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『憲法解釈権力』

 
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蟻川恒正 著
『憲法解釈権力』

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 二〇一九年五月一日、「即位後朝見の儀」と称された儀式で、新たにその地位に就いた天皇は、「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。」と述べた。この言葉を、一九八九年一月九日の同じ儀式で、先代の天皇の逝去を受けてその地位に就いた当時の天皇が述べた言葉、「いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません。」と比較する。
 識者の注目を集めたのは、一九八九年の儀式において「日本国憲法を守り」であった憲法遵守に関する表現が、二〇一九年の儀式においては「憲法にのっとり」に変わった点であった。
 「日本国憲法を守る」と「憲法にのっとる」とで、基本的意味に違いはない。目的語をより特定的に表記し(「日本国憲法」)、対象へのcommitment をより強く含むと目される動詞(「守る」)を用いた一九八九年の儀式での表現に、憲法遵守を主体的に引き受ける天皇の意思をより強く感じたという人がいる一方、そうした違いは読みとれないと感じる人もいる。
 ここで最低限留意しておかなければならないことは、天皇は憲法上国政に関する発言を極力慎むべき立場にあり、国事行為として行われる儀式の本質的要素をなす天皇の発言の内容は、文面の原案に天皇自身の意向がどれだけ反映していようとも、内閣の助言と承認をもって決定されるものであり、その発言は、法的には、天皇による意思の発露としてではなく、天皇の在り方についての内閣によるメッセージ(government speech)として受けとる必要があるということである。
 そのことを確認した上でいえば、「日本国憲法を守る」と「憲法にのっとる」との違い以上に私の関心を引くのは、一九八九年の儀式では語られながら二〇一九年の儀式では語られなかったある言葉である。それは、「皆さんとともに日本国憲法を守り」の、「皆さんとともに」である。
 ここにいう「皆さん」とは、誰を指すのであろうか。一つの答え方は、国民を指すというものである。だが、天皇が憲法尊重擁護義務を課せられた存在であるのに対し、国民は同義務の名宛人ではない。天皇が国民とともに憲法尊重擁護義務を負うというのは背理である。
 もう一つの答え方は、「皆さん」が、前記の儀式に参列した公権力担当者を指すというものである。前記儀式の参列者は、内閣総理大臣・国務大臣などの行政権担当者、衆参各議院の議長・衆参各議院副議長・事務総長などの立法権担当者、最高裁判所長官・判事、高等裁判所長官・最高裁判所事務総長といった司法権担当者、その他都道府県知事の代表及び都道府県議会の代表、市長の代表及び市議会の代表、町村長の代表及び町村議会の代表等の者である。これらの者は、いずれも憲法尊重擁護義務を課せられた公権力担当者である。一九八九年の儀式で述べられた「皆さん」の語が、これらの公権力担当者を指すと解せば、「皆さんとともに」は筋が通る。
 それならば、一九八九年の儀式において天皇が憲法を遵守する旨を発言する脈絡で用いられた「皆さんとともに」という文言が、二〇一九年の同じ儀式においては用いられなかった事実は何を意味するのであろうか。
 何も意味しないという理解も成り立たないわけではない。前記儀式は、天皇がその就任に当たって、内閣が確定した天皇の在り方についてのメッセージを述べる場であるから、天皇が憲法を遵守する旨を自らの発言を通じて表明することが儀式の構造の中核であり、天皇ではない誰かが憲法を遵守するかしないかは当該儀式の構造とは差し当たり関係がない。そうである以上、「皆さんとともに」という文言を天皇に述べさせないことにしたとしても、それは単に発言の簡素化であって、そこに特段の意味を読み込む余地はないという理解である。
 けれども、たかだか七文字(「皆さんとともに」)の削減で、どれだけの簡素化になるだろうか。そうだとすれば、国事行為としてなされる儀式の本質的要素である天皇の発言の内容に関しては先例に従うとするのが、このような場合の通例の対応であるはずである。政府は、二〇一八年三月三一日、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典の挙行に係る基本方針」を策定して、「平成の御代替わりに伴い行われた式典は、現行憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたものであることから、今回の各式典についても、基本的な考え方や内容は踏襲されるべきものである」と定めている。
 それにもかかわらず、内閣が、一九八九年の儀式では用いた「皆さんとともに」の文言を二〇一九年の儀式では用いなかったのだとすれば、その事実は、何事かを暗示せずにはいない。儀式の構造とは関係がないかに見えるこのたった七文字が、二〇一九年五月一日にこの国の行政権を担当していた内閣にとって、除去しなければならない不発弾であった可能性が、そこには暗示されているのである。
 「日本国憲法を守る」と「憲法にのっとる」が、いずれにせよ天皇が憲法を遵守することについての言明であるのに対し、「皆さんとともに」は、天皇以外の公権力担当者が憲法を遵守することについての言明である。
 天皇が憲法を遵守する旨の発言に識者が注意を向けている裏で、二〇一九年の儀式を取り仕切った内閣は、最も重要な先例として「踏襲されるべき」先代の天皇の発言から、内閣総理大臣自身を含め、行政権・立法権・司法権を担う最高責任者たちが憲法を遵守する旨の発言を綺麗に抜き去っていたのである。
 この削除が、この内閣の何らかの政治的志向性の存否もしくは法的廉直性の欠如を反映したものであるか否かは、これだけでは確言できない。読者には、この問いに答えるための基礎作業を積み重ねる行程を、本書を通読することを通して、私とともに辿ることが期待される。
 もとより、これは、ほんの一例である。公権力担当者によって産み出される広義のテクストの細部から、公権力担当者が憲法を遵守することについてのあらゆる痕跡を採取し、そのひとつひとつを一旦文脈から引き剥がし、しかるべき分析手続を経由した上で再び文脈と接合させることによって、公権力担当者一般やそれぞれの職種の公権力担当者にとっての憲法遵守の型を再構成し、以て国政が憲法に従って運営されることを公権力担当者の法解釈行動の次元で確保するための理論モデルを獲得することが、本書の設定した課題であった。
 課題は巨大であり、本書を構成する諸論稿がこの課題にはたして十分向き合いえたといえるかは覚束ないといわなければならない。本書が行いえたのは、課題全体に対する関係では極めて限定された視角からの考察にすぎない。その視角とは、公権力担当者が憲法を遵守するとはどのようなことであるかを──憲法への拘束の受動性(従属性)と能動性(従属性の主体的引き受け)との固有の結びつきの構造において──究明することであり、憲法を解釈するという営為がこの構造をどのような仕方で内面的に支えているかを究明することである。
 本書が成るに当たっては、勁草書房の編集者・鈴木クニエさんに一方ならぬお世話になった。私が本書の構想を得てから、この序を書くまでには、優に十年の歳月を閲している。そのはじめの頃から本書の刊行を約束していただきながら、あと一本、いや、もう一本と、収録すべき論稿を私が追加していくうち、これだけの時間が経過してしまった。その間鈴木さんは私を叱咤し続けてくださった。深甚なる謝意を表する。
 
二〇一九年一二月
蟻川恒正
 
 
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