お知らせ

【お知らせ:2018年11月20日】木下衆さんの新連載スタートします

 
「認知症の人本人の思いやその人らしさを尊重しよう」「本人だけでなく、家族のことも支えていこう」――現在私たちが共有する介護の理念は、どのように生まれ、社会に根づいてきたのか。認知症ケアの歴史をたどることを通じ、「役に立つ/立たない」という価値観を問い直す、気鋭の社会学者による連載(全8回)が、来週11月27日から始まります。連載を始めるにあたり、著者から届いた紹介文をご覧ください。【編集部】
 
 
治らなくても大丈夫、といえる社会へ――認知症の社会学
連載開始にあたって

 
 私は社会学者として、認知症家族介護の研究をしてきた。専門は、医療社会学や家族社会学、という分野になる。関西を中心に、家族会(介護家族の自助グループ)、介護施設や在宅介護中のお宅に伺う。そんな調査をはじめて、この2018年で10年がたった。調査をはじめて10年といえば、まだまだ若手の部類だ。
 
 そんな私が今回、この「けいそうビブリオフィル」に連載の話を頂戴した。編集部のHさんとは、こんな話をしようと企画書段階で相談していた。

 認知症患者の思いやその人らしさを尊重する介護――現在私たちの社会は、そうした介護を目指すべきものとして掲げている。しかしそうした理念は、突然私たちの社会に生まれてきたのではない。それは長い歴史をかけて、介護に関わる人びとが作り上げてきた、私たちの社会の一つの到達点なのだ。
 介護家族の悩みの歴史を辿りながら、そうした介護を支える新しい社会のあり方を構想したい。

 とはいえ、ここまで考えて、私の筆は止まってしまった。認知症や家族介護の歴史を、私の調査に即して書く、ということは決まった。しかし、まだ若手の私が、具体的にどうすればよいのか。
 
 そもそも、誰に向けて書いたらよいのか。介護家族向けに書くのと、専門職向けに書くのでも、ずいぶんと筆の運びは変わるはずだ。ここでしばらく、企画は止まってしまった。
 
 そうやって悩んでいるうちに頭に浮かんだのが、いろいろな大学で私の講義を受けてくれた大学生たち、なかでも講義内容に反発するような感想を書いてくれた人たちのことだった。大学で認知症ケアについて取り上げると、こちらが戸惑うような強い調子で感想を寄せてくれる人がいる。たとえば、「認知症が進行した人には安楽死を認めるべきだ」と書いてくれる人が、どの大学のどの年度でも、必ず数人はいる。
 
 そんな彼らに私はちゃんと返事ができていたのだろうか。
 
 もちろん、特に認知症ケアに関わってきた人なら、「安楽死、なんて相手にする必要もない暴論だ」と思われるかもしれない。しかし私は彼らの感想に、彼ら自身の価値観の迷いや揺らぎを感じていた。
 
 「人に迷惑をかけては、一人前の人間ではない」
 「何かの役に立たなければ、生きていてはならない」
 
 20歳前後の彼らは、これこそが目指すべき一人前の人間なのだと考え(あるいは教えられ)、生きてきたのではないか。
 
 2016年にフリーアナウンサーが投稿した「自業自得の人工透析患者」を「殺せ」とするブログ記事(→関連記事)や、2018年に与党議員が寄稿し、性的少数者を評して「生産性がない」とした雑誌記事(→関連記事)は、彼らが囲まれてきた価値観の象徴のように思われる。
 
 「安楽死」という感想を書いてきた彼らもまた、そうした価値観に迷い、あるいは苦しんでいるように、私には思えた。1986年生まれの私と、2000年前後に生まれた彼らとの間は、ずいぶんと年齢も離れている。しかしそれでも、「自業自得」だ「生産性」だとやかましい社会の中で育っていく苦しみは、少しは共有しているつもりだ。
 
 だとすれば、その迷いを受け止めて、彼らにきちんとお返事する機会として、この連載を生かせないだろうか(この連載の位置づけについては、連載初回にあらためてお話したい)。「治らなくても大丈夫、といえる社会へ」というタイトルは、そんなことを考えてつけた。
 
 「病気を抱えていても、働けなくても、できないことが増えていっても、それでも大丈夫な社会の方が良いじゃないか」
 
 私は認知症ケアの研究をする中で、そんな社会を目指してきた人が数多くいることを学んできた。だから今度は、大学生世代の彼らに向かって、その話をしたい。「治らなくても大丈夫」という考え方が、若い彼らの救いになることを願っている。そして今度は彼らが、認知症の人に対して心から、「治らなくても大丈夫」と言ってくれることを、私は願っている。
 
 もちろん、大学生世代の彼らがこの連載を読んでくれるかはわからない。しかし、大学生世代に向けて書かれた認知症ケアに関する文章が、インターネット上にきちんと存在するということは、とてもよいことだと思う。
 
 だから私はこの連載を通じて、最後まで彼らに語りかけていきたい。
 
著者紹介
木下衆(きのした・しゅう) 大阪市立大学都市文化研究センター研究員、東京都健康長寿医療センター研究所非常勤研究員ほか。1986年、大阪市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。専門は医療社会学、家族社会学。著書に『家族はなぜ介護してしまうのか(仮題)』(世界思想社、2019(予定))、『最強の社会調査入門:これから質的調査をはじめる人のために』(ナカニシヤ出版、2016年(共編著))、『認知症の人の「想い」からつくるケア:在宅ケア・介護施設・療養型病院編』(インターメディカ、2017年(共著))。