が有用性だ、ということだと、結局、有用・無用の枠組み自体は残るわけですよね。
 
私としては、隠岐さんが話の最後にBLとか腐女子の話を出してきたときに、それ自体有用だという話ではなくて、もっと快楽とか欲望とか、そういう話につながっていくのかなと期待しながら聞いていたんですけれども、最終的に、それ自体有用だからという話につながっちゃったので、あれ、それでいいのかな、結局、有用性に帰着したらまずいのでは、と感じました。
 

[言語を使う社会的なものとしての複雑性]

 
隠岐 非常に鋭い質問で、どきどきします(笑)。まず最初の、人やケアは複雑なこととしてとらえていないのではないか、全体的に矮小なものとしてとらえているんじゃないかという指摘については、確かに言われてみればそうかなと今思い当りました。
 
で、私がなんで「複雑」と言ったかというと、ちょっと全然別のことを考えていたんです。自分も詳しいわけじゃないんですけれども、人工知能が、例えば数学の大学の受験の問題はかなり解けるけど、国語はかなり苦手らしいんですね。その話を聞いていて思ったのは、数学のようなものというのは、たしかにすごい才能は必要なんだけども、ある種の「単純」さがあるのかなと。
 
昔聞いた話で思い出したのは、赤ちゃんは、認識する順番として、数字とか物理現象というのは、早く認識するらしいんです。つまり、例えば目の前に1個ミカンが置かれて、もう1個置かれて、1回それを隠されて、開けたときに何もなかったら驚くらしいんですよ。つまり、物理概念がある。
 
それに対して、赤ちゃんは、例えば相手に心があるとか、そういった社会的なものを認知できるのは大分遅れる。化学的な現象も、ちょっと遅いのかな。だから、順列があって、おもしろいことに、自然科学の分野が発達した順番が大体、その赤ちゃんの認知の順番に沿っているんですよ。17世紀にガリレオの力学があって、18世紀に化学が発展し、19世紀にダーウィンが出てきて生物学が近代化して、で、社会学や心理学なども発展していく。これは厳密な話ではなく、昔心理学者の方と雑談でしゃべったレベルの話なんですが。つまり、ケアとか、人間の言語とか、いわゆる社会的な対象というのは赤ちゃんにも人工知能とっても把握が遅れる複雑な対象だと思った。その感覚から「複雑」って言ったんです。
 
宮野 ああ、なるほど。わかりました。
 
隠岐 言語を使う社会的なものというのは人間にとってもなかなか大変な領域で、外的な評価が難しいと思うんです。それに対して数学というのは、第三者が見て、正確かとかというのは比較的判断できる。その意味で、抽象論による「単純」さ、そうじゃないものの「複雑」さというのがあるのかなと思った。
 
ただ、一方で、今言ったような私が持っている認識というのは恐らくきっと万人が賛成するものじゃないのでしょうし、自分でもこなれてない、粗いことを言っているとは思うんですね。人工知能の専門でも何でもないですし。それに決して、ある特定の知を貶めたいわけではないんです。ただ、人間にとってメタ認知も評価も難しい、複雑なものという意味でした。
 
宮野 なるほど。了解です。
 

[有用性の議論と学問分野?]

 

隠岐さや香(おき・さやか) 博士(学術、東京大学)。名古屋大学教授。18世紀科学技術史研究。
隠岐 2つ目の質問についてですけれども、最後の結論の部分について、有用性とそうでないものの枠組みにまた戻っちゃったねというのは、確かに、そうなってしまったと思いました。あの部分はまとめきれていないと思います。
 
モデルにしたのが自然科学だったのがやはりまずいですね。自然科学自体にもぶれがあって、「それ自体のためにあることで有用」というのが、どういう意味の有用性かという議論があるんですね。公共性のために利害関係から科学が独立していなければならない、という話にもなれば、「科学のための科学」は科学者にとっておもしろければいい、好奇心に駆動される社会的に無責任な研究もOKという話になることもある。
 
あと、さっきおっしゃってくださった快楽とか欲望というのは、またそれとは別の、公共的な枠組みの語りとは違う次元の話ですよね。その話は、多分私ちょっと弱いんですね。欲望の問題とか苦手分野なので――バタイユとかやっている人がそれこそきちんと話してほしいなと思います(笑)。
 
宮野 ありがとうございます。
 
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「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信を持って語ることができる場が必要です。そうした場所のひとつとなり、みなさまが身近な人たちと何気なく話すきっかけになることを願いつつ。