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『人を知る法、待つことを知る正義』

 
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石田慎一郎 著
『人を知る法、待つことを知る正義 東アフリカ農村からの法人類学』

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はじめに
 
 いったん土俵を降りて待つこと、待つことで新しい自己理解、他者理解、そして現実理解が得られる可能性があることを、私はケニアの農村で学んだ。ここでいう待つこととは、相手にも自分にも即答即決を求めないことだが、何もせずにただ座して待つのではなく、まわりの環境が変化するなかで自分自身も成長すること。そして、頑なな自分だけの世界を解きほぐして新しい現実理解を手にするまでの道のりに身をゆだねてみることだ。そのような論点からはじめて、そしてここで予告する手法で、人間による正義の希求、法の探究とはいかなるものかについて考えてみることが本書の目的である。
 私は、二〇〇一年からケニア中央高地のイゲンベ地方で、またそれに先立つ一九九九年から二〇〇〇年にかけてはケニア西部グシイ地方で、草の根の紛争処理と地方裁判所での慣習法運用を観察し、法の役割そして裁判のあるべき姿を考える、そんな研究に取り組んできた。現地で紛争事例を観察すると、真剣に意見をぶつけあっている者どうしは、どちらも理にかなったことをいっているとわかる。どちらも自分が正しいと確信して真剣にぶつかりあっている。そのため、話しあいのなかでひとつの結論を導くことは難しい。
 当事者間で話しあったり、第三者の判断にゆだねたりの方法での解決が難しい問題が起こると、イゲンベの人びとはムーマという方法に訴える。すなわち、調停役の長老たちは、自分が正しいと主張して譲らない当事者に対して、潔白であれば無害だが、そうでなければ恐ろしい災いをもたらすはずの呪物を飲み下すことを求める。数日で呪物の効果が現れることもあるというが、数年あるいは数十年かかることもある。「効果が現れる」とは、じっさいに災いが生じること、正確にいうと自分の過ちのために災いが降りかかったと当事者の一方が理解し、自らの非を認めることである。あるいは、じっさいに災いが起こる以前に自らの過ちを認めることもある。いずれにしても、そのような告白の時点まで待たねばならない。イゲンベの人びとはそう考える。
 大きな病気や怪我をする。身内に不幸がある。大切にしているものがなくなる。イゲンベの人びとは、これらの災いには、誰かの過ちあるいは悪意によって引き起こされるものと、そうでないものとがあると説明する。人災と判断する場合、めだって多いのは自分の過ちに起因すると考えるケースで、そのような心当たりがなければ、誰のせいでもないか、あるいは隣人の過ちあるいは悪意による。ただし、不幸の原因を誰かの悪意によるものと決めつけて隣人を告発することは、他の選択肢ほど多くない。
 かつてムーマを引き受け、呪物を飲み込んだ者は、時間が経つ間に周囲の環境や自分自身をとりまく人間関係が変化し、自分自身も成長して、もともとの諍いについて新しい理解が得られるようになる。あのときは自分に、あるいは自分にも非があったと反省できるようになる。災いの連鎖を断たなければという恐怖心も働く。その末に、納得して自らの非を認める告白をする。そのような自発的告白を、私自身、滞在先の農村で何度か見聞きした。イゲンベ農村の人びとは、待つことで、いつの日か当事者の自己理解、他者理解、そして事実理解に変化が生じ、結果的に当事者自らの手で合意に辿りつく可能性にかけている。私がこの農村で見たのは、待つことを知る人びとの姿だった。
 
 本書第Ⅰ部は、待つことを知るイゲンベの人びとの解決方法について、他の比較事例との共通点に着目しながら、オルタナティブ・ジャスティスという/をめぐる本書固有の視点で考察する。そして、次に述べるようなリーガル・プルーラリズムの視点と対比する。リーガル・プルーラリズム論は、異なる背景を持つ複数の法の間の交渉を捉えるが、複数の法の混淆を観察することに留まらずに、そこへの入口─他者との接触─と、そこからの出口─新しい法の創造─とを、ともに議論する。それに対して、オルタナティブ・ジャスティス論は、そのような意味での出口に向かうことをいったん保留して、待つことの意義を考えるものだ。続く第Ⅱ部と第Ⅲ部は、いずれもリーガル・プルーラリズム論を深める。私の基本的立場は、オルタナティブ・ジャスティスとリーガル・プルーラリズムというこの二つの視点を総合する学問として法人類学を方向づけることである。
 本書は、第Ⅰ部から第Ⅲ部にかけて、それぞれ理論篇と事例研究篇の二つの論文を置いた。主たる論点はそれぞれの前半をなす理論篇において示すが、いずれも事例研究を通じて得られたものであり、かつ事例研究によって補強されるべきものである。
 第Ⅰ部後半の第二章は、待つことを知る正義あるいはムーマによる紛争処理の正しさと、それを補強するイゲンベ地方固有の社会的条件をめぐる民族誌的研究である。ムーマにもちいる呪物としての山羊肉には、それを飲み込む当事者にとっての義兄弟の唾液が滲みこんでいる。イゲンベの人びとは、ムーマの力は呪物の力に起因し、呪物の力は唾液を提供する義兄弟(イシアロ)の力に起因すると考える。第二章で論じるように、イシアロの力は、じっさいに唾液を提供する具体的個人の私的能力に由来するものではない。その個人が生まれ落ちた親族集団と、唾液の提供を受ける当事者の属する親族集団との間の相互的な─相互に恐れあう─義兄弟関係、その関係性自体に由来する。
 したがって、唾液を提供する具体的個人は、その力を自身の人格と結びつけて私物化してはならない。もっといえば、イシアロとして力を発揮する人物は、自分の人格を覆い隠さなければならない。第二章で述べる民族誌的あるいは人類学的発見は、イシアロ関係固有の平等主義(互いに恐れあうこと)と非人格性(個を覆い隠すこと)とがムーマの正しさを補強しているということである。このような平等主義と非人格性は、ムーマの正しさのみならず、一般に法の正しさを支えるものとして通用するはずだ。私はそう考えている。
 第Ⅱ部と第Ⅲ部の主題とするリーガル・プルーラリズムは、右で述べた意味での入口と出口を見極めるための法理論である。はっきりいっておくと、混淆状態を観察するだけでは法理論としての資格を持たない。本書第Ⅱ部は、他者を知る法理論としてのリーガル・プルーラリズムの研究において独自の貢献をした法人類学者・千葉正士の仕事を再評価する内容である。千葉の仕事は、他者を支配するための法理論を排除し、他者を知る法理論として、そして出口を語る理論としてリーガル・プルーラリズムを探究するものだった。
 千葉正士のリーガル・プルーラリズム研究は、彼自身の戦時経験を起点として理解しなければならない面がある。だが、そのような個人史的文脈は他書にゆだね、本書第Ⅱ部は、前半の第三章において、純粋に法理論の点から千葉のリーガル・プルーラリズム論を再考する。とくに千葉が提示した三つのダイコトミー論を、リーガル・プルーラリズムの入口を観察するツールとして位置づけること、彼がいうところのアイデンティティ法原理を、新たな法創造を導く価値指向性を意味するものと受けとめて、リーガル・プルーラリズムの出口を議論すること、である。加えて主要概念である法主体・固有法・法文化の意味を再考し、新しい展開可能性を考える。とくに人間的法主体(法を使う個人)と社会的法主体(固有の法を抱く社会)とを架橋する、第三の法主体としての裁判官の役割について考えることである。
 ケニアは、近隣諸国と同様に、国内各民族の慣習法を国家法の法源のひとつとして公認してきた。事実上、家族法と相続法の領分に限られるが、慣習法の内容を根拠とする訴えが国の裁判所で受理されている。慣習法の具体的内容を把握するうえで拠り所となるのが、植民地時代のアフリカ法成文化事業の成果刊行物『成文アフリカ法』だ。ケニアの裁判所では、これが事実上の慣習法典として扱われている。
 第Ⅱ部後半の第四章で分析するイゲンベ地方の裁判所における婚資の未払をめぐる民事訴訟では、『成文アフリカ法』が示すところの婚資の「標準額」を支払うよう命じる判決が導かれるようになった。アフリカ法成文化事業がイギリス人法律家主導で植民地時代に始まったことなどから、植民地時代の遺制を引き継ぐものとみてこれを批判することは可能だ。また、人びとの日常生活のなかで育まれる慣習法を箇条書き形式で、しかもイギリス法の概念を使って抽出することはできないという視点から批判することもできる。
 第Ⅱ部第四章は、右のような批判とは異なる視点から『成文アフリカ法』のむしろポジティブな役割について議論する。ひとことでいえば、これが慣習法の内容─婚資の「標準額」─について明確な基準を示すことで、裁判官の恣意的な判断を排除し、法の普遍的適用に寄与するもの、法の確定性に寄与するものと考えられるからだ。もちろんのこと、これは法を機械的に適用することや現時点での『成文アフリカ法』の内容に留まることを是とする論でない。判決を通じて新しい法の創造を導く裁判官は、社会を記述し、地域固有の法に声を与える人類学的発見を必要としている。私は、そのような発見を提示し、法創造の現場に寄与することも法人類学の役割のひとつだと考えている。
 だが、東アフリカにおける法の探究は、リーガル・プルーラリズムにおける入口と出口の探究という点からみれば、右の論点に尽きるものではない。本書第Ⅲ部は、人を知る法としての身分契約に着目し、関連する現代ケニアの裁判事例を分析するが、そこではさまざまな法の呼び込みを促す、形式主義と反形式主義との間の深い次元でのコンフリクトが姿を現している。そうしたなかでの積極的な法の探究、あるいは法の確定性の探究は、法の複雑性を高め、結果的に法の不確定性を生み出すという逆説を伴う。本書第Ⅲ部の事例は、リーガル・プルーラリズムの入口と出口の両相において、第Ⅱ部の事例よりもはるかに複雑な課題を含んでいる。
 他者を知る法としてのリーガル・プルーラリズムは、植民地状況やグローバル化といった時代背景を持つ在来知と外来知との対立としてのみ現れるものではなく、どの時代のどの地域の法にも備わるであろう、一般化指向の形式主義とそれに抗する文脈化指向の反形式主義との対立を土台とする場合がある。ここでは、在来知が形式主義と結びつく場合も、反形式主義と結びつく場合もあるという視点が重要で、これは千葉が三つのダイコトミーという三次元的な枠組をもちいて論証しようとしたことである。
 第Ⅲ部前半の第五章は、形式主義と反形式主義の対立を、身分契約の本来的属性として理論的に把握する。婚姻に代表される身分契約は、法学者のうちで「特殊な契約」として位置づけられている。だが、本書はこのような意味での特殊性を自明視しない。ここでのねらいは、モノの法から人の法を引き剥がす目的契約と、純粋に人の法としての身分契約とを対置したマックス・ウェーバーの契約論を題材に、単発的契約/関係的契約、契約自由の原則/義務的贈答の道徳といった形式主義/反形式主義の対概念を、目的契約のみの問題とみなすべきではない点、身分契約それ自体のうちに形式主義/反形式主義の対立が含まれる点を確かめることである。法を通じて人間を理解することは、この二項対立において考えることを伴うのだ。
 私がもともとこのような身分契約論に立ちいったのは、一九世紀末から二〇世紀初頭に記録されたイゲンベ地方ならびにアフリカ大陸各地の血盟兄弟分の実例に関する研究を通じてである。だが、血盟兄弟分に関する一次史料は自らそれを体験した白人探検家による武勇伝の類が多くを占めていることもあって、現在時点からの再検証が難しい。本書は第五章であらためて血盟兄弟分に言及するが、同様の理論的考察が可能な婚姻を主たる題材に考察を深める。
 第Ⅲ部後半の第六章は、グシイ地方の裁判所の民事訴訟を題材とするが、ここで扱う裁判もまた、イゲンベ地方の事例を分析した第四章と同様に、すべて慣習婚の成立要件としての婚資とその未払を問題化するものである。いいかえると、それは身分契約におけるモノのやりとりをいかに文脈化し、人の法あるいは人を知る法としての本来の姿をどのように理解するのかということである。前述のとおり、リーガル・プルーラリズムの出口を求める困難は、イゲンベの事例よりもグシイの事例において顕著である。
 本書におけるグシイの事例(第六章)がイゲンベの事例(第四章)と異なるのは、前者において当事者たちがそれぞれの意見表明に多種多様な法を呼び込み、法的争点を目に見えるかたちで浮き彫りにしたことである。婚姻の形式主義的解釈に対抗する他方の当事者は、婚資の支払(慣習婚の場合)や婚姻届の提出(法律婚の場合)がなされていなくても、夫婦としての生活実体や周囲からの認知があることを根拠に、婚姻関係の存在を認めるべきだと主張する。このように主張する当事者のなかには、「婚姻の推定」を認めたイギリスの判例を引いて形式主義的解釈に対抗する者もいた。その場合、対立軸は、在来知(慣習法)に結びついた形式主義と、外来知(イギリスのコモンロー)に結びついた反形式主義との間にある。
 事実上の慣習法典にあたる前述の『成文アフリカ法』は、グシイの場合もイゲンベの場合も、婚資の支払を婚姻の成立要件と位置づけている。そして、それを根拠に人の法をモノの法に還元するかのような婚姻の形式主義的定義が一方の当事者の主張表明を支えている。たとえば、婚姻関係を継続する以上は未払分の婚資をただちに支払えという主張、婚資が未払なので婚姻関係は存在しないとする主張などである。こうした主張は、法を形式的に解釈することによって導かれ、法的には正しいが、道徳的に正しいとはいえない。家畜・現金などからなる婚資は、姻族両家の関係を育むためのアイテムであり、いちどに全額完済するよりは長期にわたる両家関係のなかで少しずつ手渡されるものだ。畏怖すべき相手としての姻族に対して裁判に訴えてまで婚資を要求することは、支払わないことと同じく、あるいはそれ以上に、良好な関係を損なう。
 道徳的にみて正しくない主張を退ける結論が、判決理由の妥当性を見極める以前にすでに裁判人(官)たちの脳裏にあったことだろう。裁判人(官)は、第六章で記述する三つの事例のいずれにおいても、婚資未払を根拠に配偶者を排除しようとする側の目論見を認めなかった。だが、婚姻の成立要件をめぐって形式主義的な立場から主張する当事者と、それに対抗する当事者との双方が呼び込む複数の法の間で、法の普遍的適用を期待される裁判所の判断は揺れ動いていた。
 人間は法を希求する。第Ⅳ部は、この視点から、第Ⅰ部から第Ⅲ部までの議論を総括しながら、そしてこれまでの研究をふまえ、法人類学という学問の針路について議論する。法の背後に国家の権力を読み解くことは誤りではないが、それは単純な理解だ。法は、たしかに政治的強者にとって支配の手段になりうるが、強者は法によらずとも支配の手段を備えている。他方、弱者にとって、法は目的実現のための貴重な手段となる。これまでの法人類学は、現実の政治プロセスあるいは関係者の交渉過程において動員される法の姿、またそのようなプロセスに働く力関係を、地域的・歴史的文脈のなかで記述する研究に厚い蓄積があった。そのような法の理解はそれ自体誤ったものではない。だが、そのような法の理解には重要な問いが欠落している。人間はなぜ政治を超越するものとしての法を希求するのか、である。
 正しさはひとつではない。にもかかわらず/だからこそ、人間は法を希求する。一般化指向の形式主義とそれに抗する文脈化指向の反形式主義との対立、いわば抽象と具体との対立のためか、一人ひとりの個人のあまりにも多様な営みのためか、あるいは正しさをめぐる力のためか。法はそれぞれの世界あるいは社会を語る不純で困難な、しかし必要な筋書きである。人間が集うだけでは、この意味での社会は自然発生しないし、社会を記述する筋書きとしての法もまたひとりでには生まれない[14]。その意味での法の発見は、人を知るために人類学的発見を、自他を知るために待つことを、そして社会を語る、政治的人間としての第三の法主体を必要とする。
 第Ⅳ部後半の第八章は、近年の法人類学研究の成果をふまえつつ、同時に法社会学者フィリップ・ノネとフィリップ・セルズニックがいうところの「応答的法」あるいは社会人類学者マックス・グラックマンがいうところの法における確定性と不確定性の逆パラドクス説─法は不確定性を内包することで高次元の確定性と普遍的適用を維持することが可能となるとする逆説─などの古典的ともいえる議論に立ちかえる。これらには、政治に抗する法が「政治的人間」を必要とするという、もうひとつの逆説が含まれている。本書最後の論点は、人間が希求し、導く法は、どこまでも不確実で不完全なドグマだということ、そして、それを否定することも、拒否することもできないこと、である。そして/それゆえに、そのような逆説を伴う法の探究には、待つことを知る正義が同時に求められるということ、である。
 本書の目的をくりかえしていえば、人間による正義の希求、法の探究とはいかなるものかを、東アフリカの文脈で考えることだ。手がかりは、待つことを知るイゲンベ農村の人びとの営みであり、多種多様な法を呼び込むグシイ農村の当事者たちの訴えであり、千葉正士という一研究者がみた他者を知る法の世界であり、たしかな声でささやく人類学的発見である。
 
 
あとがき
 
 私はいわゆる団塊ジュニア世代で、なにかと時代のせいにしてきた。見えない相手との競争を折々に経験し、勝っても負けても相手が見えず、目標達成できれば心穏やかにひとり満足してきた。イゲンベの人びとは、そのような自己完結を危険視している。
 二〇一六年、調査地イゲンベ地方のある集落で、立て続けに災いが生じた。集落のなかに危険な呪物を所持している者がいる、というのが人びとの見立てだった。長老たちは宣言した。心当たりのある者は、期日までに呪物を引き渡すべし。さもなければ呪詛の標的となる、と。すると、期日までに、自らの意思で「呪物」を持参した者たちがいた。そのうち三〇代前半の男は、家具製作で生計を立てている。彼が引き渡した「呪物」は、幸運をもたらすというネックレスで、商売繁盛を祈念して町で買ったものだ。彼曰く、身に着けてから多くの客を獲得できた。だが、それは同業者から客を奪ったことの裏返しだ。そう考えて恐ろしくなった。彼は、長老たちの宣言を聞き、ネックレスを手放すことにした。予定された呪詛は実施された。危険な呪物を隠し持つ者が、ほかにも潜んでいるはずだからだ。
 イゲンベ地方の人びとは、目の前の相手にも、見えない他人にも、そして自分自身にも内省を求める。感情にまかせて目の前の相手を非難することもあるが、それでは根本的解決に至らない。誰しも自ら反省し、自己を他者に開くときが必ずやってくる。そう確信しているようだ。私自身、調査地で自分本位のふるまいを晒してきたが、誰も面と向かって私を非難したことがない。人びとは、そのとき─私が真に内省するとき─まで待っているのか。
 呪術師ルコイは、内省し、生まれかわろうとする人間の姿を幾度も目にしてきた。彼が呪った名の知れぬ標的が、ほどなくして名乗り出て、自らの非を認め、呪いを解くよう懇願する様を目にしてきた。手遅れで命を落とした者がいることも知っている。
 先日、呪いが的中し、いよいよ盗みの罪を告白した男の治療に出かけるルコイに同伴する機会を得た。二〇一九年八月一〇日、その男は小刻みに震えていた。私は、いまも呪物や呪詛の力を信じてはいない。だが、この男の心身に生じた異変と恐怖心は現実のものだった。
 社会を育むうえで、そして法を育むうえで真に必要なのは、自己を他者にぶつける討論よりも、自己を他者に開く態度としての待つこと、そして内省である。そう考えることを私はイゲンベの農村で学びつつある。つまりこれは時期尚早かもしれない。私は、現時点で理解することを一書にまとめるタイミングが来たと、ただ自分勝手に承知している。
 本書は、文化人類学・法社会学・地域研究(アフリカとオセアニア)の世界で出会った師・先輩・学友、勤務先の同僚、国内外の友人、そして家族からの助言と支援を得て進めた研究成果の一部である。科学研究費補助金、大阪大学グローバルCOEプログラムの研究助成、首都大学東京の研究費、国立民族学博物館・中央大学・関西大学・成蹊大学・日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター・ケニア国立博物館からの有形無形の支援、そして本書各章のもとになった原稿に数々の助言を賜り、本書への転載をお認めくださった編者の先生方と出版社の厚意で可能となったものである。刊行にあたっては、長谷川貴陽史先生と勁草書房の鈴木クニエさんのお力添えを得た。そして、すべては自分の身勝手を重ねて進めた研究の成果である。
 末筆ながら、私の師匠である松園万亀雄先生と棚橋訓先生、そして両親・妻子に最大限の謝辞を述べたい。慶應義塾大学民族学考古学研究室に、東京都立大学・首都大学東京社会人類学研究室に、そしてイゲンベ地方に、身を置いて学ぶことができた/できている、この恵まれた境涯に感謝している。
 私は、授かったもののうちわずかしか気づいておらず、しかも不正確に理解してしまっているはずだ。いつそのときがやってくるか、いまはわからずにいる。
 
二〇一九年八月一九日 イゲンベ地方マウア町にて
石田慎一郎
 
※傍点と注は省略しました。pdfファイルにてご覧ください。
 
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