テクサス大学のゲイリー・ジェイコブソン教授が提示した概念に、戦う立憲主義(militant constitutionalism)と従順な立憲主義(acquiescent constitutionalism)の区別がある。
戦う立憲主義は、従前の社会のあり方、政治のあり方を変革し、新たな政治社会を樹立しようとする。従順な立憲主義は、それまでの社会秩序、政治体制をそのまま受け入れ、それを成文化する*1。
ある国の憲法典をとり上げたとき、それが100%戦う憲法であることは稀であろうし、逆に100%従順であることもまず考えられない。とはいえ、おおよその傾向を区別することはできる。
日本国憲法は、相当程度、戦う憲法である。
9条で国際紛争を解決するための戦争、武力の行使・武力による威嚇を放棄している。国家間の紛争を「戦争」という裁判外紛争処理手続──決闘としての戦争──に訴えることを非とし、その目的達成の手段としての戦力を保持しないとしている。テクストの背後では、クラウゼヴィッツのテーゼを逆立ちさせた、政治を戦争の手段としてしまう合理性に欠けた国家体制を否定している。
そのほかにも、20条の定める政教分離原則は、国家神道を手段として国民の精神の自由を抑圧する余地を否定し、24条で家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等をうたって、戦前の家父長中心の家制度を粉砕しようとしている。
日本国憲法にも、従前の日本社会のあり方を継承しようとする側面はある。憲法がその社会の伝統的側面を承認し、継承しようとするときに用いる手段の一つが、制度保障である。
日本国憲法でいえば、天皇制がそうだと言われることがある。しかし、戦前の制度そのままの天皇制を継承しているわけではない。君主制原理(天皇主権原理)は明確に否定され、4条1項で天皇に政治的権能はないとされる。継承している部分もあるが、ここでも戦っている部分の方が多い。
地方自治や大学の自治が憲法の定める制度保障だと言われることもあるが、これらは日本国憲法が新たに確立しようとした制度を保障しているのであって、やはり「戦う憲法」の特質を示している。
日本国憲法は、「押しつけ憲法」であると否定的に評価されることがある。しかし、否定的に評価しようとする人々の本当の焦点は、その「戦う憲法」としての側面にあるのであろう。
つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。
【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争
第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間
第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
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