あとがきたちよみ 本たちの周辺

あとがきたちよみ
『飢えと豊かさと道徳』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
ピーター・シンガー 著/児玉 聡 監訳
『飢えと豊かさと道徳』

「序」ページ(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報はこちら〉



 
 シンガー氏が「飢えと豊かさと道徳」を著してから四〇年以上が経ちましたが、その間に世界は劇的に改善しました。今日、世界の人々のうち、極度の貧困状態で暮らす人の割合は当時の半分以下となり、また五歳の誕生日を迎える前に亡くなる子どもの割合はそれ以上に減少しました。一九六〇年には、世界の子どもたちのおよそ二〇%が五歳になる前に亡くなっていました。一九九〇年までには、その割合は一〇%となり、今日では五%に近づいています。
 しかし、五%というのはまだあまりに大きな数値です。これは、一年間に六三〇万人もの子どもが死んでいるということです。こうした死の大半は、下痢や肺炎やマラリアなど、我々が予防法や治療法を知っている疾患によってもたらされています。とはいえ、子どもの死が減少しているという事実は、我々に希望を抱かせるものです。この事実は、援助が実際に役立つことを示しており、対外援助は何の役にも立たないという有害な神話の誤りを明らかにしています。
 シンガー氏の著作で論じられているのは、我々が力を合わせれば、子どもたちの死のような、とても悪いことが起きるのを防げるということです。今日、この主張を支持するエビデンスは、〔「飢えと豊かさと道徳」が公表された〕一九七二年の頃と比べると、はるかに強固になっています。幸いなことに、ますます多くの人々がこの主張が正しいと考えるようになっており、また彼らの多くは実際に活動も行なっています。読者は、シンガー氏の論文は、出版当時は時代の先を行きすぎていたと考えるかもしれません。しかし、おそらく、ようやく時代が追いついて来たのです。
 
─ビル・ゲイツとメリンダ・ゲイツ
ビル&メリンダ・ゲイツ財団共同議長
 
 
はじめに
 
 「飢えと豊かさと道徳」は、当時の東パキスタンにおける軍事弾圧によってもたらされた難民危機の最中に執筆されたものである。九〇〇万もの人々が国境を越えてインドへと逃れたが、彼らは難民キャンプでの生活に苦しんでいた。今から見れば、この難民危機はバングラデシュが独立国家として生まれてくるための重要な段階であったと見なすこともできるが、当時はそうした幸運な結果が生じる可能性は明白ではなく、他方で、莫大な数の人々が危機に瀕していることは明らかだった。私はこの深刻な緊急事態を出発点として用い、裕福な国々に住む人々は世界のずっと貧しい地域において大変な困窮状態で暮らす人々を助けるためにずっと多くのことをなすべきだという議論を行なったが、この議論はその適用範囲に関して極めて一般性が高く、またこの議論がつきつける課題は一九七一年においてと同様、今日でも非常に挑戦的なものである。
 当時、倫理学と政治哲学は刺激的な新たな変容を迎える時期にあった。それまで二五年の間、道徳哲学は「よい」や「べきである」といった道徳語の意味の分析のみを主題としており、これは、私たちがいかに生きるべきかに関する実質的問題には何の含意も持たないと見なされていた。A・J・エアは、行為指針を得るために道徳哲学者に助言を求めようとするのは誤りだと書き、また、「少なくとも現時点では、政治哲学は死んでいる」というピーター・ラズレットのよく引用される一文は、広く共有された見解を要約していたと思われる。この「現時点」が終わったのは、一九六〇年代の学生運動によって、市民権、人種差別、ベトナム戦争、市民的不服従などの当時の主要な問題に関連する講義の開講が求められたときである。すると、一部の哲学者たちは、哲学の伝統を繙くと、昔の哲学者たちはこうした問題に関してたくさん発言していたことを思い出した。『哲学と公共問題(Philosophy & Public Affairs)』という新しい学術誌が創刊される際に公表された「趣意書」では、公的関心の高い諸問題を哲学的に吟味することは、「そうした諸問題の明晰化と解決に貢献しうる」と主張されていた。(現在では信じがたいことだが、これほど慎重な言い回しを用いた声明が急進的と見なされかねなかったのだ。)かくして、「実践」倫理学ないし「応用」倫理学として今日知られている分野が始まった─あるいはむしろ復活した。
 まもなく創刊予定だった上記の学術誌が投稿論文の応募を始めたとき、私はオックスフォード大学の大学院を修了したばかりで、ちょうど最初の研究職に就いたところだった。私はすでにオーストラリアでの学部生時代に、中絶法改革運動やベトナム戦争反対運動に関わったことがあった。オックスフォード大学では、民主主義国家における遵法義務の根拠について学位論文を書いた。当時、妻と私は収入の一〇%をオックスファムに寄付しており、また、動物が食肉になる前にどのように扱われているかについて学んでベジタリアンになったばかりであった。私は自分の人生で向き合う重要な倫理的問題に対して哲学的な仕方で取り組みたいと強く願っていた。『哲学と公共問題』の創刊は、その願いを果たす完璧な機会を私に提供してくれた。「飢えと豊かさと道徳」は、一九七二年春、第一巻第三号に掲載された。
 この論文はすぐに倫理学の講義の定番のトピックとなった。この論文を収録している論文集の数は、完全に数え切れてはいないものの、五〇にのぼる。毎年、この論文は多くの国々で何千もの学部生と高校生に読まれている。だが、最近までこの論文は、学生たちに倫理的に生きているかどうかを考えるように仕向けるためではなく、知的なパズルを提示するために用いられることの方がおそらく多かったと言えるだろう。大学教員たちは次のように言いながらこの論文を提示するのが常だった。「この論文の議論は健全と思われるが、その結論はありえないほど過度な要求をしている。この議論のどこに欠陥があるかを考えてみなさい」。しかしながら、この一〇年の間に、ますます多くの学生たちが、また少なくとも一部の大学教員たちが、違った態度を取るようになってきた。彼らはその議論に欠陥を見出さず、その倫理的含意の探究に熱意を注いだ。効果的利他主義(Effective Altruism)として知られる新たに台頭してきた運動には、この論文や本書に収録された他の論考によって影響を受け、自分の生き方を変えた多くの人々が参加している。以下に数例をあげよう。

・トビー・オードは哲学科の学生だったときにこの論文を読んだ。彼はその後、Giving What We Can を設立した。この団体は、自分が最も善いことをすると考えた慈善団体に対して、退職するまで課税前所得の一〇%を寄付することを誓約するように人々に勧めている。本書の執筆時点で、Giving What We Can の会員は八〇〇万ポンド以上を寄付しており、また既になされた誓約により、彼らは生涯の間に推定四億五七〇〇万ポンドを寄付することになっている。
 
・クリス・クロイは、ミズーリ州のセントルイス・コミュニティカレッジ・メラメック校で取った授業で、「飢えと豊かさと道徳」を読んだ。授業ではそれに反対する立場の論文も読み、その論文で哲学者のジョン・アーサーは、仮に私〔シンガー〕の議論が正しいとすると、私たちは片方の腎臓のような身体の一部をも他人に寄付することで彼らを援助すべきことになってしまうと論じた。アーサーによれば、これが正しいはずがない─彼の考えでは、より多くの善がそのような寄付からもたらされるからといって、私たちがそうするべきだということが示されたとは言えない。クロイには、これは極度の貧困状態にある人々に寄付することに対する有効な反論というよりも、腎臓を寄付することを支持する議論であるように思えた。彼はこの問題をよく考え、また友人と議論した末に、地元の病院に電話をかけ、その後片方の腎臓を見知らぬ人に寄付した(臓器提供を受けた人は、主に貧しい子どもたちが通う学校で働く四三歳の学校教師であった)。
 
・スウェーデンの作曲家グスタフ・アレクサンドリーは、世界で最も貧しい人々を助ける団体に寄付すべきだとする私の諸著作に影響を受けた。彼は自分が非常に重要だと思う考えをもっと広めるのを助けたくて、そうするために自分に特有の専門能力を使おうと決めた。彼は合唱音楽を一つ作曲し、そのなかで合唱団は、論文の主要なアナロジーである浅い池で溺れかけている子どもについて歌う。アレクサンドリーの作曲は、二〇一四年にストックホルムでジャン・リスバーグが指揮するソドラ・ラテン室内合唱団によって初演された。
 
・ディーン・スピアーズは二〇一四年に経済学の博士課程を修了した。数年前に彼と彼の妻ダイアン・コフィー(彼女も博士号を取得するためにプリンストン大学で研究していた)は、Research Institute for Compassionate Economics またはr.i.c.e(www.riceinstitute.org)と呼ばれる団体をインドで設立した。ディーンは大学院修了後に、r.i.c.e で常勤で働くようになった。彼が私にEメールで連絡してきたときの表現を用いれば、彼の決心は、「大部分は「飢えと豊かさと道徳」を読んだことから始まった一連のプロセスによる」ものだった。しかしながら、本論文の議論は、貧しい人々への奉仕を一生の仕事にするというダイアンの長期にわたる決心によって、大いに補強されたと言える。ディーンとダイアンは現在はインドに住み、屋外排泄の問題に対する取り組みに専念している。これは、おそらく議論するのが恥ずかしいと思われるがゆえに不当に無視されてきた問題であるが、幼い子どもの健康に深刻な影響を及ぼし、その結果、彼らの成人後の健康をも害しうるものである。もちろん私は、私の論文によってディーンとダイアンがそのような重要な仕事をするに至ったのかもしれないということをうれしく思う。しかしながら、ディーンからのメールの中で私のお気に入りの箇所は、次のように述べた脚注であった。「私たちは結婚式で、池の話の一部を朗読しました」。
 
・私がこの序文を書いていた二〇一五年一月に、デイヴィッド・バーナードというスウェーデンのウプサラ大学の学生からEメールを受け取った。彼は、新たに結成された効果的利他主義ウプサラ支部が手配した会議で私に講演してほしいと述べ、彼の大学に私を招待した。その後に、デイヴィッドは以下のような個人的な文章を記していた。「「飢えと豊かさと道徳」は、私が効果的利他主義を発見するに至った道の第一歩でした……。あなたの諸著作は、よいことをしたいという私の曖昧な欲求を果たすための具体的行動をとるのに計り知れない助力となり、また私の人生にずっと大きな意味を与えるのに役立っています」。

 
次はあなたが「飢えと豊かさと道徳」を読む番だ。もしかすると、あなたの人生も変わるかもしれない。もしあなたがこの論文を読んで説得されたなら、どうしたらその中心的な考えを広める手助けをできるかについて考えてみてほしい。(以下続く)
 
 
banner_atogakitachiyomi