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あとがきたちよみ
『農産物貿易交渉の政治経済学』

 
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三浦秀之 著
『農産物貿易交渉の政治経済学 貿易自由化をめぐる政策過程』

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あとがき
 
 本書は,2011 年6 月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係学専攻に提出した博士学位取得論文「農産物貿易自由化交渉における日本の対応」をもとにして,それに補筆したものである。本書を上梓するにあたり,最初に,お二人の先生に感謝の気持ちをお伝えしたい。まず,私が大学院に進学してから修士課程及び博士課程と一貫してご指導いただいた浦田秀次郎先生に心から感謝を申し上げたい。国際的に飛び回りながらも直向きに研究に取り組まれる浦田先生の姿勢は,私にとってロールモデルであり,またその先生の温かな研究指導がなければ本書はなかったであろう。本書を出版するにあたり,お忙しい中,多くのコメントを寄せてくださるばかりか,勁草書房をご紹介,ご推薦してくださった。感謝を申し上げたいもう一人の恩師が,シンガポール国立大学から早稲田大学に赴任され,私をゼミ生として受け入れてくださった寺田貴先生(現,同志社大学)である。多忙極める中,研究の方向性,考え方など一緒に練り上げてくださり,熱意に満ちたご指導をいただいた。日本の貿易政策における国際経済学と国際政治経済学を牽引されてきた二人の素晴らしい指導教授を得ることができた私は,本当に恵まれていた。
 本研究を貫いた目的の一つは,貿易交渉において,日本がいかにして,コメを含む農産物を保護してきたのかという問題意識を明らかにすることであった。日本は,貿易交渉における農産物の扱いにおいて,単に,自由化に反対を唱えるだけでなく,交渉担当者をはじめとする諸アクターが戦略的に対応したことによって,コメを中心とする農産物の保護を実現していた。そこから得られるインプリケーションは,貿易交渉において交渉担当者が用いる交渉戦略が,相手国の選好を変える可能性を示唆できるというものである。換言すると,戦略的交渉によって,国内の一部アクターが望む形で交渉を合意することができるということであろう。しかし,農産物の保護という結末が,日本の国益や国際社会の利益に長期的観点で適うものなのかについては,改めて検討する必要がある。本書の位置づけが農産物の保護を正当化するためのものではないということは確認しておきたい。
 美しい田んぼが広がる宮城県石巻市(旧桃生郡河北町)の本家の長男として生まれ,国際政治学者の父,農協組合長と政治家を務めた祖父を持つ筆者が,このテーマに興味関心を抱いたことは自然な成り行きであったかもしれない。実家の前には,当たり前のように農産物貿易自由化に反対を示す看板が立っていたが,幼い頃より「なぜ自由化を反対するのか?」,「なぜ農業従事者は豊かさを享受できないのか?」強く疑問を抱いていた。しかし,疑問に思うだけでは,当然のことながら答えが見つかるわけもなく,いつしか私の博士論文における問題意識となった。予想されていたことだが,博士論文の執筆は困難を極めた。何とか書き上げ,大学院事務局に提出できたのは,2011 年3 月11 日に発生した東日本大震災によって故郷の風景が一変する直前であった。学位取得の喜びも束の間,郷里の惨憺たる光景を目の当たりにし,少しでも郷土の復興に貢献したいという思いが募り,東京と宮城との行き来が始まった。それを言い訳とするわけではないが,出版計画を具現化するまでにしばらく時間がかかってしまった。大学院在学中に始まったTPP 交渉過程を本書の一章に加えたいという思いもあった。なんとか博士論文を書き上げ,本書の刊行まで辿り着くことができたのは,何よりも多くの幸運な出会いに恵まれたからである。
 私が国際関係学に学術的関心を抱いた背景の一つに,2001 年9 月11 日に米国で発生した同時多発テロ事件による影響が大きかった。事件が起きる1 年前まで,米国カリフォルニア州の高校で留学生活を送っていた私は,運よく,南カリフォルニア大学国際関係学部で教鞭を執られていた故ピーター・バートン先生にお会いする機会に恵まれ,図々しくも足繁くビバリーヒルズにある先生のお宅を訪問しては,さまざまな国際的事象を高校生の私にわかりやすいよう教えていただいた。1 年間の留学を経て日本の高校に復学したものの,米国で勉強をしたいという思いは日に日に強くなり,米国ワシントンDC にある大学に進学をすることを決めた。テロが起きたのは米国の大学に向かう矢先の出来事であった。両親から危険性を諭され米国留学を諦めざるをえなかったが,幸運にも,米国の大学受験のために受けたテスト(TOEFL やSAT)をそのまま併用して,国際色豊かな上智大学比較文化学部(現,国際教養学部)に進学することができた。政治学の中野晃一先生の明快な講義はとても刺激的であった。こうした中で,私が国際政治経済学を研究したいと思った契機が,非常勤講師として赴任されたばかりの杉之原真子先生(現,フェリス女学院大学)との出会いであった。国際政治経済学の論文を輪読し議論するゼミナール形式であったが,少人数で杉之原先生を独占できたことは大変幸せな時間であった。貿易政策を研究したいと考えていた筆者に浦田先生のお名前を教えてくださったのは杉之原先生であった。
 浦田先生と寺田先生から多大な学恩を受けたことは前述のとおりであるが,浦田ゼミと寺田ゼミには世界中から優秀な人材が集まり,多くの仲間に恵まれた。その多くは現在,各国の大学,政府,国際機関などに勤務している。共に切磋琢磨し合った浦田・寺田門下たちからは,研究面もさることながら,さまざまな私的な相談に乗ってもらった。心から御礼申し上げたい。また,在学中には,寺田先生のお力添えにより,地域統合研究で有名な英国ウォーリック大学で研究生活を送ることができた。受け入れに尽力してくださった,クリス・ヒューズ先生をはじめ,リチャード・ヒゴット,ショーン・ブレスリンなどの各先生方と自由闊達な議論ができたことは楽しいひと時であった。
 また,同時期にアジア開発銀行研究所にて研究員をする機会に恵まれた。マリオ・ランベルト,ワラポット・マニュピパットポン,氏家輝雄などの各氏には,本研究を進めるにあたり多くの鍵を握る方々をご紹介いただいた。また客員研究員として在籍されていた伊藤宏之先生(米国ポートランド州立大学)と出会えたのもこの場所であった。伊藤先生は日々𠮟咤激励してくださり,今でも兄のように親身に相談に乗ってくださる。多様な研究会が開催される同研究所では多くの出会いがあった。その中で最も印象的な出会いは,USTR 代表と農務長官を務めた故クレイトン・ヤイター氏とUSTR 法務官を務めたウォーレン・マルヤマ氏(現,ホーガンロヴェルズ法律事務所)との出会いだ。来日したヤイター氏がタクシーに財布を忘れ,探し届けたことをきっかけに氏との交流が始まった。そんな小さなきっかけであったが,私がワシントンDC に行くと必ずご飯をご馳走してくださった。氏の孫自慢が多くの話題であり,そこにはタフネゴシエイターとしての面影はなくジェントルマンであった。その役割を今はマルヤマ氏が引き継いでくれている。
 その後,早稲田大学アジア太平洋研究センターの助手として関わらせていただいたグローバルCOE「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点(GIARI)」では,天児慧,篠原初枝,植木千加子,赤羽恒雄,黒田一雄,深川由紀子,勝間靖,松岡俊二,青山瑠妙,白木三秀,横田一彦,平川幸子,上久保誠人(現,立命館大学),本多美樹(現,法政大学),スティーブン・R・ナギー(現,国際基督教大学)など多くの先生方からご指導をいただくことができた。濃厚なディスカッションが繰り広げられる定例会や研究会が楽しみで仕方なかった。寺田先生,植木先生,横田先生とベトナムの学会に同伴させていただいたことはとても良き思い出である。また,早稲田大学アジア太平洋研究センターの研究室で席を並べさせていただいた,勝間田弘(現,東北大学),堀内賢志(現,静岡県立大学),金ゼンマ(現,明治大学),三牧聖子(現,高崎経済大学),神田豊隆(現,新潟大学),小野真由美(現,ノートルダム清心女子大学),クリス・ウィルス(現,ドイツ国際地域研究所)の各先生方からは,日々同じ部屋でお会いする中で重要な視座をたくさんいただいた。特に勝間田先生と金先生からは,多くのご助言を賜った。今でもこれらの方々と学会などでお会いすると当時に戻るような気持ちになり,この出会いは私にとって生涯の宝である。同時期に,東海大学の貴家勝宏,野口和彦(現,群馬県立女子大学)両先生から惜しみない数々のご指導を賜った。
 博士学位を取得した次の年に杏林大学総合政策学部に職を得ることできたことは,私にとって幸運なことであった。特に,総合政策学部には,国際経済を研究する馬田啓一,小野田欣也,西孝,久野新(現,亜細亜大学)などの各先生方がいらっしゃるとともに,国際政治あるいは地域研究を研究する渡辺剛,劉迪,島村直幸,松井孝太などの先生方がおり,研究をする場としては最高の環境であった。馬田先生の研究に対する熱心な姿勢は特筆すべきものがあり,多くの貴重なアドバイスをいただくだけでなく,たくさんの執筆の機会をいただいた。それぞれの先生方に,この場を借りて心から御礼申し上げたい。
 早稲田を離れた後も,浦田先生からは研究をご一緒させていただく機会をいただいた。特に,経団連21 世紀政策研究所や日本国際問題研究所における研究会では,安藤光代(慶應義塾大学),伊藤元重(東京大学),石川幸一(亜細亜大学),石戸光(千葉大学),江原規由(国際貿易投資研究所),川崎研一(政策研究大学院大学),木村福成(慶應義塾大学),清水一史(九州大学),中川淳司(東京大学),渡邊頼純(関西国際大学)などの貿易政策を研究される第一線の先生方とご一緒させていただき,本書の内容を錬磨していくうえで,不可欠なものであった。多くの先生方とは,その後も国際貿易投資研究所で定期的に開催される研究会などで温かく接していただいた。研究会では,湯澤三郎(国際貿易投資研究所),高橋俊樹(国際貿易投資研究所),山下一仁(キャノングローバル戦略研究所),助川成也(国士舘大学)などの先生方から大変貴重なお話を伺うことができた。
 研究遂行にあたり,多くの政策担当者にも教えを請うことができた。特に,作山巧先生には何と御礼を申し上げたらよいのであろうか。農林水産省にお勤めの際に筆者のインタビューにお答えいただき,その後明治大学に移られてから,私の無理なご相談を快くお引き受け下さり,本書執筆にあたり詳細なご助言を賜った。本書は多くの在外研究者からも知的刺激を受けて生まれた。もちろんそれも浦田先生と寺田先生のご紹介がなければ叶わなかった関係性であろう。特に,ミレヤ・ソリース(米国ブルッキングス研究所),片田さおり(南カリフォルニア大学),シロー・アームストロング(オーストラリア国立大学)などの先生方は筆者が訪問した際に温かく迎えてくださった。また,InternationalStudies Association などの場において,ヴィノド・アガクル(カリフォルニア大学バークレー校),ジョン・レイベンヒル(オーストラリア国立大学),T. J. ペンペル(カリフォルニア大学バークレー校),ステファン・ハガード(カリフォルニア大学サンディエゴ校)などの先生方にたびたびお世話になった。記して御礼申し上げたい。
 さらに,浦田先生にご推薦いただき日本国際問題研究所の若手客員研究員を務めさせていただいた。これを何より喜んでくれたのが,日本国際問題研究所初代所長である神川彦松先生から薫陶を受けた父であった。これがきっかけで,国際交流基金が主催する米国に若手研究者を派遣するKAKEHASHI プロジェクトに参加する機会を得た。宮田智之(帝京大学),齊藤孝祐(横浜国立大学),野添文彬(沖縄国際大学),桑島浩彰(カリフォルニア大学バークレー校),柳田健介(日本国際問題研究所)らの若手研究者と一週間ワシントンDC に滞在した。献身的なコーディネータを務めてくださった国際交流基金の瀧田あゆみ氏にもあらためて感謝申し上げたい。これらメンバーと寝食を共にできたことは望外の喜びである。KAKEHASHI プロジェクトにご一緒した齊藤先生からは,礪波亜希先生(筑波大学)が対内直接投資を研究する会を始めるということで誘っていただいた。初めての研究会ということもあり,緊張した面持ちで向かった電車の席の隣には,私に国際政治経済学の面白さを導いてくださった杉之原先生がいらっしゃった。しかも杉之原先生も同研究会に参加されるという。大変不思議なご縁である。同研究会参加者は子育てに勤しむ若手研究者という特徴があり,大変有難い関係が続いている。研究会メンバーで参加した日本政治学会と日本国際政治学会では貴重なコメントをいただいた。特に司会を務めてくださった小川裕子(東海大学),コメンテーターを務めてくださった古城佳子(東京大学),貴重な意見をくださった信田智人(国際大学),椛島洋美(横浜国立大学),鈴木一敏(上智大学),岡本次郎(下関市立大学),クリスティーナ・デイビス(ハーバード大学)などの各先生方には深く感謝している。
 このように多くの方々から多大なご支援をいただくことによって本書を刊行することができるわけであるが,本書の刊行に際しては,杏林大学大学院国際協力研究科の出版助成を受けた。特に,田中信弘,大川昌利,北島勉などの各先生に深く感謝申し上げたい。そして,出版を快く引き受けてくださり,尽力してくださったのが勁草書房取締役編集部長の宮本詳三氏である。数多くの書籍を世に送り出されてきた宮本氏は,まだ駆け出しの人間を刊行まで一から導いてくださった。記して謝意を表したい。
 最後に私事で恐縮だが,父信行と母和子と二人の姉は,我儘な末っ子長男の私にずっと寛容に接し,見守り続けてくれた。父方母方の叔母,従兄姉たちは,震災を経た苦しい中にもかかわらず私を𠮟咤激励し続けてくれた。結婚してからというものまともに一緒に過ごす時間をとれてない私を,妻るりと双子の娘きこ・りこは笑顔で支え続けてくれた。言い尽くせない感謝を込めて,本書を私の最愛の家族たちに捧げることをお許し願いたい。
 
令和2 年7 月 代沢の書斎にて 
三浦 秀之
 
 
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