実家の門扉をあけると、ひとところに、ずいぶんと葉が散っている。
秋から冬にかけての落葉とはちがって、葉もあるけれど、あいだにこまかく落ちているものがある。新芽なのだろうか。毎年毎年これは落ちていたはずだし、目にはいっていたはずなのに、みていなかったことになる。気になるようになったのは、自分で庭掃きをするようになったからだ。祖父母から父母へと手入れがかわっていった。正確にはかわっていったのではなく、やれる人がやっていた。いつもやっているから、年ごとの季節のめぐりを気づけていたのかもしれないし、ことばが交わせたのかもしれない。そのあいだをいちばん若かったこちらは知らぬまま過ごしてきた。妹の紗枝(さえ)はどうだったのだろう。
五月の連休ごろにはフジがはなやかに花を咲かせ、蜂たちがやってくる。花のあとにはまた掃き掃除に毎日毎日追われる。落ちた花は、池のおもてを薄紫にそめ、水が見えなくなってしまうくらいで、はやくすくわないと沈んでしまって困るから、子どもたちも手伝わされた。金魚すくいの網を大きくしたようなのを池にいれて、花びらをすくう。水をたっぷり含んだ花びらはかなり重く、竹の柄が、瞬間、しなる。そして庭石のあたりにつぎからつぎへと濡れた花びらを重ねて何日かそのままにしておく。そうしないと水はぬけないし、ゴミ袋、ゴミ箱はにおってしまうので。フジは、花の季節にむかう前にも、顎が落ちつづける。これもあまり気づいていなかった。知ってはいても、これほどとは。
めいのサイェには、すこしだけ、手伝ってもらう。
毎日、や、一日おき、とかではないにしろ、週に一回や二回は行って掃かないと、母から文句の電話がかかってくるし、事実、文字どおり庭が「荒れ」てしまう。自分だけではやりきれないだけではなく、自分がなかなか気づけなかったことがすこしでもめいにはやくわかってもらえればとおもうからだ。罪滅ぼし、という気もないわけではない。そのことを紗枝に言ったことはないし、妹も知って知らずか、娘が実家に行っていても何も言わない。
ふたりして、竹箒で掃いている。先が不揃いで、けっこう硬い。すこしはしなうけれど、そんなに曲がらない。しゅ、しゅ、と、あまり竹が地面についていないようなかすれたような音がする。すぐ腰が痛くなるので、こっちはしょっちゅう、ちょっとの中断をしているが、サイェはずっと途切れずに、しゅ、しゅ、と掃いて、戻して、をつづけている。
と、サイェが鼻歌を歌っている。ほんのかすかに。
曲の二拍が、箒の一掃き、くらい。
箒をつかっていると、何となく、拍が生まれてくるかんじだろうか。
ききおぼえのあるようなメロディなのに、よくわからない。鼻歌だから歌詞もないし、よけいわからない。それに、滅多に鼻歌を歌わない子なのだ。
なに、歌ってる?
――《ハナミズキ》。
あ、ひととようの?
――おじさん、DVDでみせてくれたでしょ、『珈琲時光』。
そうだった……あのエンディングで、主演していたひととようが歌っていた。でも……。
――気づいてない? ほら、あそこにハナミズキ。
あぁ、あれはハナミズキだったんだ……。
まったくお恥ずかしいかぎり。毎年、これもみていたし、あかく咲いているのが好きだったというのに、ハナミズキの名と花が一致していなかった。そんなことばっかりだ。
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