ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 16〉経営破綻を報じる時宜と大義

4月 25日, 2017 畑仲哲雄

 
金融機関の「経営危機」を伝える報道は、預金者からすれば一刻も早く知りたい情報。しかし破綻していない以上、どう転がるかはわからない。それなのに危機と書いていいのか。そんな現在進行形の事態に経済報道はどう向きあうべきか考えます。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。
 

1:: 思考実験

小会議室のドアを開けると、経済部のデスク2人と金融取材班のキャップが顔をそろえていた。どの顔にも疲労の色がにじんでいるが、これから特ダネを放とうとする記者特有の興奮に包まれていた。
 彼らが潜行取材していたことは、編集局でも一部の幹部しか知らない。
 わたしに続いて入室した経済部長がドアを慎重にロックすると、低い声で言った。
「あす土曜の朝刊で打とうと思っています」
「打つ」というのは、ある信用組合の経営破綻を報じるという意味だ。
 その信用組合が危ういというのは、経済記者たちの間で密やかにささやかれていた。ただし、他愛のない流言飛語で「取り付け騒ぎ」がおこった例もあり[1]、マスメディアが不用意に不安を煽るような情報を発信するわけにはいかなかった。
 言うまでもないが、決算書をながめているだけでは、金融機関の真の姿は見えてこない。民間企業の内情を知るのは容易ではない。じっさい今回、金融キャップが取ってきた未確認情報の裏を取る作業も、予想以上の困難を極めた。
 キャップが切り出した。「監督官庁のしかるべき責任者が、ついに認めました。自主再建はありません。うちが書けば信組も腹をくくるでしょうし、週明けの月曜日には業務停止命令が出ると思います」
「今夜、信組の理事長からコメントを取ります。それで、すべての原稿がそろいます」デスクのひとりが原稿の束をわたしに差し出した。ところどころ朱が入っていて、入念にチェックされているのがわかる。
「今夜の朝刊会議で、編集局長から説明してください」経済部長がたたみかける。
 部下たちがはやる気持ちはよくわかるが、正直なところ迷いもある。
 書くタイミングが問題だ。
 信用調査会社がニュースを流したり、監督官庁が引導を渡すことを決めたり、企業自身が経営破綻を認めたりするまで書かない、というのがこれまでの倒産報道の慣行だった。
 今回、当局が経営破綻を認めていない段階で書けば「特ダネ」になる。信用組合でも金融機関の破綻は影響が大きい。おそらく信組の経営陣は激怒し、破綻の責任をなすりつけようとするだろう。当局がいきなり方針変更することだって考えられる。そうなれば誤報になりかねない。リスクが大きすぎる。
 もっとも安全で賢いやり方――。それは、当の企業自身か金融当局がなんらかのアクションを起こしたとき、客観的に書くことだ。報道機関はあくまでも観察者であり、いたずらに市場を混乱させることもない。
「君らの気持ちはわかる。だが、たとえば経営者が認めたとか、監督官庁が行政命令を出したりしたときに書くというのじゃぁ、ダメなのか」
「いえ、土曜の朝刊に打てば、月曜朝までマーケットが開かないし、大混乱を避けられます」デスクのひとりがわたしの心配を先取りして言った。
 別のデスクが身を乗り出す。「預金者に正確な情報提供するという大義があります。1面トップで派手にやらなくてもいいから、いま打たせてください」
 

    [A] 動きがあるまで待つのが基本だ。先んじて報じれば特ダネだが、それでは客観報道というより、マッチポンプと批判されかねない。冷静な報道が必要だ。
     
    [B] 自己責任で書こう。信組の経営破綻が確実になったことを突き止めたのに、報道しないのは愚の骨頂。パブリックな情報を隠すことは読者への裏切りだ。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[動きがあるまで待つ立場] 天気ならば、人がどんな予報をしようと降るときは降る。だが経済は、情報の内容や伝わり方によって変化する。再建途上にあった企業が、新聞に「倒産寸前」と書かれて本当に倒産した例もある[2]。過去に、根も葉もない噂話が人づてに拡がり「取り付け騒ぎ」もおこった。金融は「経済の動脈」。報道には慎重さが求められる。今しばらく見守ってみてはどうか。
 
[自己責任で書く立場] じぶんたちは「危機」の存在を知っているのに、それを伝えずに隠し続けるとすれば、それは読者に対する背信だ。預金者がパニックをおこすとか、恐慌を招くだとかは、金融当局がわれわれを脅す材料だ。報道機関が統治者の意向を忖度して自粛すれば、国民の知る権利を損なう。ジャーナリストは市民に事実を報告する責務を負っている。覚悟を決めて書こう。
 
[待つ立場からの反論] 破綻報道は、いわば脳死判定をするようなものだ。新聞が書かなくても、瀕死の企業はいずれ死ぬ。そんな企業を「死に体」と速報することの、どこがスクープだというのだ。特ダネ競争より大切なのは、当局のやり方に問題がなかったかをチェックすること。金融業界がどんな病に冒されていたのかを徹底検証することこそ、われわれの使命ではないか。
 
[書く立場からの反論] その金融機関が破綻していることを知っているのは、当の経営者と監督官庁だけだ。報道機関が市民社会から期待されているのは、彼らが隠そうとしている情報を白日の下にさらすことだ。自主再建が困難になったことを当局が認めた時点で、さっさと報じても問題はないが、今回は混乱を最小限に留める配慮までしている。ここで躊躇する理由はどこにもない。
 
[待つ立場からの再反論] 一部の週刊誌や夕刊紙は別として、大手メディアは「あの企業が倒産寸前だ」と書くことを自戒してきた。企業自身が破産や会社更生などの適用申請するのを確認して書くのが常道だ。今回は十分に取材をして、当局の方向性もわかった。よそと同じタイミングで報道したとしても、記述の厚みと深さで他社を圧倒する。速報ではなく解説や論説に力点を移せ。
 
[書く立場からの再反論] 報道のあり方は、時代の変化とともに変わっていく。破綻を報道するタイミングに唯一無二の「正解」などない。これまで、企業自身の行動や、監督官庁の判断や措置を「客観的」に伝えてきたが、そのような報道手法が金融行政を曇らせ、ときに腐敗を促進してきたといえないだろうか。今回は破綻報道のあり方を変える好機かもしれない。きちんと書こう。
 
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