あとがきたちよみ 本たちの周辺

あとがきたちよみ
『[アカデミックナビ]経済学』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
大瀧雅之 著
『経済学[アカデミックナビ]』

「はじめに」「第1章 本書のねらいと構成」「コラム」ページ(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報はこちら〉


はじめに
 
 「本書は自分の力で経済学を理解すること,言い換えれば自分自身で経済学の地図を描けるようになること」,を目的とした経済学の入門書です.最近の受験勉強はパターン学習が人気のようですが,ここではそうではなく,「なぜそうなるのか」を理解すること重視しています.つまり条件反射のように,このパターンにはこの手法や理論をというハウツーではなく,なぜそれらが生み出されたのかという論理的必然性を理解することを大切にしています.
 これには次のような狙いがあります.すなわちパターン学習では,相互の考え方なり理論なりがどういう具合に関連しているかを理解することが難しいと考えます.したがってそれでは経済学の構造を系統的に把握することが困難となる可能性が高いのです.経済学は社会科学の中では,最も論理的で系統だっている学問であると,私は思います.この最も優れた特性を活かしさらに深い学習に基づいた創造性を養うには,個別事項のパターン認識は明らかに不向きなのです.
 理解するということは,暗記することではなく,学んだ内容を自分で復元できるようになることです.ですから本書を読むみなさんは,読み飛ばすのではなく,読んだ後自分で紙に書いて計算して,紹介された理論なり考え方なりを復習・復元してみてください.どんな学問でも,越えなくてはならない最低限のハードルがあります.このハードルを越えるには,ある一定の努力と集中力が必要です.簡単にあるいは楽に,この障害を越えることはできないのです.理解は投資であり,暗記は消費であることを,ぜひ本書から読み取ってください.
 付言しますが,経済学は人間・社会を対象とする学問であることを忘れないでください.自分だけでなく他の人たちへのempathy のない経済学は,経済学とは言えないのではないでしょうか.数理言語の使用は,経済学の無機化あるいは似非自然科学化を目的としているわけではなく,表現の効率性の向上,言い換えれば論理のキレの良さのために用いられるべきものであると,私は考えます.ですから,経済学の考え方を学ぶときには,それがどういった現実の人間行動や社会現象と対応しているのかを,つねに意識することはとても大事です.
 最後に勁草書房の宮本詳三氏には,丁寧に原稿を読んでいただきかつ有用なコメントを多々賜ったことを,ここに深謝いたします.
2017 年9 月16 日
大瀧雅之
 
第1章 本書のねらいと構成
 
1.1 物々交換経済と貨幣経済
1.1.1 市場の働き
 ほとんどすべての経済学の入門書は,ミクロ経済学とマクロ経済学の二本立てからなっています.しかしでは同じ経済問題を扱うはずなのに,この2つの分野はどのように関連しているのでしょうか.こうした素朴ですがきわめて本質的な問いに誠実に答えている書物は,皆無といってよいでしょう.本書は基本的には中学・高校で学ぶ一次関数・二次関数だけの数学的な知識をもとに,1つの一貫した体系として,経済学を学ぶことを目的としています.
 本書の区分では,ミクロ経済学は物々交換経済を描くための道具であり,マクロ経済学は,それをもとに私たちが生きる現実の経済である貨幣経済で起きるさまざまな経済現象を記述し分析することを目的としていると考えます.以下に述べるように,貨幣経済は物々交換経済では発生しない特有な現象が存在します.たとえばインフレーションや景気循環・失業はこれに当たります.ですがこうした貨幣経済固有の現象でない経済問題を考える際には,より取り扱いが簡単な物々交換経済のモデルを用いた方が良いのです.なぜならば,理論は平易であるほど,多くの人が共有できて経済問題を考える大切な視点を提供してくれるからなのです.
 またより複雑な現象を扱うマクロ経済学を学ぶためには,その基礎となるミクロ経済学についての十分な基礎知識が不可欠となります.経済学は選択と交換の学問です.たとえば,アルバイトをするのも,遊んでいる時間(余暇)をあきらめて自分の欲しいものを買うという選択をしているわけです.そしてそうした選択が実現できるのも,みなさんの働く(余暇をあきらめる)こととモノを買うことが交換できる場,すなわち,市場があるからにほかなりません.このように貨幣が存在しなくとも,市場とは,個人にとっても企業にとっても選択と交換の場なのです.こうした経済学の基礎を徹底的に学ぶのが,ミクロ経済学の守備範囲です.
 
1.1.2 欲望の二重付合の困難と貨幣
 しかしながら,ここで注意しなくてはならないことがあります.アルバイト先に同時に皆さんの欲しいものが売っている必然性は何もないことです.たとえばコンビニでアルバイトしているとして,みなさんはそこで売っているパンやお菓子を欲しいと思っているとは限らないはずです.むしろCD やiPod を買うために働いていることが普通でしょう.
 貨幣が存在しない物々交換では,こうした取引は成り立ちません.みなさんが働こうと思っても,コンビニの店長さんには皆さんの欲しがっているものを提供することができないからです.これはその店長さんの側からも同じことが言えます.彼はみなさんの働きによって生まれる「儲け」によって家を欲しがっているとしましょう.すると物々交換の世界でみなさんと店長さんとの間に取引が成り立つためには,みなさんに家を建ててもらって,その代価としてコンビニの商品を受け取ってもらわなくてはなりません.無論こうしたことは,不可能ですね.
 つまりみなさんと店長の欲しがっているものが異なると,物々交換は成立しないのです.これを一般に「欲求の二重付合の困難」と呼びます.貨幣はこうした困難を克服するために自然発生的にできあがった「社会的契約」なのです.
 貨幣が流通することができるとするなら,働きたい・雇いたいということでは,みなさんも店長さんも共通なのですから,貨幣を媒介にアルバイトという取引は成立することができます.このように貨幣は経済取引の効率性を著しく高める働きをしています.
 
1.1.3 貨幣はなぜ流通するか
 ではなぜ貨幣は流通することができるのでしょうか.この根源的な問いは本書の後半部分で解説しますが,一言で言うなら,貨幣はみんなが価値があると信じているから価値があり流通できるという,一種の循環論法が成立します.このことはたとえば,貨幣の信頼を著しく損ねる「偽札作り」にはきわめて厳しい刑罰が用意されていることからも,一端をうかがうことができます.
 貨幣経済には貨幣の固有の性質ゆえに,物々交換経済では起きえないことがたくさん存在します.これを扱うのがマクロ経済学の役割ですが,これまでの議論の流れからも明らかなように,より簡単な理論である物々交換経済の理論すなわちミクロ経済学の基礎知識なしには,とうてい,現実の経済を描くマクロ経済学をマスターすることはできません.この意味で,ほとんどのテキストの主張とは異なり,ミクロ経済学とマクロ経済学は一体と考えるべきものなのです.
 
1.1.4 価格の働きは物々交換経済と貨幣経済では異なる
 この節を閉じるにあたって,簡単な予告編をお話ししておきましょう.高校の政治経済の教科書では,図1-1のような右下がりの需要曲線と右上がりの供給曲線の交点に,すなわちモノの需要と供給を一致させるように価格が決定されると教わります.しかしながら,貨幣経済ではこのような理屈は罷り通りません.
 貨幣の価値とは貨幣1単位でどれだけモノが買えるかを意味しますから,これは価格の逆数(⇒用語解説)となります.すなわち,
価格(万円)×購入量 = 1万円 ⇒ 購入量(貨幣の価値) = 1万円/価格(万円)
というわけです.[図1-1省略]
 ところで先ほど述べたように貨幣の価値は,「信頼」すなわち将来も同じ価値で貨幣が通用すると,みんなが信じることで定まりますから,その「信頼」が揺らがない限り,貨幣の価値,言い換えれば,価格は需給とは無関係に定まることになります.
 したがって貨幣価値への「信頼」が低いときには,すなわち将来,物価が上昇し貨幣価値が低下すると予想されるときには,現在の価格も図1-2のように,財の需給を均衡されるより高く定まり,Aʙ だけの売れ残りが出てしまうことになります.詳しくは本論で解説しますが,このような場合企業は損失をこうむります.そして売れないものをつくっても仕方がないので,供給量を減らし同時に雇う必要のなくなった人を解雇することになります.こうして失業という経済でもっとも深刻な問題が,だれにも責任がないのに,貨幣固有の性質により発生しうることを,初めて明らかにしたのが,20 世紀の生んだ最大のイギリス人経済学者ジョン・メイナード・ケインズです.
 
1.2 市場の働きとゲーム理論
1.2.1 ミクロ経済学の重要性
 貨幣の働きこそが国民経済の働きを左右するとはいえ,それはミクロ経済学の経済分析に果たす役割が重要ではないとの主張につながるわけではありません.むしろ事実は,その正反対と言えましょう.なぜならば貨幣経済に比し,より単純な構造を持つ物々交換の世界に立脚したミクロ経済学において,資本主義経済の中心的役割を担う市場の働きとその限界をしっかり理解して経済学の基礎を固めていないと,さらに複雑な分析に進むことはとうていおぼつかないからです.また同時に,貨幣の存在を簡単化のために無視しても差し支えない経済問題も数多く存在するからでもあります.ゆえにこそ,ミクロ経済学に練達することは,経済学のあらゆる分野の基礎学力を養うことにつながるのです.[図1-2省略]
 
1.2.2 市場の働きとその限界
 このような考え方のもと本書は,まず物々交換経済における市場の働きとその限界について考えることから,議論が始まります(第I部「ミクロ経済学」).最近の経済学者には,市場の働きにすべてを委ねれば,ほとんどの経済問題は解決すると信じている人が少なくありません.いわゆる「規制緩和」による「成長戦略」や「官から民へ」という政治的スローガンは,こうした考え方に根差しています.
 しかし,ミクロ経済学の基礎をしっかり理解すると,こうした議論が著しく偏ったものであることを知ることができます.次章以降で詳しく解説しますが,市場の働きだけで経済がうまく運ぶためには,つまり,みなさんが高等学校で学んだアダム・スミスの「神の見えざる手」が働くためには,たいそう理想的な条件が整っていなくてはなりません.このことを第2章「物々交換経済における市場の働き」で学びます.
 一例を挙げてみましょう.個々の個人・企業が自分の利益しか考えないことを前提とする市場経済がそれだけでうまくいくためには,互いの行動が他に迷惑をかけていないことが,どうしても必要となります.
 つまり市場経済がうまくいくということは,限りある資源を無駄なく利用できることとして定義されます.このとき私たちは,次の事実に気づかねばなりません.すなわち自分の欲望を許される限りで最大限実現しようとするならば,必要とされる費用を極力切り詰める必要があるということです.もし無駄になっている費用があれば,それをほかの用途に回すことによって,より高い欲望を達成できるからです.
 したがって,個人や企業が自分の経済的欲求を最大にしようとすることは,その与えられた目標を達成するために,最小の費用で賄おうと行動していることと等価になります.もし先ほどの前提,すなわちこうした行動がお互いに迷惑を及ぼしあうことがないとするなら,社会全体でも限りある資源を最大限有効に活用することにつながり,何の助けも借りずに,市場経済は所期の目的を達成できることになります.もちろんこうした利己的利益の最大化が費用の最小化すなわち社会全体での資源の節約につながるとは,だれも意識して行動しているわけではありませんから,それをアダム・スミスが「神の見えざる手」と表現したことも,十分納得できるはずです.
 
1.2.3 市場の失敗とは何か
 しかし市場経済がうまくいくための基礎的条件の1つ,すなわち,お互いの行動が迷惑をかけあわないという条件は,つねに満たされるのでしょうか.つまりいつも価格の調整を通じて,お互いの節約行動が正しく行われる保証はあるのでしょうか.答えは否です.
 たとえば昨今問題になっている石油や石炭などの化石燃料の消費による地球温暖化や大気汚染の問題を考えてみましょう.こうしたことは,化石燃料(石油・石炭)が手軽に手に入るところでは,安く工業製品をつくれるわけですから,費用の節約となります.しかし硫化化合物に代表される大気汚染,および地球温暖化の主因とされている二酸化炭素は,そうした地域だけでなく,他の地域ひいては世界全体に広まりますから,この節約行為は,明らかに他の地域に迷惑をかけ,大気汚染防止費用という本来自分に責任のない費用を生じさせます.
 大変深刻なことですが,現在の世界では,大気の使用費用は事実上ゼロとなっています.このためこうした迷惑行為は,留まることを知りません.まとめれば,現在のように市場メカニズムに委ねて石油・石炭が安く手に入るということは,実はその正当な迷惑料(すなわち大気の使用価格)が支払われておらず,余分な迷惑を甘受せざるをえないという意味で,無駄のない資源の配分(大気こそは人類の生存にかかわるという意味でもっとも重要な資源であることをしっかり弁えてください)が達成されていないことの証拠なのです.
 詳しくは次章以降で解説しますが,所有権つまりだれのものかが特定できない資源を有効に活用することについて,市場機構は無力なのです.なぜならば,これまでの議論から明らかなように,人は自分のものであるからこそ大切にする,という力を利用して市場経済は本来の機能を発揮できるからです.
 
1.2.4 ゲーム理論は市場の失敗を分析するツール
 では,市場による資源の配分がうまくいかないとき(市場の失敗と呼びます)には,どういった経済理論を用いて分析し,またその改善策を練るべきなのでしょうか.第3 章「ゲーム理論と市場の失敗」で学ぶゲーム理論は,応用範囲の広い優れた分析ツールですが,こうした場合にも大きな力を発揮してくれます.なぜならば,自分の行動が価格というシグナルを通じることなく,直接相手の経済的利得に影響を与えかつ逆に相手の行動が自分の利得に影響を与え合うという様子を描き出すことができるからです.こうした価格を経ない行動は,特に競争相手が限られ,市場参加者が少数であるときに,顕著となります.
 したがって,本書では市場が本来の働きをする条件を解説した後に,ゲーム理論の初歩を解説し,ナッシュ均衡・シュタッケルベルグ均衡という考え方に基づいて市場の失敗を描写する方法を学び,それを解決する手段・政策を考えるという方針をとることにします.
 このとき重要となるのは,時間(将来)と信頼という存在です.つまり市場の参加者にとって将来の継続取引の可能性があるということは,それ自身が行動に対して規律を与えます.つまり現在身勝手なことをすると,相手から見限られ,将来の利潤機会を失うという大変な経済的損失を蒙る恐れがあるからです.こうした場合に一時の裏切りの利得を堪えて,誠実であろうとする経済的動機が生まれることになるのです.
 こうしたゲームの性質を一般的にフォーク定理と呼びますが,これは経済効率を高める信頼という得難い財産の経済理論的な基礎を,私たちに教えてくれます.つまり不特定多数の競争相手の存在を前提とする市場取引とは異なり,相手が限定されるときには,ある特定の相手と暗黙裡に長期的な取引関係を結ぶことは,決して悪いことではないのです.言い換えれば,将来の経済的利得の確保のためにする信頼という暗黙の契約は,大変重要な働きをすることがわかります.こうしたことは,みなさんの身の回りにもたくさん存在しているはずです.たとえば,その場限りの付き合いと深い友情の間には,大変な隔たりがあります.
 以上のフォーク定理の性質から明らかなように,不特定多数で匿名の個人・企業が競い合う市場取引と限られた競争相手で織り成される取引の性質の間には,まったく異なった性質があります.一概にこのどちらの分析が正しいということはできませんが,最近の風潮のように市場機構こそがすべてを解決するという考え方には,無視できない偏りあることだけは,理解することができるでしょう.
 
1.3 不確実性の経済学
1.3.1 不確実性・リスクとは何か
 経済学では,将来起きるべき「状態」(states)がいくつかあるにもかかわらず,それがどれであるかを事前に知ることができない状況を「不確実性」(uncertainty)と呼んでいます.そして不確実性に基づく経済的損失の可能性を「リスク」(risk)と定義します.こうした「リスク」の存在が,人々の行動にどんな影響を与え経済問題を引き起こすのか,そしてその対策にはいかなる制度があるのかを,第4章「不確実性の経済学と契約理論」で学びます.
 たとえば,乗用車に乗るというサービスを買うという経済行為を考えましょう.こうした行為には,事故を起こさないという当たり前の「状態」のほかに,事故を起こすという稀な「状態」のドライブという余暇を同時に購入していることを意味します.つまりドライブというサービスの購入には,事故による「リスク」が存在するのです.言い換えれば,ドライブするという行為は,「事故のないドライブ」と「事故が起きるドライブ」を抱き合わせで購入していることになります.
 
1.3.2 不確実性はなぜ市場の失敗の原因となるか
 1.2.2節で議論したように,個人は価格と自らの所得に合わせて,好きなものを好きなだけ買えるからこそ,最小限の費用で最大の経済的満足感を得られます.上のような「無事故」・「事故」の抱き合わせ販売は,こうした個人の選択の自由を束縛することになりますから,市場の健全な働きを妨げ,効率的な資源の配分を損ねることになるのです.より一般的に言えば,不確実性の存在は市場の失敗の一因となります.
 
1.3.3 保険は不確実性による市場の失敗の解決策
 ではどうしたらよいでしょうか.これに解答を与えるのが,保険理論です.一般に保険は,「状態」(無事故・故障)ごとに被保険者(保険を購入する人)の受け取る所得を極力平均化させ(無事故のときには保険料がそのまま保険会社の収入となる代わりに,事故が起きると損害を手当てするために保険金が下りる),あたかも,「状態」に依存しない1 つのサービスを創り出すことを目的としています.これによって先ほどの「抱き合わせ販売」問題は解決するのです.
 さて保険理論に代表される契約理論は,シュタッケルベルグ均衡と呼ばれるゲーム理論の一種の応用です.後に詳しく解説しますが,シュタッケルベルグ均衡には,ナッシュ均衡にはない著しい特徴があります.
 つまりゲームのプレーヤーがナッシュ均衡では対等であるのに対して,シュタッケルベルグ均衡では,先ほどコラムで紹介したように,プレーヤーはリーダーとフォロワーに分かれて,前者は後者の反応を読み込んで行動するという非対称性が存在します.言い換えれば,リーダーは自分の行動(戦略)を通じて,相手をコントロールできると考えるところに大きな特徴があるのです.これを先の自動車損害保険の例で考えてみましょう.保険を販売する保険会社は,ある一定の収入を要求するとしましょう.このとき,保険会社の提示する(保険料, 保険金)の組み合わせは,要求する水準に見合うものとならねばなりません.被保険者(ドライバー)は,そうした組み合わせの中から,自分にとってもっとも有利なものを選び取って,保険会社と契約を結ぶことになります.
 すなわちこの自動車損害保険に関する契約理論は,フォロワーである保険会社の行動を読み込んで,リーダーである被保険者(ドライバー)が(保険料,保険金)の組み合わせを決めるシュタッケルベルグ均衡として描写されることになるのです.
 
1.4 社会的契約としての貨幣
1.4.1 「信頼」は無限の経済価値を持つ
 第II部「マクロ経済学」は,第5章「貨幣経済の世界(その1):物価の理論」,第6章「貨幣経済の世界(その2):失業の理論」と第7章「経済成長理論」からなります.さて確かに,契約理論が経済社会の一断面を描くことに成功していることには間違いがありません.しかし,少し立ち止まって考えてみましょう.契約は人が隙あらば嘘をついたり怠けたりすることを前提にばかりできあがっているのでしょうか.事実はそうではありません.たとえば1.1.3節で議論した貨幣経済(通貨制度)の問題を考えてみましょう.これが経済政策の考え方とともに第5章・第6章の主たる内容となります.
 貨幣は金貨・銀貨など現在は稀な存在となったものを除き,ほとんどがそれ自体は無価値です.しかし私たちはみな,そうした本来価値を持たないものと交換に貴重な財・サービスを交換することに,ハイパーインフレーションなど特異な場合を除き,何ら躊躇していません.つまり貨幣経済というのは,無価値な貨幣と財・サービスをほぼ無条件に交換するという暗黙の契約が成立している社会なのです.
 「偽札作り」への重刑やそれを防止するために紙幣に巧みな技術が用いられていることは事実ですし,またきわめて重要な予防措置です.しかしながら,それだけで貨幣経済は成立しうるでしょうか.私たちの日常経験から明らかなように,紙幣をやり取りする場合に,それが本物か偽物かをいちいちチェックすることが,きわめて稀であることも否定できない事実です.
 つまり貨幣経済を維持しているものは,契約理論が主張するような嘘やごまかしを予防する工夫というよりも,貨幣とは経済活動に欠かせないほど重要なものであり,またそれゆえに本来それ自身が価値あるものであるという「信頼」によって支えられていると考えるのが自然なのです.
 
1.4.2 社会的契約は国の基礎をつくる
 踏み込んでいうなら,契約理論の守備範囲はたかだか個別の契約の領域にとどまるものであり,通貨制度のような社会的契約を分析するには不向きであるといえましょう.こうした社会全体での約束事,すなわち社会的契約は,何も通貨制度に限られているわけではありません.たとえば民主主義を構成する重要な要素である「言論の自由」・「思想・信教の自由」は,国をある偏った方向へ暴走させないための重要な社会的契約なのです.こうしたことと契約理論の内容には,大変な隔たりがあることは,みなさんにもよく理解できるはずです.
 
1.4.3 貨幣への信頼維持と経済政策の限界
 さて元へ戻って,通貨制度が貨幣の信じがたい利便性とそれに裏打ちされた「信頼」によって維持されているとするならば,きわめて密接な関係にある金融政策・国債管理政策(国債は貨幣で償還されるので貨幣価値の安定は,国債の価値の安定につながります)もまた,そうした「信頼」を傷つけない範囲で考えられなくてはなりません.つまり,市民が信じている貨幣固有の価値を裏切らないという制約のもとで,これらの政策は立案・運営されねばならないのです.
 経済に資源の遊休があり(失業も労働という貴重な資源の遊休としてとらえられます),財・サービスを追加的に生産できる余裕があるとき,公共投資などの支出を通じて貨幣が民間経済に注入されると,新たな貨幣によってより多くの財を買うことができるようになります.なぜなら,企業に生産を増やす余裕があり,増発の裏付けとなる財・サービスが経済に潜在的に存在するからです.
 失業して明日の生活に困る不幸な市民が増えている不況下では,こうした拡張的な財政政策と金融の緩和(貨幣を借りやすくして間接的に財・サービスの需要を掘り起こすこと)によって経済全体での購買力(有効需要(⇒用語解説)と言います)を高め,生産を刺激することで雇用を増やそうとする政策は,大いに市民のためになります.
 このとき貨幣価値への「信頼」があつく,現在の1万円が将来もそのままの価値で通用すると考えられていれば,1.1節で触れたように価格は据え置かれたまま,経済全体で取引される財・サービスが増加することになります.つまり貨幣数量(貨幣供給量)と物価水準(モノの値段)の間には,貨幣価値への「信頼」が維持されている限りにおいて,直接の対応関係は存在しないのです.
 こうした新しい考え方,すなわち経済に流通する貨幣量とは無関係に貨幣には固有の価値があるという考え方は,現在の日本経済の置かれた状況,すなわち貨幣供給量を増やしているにもかかわらず一向に物価水準が上昇する気配がないという現象を説明するうえで,大変有用な働きをすることが,後に明らかにされます.
 しかしある意味では繰り返しになりますが,最後に強く留意すべきことがあります.貨幣経済の安定性は,市民の貨幣へのあまねくあつい「信頼」を基盤にしており,それを掘り崩すような政策は,いかなるものでも認めるわけにはいかないという毅然とした姿勢を持つことの重要性です.先ほど述べた景気回復のための財政・金融政策も,こうした節度の中で本来立案されるべきものなのです.
 
1.4.4 インフレは貨幣経済の機能を麻痺させる
 貨幣そのものは無価値に等しいわけですから,人々がそれを無価値だと一斉に信じると,本当に無価値になって経済は恐ろしく効率の悪い物々交換へと退化してしまうことになります.インフレとは物価が持続的に上昇することですから,貨幣の価値は著しく目減りすることになります.したがってインフレが起きるとみんなが確信した時点で,つまり貨幣への「信頼」が著しく揺らいだ瞬間に,物価は騰貴を始めるでしょう.そうなると,みなさんのご両親が苦労して貯めた教育資金・老後の生活費はもちろん給料も著しく目減りして,ほとんどの市民は大変な経済的困難に直面せざるをえなくなります.
 こうした誠に危険な政策を声高に叫んでいる人たちに驚くほど共通なのは,なぜインフレが起きると経済が良い方向に向かうのかをまったく説明していない,あるいはできていないことです.いわばインフレを起こすことが自己目的化しているところに,彼らの著しい特徴があります.したがって,社会的契約としての貨幣経済(通貨制度)の安定性を重視する本書の立場からすれば,こうした政策的主張は,良識ある節度での自由な財政・金融政策の域を逸脱していると考えざるをえません.
 
1.5 経済成長理論
 第7章「経済成長理論」ではGDPで計った経済規模が時間とともになぜ拡大するのかを考えます.この章は少々数学的なハードルが高いので,第10章の「数学の基本を学ぼう」を参照しながら読んでください.この章では最初に,対照的な性質を持つハロッド・ドマー理論とソロー・スワン理論が解説されます.ハロッド・ドマー理論は市場経済で成長の原動力を担っているのは企業家であり,彼らの設備投資の意思決定が経済成長を規定すると考えます.そしてその意思決定プロセスに内在する不安定性ゆえに,一度経済に不均衡が生ずると市場経済にはそれを是正する仕組みが備わっていないという主張に至ります.
 これに対しソロー・スワン理論は,経済成長を決めるのは,効率単位で計った労働人口の成長率であり,また1人当たりのGDPは貯蓄率に左右されると考えます.つまり財の需要側の動きを強調するハロッド・ドマー理論とは対照的に,ソロー・スワン理論では供給能力の増加が経済成長を左右する要因であるとみなすのです.そして資本蓄積の速度が労働人口の増加率を上回ると資本の限界生産力が低下するために,次第に貯蓄量の伸びが鈍化し資本蓄積速度が低下し,経済成長率は究極的には効率単位の労働人口成長率に収束することが明らかにされます.この意味で市場経済は長期的に考えれば安定であるというのがソロー・スワン理論の考え方です.
 最後にケンブリッジ大学の生んだ天才の一人ラムジーによる最適成長理論が紹介されます.上で論じた2つの成長理論では消費・貯蓄の意思決定が何を根拠になされているかがはっきりしませんが,ラムジーはこれを現在と将来の消費の選択と捉えて,そうした要素まで考えに入れたとき,経済の長期的な動向にどのような影響を与えるかを分析しています.経済成長理論の研究が隆盛を迎えたのは1950 年代後半からですが,ラムジーの研究は1928年になされており,30年も先んじています.しかも論理は整然としてかつ簡明です.天才の頭脳のキレというものを味わってみてください.
 
1.6 人間の認識の限界と歴史を学ぶ重要性を知る
1.6.1 限定合理性とは
 第Ⅲ部「応用編」は,第8章「限定合理性(個人の多様性)と社会秩序」と第9章「日本経済の繁栄と危機の歴史」の2つの章から構成されます.第Ⅰ,Ⅱ部で前提とされていた個人,すなわち人間は,自分の価値観や好みを完全に把握している人間でした.しかし日常から考えて,人間の自己認識に限界がある,つまり自分が何者であるかを自分が知る能力には限りがあるのは確かでしょう.そしていろいろな人との対話や仕事によって,人は何かに気づき考え方が変わったり成長したりするとするのがむしろ自然でしょう.こうした人間の捉え方を,経済学では,「限定合理性」(bounded rationality)と呼んでいます.
 限定合理性を前提とすると,人は他との出会いや相互作用によって新たな自分を見出し,価値観や生き方が変化します.そうした多様な個が共存する社会(つまり現実の社会)には価値観の共有という意味での秩序は生まれて来ないのでしょうか.第8章ではこの問題を,第3章で解説された進化論的ゲームというツールを用いて分析します.
 
1.6.2 限定合理性のもとでも秩序は形成される
 第8章では,利潤追求という価値観を持った個人(経済人)と製品の質へのこだわりを持つ(職人)2つのタイプからなる個人が形成する社会を考えます.結論を先にすれば,すべての人が企業家あるいは職人になる社会が,このゲームの均衡となります.したがって初期の経済がいかなる状態にあれ,時の淘汰とともに,この社会には良きにつけ悪しきにつけ,ある秩序が生まれるのです.秩序が生まれるのは,経済の「自己組織力」(self-organization power)によるものです.自己組織力とは,ことわざで言うところの「朱に交われば赤くなる」を指します.つまり機能美を尊ぶ職人が社会に多く存在するほど,職人の生き方に接し学ぶことが多くなり,その影響を受けて育つ若者あるいは考え方を変える経済人がますます増え,職人社会が現出するというわけです.もちろんこれと同じ論理が,経済人社会の形成についても成り立ちます.要約すれば,どの種の人間との接触頻度が高いかによって,いかなる社会秩序が形成されるかが決まるというのが,ここでの考え方です.
 
1.6.3 限定合理性と歴史を学ぶことの大切さ
 第9章では,1980年代から現代に至る日本経済の歴史を,これまで学んだ考え方を応用して解説します.人間の限定合理性を認めることは,歴史を学ぶ重要性を認めることをも意味します.なぜでしょうか.
 限定合理性や経済社会の自己組織力を認めることは,私たちが過去の世代や他の経済社会の影響を受けながら価値観を形成してきたこと,そして現代日本経済社会の制度・秩序もそれを基盤にしていることを意味します.したがって歴史を学ぶことは,自分自身を知ることであると同時に,なぜ経済社会がいまのような姿にあるのかを知ることでもあるのです.ですから,これからの日本のあるべき姿を探るうえでも,歴史を学ばねばなりません.
 
1.6.4 会社の姿はこの30 年間で激変した
 歴史の流れ全体の詳細は本文に譲ることとし,会社のあるべき姿(企業統治:corporate governanceと呼ばれます)ひとつとっても,1980年代と現在とでは,わずか30年余りで,まったく考え方が変わってしまいました.日本が繁栄を極めた1980 年代にはほとんどが正社員であり,暗黙のうちにではありますが会社は社員のものであり,経営陣の評価は社員の給与ばかりでなくその福利厚生をいかに高めたかが基準となっていました.そして株主は基本的には会社のアウトサイダーであり,そこからの圧力と社員の利益を調停することが経営陣の重要な仕事の1つでありました.
 しかしながら30年を経た今日,みなさんの前にある企業は正反対と言ってよい性質を持つ企業となりました.すなわち企業は株主のものであるとされ,社員の半分近くは不安定な雇用環境にある非正規社員となり,社員は利潤を上げるための単なる労働力とみなされるようになってしまったのです.つまり1980年代とは逆に,株主が会社のインサイダーとなり社員はアウトサイダーとなったのです.
 もしこうした企業統治の変化が,国民全体の経済厚生を高める方向で作用しているなら問題はありません.しかし現実はこの逆で,日本経済が長い停滞状態にあることを覆うべくもありません.ではどうしてこうした不合理ともいうべき変革が起きたのでしょうか.第9章では,対外直接投資や株式持ち合いの解消といった1990年代のバブル崩壊以降のマクロ的現象との関連において,こうした問題も考えてみることにします.
 
1.7 数学の考え方を身に付けよう
 「補論」である第10章「数学の基礎を学ぼう」は,中学校で学ぶ一次関数や二次関数の考え方を,本文中で用いられた例に即して,もう一度捉え直します.その後に,より進んだ経済学を学ぶためには避けて通れない微分法の考え方が導入されます.高等学校では詳しく紹介されませんが,微分とは一般的な曲線をもっとも単純な関数である一次関数で近似する方法なのです.複雑なものを,よりシンプルなものに還元してクリアーに理解することは,数学・経済学に限らない学問の醍醐味です.是非この補論で,それを味わっていただきたいと考えています.
 微分法には対象となる関数の形状によって,積・商の微分則,合成関数・逆関数の微分則がありますが,いずれの規則も微分法の本来の考え方にまで遡って,目的地である規則へ辿り着けるよう配慮したつもりです.微分の意味がわからないけれども是非知りたいという人は,この章を読んでください.
 さらに具体的な関数の微分則として,べき関数と呼ばれるy = xaおよび経済成長などダイナミックな問題を扱う際には必ず現れる指数関数の一種であるy = exについての規則を計算しておきました.これらの関数は経済学では頻繁に現れますので,その微分則を是非マスターしてください.
 
 以上が本書の大まかな内容です.本書は基礎的な経済理論の解説書ですが,私の考えでは現実に適用できない理論は,つまり「理論のための理論」はまったく無意味であると思います.したがって,随所に現実問題への応用が織り込まれているのが,本書のもう1 つの大きな特徴となっています.みなさんも自分の生活と現実の経済で言われていることと照らし合わせながら,本書を読み進まれることを強くお薦めします.
 
〈要点の確認〉
・ミクロ経済学とマクロ経済学の守備範囲について
ミクロ経済学は物々交換経済を描写しています.これに対してマクロ経済学は貨幣経済の分析が主たる目的です.もちろん貨幣経済といえども,経済学の基本な考え方である選択と交換の連鎖からなっていますから,ミクロ経済学の理論との間に齟齬があってはいけません.本書ではこの考え方が貫かれています.
 
・貨幣の役割について
貨幣は「欲求の二重符合の困難」を解決する,信じがたい程便利な社会的契約です.しかしそれは人々の貨幣の価値に対する「確信」によって支えられています.貨幣の価値に対して人々が疑問を抱くようになると,われ先に貨幣を財・サービスに代えようとしますから,高率のインフレーションが発生します.したがって,貨幣価値への確信をいかに維持するかは,政府・日銀に課された至上命題です.
 
・歴史を学ぶことの重要性について
哲学者のハンナ・アーレントの『人間の条件』(ちくま学術新書)によれば,人間とは条件付けられた存在です.このとき「条件付けられた」というのは,自分が抱く価値観が,生まれた社会の時代・習俗・宗教などから,決定的な影響を受けているという意味です.したがって昔からずっといまのような世の中が続いていたと考えることも,また現代がもっとも進んだ社会であり昔の人は無知だったと考えることも,まったく誤っています.自分の考え方の狭さをよく弁え,視野あるいはものの考え方を広げようとするとき,歴史を学ぶことは欠かせない知的な営為なのです.
 
〈文献ガイド〉
竹内啓著(2013)『社会科学における数と量:増補新装版』東京大学出版会
▷著者は数理統計学の大家です.経済学における数理言語使用の意味,また「測る」ということの意義について,均整がとれて透徹した議論をしている書物を,私は寡聞にして知りません.無内容な理論の厚化粧のために用いられる数理言語,あるいはとうてい測ることのできないものを測ったと称して回帰分析にかける奇態な実証分析が山のように積み重なっている現在,以下の著者の見識をみなさんはどう思いますか.
「一つの数学的論理の体系に統一と調和をもたらすものは,その背後に想定されている具体的な“もの”のイメージではないかと考えられる」(p. 153)
「事実,科学的研究の表面的には急速な発展にもかかわらず,それが人間の真の“必要”と結びつくことは,かえって稀になりつつあるとさえ考えられる」(p. 241)
「しかしそのような学問あるいは科学は少なくとも“意味”のあるものでなければならない.すなわちある意味で人類の共通の財産となるような,それだけ人間の精神生活を豊かにするようなものでなければならない」(p. 241)
間宮陽介著(1999)『市場社会の思想史:「自由」をどう解釈するか』中公新書
▷この本で学ぶ経済学の体系ができあがるまでには,たくさんの偉人がさまざまな貢献をしてきました.アダム・スミス,リカード,マーシャル,ジェボンズ,ワルラス,ケインズはその中でももっとも有名な人たちです.本書では,これら経済学史上の偉人たちが何を考えたのかが,手際よくかつやさしく解説されています.新書で手軽なので,一読を強く薦めます.
 
〈コラム1 割り算〉
 経済学を理解するうえで,当たり前のようですが,とても大事なことがあります.割り算(分数)とは,分母1 単位当たりに直す計算であるということです.たとえば,100 キロの道のりを2 時間で走ったとしましょう.すると1時間当たりで走った距離は,
100 ÷ 2 = 100/2 = 50 km
ということになります.つまりこの計算の場合,時間の長さ2が分母になりますから,走った距離をそれで割るということは,時間1単位すなわち1時間当たりの走行距離を計算することにほかなりません.
 同様の議論をここでの計算に適用すれば,持っている1万円を製品の価格で割っているわけですから,分母である製品価格を1万円としたときに1万円がどれほどの大きさになるかを計算していることがわかります.ところで製品価格を1万円とすることは,1単位だけ財を購入することと同じですから,ここでの計算は,貨幣でどれだけの量の財が買えるか,すなわち財の購買力を求めていることがわかります.
 
〈コラム2 ゲーム理論〉
 ゲーム理論とは,自分と相手の行動が直接に相手に影響を与え合う状況を分析する理論的ツールです.たとえば隣人がごみを勝手に捨てるかどうかは,私たちが快適な生活を送れるかどうかに直接関係します.また逆にそれに対して私たちがどう行動するかも,相手の生活に影響を与えます.こうした状況にあるとき私たちと隣人の経済行動の帰結(均衡と呼びます)がどうなるかを分析するのが,ゲーム理論の主たる役割です.後に詳しく説明するように,自分と相手が対等な立場にあることを前提に分析するのがナッシュ均衡と呼ばれる考え方です.これに対しシュタッケルベルグ均衡は,自分あるいは相手のどちらかが優位な立場にあり,自分の行動が(この場合ごみを捨てるかどうかということ)相手の行動にいかなる影響を及ぼすかを読み込んだうえで,行動を決定する余地を認める考え方をとります.
 
〈コラム3 日本列島改造論〉
 1973年から74年にかけて,田中角栄内閣の「日本列島改造論」によって全国に散布された当時としては巨額の財政資金は,第一次石油危機による原油価格の暴騰と相俟って,「狂乱物価」と呼ばれる一時的なハイパーインフレーション(消費者物価水準は,1973 年に約10パーセンント,1974年に約20パーセント上昇した)を引き起こしました.つまり貨幣の流通量に比べてモノの供給が著しく不足するというパニックを伴った予想が形成され,それが物価を著しく押し上げた(言い換えれば貨幣の価値が急速に低下した)と考えられるわけです.現在(2010年代)の金融政策については第9 章で学びますが,この側面では日本は本当にぎりぎりの危険水域に入っているといっても過言ではありません.
 
 
banner_atogakitachiyomi