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『共感覚 [シリーズ統合的認知]』

 
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浅野倫子・横澤一彦 著
『共感覚 [シリーズ統合的認知] 統合の多様性』

「はじめに」「第3章 日本人の色字共感覚(抜粋)」(pdfファイルへのリンク)〉
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はじめに
 
 「共感覚とは何か」。明快に答えるのは難しい。最も大まかな定義を与えるとすれば,共感覚とは,「ある感覚や認知的処理を引き起こすような情報(刺激)の入力により,一般的に喚起される感覚や認知処理に加えて,他の感覚や認知処理も喚起される現象」である。なお,共感覚を持つのは一般人口の一部の人だけに限られる(そのような人々は「共感覚者」と呼ばれる)。また,共感覚にはさまざまな種類がある。
 まずは読者の方々に感覚的に雰囲気を掴んでいただくため,現在の科学的研究の文脈で「共感覚」として扱われているものの例をいくつか挙げてみよう。共感覚の一種,「色字(しきじ)共感覚」を持つ人(色字共感覚者)は,1 つ1つの文字に特定の色を感じる。たとえばある色字共感覚者は,黒色で書かれた「共」という文字を見ると薄黄色の印象を覚える。このとき,その色字共感覚者は,目の前にあるのが物理的には黒色で書かれた「共」という文字であることは認識し,問題なく文字として読んだ上で,文字の付近または頭の中に薄黄色が広がるように感じるのである。「色聴(しきちょう)共感覚」を持つ人は,音楽や人の声,物音を聴くと色を感じる。「サックスの音を聴くと,目の前に青い帯状のものが流れていくように感じる」など,色は形や動きを伴うことも多い。「空間系列共感覚」の一種である「数型(すうけい)共感覚」を持つ人は,「0 から10 は時計回りに環状に並び,11 から先は10 の左上に伸びていく」などのように,数字に特定の空間配置があるように感じる。「ミラータッチ共感覚」を持つ人は,他の人が誰かに頬を触られているのを見ると,自分は誰にも触られていないにもかかわらず自分の頬の同じ位置にもくすぐったさを感じるなど,他者の身体への刺激を視覚的に観察した際に,自分の身体の同じ位置が触られているような感覚を覚える。「数字の3 は小さくてやんちゃな男の子」のように数字に性別や性格などを感じる人もいる。文字や文字列に味を感じる人もいる(例:「dy/dx」という文字列に甘さを感じる)。共感覚を引き起こす刺激のことを「誘因刺激(inducer)」(例:色字共感覚における文字),共感覚として引き起こされる感覚や認知処理のことを「励起感覚(concurrent)」(例:色字共感覚における色)と呼ぶが(Grossenbacher & Lovelace, 2001),このように共感覚には実に多くのタイプ,すなわち誘因刺激と励起感覚の組み合わせが存在し(第4 章参照),その数は65(Day, 2005)とも 150(Cytowic & Eagleman, 2009)ともいわれる。色字共感覚や色聴共感覚の存在は19 世紀には知られ,すでに科学的研究が行われていたが(Jewanski, 2013),21 世紀になってからも新たにミラータッチ共感覚や(Blakemore, Bristow, Bird, Frith, & Ward, 2005; Banissy & Ward,2007),泳ぎの型に色を感じるタイプの共感覚(例:背泳ぎに黄色の印象を覚える)の存在が報告されるなど(Nikolić, Jürgens, Rothen, Meier, & Mroczko, 2011),共感覚に分類されるものはたびたび増える。また,文字と数字をひとまとめに扱うか否かなど,誘因刺激をどのような単位でまとめるかにも依存するため,実際のところ,いったい全部で何タイプあるのかは不明だと言ってよい。なお,「共感覚」という言葉を字義通りに「共+感覚」と捉えると,視覚や聴覚,触覚といった異なる感覚の処理同士がくっついているかのように思われるかもしれない。共感覚に相当する英単語synesthesia も,語源はギリシャ語の“syn”(共に)+“aisthesis”(感覚・知覚)であり,同じ印象をもたらす(なお,synesthesiaはアメリカ英語での綴りであり,イギリス英語ではsynaesthesia と綴られる)。しかし実際は,色や音,空間配置といった感覚・知覚処理の守備範囲内のものだけでなく,文字や数字,性別,性格など,より高次の認知処理を要するものも誘因刺激や励起感覚になりうる。また,誘因刺激と励起感覚が属する感覚モダリティは異なっていなくてもよい(Grossenbacher & Lovelace, 2001)。たとえば色聴共感覚の場合は,誘因刺激(音)は聴覚,励起感覚(色)は視覚,と,異なる感覚モダリティ間につながりが生じるが,色字共感覚の場合は誘因刺激(文字)と励起感覚(色)の両方が視覚に属する。
 これらの雑多な事例に共通するのは,ある刺激(感覚処理や認知処理を引き起こす情報)を処理しているときに,一般的にはその刺激と無関係と考えられるような種類の感覚・認知処理まで引き起こされるということである。堅い表現を使えば,共感覚とは「ある感覚や認知的処理を引き起こすような情報(刺激)の入力により,一般的に喚起される感覚や認知処理に加えて,他の感覚や認知処理も喚起される現象」だと定義できる。知覚心理学や認知心理学など,認識の仕組みを探究する学問では多くの場合,「外部からの刺激入力によって,人間(を中心とした生き物)の内部ではどのような情報処理が引き起こされるか」が研究されている。そして,刺激の種類ごとに,それに特化した情報処理ルートがあるという説明がなされる(村上, 2010)。たとえば視覚刺激(光)に対する情報処理の入り口は眼球の網膜であり,そこからまず主には脳の後頭葉の初期視覚野に情報が送られ,その後,形,色,動きなどの要素や,文字,物体,顔などの情報のカテゴリごとに特化した処理が,それぞれ異なる脳領域を中心に行われる。同様に,聴覚刺激(音)の情報処理の入り口は耳の鼓膜であり,そこから内耳でのさまざまな基礎的分析を経て,脳の聴覚野を中心とした領域で,音源の識別や音声の内容の分析など情報の要素やカテゴリごとに特化した処理が行われる。簡単に言えば,文字が視覚呈示されれば文字に特化した視覚処理が,色が視覚呈示されれば色に特化した視覚処理が,音声が聴覚呈示されれば音声に特化された処理が引き起こされる,ということである。逆に言うと,刺激が入力されなければ,その刺激がもつ情報に対応する脳内処理は引き起こされない(例:色が視覚呈示されなければ,色の処理が脳内で引き起こされることはない)。しかし共感覚はこのような一般的な知覚・認知処理の考え方の枠組みから逸脱している。文字が視覚呈示されたときに,文字の視覚処理に加えて物理的には呈示されていない色の視覚処理も引き起こされたり,音楽が聴覚呈示されたときに,音楽の聴覚処理に加えて物理的には呈示されていない色や形,動きの視覚処理も引き起こされたりするのである。これは純粋に不思議に思えることであり,古くから知覚・認知心理学の研究者はもちろんのこと,多くの人の興味を引きつけている。
 共感覚の科学的研究の歴史は古く,1812-1873 年には,医学的,生理学的観点のものが主ではあるが,現在確認できるだけで十余りの共感覚についての著作物が見つかっている。19 世紀末には,数十人,数百人を対象とした大規模研究も行われるようになった。「共感覚(syensthesia)」という用語が使われ出したのもこの頃である(Jewanski, 2013)。しかしその後,共感覚研究は冬の時代を迎える。外部から観察可能な対象だけを研究対象とする行動主義が心理学の世界を席巻し,主観的現象である共感覚は研究の俎上から排除されてしまったのである(Johnson, Allison, & Baron-Cohen, 2013)。しかしやがて,人間の内部の情報処理に目を向ける認知主義の心理学の時代が到来し,Cytowic による1989年や1993 年出版の書籍を皮切りに,共感覚研究は「ルネッサンス」を迎える(Cytowic, 1989, 1993, 2013)。共感覚についての査読論文数は,1930 年代から1980年代の間は10 篇に満たなかったのが,1990 年代には増え始め,2000 年代は,2006 年までの時点だけで60 篇近くに跳ね上がった(Cytowic, 2013)。その後はさらにハイペースで論文が出版されていると思われる。このように共感覚研究は長い歴史を持ち,特に最近の進展は目覚ましいものがあるが,それでもなお,共感覚の全貌は謎に包まれている。1970 年代から長年にわたって感覚間協応や共感覚の研究に取り組んできたMarks は,共感覚研究を,不要なピースが混ぜられていて,完成見本図も与えられていないジグソーパズルに例えている(Marks, 2017)。そのようなジグソーパズルでは,どのピースが不要なのか悩みながら地道にピースを組み立てていくしかないが,共感覚も,現象を明確に定義することが難しく,何が共感覚で何が違うのか,研究者が皆で頭を悩ませながら全体像の解明に取り組んでいる,ということである。本書はそのような共感覚のパズル解きの現状報告である。
 先述のように共感覚として分類されるものの実態はあまりに多種多様であるため,それらを包括しようとすると,どうしても定義は「ある感覚や認知的処理を引き起こすような情報(刺激)の入力により,一般的に喚起される感覚や認知処理に加えて,他の感覚や認知処理も喚起される現象」という大まかなものにならざるをえない。実際,ここ30 年ほどの間に出版された共感覚についての論文の冒頭部分には,ほとんどの場合,多少のバリエーション(他の要素の付加)はあるにせよ,このような定義が書かれている。しかしこの定義だと大まかすぎて,かなり広い範囲の現象が当てはまってしまう。たとえば,「明るい声」のような感覚を跨いだメタファー(隠喩)が広く一般的に使われている。これは声に対し,実際には視覚入力されていない明るさの印象を結びつけているわけだが,共感覚の一種と言えるだろうか。また,幻覚は実際にはないものを見たり聞いたりする現象であるが,共感覚に分類されるだろうか。現在の共感覚の科学的研究(認知心理学や認知神経科学など)においては,いずれの答えも「いいえ」である(ただし第6 章で述べるとおり,前者に関してはさまざまな立場がある)。
 なぜ「いいえ」なのか。その理由は,これらの現象が第1 章で紹介する「保有率の低さ」「日常的な認知活動が誘因刺激となる」「時間的安定性」「個人特異性」「自動性」「意識的経験」といった共感覚の基本的特徴(Simner & Hubbard,2013; Ward, 2013)をあまりよく満たしていないためである。逆に言うと,現在の共感覚の科学的研究は通常,上記の定義に加えて,これらの共感覚の基本的特徴を満たしていると考えられるものを「共感覚」として扱っている(なお,それらの特徴を「定義」とはせずに,あくまでも「基本的特徴」と呼ぶのは,それらを共感覚の必要条件だと言い切って良いか迷う現状があるためである)。第1 章では,これらの共感覚という現象自体の基本的特徴のほか,何らかの能力やパーソナリティ等の面で共感覚者に多く見られる特徴があるか否かや,共感覚を持つことの影響などについての研究を紹介する。
 「共感覚とは何か」という問いに答えるのが難しいのはこの定義の不明瞭さのせいだけではない。共感覚における励起感覚はその共感覚者自身しか経験できず,外部から励起感覚の内容(例:色字共感覚者が文字に感じている色)を直接観察することは不可能である。そのため,共感覚という現象が本当に実在するのかを確認するのはかなり困難な作業である。たとえば「文字に色を感じる」という色字共感覚者の主張は,文字に色を感じない大多数の人にとってはにわかには信じがたいし,その色字共感覚者をいくらまじまじと見つめてみたところで,その共感覚者が文字に感じる色を自分も共に体験し,確認することはできない。そうなると,人によっては,その色字共感覚者は病気で幻覚を見ているのではないかと考えたり,人の気を引きたいがために奇抜な嘘をついているのではないかと疑ったりするかもしれない。実際,共感覚者の中には周囲からこのような偏見を受ける人も少なからずいる。誘因刺激と励起感覚の具体的な対応関係が共感覚者ごとに異なる(個人特異性,例:同じ「共」という文字に対し,共感覚者A は薄黄色を感じるが,共感覚者B は水色を感じる),励起感覚の具体的な感じ方が共感覚者によって異なる(たとえば色字共感覚の文字の色は,紙の上の文字の付近に浮かぶように感じる「投射型(projector)」と呼ばれるタイプの人もいれば,頭の中に広がるように感じる「連想型(associator)」の人もいる;第2 章参照)など,共感覚者間に大きな個人差があることも,そのような印象に拍車をかけるだろう。外部から直接観察できない上に,共感覚者によって具体的に言うことがバラバラであるとあっては,「共感覚とは何か」をつかむのが困難であるばかりか,共感覚が実在すると信じることすら危うくなる。そこで共感覚の科学的研究がまず取り組む必要があったのは,共感覚という現象が実在することを客観性の高い形で証明するという作業であった。具体的には,共感覚者をたくさん集め,一見バラバラの個人間に共通する性質を探し出し,そのうち可能なものは客観的手法を用いて検証する,という作業である。第1 章で紹介する共感覚の基本的特徴は,そのような作業の中で,共感覚者の多くに共通して見いだされてきた特徴である。
 さまざまな種類がある共感覚の代表格が,文字に色を感じる色字共感覚である。他の種類の共感覚と比較すると保有率が高いと推測される上,研究例が圧倒的に多い。これまでに述べた共感覚の定義や基本的特徴も,ほとんどが色字共感覚の研究結果に基づいたものであると言っても過言ではない。そこで第2章では,色字共感覚について詳しく紹介する。色字共感覚を持つようになる原因は何か(遺伝か経験か),文字の共感覚色を経験する際にどのような処理が生じるのか(物理的な色を見ているときの処理とは異なるのか,文字が目に映りさえすれば何の文字かが認識できなくても共感覚色は感じられるのか,文字の知覚的情報と概念的情報のどちらが重要なのか,色字共感覚者は共感覚色をどこに感じているのかなど)といった問いについて,さまざまな実験心理学的手法を駆使した研究の成果に基づいて考える。第2 章ではさらに,文字と共感覚色の組み合わせはどのように決まるかという問いに取り組んだ,さまざまな言語圏における研究の成果を紹介する。そして次に,色字共感覚が文字の学習や記憶を助ける役割を持つ可能性についての研究を紹介する。第2 章の最後では,色字共感覚者と非共感覚者の関係について考える。両者は質的に違う,非連続的な存在なのか,それとも連続的な存在なのか。これは共感覚の定義やメカニズムを考える上でも大きな問いである。
 第2 章で紹介されている色字共感覚についての知見は,多くの色字共感覚者に普遍的に存在する事柄,いわば色字共感覚者の平均像が反映されたものである。そのような平均像の特定は,色字共感覚の基本メカニズムを推定する上で欠かせない作業である。しかしその一方で,色字共感覚をはじめ,共感覚には大きな個人差(個人特異性)がある。著者らはこれまでに150 名以上の色字共感覚者に実験研究に協力していただき,その一人一人に対し,最低でも30 分をかけてインタビューも行ってきた。その中では,共感覚の「平均像」の存在も実感する一方で,個々の文字に何色を感じるか,その色は「ざらざら」「金属的」などの質感を伴うか,自分自身の共感覚をどのように認識しているかなど,豊かな個人差も目の当たりにしてきた。また,「平均像」の研究ではデータを定量的に扱う必要がある以上,共感覚色を「CIE L*a*b* 色空間上で[55.4,63.0, -40.1]の座標に位置する色」のように扱うほかないが,実際は,ベタ塗りのようなピンク色とは限らない。色鉛筆で塗ったような繊細な濃淡があったり,透明感があったり,複数の色がまだら模様を作っていたり,共感覚色が文字の線の部分ではなく背景に感じられたりと,色字共感覚者が語る共感覚色は個性的かつ豊かなものである。これらのような個人差に当たる部分も,共感覚という現象を理解する上で決しておろそかにしてはならない。そこで第3 章には,著者らの研究に協力してくださったうちの18 人の日本人色字共感覚者それぞれの,300 文字についての共感覚色と,個人が特定されない範囲でのプロフィール,そして共感覚色の感じ方などについてインタビューで語った内容を掲載した。色字共感覚の普遍性も個人差も詰まった「生の声」を感じ取っていただけたら幸いである。この章で紹介されている内容を読むと,共感覚者間にはさまざまな面で大きな個人差があること,その一方で,いくつかの点では不思議なほどの一致も見られることが分かるだろう。また,共感覚が日常生活に支障をきたす「病気」でも,「天才的な超能力」でもないことが分かるだろう。これらの情報は,もしかしたら,自分以外の色字共感覚者の様子が分からず不安に思っている色字共感覚者にとっても有益なのかもしれない。
 第4 章では,色字共感覚以外のタイプの共感覚について紹介する。共感覚には非常に多くの種類が存在するが,Novich, Cheng, & Eagleman(2011)によれば,文字や日付など視覚特徴から色を感じる共感覚(一般的には色字共感覚),音の高低や楽器音など聴覚特徴から色を感じる共感覚(一般的には色聴共感覚),触覚,嗅覚,概念などから視聴覚以外の誘因特徴によって色を感じる共感覚,音に匂いを感じたり,形に味を感じたりする励起感覚が視覚特徴ではない共感覚,数字や日付に空間配置を感じる空間系列共感覚の5 つのカテゴリに分類することができる。この分類に加えて,さまざまな調査によって推定されている各種共感覚の一般人口における保有率,励起感覚の性質などを勘案し,第4 章では,色字共感覚以外の共感覚の代表例として,空間系列共感覚,ミラータッチ共感覚(視覚から触覚を感じる),色聴共感覚,序数擬人化(数字にパーソナリティを感じる)の4 タイプの共感覚を詳しく取り上げた。いずれについても,現象的側面についての記述のほか,心理学実験的手法による定量的な研究結果も紹介している。また,共感覚者の中には,1 種類のみの共感覚を持つ単一共感覚保有者もいれば,3 つ4 つと複数の共感覚を併せ持つ多重共感覚保有者もいる。最近,このような共感覚の保有数が,共感覚の主観的な強さや,共感覚以外の認知特性(自閉スペクトラム症に似た,局所的情報への注意の向きやすさ)の強さと相関することが指摘され始めており,研究者の注目を集めている(van Leeuwen, van Petersen, Burghoorn, Dingemanse, & van Lier, 2019; Ward, Brown,Sherwood, & Simner, 2018; Ward, 2019)。第4 章はこの話題の紹介で締めくくる。
 第5 章では共感覚の神経機構について扱う。近年の共感覚研究の盛り上がりの火付け役となったCytowic は1993 年に発表した著書の中で,彼が初めて出会った共感覚者であるマイケル・ワトソン氏とともに共感覚の研究を始めた当初について,「マイケル・ワトソンと私は最初,共感覚というパズルに分析家として,何か客観的な答え,おそらくは『ははぁ,ここに犯人がいたぞ』なんて言いながら指差せるようなひとまとまりの神経細胞集団か短い神経回路を見つけられると期待して近づいた」が,しかし実際には,人間の認知の主観的,直感的な側面に関わる非常に複雑な神経学的事象に切り込むという冒険にどっぷりとはまり込んでいたのだったと語っている(Cytowic, 1993, p. 7)。第5 章で紹介する様々な神経学的研究の結果は,まさに「パズル」である。数多くの研究者が共感覚者と非共感覚者の脳の機能的な違いや構造的な違いを見つけようと試みてきたが,簡単に解釈できるような結果が出てこない上,研究間での結果の一致率は低い。第5 章では,共感覚のメカニズムについての様々な理論的仮説と照らし合わせながら,これらの神経学的研究の結果と向き合う。
 最後の第6 章では,しばしば「共感覚的認知」とも呼称される,感覚間協応について扱う。感覚間協応とは,異なる感覚モダリティに与えられる刺激の属性や次元の間に適合性が見いだされる効果のことである(Spence, 2011)。感覚間協応の例として,高い音は明るい色,低い音は暗い色に組み合わせたほうが,その逆の組み合わせよりもしっくりくると多くの人が直感的に感じる現象が挙げられる。「ブーバ」という言語音の響きには丸みを帯びた印象,「キキ」には尖った印象を覚える(ブーバ・キキ効果,Ramachandran & Hubbard, 2001)というのも感覚間協応の一種である。ブーバ・キキ効果のような言語音の感覚間協応は音象徴とも呼ばれる。感覚間協応は,「感覚モダリティを超えた結びつきを感じる」という点で共感覚によく似ていることから,共感覚と感覚間協応を連続的な現象として扱う立場もある(Martino & Marks, 2001)。しかしその一方で,両者には違いも多々あることを重視し,別の現象として扱う立場もある(Deroy & Spence, 2013)。本書も後者の立場を取っているが,いずれの立場をとるにせよ,類似した現象間の比較は,それぞれの現象のメカニズムの解明に大きく資するものであるため,第6 章で感覚間協応について詳しく取り扱うことにした。
 冒頭で述べたように,「共感覚とは何か」という問いに答えることは容易ではない。以上のように,また,次章以降で見ていくように,共感覚は知覚,言語処理,学習,記憶といったさまざまな認知処理と密接に関わり合い,また,類似した現象も存在するため,共感覚という現象の輪郭を明瞭に見出すことが難しいのである。さらに,少数の人だけが持つ主観的体験であるということが,研究の難度を高めている。また,そのような「珍しい」現象であるために,現象の定義ではなく事例報告から共感覚の科学的研究が始まったという側面もあり,「完成見本図のないジグソーパズル」を解く形で研究が進行している。そのような状況だからこそ,個々の人間を対象にデータを採取し,脳内の情報処理過程を推定する実験心理学や神経科学的手法が役に立つ。さまざまな他の認知処理や現象との関係を丁寧に調べ,さまざまな認知処理の中に共感覚を位置づけることは,統合的な認知処理のありかたに迫る作業であると言える。
 
 
第3 章日本人の色字共感覚
 
色字共感覚者2(21 歳,女性)
 
プロフィール
・職業・身分:大学生(心理学専攻)
・芸術的な活動歴(習い事,学校の部活動を含む):小さい頃から趣味で絵を描いている,音楽の演奏もしている。
・共感覚の自覚年齢:はっきりした年齢ではないが,小学生の頃から。
・色を感じる文字種:数字,仮名,英字,漢字
・色字以外の共感覚を持っているか:あり。音楽→色を感じるような気もする。
 
共感覚色の感じかた
・どこに色を感じるか:外界(投射型)。基本的には紙の上など,外界に見えている文字のところに色を「感じる」。共感覚色は本当に目に見えているような気もするが,物理的な文字の色は,それはそれできちんと見えている。共感覚色は,宙に浮かんでいる訳ではないが,文字の一層上にあるような,物理的な色と同じ座標に存在するんだけれども別物のような印象。共感覚色は,「あらかじめ決まったものが存在していて,私はそれを知っている」という感じ(「文字の読み方を知っている」というのと同じようなものかもしれない)。
・1 文字に感じるのは1 色だけか:基本は1 色だが,どのような単語に含まれるかによって色が異なる文字もある。たとえば「藤」は単体の「藤」のときは薄紫色。でも「藤原」の「藤」はそれよりももう少し濃い紫色で,「伊藤」「佐藤」などの「藤」は緑色。また,たとえば「炭」という字は,全体的には暗い灰色だが,文字の中の「火」の部分だけほんのり赤い。
・文字に対して色以外の感覚も感じるか:特になし。
・色を感じやすい字,感じにくい字はあるか:数字が一番色を感じやすい(ぱっと見てすぐに色が付く)。その次は漢字(意味があるので色がはっきりしている),英字。「“な”は“なす”の“な”→紫色」のように,その文字が含まれる単語が文字の色を決めていると思われるときがあるが,ひらがなやカタカナは色々な言葉の部品になるため,連想した単語によって色が違うときもあり,色を見極めるのが難しい気がする。
・自分の中で文字の色は常に一定か:物心ついたときから常時一定だと思う。日によっては,ひらがなやカタカナの色が見えにくい時もあるが(そういう日もある,としか言いようがない),日によって色が変わるわけではない。
・なぜその文字にその色なのか:「“なす”→“な”は紫色」のように,どのような単語の一部に含まれるかや,(漢字の場合)どのような意味の文字かによって決まっている文字がある。また,仮名の場合は「さ行は青っぽい」など,行ごとに色がある気がする。でも,なぜその色なのかが分からない文字も多い。
 
色字共感覚で得をすること,損をすること
・得をすること:特になし。
・損をすること:特になし。
 
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