あとがきたちよみ 本たちの周辺

あとがきたちよみ
『錬金術の秘密』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
ローレンス・M・プリンチーペ 著
ヒロ・ヒライ 訳
『錬金術の秘密 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」』[bibliotheca hermetica叢書]

「解題にかえて」(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報はこちら〉


高貴なる技、錬金術、あるいはキミアの探究─解題にかえて
 
ヒロ・ヒライ
 
 本書はLawrence M. Principe, The Secrets of Alchemy (Chicago: University of Chicago Press, 2013)の全訳だ。発表以来、世界的な成功をおさめている原著に副題はないが、読者への配慮から「再現実験と歴史学から解きあかされる『高貴なる技』」という副題をくわえた。
 著者は、アメリカ東海岸ボルチモアのジョンズ・ホプキンズ大学のシングルトン前近代ヨーロッパ研究所の所長で、科学史の教授であると同時に化学の教授でもある。その業績は、アメリカはいうにおよばず、世界各国のさまざまな学会から表彰され、現在もっとも成功している科学史家の一人といって良いだろう。数ある著作のなかでも、本邦では『科学革命』(丸善出版、二〇一四年)がすでに紹介されている[1]。これは非常にかぎられた紙幅で科学革命という大きなテーマを論じた画期的な入門編だ。それにたいして本書は、三〇年にわたる研究の集大成となっている。
 著者の出発点は、一九八七年のデビュー論文「錬金術における化学的な翻訳と不純物の役割」であり、この研究分野では非常に珍しく実験室での再現操作を一七世紀初頭のテクストの分析と密接に絡めている[2]。ここでの成果は、本書の要でもある第六章のもとになる。つづいて著者は、科学革命期の英国で活躍したロバート・ボイルの未公刊の手稿群にラテン語の対話篇を発見し、その分析結果を出版する。それが最初の著書『達人志望:ロバート・ボイルと錬金術の探究』(一九九八年)という衝撃作だ[3]。さらに刊行計画が進んでいたボイルの新全集と書簡集の編集に大きく関与したのち、著者は錬金術研究において現在の双璧をなすW・R・ニューマンとコンビを組む。そしてアメリカ出身のキミストであるスターキーとボイルの共同作業をあつかった『火で試される錬金術:スターキー、ボイル、そしてヘルモント主義キミアの命運』(二〇〇二年)を発表し、スターキーの残存する貴重な実験ノートや書簡を集成した『ジョージ・スターキーの錬金術的な実験ノートと書簡』(二〇〇四年)を出版する[4]。これらの成果に先立って、二人は本書の議論に決定的な役割をはたす二本の論文を発表している。「錬金術vs化学:歴史学的な誤りの語源学的な起源」(一九九八年)と「錬金術の歴史学における幾つかの問題」(二〇〇一年)だ[5]。一番目の論文は、初期近代における「高貴なる技」を錬金術と化学に区分することで生じる歴史学上の諸問題を指摘し、双方を包含する知の伝統を当時の綴り「キミア」という用語で表現することを提唱する[6]。この提案は専門家たちに歓迎され、それから二〇年近くがたった現在、キミアは学術用語として一般的に知られるようになった。二番目の論文は、現代社会に幅ひろく流布している錬金術にたいする多様な誤解・誤信を、とくに一八世紀から現代にいたる流れのなかで分析している。これは、本書の第四章の土台になっている。
 また著者は、フィラデルフィアにある科学史インスティテュート(旧ケミカル・ヘリテイジ財団)の相談役としても数々の貢献をし、二〇〇六年には大型の国際会議を主催して、その成果は論文集『キミストとキミア』(二〇〇七年)としてまとめられた[7]。本書の原著は、科学史インスティテュートの叢書『シンテシス』Synthesis の一冊となっている。本書を彩る図版にも、同研究所の所蔵品を大いに利用している。
 『科学革命』と本書の執筆に並行して、著者はパリの科学アカデミーにおけるキミストたちの活動を研究している。その成果は、つぎの著作『ヴィルヘルム・ホンベルクとキミアの変容』(近刊予定)でまとめられるだろう[8]。第一作がロンドンの王立協会にふかく関与したボイルを中心とする人々の「高貴なる技」についての関心と活動を描いたものだとすれば、今作はパリの科学アカデミーにおける隠された錬金術の実践についての書物となるだろう。科学史研究における衝撃度は、第一作と同様に大きいはずだ。科学革命の推進力となったロンドンの王立協会とパリの科学アカデミーの双方で、会員たちが賢者の石を探究していたことが明確になれば、従来の歴史観を大きく揺さぶるに違いない。
 著者が本書のなかで何度もくり返しているように、錬金術は頭と手の両方を駆使する営みであり、理論と実践の密接な相互作用からなりたつ。この伝統の歴史を研究する学者にとっても、理論だけでは解明できないことが非常に多く、実践だけに集中しても見通しは獲得しにくい。理論と実践の双方に深い理解をもつことが重要であり、歴史と科学の両分野に秀でている著者の異才は、まさに錬金術史を研究するのに最適だろう。
 本書の第一章では、まず西洋における錬金術の起源をあつかう。とくに紀元後三〇〇年ごろにギリシア文化が支配的なエジプトで活動したゾシモスに光をあてて鋭い洞察力を発揮し、「高貴なる技」の核となるクリソペアが依拠する考えや実践が説明される[9]。第二章では、ギリシア的なエジプトで生まれた「ケメイア」のアラビア語圏での受容と展開をあつかう[10]。有名なジャービル問題に焦点をあわせ、ジャービルに帰される著作群から文字どおりに第五精髄を抽出している[11]。そして第三章では、「アル・キミア」の中世ヨーロッパにおける変容をあつかう[12]。ジャービル問題のヨーロッパ版であるゲベル問題を解説し、この仮面に隠された人物の理論と実践における鍵をおさえる。つづくルペシッサのヨハネスから偽ルルスや『賢者たちのバラ園』にいたる叙述の巧みさには驚愕させられる。一八世紀から現代までの錬金術の「再解釈」をあつかう第四章は、他に類を見出せない鮮やかさで、現代に流布するさまざまな誤解の原因をひも解いてくれる。とくに錬金術は、神秘主義だという一九世紀に生まれた大きな誤信をその根本から正している。
 本書の核心にあたる第五章から第七章は、黄金期である初期近代の「キミア」をあつかう。まず第五章では、一見して混乱にみちている賢者の石と金属変成をめぐる多様な考えを手際よく整理して解説する。これは他の専門家たちの議論にも見出せない、第一人者による貴重な分析だ。つづくパラケルスス主義と「ケミアトリア」についての考察も、非常に有益なものとなっている[13]。著者の原点そのものでもある第六章では、初期近代のキミアに典型的な高度に暗号化されたテクストを分析し、そこに隠されている実際の化学操作や物質の反応を、まるで探偵のように解読している。最後に第七章では、初期近代のキミアがどのように当時の知の枠組みや宗教と関係し、芸術や文学、演劇などに影響をあたえたのかを描きだし、当時の知識人たちの世界観・宗教観をキミアという例をもちいて解釈する。驚くことに筆者の分析は、神意が眼にみえないかたちで日常的に遍在すると信じていたルネサンスや初期近代の人々の心性にまでおよぶ。錬金術に直接の関心をもたずとも、ルネサンス・バロックの文化に興味をもつ人間すべてにとって非常に刺激的な議論となっている。
 本書でくり返し主張されることに、いかなる歴史現象もテクストも「それぞれに固有の文脈において分析してこそ、歴史学的に正しい理解をえられる」という点がある。そこで少し大きな文脈に著者の業績を位置づけてみよう。錬金術あるいはキミアの歴史研究は一九九〇年代までおもにヨーロッパで細々と展開し、アメリカではA・G・ディーバスがほぼ孤軍奮闘ながら、パラケルスス主義について探究していた[14]。九〇年代には、ヨーロッパ各地で大型の国際会議が開かれ、それらをもとにした論文集が出版されて、各国に分散していた研究者たちが交流をふかめ、たがいの活動から大きな刺激をうける。これが本書で語られる錬金術の「第三の復活」の起源だ。ヨーロッパ側の中心人物は、ベルギーのリェージュを本拠地とするR・アレウだった[15]。上述のニューマンは彼に師事し、ゲベル問題を解決する大発見とともに頭角をあらわす。こうした流れのなかで出現したのが、著者の『達人志望』ということになる。当時、錬金術の研究にたいしては大きな偏見がのこっており、真面目な歴史家たちの集まる国際会議においても、無理解者の嘲笑に出会うことは少なくなかった。しかし本書が指摘するとおり、現在では科学史において錬金術は注目の的であり、非常に「熱い」テーマとなっている。この変化にたいする著者とニューマンの双璧による貢献は、はかり知れない。
 この流れに与する重要な最近作を簡単に紹介しよう。第一章で議論される偽デモクリトスについては、M・マルテッリによる『偽デモクリトスの四書』(二〇一四年)がある[16]。ギリシア語の原典テクストだけではなく、シリア語に翻訳されて残存している断片も考慮している点で注目に値する。第四章と第五章に登場するリバヴィウスは、パラケルスス主義者たちを批判しつつも、伝統的なクリソペアを擁護し、その地位を高めようとした重要人物だ。彼についての決定的な研究書が、B・T・モーランによる『リバヴィウスと錬金術の変容』(二〇〇七年)となる[17]。第七章で言及される「企業家的キミスト」については、T・ニューメデイルの『神聖ローマ帝国における錬金術と権威』(二〇〇七年)が詳しく、キミアによる改良計画を提案した人々と当時の政治権力の関係をあつかっている[18]。上記のニューマンによる野心作『プロメテウスの野望:錬金術と完璧な自然の探究』(二〇〇四年)と『原子と錬金術:キミアと科学革命の経験的な起源』(二〇〇六年)は大成功をおさめ、他の領域の研究への影響も大きい[19]。とくに前者は幅ひろい読者の関心に訴えるものだろう。また彼は、ニュートンの錬金術についての集大成的な研究書『錬金術師ニュートン:科学、謎そして自然の秘められた火の探究』(近刊予定)を準備している[20]。
 一九九四年に、私は博士論文を執筆するために「第三の復活」の震源地であるベルギーのリェージュにわたり、現地の指導教官にたいして世界中からよせられる研究動向に触れられる幸運をえた。かなり早い段階でニューマンの研究を知り、自分もこの大きな運動のなかにあることを実感した。そうしたなかで、科学革命の巨人ボイルが錬金術に傾注していた事実を詳述する著者の『達人志望』からうけた衝撃は忘れられない。仲間のあいだで「ラリー」という呼称で親しまれている著者に実際に出会ったのは、九九年に私の第二指導教官の招聘で彼が北フランスのリール大学を訪れたときだった。そして二〇〇五年にフランスのボルドーで開催されたボイルの自然哲学についての国際会議で再会し、出版されたばかりの私の著作を手渡せたのは感慨ぶかい。つづいて二〇〇六年のフィラデルフィアでの国際会議に招待され、私の発表も彼が編纂する論文集に収録される[21]。それ以来、著者とは国際会議などで頻繁に顔をあわせるようになる。だから本書の邦訳計画がもちあがった二〇一三年に、著者自身が私を翻訳者に指名したのは自然な流れだったと思う。しかし実際の出版は非常に遅れてしまったことを、著者ならびに本邦の読者諸氏にもお詫びしなければならない。
 邦訳版の作成にあたって多くの人々に助けられたことを、この場を借りて感謝したい。東京大学大学院の加藤聡君には、訳出の終わった全原稿に眼をとおして表記の不統一などを指摘していただいた。彼の細心かつ丁寧なコメントから多くのことを学んだ。毎回のように図版の調整はクレア・ヒライさんの手によるものだ。今回は幾つかのチャートも作成いただいた。彼女の勤務先である科学史インスティテュートにも、高解像度の図版の入手でお世話になった。幾つかのカラー図版は、原著に収録されたものよりも高品質の特殊カメラで撮影され、非常に高画質なものとなっている。邦訳版を辛抱づよく待っていただいた読者諸氏への特典となるだろう。勁草書房の関戸詳子さんには、素晴らしい書物が読者に届くよう最善の配慮をしていただいた。今回も美しい装丁は、岡澤理奈さんによるデザインだ。
 原著は博識で多言語にわたる複雑な内容であるからこそ、文体や表現はできるだけ平易になるように心がけた。自分が本邦でうけた科学教育が、こんなにも役立つとは考えもしなかったが、高度な現代化学の用語の理解には不備があるかも知れない。さらに訳文の確認には細心の注意を傾けたが、著者特有のユーモアにあふれた表現を訳しそんじている部分もあるだろう。読者諸氏には寛容をもって臨んでいただければ幸いだ。
 
二〇一八年五月 フィラデルフィアにて
 
[1]原著はThe Scientific Revolution: A Very Short Introduction (Oxford: Oxford University Press, 2011)だ。ちなみに著者は、父方の祖父がイタリアからの移民であり、イタリア式に「プリンチーペ」と長音で発音することに誇りをもっている。
[2]Lawrence M. Principe, “Chemical Translation and the Role of Impurities in Alchemy: Examples from Basil Valentineʼs Triumph-Wagen,” Ambix 34 (1987), 21-30.
[3]Lawrence M. Principe, The Aspiring Adept: Robert Boyle and His Alchemical Quest (Princeton: Princeton University Press, 1998).
[4]William R. Newman & Lawrence M. Principe, Alchemy Tried in the Fire: Starkey, Boyle, and the Fate of Helmontian Chymistry (Chicago: University of Chicago Press, 2002); idem (eds.), The Alchemical Laboratory Notebooks and Correspondence of George Starkey (Chicago: University of Chicago Press, 2004).
[5]William R. Newman & Lawrence M. Principe, “Alchemy vs. Chemistry: The Etymological Origins of a Historiographic Mistake,” Early Science and Medicine 3 (1998), 32-65; Lawrence M. Principe & William R. Newman, “Some Problems in the Historiography of Alchemy,” in Secrets of Nature: Astrology and Alchemy in Early Modern Europe, ed. William Newman & Anthony Grafton (Cambridge, MA: MIT Press, 2001), 385-434.
[6]「キミア」chymia は錬金術と化学を恣意的に区別せず、双方を包含する知の伝統をさす。
[7]Lawrence M. Principe (ed.), Chymists and Chymistry: Studies in the History of Alchemy and Early Modern Chemistry(Sagamore Beach, MA: Science History Publications, 2007).
[8]Lawrence M. Principe, Wilhelm Homberg and the Transmutations of Chymistry の近刊が待たれる。
[9]「クリソペア」chrysopoeia は、造金術のこと。
[10]「ケメイア」chemeia は、錬金術の古代ギリシア語名。
[11]「第五精髄」quinta essentia は、広義には事物の選びぬかれたエッセンス(本質)を意味する。
[12]「アル・キミア」al-kīmiyāʼ は、錬金術の中世アラビア語名。
[13]「ケミアトリア」chemiatria は、化学的な手法を採用する医学・薬学のラテン語名。
[14]拙論「西欧中世・近世化学史の研究動向」『科学史研究』第四〇巻(二〇〇一年)、六五─七四頁。A・G・ディーバス『近代錬金術の歴史』川﨑勝・大谷卓史訳(平凡社、一九九九年)も参照。
[15]Robert Halleux, Les textes alchimiques (Turnhout: Brepols, 1979) と一九八〇年代の一連の研究を参照。
[16]Matteo Martelli (ed.), The Four Books of Pseudo-Democritus (London: Routledge, 2014).
[17]Bruce T. Moran, Andreas Libavius and the Transformation of Alchemy: Separating Chemical Cultures with Polemical Fire (Sagamore Beach, MA: Science History Publications, 2007).
[18]Tara Nummedal, Alchemy and Authority in the Holy Roman Empire (Chicago: University of Chicago Press, 2007).
[19]William R. Newman, Promethean Ambitions: Alchemy and the Quest to Perfect Nature (Chicago: University of Chicago Press, 2004); idem, Atoms and Alchemy: Chymistry and the Experimental Origins of the Scientific Revolution (Chicago:University of Chicago Press, 2006).
[20]William R. Newman, Newton the Alchemist: Science, Enigma, and the Quest for Natureʼs Secret Fire は、かなりの大部になる予定だという。
[21]Hiro Hirai, Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance: de Marsile Ficin à Pierre Gassendi(Turnout: Brepols, 2005); idem, “Kircherʼs Chymical Interpretation of the Creation and Spontaneous Generation,” in Principe(2007), 77-87.
 
 
banner_atogakitachiyomi