めいのレッスン ~古本を救う犬

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
Published On: 2017/6/9By

 
 

ときどき道路に雑誌や本が積みかさねてある。ゴミの収集日の朝だ。
モノがゴミになるのはいつからかな、とおもいながら、ゴミ袋を横目にみる。でも雑誌があるとついつい、立ちどまってしまう。立ちどまらないにしても、まっすぐ歩いているその線がそちらに寄っていき、どんなものがあるかをざっとみて、はなれてゆく。
雑誌よりもまとまっていることはずっと少ないけれど、本があったりすると、ときに、立ちどまることもある。
こんなのが!
つい手をだしたくなるのを我慢することもないとはいえない。日中ならそのまま視線だけおとして通るばかりにしても。
深夜で、ましてやすこし酒でもはいっていたなら、誰もいなかったなら、どうだろう?
どうしよう、どうするだろう、とおもっているうちに、今度は、モノはどこから私有物なのかと、とか、おかれているところによるのか、とか、そんなところへむかってしまう。
 
歩いているとき、ふとサイェが言うのである。
 
――古本を救う犬、っておはなしができるといいな。
 
すこしまえのところで雑誌が積み重ねてあった。近くに歯医者さんか美容院でもあるんだろうか、大判の雑誌が束ねられていて、裏むきになっていたからどんなものなのかはよくわからない。ファッション誌とか女性誌とかだったろうか。あまり気にしていなかった。でも、きっとサイェもそうした文字の印刷されているものが気になるんだろう。
 
――サイェ、ねこのほうがいいんじゃない?

――……うん……そう、だけど、ねこはきまぐれだし、本一冊だってくわえるのはたいへんだよ。口小さいし、重いから、顎がね。ねこにはむずかしいとおもう……。
 
けっこう真剣に想像しているのかもしれない。
 
――やっぱりにおいなのかな、紙の、とか、インクの、とか。
「良い本」は、このくみあわせが犬にもちゃんと伝わる、とかね。
 
ほとんどひとり言のよう。
 
火事になった。
一家は気づかずに眠りこんでいた。
飼い猫が眠っている一家の母に噛みつき、火事に気づいてみんなを起こし、全員が助かった。
そんなニュース。
アメリカのだったろうか。何となく記憶にのこっている。
サイェにはなしをしたのはいつのことだったろう。きっとそのこともあたまにのこっているのだ。
 
どうやったらちゃんと救ってくれるかな。
 
サイェは黙っている。メトロに乗ってからも何も言わない。眉間にしわをよせたりはしていないし、ぼんやりもしていないけど、きっと考えている。
行く先の改札をでて、階段から駅の外の道にでたときに、ふと、言うのである。
 
――きっとね、大事な本だっていうのはわかるんじゃないかな。
うちの人が手にとっているのを見ていたり、何度も手にとっているうちにその人のにおいがついているのがわかるから。
内容、がわかるからじゃなくて、人と本とのつながりぐあいがにおいをとおしてわかる、っておもえばいいかも。
大事にしてても本棚にいれっぱなし、とかじゃなく、なんとなくそばにあるような。
ほら、子どもが絵本を抱えて眠りこんじゃってたりすると、きっとにおいがつくでしょ。そんなような。わたしだったら、どれがそうなるかな……。
 
どの本が大事だと犬にわかるだろうか。
よくわからない。
いちばんさわっているもの? もしかしてあれかな、いや、あれかな。でも、と、ついつい自分の本棚のことなど想像してしまう。
さわっている……あ、あれだ、きっとあの辞書。
でもなぁ、あれをくわえるのは無理だな、分厚いし、重たいし。犬が運びだすなら、厚い表紙で……だったら、きっとはこびだすときにはちぎれたりしてぼろぼろになってしまうかも。いやはや。
即物的というか何というか、とてもサイェにはかえせない……。
 
サイェはちらりとこちらをみる。何も言っていなし表情も変えていない、はず、ではあるが。
 
–おはなし、だから。
 
 
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[執筆者]小沼純一、谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
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