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あとがきたちよみ
『平等主義基本論文集』

 
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ジョン・ロールズ、リチャード・アーネソン、エリザベス・アンダーソン、デレク・パーフィット、ロジャー・クリスプ著/広瀬 巌 編・監訳
『平等主義基本論文集』

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編者あとがき
 
広瀬巌
 
 本書は、分配的正義に関する最重要とされる論文を翻訳したものである。それぞれの出所は次のとおりである。

1 John Rawls. “Reply to Alexander and Musgrave”, The Quarterly Journal of Economics. 88 (4): pp.633-655 (1974).
2 Richard J. Arneson. “Equality and equal opportunity for welfare”, Philosophical Studies 56 (1): pp.77-93 (1989).
3 Elizabeth S. Anderson. “What Is the Point of Equality?”, Ethics. 109 (2): pp. 287-321 (1999).
4 Derek Parfit. “Equality or Priority?”, in Matthew Clayton and Andrew Williams (eds.). The Ideal of Equality. Basingstoke: McMillan (2000): pp. 81-125.
5 Roger Crisp. “Equality, Priority, and Compassion”, Ethics. 113 (4): pp. 745-763 (2003).

 それぞれの論文は、現在の分析哲学界で拮抗する分配的正義の理論を代表している。第1章はロールズの格差原理(difference principle)、第2章は運平等主義(luck egalitarianism)、第3章は民主的平等(democratic equality)もしくは関係性平等主義(relational egalitarianism)と呼ばれる立場、第4章は優先主義(prioritarianism)、第5章は十分主義(sufficientarianism)を代表する論文である。本書が真に『平等主義基本論文集』であるには、第2章のアーネソン論文に代えドウォーキンの「資源の平等」論文を、そしてネーゲルの「平等」論文を追加すべきであった。しかし、これらの論文の日本語訳はすでに存在する。

・ロナルド・ドウォーキン『平等とは何か』(小林公・大江洋・高橋秀治・高橋文彦訳、木鐸社、二〇〇二年)所収の「資源の平等」。
・トマス・ネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』(永井均訳、勁草書房、一九八九年)所収の「平等」。

 本書とともに右の翻訳によって、現代分析哲学の分配的正義に関する最も基本的な論文が日本語で読めることになった。なお、訳語は基本的に拙著(齊藤拓訳)『平等主義の哲学││ロールズから健康の分配まで』(勁草書房、二〇一六年)に従っている。
 第3章のアンダーソンの論文は、長尺なわりに哲学的内容が希薄な部分があったので抄訳とした。これとは対照的に、第4章のパーフィットの論文は、どの一文をとっても考えに考え抜かれ、無駄な文が一文もないという意味ですべての哲学者が手本とすべきなのだが、頁数の都合であまり議論されることのない「補論││ロールズの見解」を割愛することとした。
 編者は、原著の自由な読み方を制限しかねないという理由で、翻訳書に付される「解題」や「解説」という日本出版界の独特の慣習を好ましいものとは思っていない。そこでここでは、各章を要約することはせず、最小限のバックグラウンドを三点に絞って紹介するにとどめたい。ここで紹介するバックグラウンドは、英語圏の専門家の間で共有されている雰囲気を報告するだけであり、このあとがきで書かれていることが通説だとか正しい解釈だとかと考えないでいただきたい。
 日本のメディアでよく次のようなことをほぼ毎日耳にする。「格差拡大が大きな問題になってきている」とか、「格差社会の是正が求められている」とかである。これらの言説は格差がそれ自体望ましくないものだ、と暗に意味している。格差はそれ自体望ましくないのか。それとも、格差それ自体が望ましくないわけではなく、格差が社会にもたらす影響(例えば、治安の悪化や生産性の低下など)が問題なのか。格差がそれ自体望ましくないなら、それは悪なのか(価値の概念)、不公正なのか(義務の概念)、それとも不正義なのか(政治の概念)。実は、格差はそれ自体望ましいものでなく、他の望ましくない効果(例えば治安の悪化や生産性の低下)を生むから縮小されるべきなのではないか。このあとがきは、これらのどの問にも答えない。これらの問を答えるために、本書所収の論文を批判的に読んでいただき、その中から読者一人ひとりが答えを見つけられたい。これは突き放した言い方かもしれないが、哲学の根本は「人の考え」を変えることにはなく、「人の考え方」を変えることにある。
 
1 ロールズ分配理論と運の平等主義
 
 第1章と第2章の論文は、分配的正義の基礎についての二つの異なる立場を代表している。第1章は言わずと知れたロールズの格差原理、第2章は運平等主義と呼ばれ、ロナルド・ドウォーキン(Ronald Dworkin)が最初に提示し、アーネソンがジェラルド・コーエン(G. A. Cohen)、カスパー・リパード=ラスムーセン(Kasper Lippert-Rasmussen)、シュロミ・セガル(Shlomi Segall)などと展開してきた立場である。ロールズの格差原理と運平等主義はごく大まかに次のように理解されている。

格差原理:不平等が許容されるのは、その不平等が最も不遇な境遇に置かれている人たちの福利を最大化するときにのみである。
運平等主義:不平等が許容されるのは、その不平等が諸個人の選択の帰結であるときである。不平等が諸個人の選択不可能な状況に起因するとき、不平等は除去されなければならない。

 二つの立場は、人々は完全に平等である状態が道徳的正当性を必要としない状態と考え、不平等な状態こそ道徳的正当性を必要とするという点で一致する。しかし不平等を正当化する要件、およびその理由づけが異なる。格差原理によれば、最も不遇な境遇に置かれている人たちにとっての状況が最大化されることが条件であるのに対し、運平等主義によれば諸個人の選択の帰結であるときである。
 格差原理と運平等主義は、再分配の理由づけにおいても異なっている。両者とも、道徳的に恣意的な要素、例えば人種、性別、身体的特徴、障害の有無などの影響が取り除かれるべきだと考える。しかし、どのようにそれらを取り除くかで格差原理と運平等主義は考えを異にする。ロールズによれば、道徳的に恣意的な要素を中性化した後に、道徳的に恣意的な要素から解き放された抽象的な契約当事者がどのような分配スキームを選択するか、これが格差原理を含め正義の二原理の理論的基礎である。道徳的に恣意的な要素を中性化する理論的道具が、言わずと知れた「無知のヴェール」である。これに対し、運平等主義は、道徳的に恣意的な要素に引き起こされる悪影響としての不平等を除去するための分配スキームを構想する。誤解を恐れずに単純な例に例えるならば、ロールズによれば障害者に不利にならないようなるルールを設計し障害者と健常者が公平に競争できる環境を作ろうとするのに対し、運平等主義によれば障害者と健常者を競争させて障害が引き起こした差を事後的に補償しようとするのである。この違いを際だたせるために、次の状態を想像されたい。障害者が健常者より頑張ったという理由だけで、障害者が健常者より結果的に経済的に恵まれた状態である。この状態で、格差原理(より正確には、格差原理と実質的に同じ「マキシミンルール」)は障害者から最底辺の健常者への資源の移転を要請する。これに対し、運平等主義によれば障害者から最底辺の健常者への資源の移転を要請することはない。
 読者はどちらの理論がより正義にかなっていると思われるだろうか。
 
2 アンダーソン論文の両義性
 
 アンダーソンの論文は二つの点で重要とされている。第一に、運の平等主義に対する重要な批判をしたという点。第二に、「民主的平等」ないしは「関係性平等主義」と呼ばれるようになった立場を初めて表明したという点。第一の点について言えば、アンダーソンは大まかに二つの批判を繰り広げている。一つは「平等性からの屈辱的な手紙」批判、もう一つは「遺棄」批判である。前者の批判はまったく的はずれな批判と目されており、真剣に議論されることはない(同じような屈辱的な手紙は、いかなる分配的正義の理論に対して書くことが可能である)。重要なのは第二の批判である。実を言えば、運の平等主義にはかなり異なった立場があるのだが、アンダーソンの遺棄批判に対抗するという一点で共通している。驚くことに、遺棄批判はアンダーソン以前に経済学者であるマーク・フローベイ(Marc Fleurbaey)によって論じられ、彼自身が(満足できるかどうかは別として)解決策を提案していたということだ。詳細については、拙著『平等主義の哲学』2章4節を読まれたい。
 第二の点に移ろう。民主的平等(関係性平等主義)とは何か。アンダーソンによれば、運の平等主義は平等の目的を取り違えている。平等の目的とは、道徳的に恣意的な要素が引き起こす不平等を是正することにあるのではなく、各個人が他の個人と同等の立場であることを保証することにある。同等の立場とはどういうことか。それは誰も他の人に支配されることのない状態である。なるほど、だれも他の人に支配されることのない状態は平等である。それでは、だれがそれに異論を挟むだろうか。運の平等主義は、誰かが他の人に支配されることを推奨しているのだろうか。結論から言えば、運の平等主義を含めどの分配的正義の理論もアンダーソンの考えに異論を挟むものはない。つまり、だれもアンダーソンの民主的平等に反対しないのである。ということは、アンダーソンの立場はほぼ空っぽな理論だということになる。それどころか、アンダーソンは自らの立場を平等主義というものの、どの分配がより望ましいかに関して何も言うことはない。あたかも、基本的人権の中身をまったく明らかにしないまま、基本的人権が重要だと言い立てたところで、ある国での基本的人権の状況が改善しているのか悪化しているのかを判断できないのと同じである。このような解釈はアンダーソンにとってフェアだろうか。読者の皆様に考えていただきたい。
 
3 平等主義、優先主義、十分主義
 
 第4章と第5章は、三つの競合する分配理論を比較するのに有益である。それぞれの立場は次のように要約することができる。

価値平等主義:ある個人が他の個人より厚生が低いという事実、それ自体が悪である。
優先主義:厚生の絶対的水準が低ければ低いほど、厚生の道徳的重要さは増加する。
十分主義:十分水準以下の個人の厚生の向上が、十分水準以上の個人の厚生の向上を絶対的に優先する。

 分配における「平等主義」といったとき、通常意味されるのは右の価値平等主義である。それが含意することは、不平等はその原因の如何にかかわらず悪だ、ということである。つまり、働かずに浪費にかまける素浪人の生活の質が、汗水たらして一生懸命働くサラリーマンの生活の質より低いという事態それ自体が道徳的に悪だというのである。平等主義といえば聞こえはいいが、このような含意を受け入れられる人は何人いるであろうか。パーフィットの水準低下批判は無邪気な価値平等主義に冷水を浴びせ、近年の哲学では平等主義を信奉する哲学者はごく少数になってしまった(実を言えば、編者自身はこの価値平等主義を擁護するごく少数の哲学者の一人である)。
 平等主義を批判したからといって、生活の質の格差を無視すべきだとパーフィットがいっているわけではない。パーフィットは優先主義を提案し、平等主義を標榜していた哲学者はほぼすべてパーフィットに追随して優先主義者になっている。しかしながら、ごく少数の論者は優先主義にも満足しない。クリスプ論文の「ビバリーヒルズ」の例が優先主義への不満足を代表している。優先主義は超富裕層にではなく富裕層にワインを与えるべきだとするが、クリスプによればそのような判断は反直観的である。もし読者がクリスプの直観を共有するなら、十分主義を支持する理由があるかもしれない。それでは、十分主義の特殊ケースであるクリスプの「共感の原理」は、ビバリーヒルズの例でどの様のことを要求するのだろうか。ワインのボトルを破壊せよというのか。それとも、ワインを超富裕層に渡すか富裕層に渡すかクジで決めよというのか。読者は、クリスプが何を言わなければならないのか、そしてそれが直観的に正しい答えか、さらには結果的には優先主義よりいい主義主張か、これらを考えていただきたい。
 
4 あとがきのあとがき
 
 「あとがき」とは本来、本書を出版にこぎつけるに際し、最終責任者が謝意を表すことが目的であるはずである。その本来の目的を完遂したい。まず、勁草書房の渡邊光さんに感謝を申し上げたい。そもそも、渡邊さんがこの企画を提案されなければ、本書は存在しなかったであろう。渡邊さんには、英語圏の出版社の編集者にはやってもらえないような重要かつ細かい作業をしていただいた。とりわけ、各章の翻訳者を探すという点では、日本の分析的倫理学を背負って立つ新進気鋭の研究者を探してきていただいた。
 そしてもちろん、比較的短い期間に各章の翻訳をプロフェッショナルに遂行してくださった石田京子、米村幸太郎、森悠一郎、堀田義太郎、保田幸子、各氏に感謝を申し上げたい。それぞれの研究や教鞭に忙しい中、非難されることはあっても褒められることがあまりない翻訳という労を引き受けてくださった。特筆すべきは、優れた女性研究者二人がこの企画に参加して下さったことだ。どの分野をとっても「学界は男社会」という分配的不正義が二一世紀になってもまかり通っているが、本書に参加してくださったお二人が日本の分析的道徳哲学・政治哲学を力強く牽引していく研究者だと確信できたことが編者にとって特に嬉しい。
 
関連書:広瀬巌著/齊藤拓訳『平等主義の哲学 ロールズから健康の分配まで』の「あとがきたちよみ」は【こちら】
 
 
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