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あとがきたちよみ
『アノスミア わたしが嗅覚を失ってからとり戻すまでの物語』

 
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モリー・バーンバウム 著
ニキリンコ 訳
『アノスミア わたしが嗅覚を失ってからとり戻すまでの物語』

「1 鴨の脂とアップルパイ(冒頭)」「2 サワーミルクと紅葉(冒頭)」「解説 小林剛史」(pdfファイルへのリンク)〉
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1 鴨の脂とアップルパイ  わたし、厨房に入る
duck fat and apple pie: in which I enter the kitchen
 
 ほんとうなら卒論を書かなくてはいけないのに、わたしはベッドで料理の本を読んでいた。料理雑誌をめくり、食べ物にまつわる回想録を読み、カリスマシェフの伝記に熱中していると明け方になってしまう。インターネットでとり憑かれたようにレシピを検索しては、台所でパンをこね、フルーツとクリームが何層にも重なるこってりしたケーキを作った。中東風のややこしいタジン蒸しを作り、チョコレートスフレがオーブンのなかでゆっくりとふくらんでいくのを見守った。美術史学科を卒業するために勉強するはずが、もう一年以上も前から、コンロのことしか頭にない。心は決まっていた。わたしはシェフになりたいのだ。
 以前、何か月も毎週ちがうアップルパイを焼きつづけたことがある。シナモンとバターの充満した部屋で、毎週ちがう友人たちにプラスチックのフォークとナイフで試食させ、ようやくレシピは完成した。こうしてわたしは、ささやかながらカリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカの奨学金を獲得した。シェフ志望者が通う、アメリカ一の料理学校だ。期末レポートからも締め切りからも逃げだしたい。ミケランジェロからもゴーギャンからも逃げだしたい。鴨の骨を抜き、にんじんを刻み、豚肉を塩漬けにする本格的な手法を身につけたい。しかし料理学校に入学するためには、ひとつだけ足りないものがある。プロの厨房での実務経験が必要なのだ。
 卒業するとすぐ郷里に帰り、母とその恋人のチャーリーが住む家に引っ越した。何日もインターネットで求人広告をさがした結果、町でも指折りのレストランに狙いをしぼった。マサチューセッツ州ケンブリッジ市の小さな店、クレイギーストリート・ビストロ。ハーバード・スクエアの近くの住宅街、マンションの一階に入っている。数段しかない階段を下りて黒褐色の板を使ったエントランスに立ち、ドアを開けてなかを覗いてみた。客席は明るくて風通しがよい。鶏肉を焙(あぶ)るにおいが部屋じゅうに満ちている。駐車場で車を降りたときから感じていたにおいだ。 若い女の人が花瓶に花を活けていた。
「すみません。求人に応募しようと思いまして」
 女の人は笑顔になったが、ライラックの束から顔をあげようとはしなかった。「ホール係?」「いえ、厨房です」と言いながら、わたしは後ろのドアを閉めた。
 女の人はちらりとこちらを見て、わたしの服装をチェックした。ボタンダウンの白シャツ、スカート、パンプス。わきの下のフォルダの履歴書と添え状に書いてある経歴も、アフリカでボランティアをしたことと、学生食堂で深夜にレジ打ちをしたことだけ。どこかの食堂で調理をした経験もない。女の人はシェフを呼んでくると言って、テーブルのひとつを指した。人もいない、料理も出ていない客席は殺風景に見える。わたしは腰をおろした。(以下、本文つづく)
 
 
2 サワーミルクと紅葉  わたし、一から出直す
sour milk and autumn leaves: in which I start from scratch
 
 鼻の内部のはたらきは繊細かつ複雑だ。分子レベルの信号が順々に受けわたされ、次のスイッチを入れる。科学者たちは嗅覚のしくみを解きあかそうと、何世紀も苦労を重ねてきた。その一方、古くはギリシャの哲学者アリストテレスも、人間の感覚のなかでは嗅覚がもっとも役にたたないと考えていたように、視覚や聴覚や触覚にくらべたらたいした存在ではないと片づけられることも多かった。
 そして今日でも、まだまだ謎は多い。
 どんなにおいも、はじまりは一個の分子だ。夏の宵にバーベキューグリルから漂ってくる炭火の煙も、母の家にあった食器洗い洗剤のレモンの香りも、ゴミ置き場の悪臭も、みんな目に見えない分子でできている。ひとつのにおいが百種類以上の分子でできていることもある。その組み合わせで、シャネルの五番やクリスマスの豚ももロースト、メイン州の海といった複雑なにおいができあがる。
 嗅覚はもっとも直球の感覚でもある。においが意識によって識別されるためには、文字どおり体内に入らなくてはならないのだから。息を一回吸うたびに、分子は鼻孔に始まるせまく険しい洞窟を抜けて、脳へと近づいていく。そして、鼻腔の天井のてっぺんにあたる嗅裂(きゅうれつ)というところで嗅覚受容体に取りつく。受容体は、嗅上皮(きゅうじょうひ)とよばれる黄褐色の粘膜のそこここからとび出している何百万本もの神経細胞の先端に位置している。
 ヒトの受容体はおよそ三五〇種類あり、それぞれに形のちがうタンパク質だ。左右の鼻腔の天井にあるこれらの受容体を起点として、認知という複雑なダンスが始まる。受容体は、届いた小さなにおいの分子と結合すると、その情報を化学的な信号に変換して脳へ送りだす。ヒトの鼻にはこの仕事をする神経細胞がだいたい六〇〇万個から八〇〇万個ある。たくさんの神経細胞が同時にさまざまな信号を発し、音譜が集まって楽譜となるように、あるいはHTMLがウェブページとなるように、脳がそれらを組み合わせてひとつのにおいとして解釈する。
 こうしてできるパターンは複雑で精密だ。炭素原子が一個ちがうだけであとはそっくりという二種類の分子でも、においは明らかに区別がつく。たとえばノナン酸は炭素が九つつながった分子で、チーズの塩辛そうなにおいの正体だが、炭素がひとつ増えたデカン酸は汗の腐ったようなにおいになる。
 パターン化された信号が進んでいくのは神経細胞で作られた通路だ。神経細胞は鼻を出発すると篩板(しばん)という薄い板状の骨のすき間を抜け、脳のいちばん底にある嗅球(きゅうきゅう)という部分につながる。嗅球は届いた信号のパターンを、ちょうどピアノ曲の楽譜や子守り歌の歌詞を読むように解読して、読みとり結果を嗅皮質(きゅうひしつ)へ送りだす。皮質はそれを視床(ししょう)(意識による知覚にかかわる)や辺縁系(へんえんけい)(感情による反応を起こす)へ伝えることになる。
 事故に遭うまでの二二年間、わたしの鼻から入ったにおいの分子は、じゃまされることなく脳まで届いていた。クレイギーストリート・ビストロで鶏がらスープのにおいを吸いこめば、脂の多い家禽類に由来する微粒子が嗅覚受容体にぶつかり、それをきっかけにたくさんの信号が脳へ向けて送りだされていたのだ。わたしは足を止め、鼻をひくひくさせ、「これは鶏がらスープだな」と考えただろう。途中経過など考えもしなかった。鶏の煮汁と子牛の煮汁、ラードとバターが区別できるしくみも考えたことはない。難しいし、とるに足りないことだった。そもそも目に見えないし、興味もなかった。
 ところがそれは、現代の科学者たちの熱い関心を集めているテーマなのだ。化学的感覚の世界は、脳のなかでどのように再現されるのだろうか?
 あるにおいが鼻から脳へ伝わるところまでは、そのすべてのプロセスが解明されている。わからないのは、分子から始まったものを「これは鶏がらスープだ」と意識するにいたるしくみだ。これは知っているにおいだと気づき、なんのにおいか判断する部分、つまり、最初の神経信号から脳の高次のはたらきまでの部分は、最先端の専門家にもよくわかっていない。
 最初は一個の分子だということはわかっている。ばらの花から、濡れた犬から、図書館のいちばん上の棚にある古い本から発せられたたった一個の分子が、鼻孔を進み、嗅覚受容体に届く。謎はそこから始まる。(本文つづく)
 
 
解説 小林剛史
 
 著者モリー・バーンバウムの嗅覚機能の回復には驚嘆するばかりである。
 私たちの脳は少し硬い豆腐のようなもので、頭蓋骨をみたす脳脊髄液の中に浮かんでいる。交通事故で、モリーの脳には大きな衝撃が加わった。嗅覚系の神経のうち、嗅上皮から嗅球にいたる経路は、途中、篩骨孔(しこつこう)という細い穴を通る。おそらく事故の衝撃でここを通るモリーの神経路は断裂したのだろう。さらに、事故直後の記憶障害を含む彼女の症状は、ほかのいろいろな神経細胞、すなわち酸素量低下や衝撃に弱い海馬の神経細胞や、前頭葉の下あたりにある高次嗅覚野が傷ついている様子もうかがわせる。
 こうした広範な脳損傷は、多くのケースで高次脳機能障害へとつながる。その点でモリーはやはり「ラッキー」だったのかもしれない。嗅覚の回復に不可欠な神経の再生には、可能なかぎり早いタイミングでのステロイド剤の投与が有効であるらしい。推測の域を出ないが、体中に負った外傷の治療に、彼女は抗炎症剤としてステロイド剤を投与されていた可能性がある。おそらくさまざまな幸運が重なり、モリーの嗅覚はめざましい回復を示した。だが、頭部外傷によって嗅覚を失ったケースでは、通常これほどの回復を見込みにくいという事実は忘れてはならず、過剰な希望を世に喚起するのは適切ではない。
 以上のように前置きしつつ、しかしあえてここでは脳損傷に伴う機能回復に少々希望的な内容を展開したい。というのも、モリーのケースは嗅覚回復、あるいは脳損傷に伴う機能障害からの回復に有益な情報を豊富に提供しているからである。
 その主軸は、神経科学の世界における「可塑性」である。一九四九年、カナダの心理学者ドナルド・ヘッブは、複数の神経細胞(ニューロン)がつながり、細胞間の情報伝達の効率が促進されるしくみをはじめて提案した。「同時に発火するニューロンはつながる」という神経可塑性のモデルの誕生である。向精神薬も、神経科学という名の領域も生まれる以前に提唱されたこのモデルの妥当性は、はたして一九七三年にうなぎの脳を用いて実際にたしかめられることになる。現在、この可塑性は神経科学の常識ともいえる重要な基盤的概念となった。あるタイミングで同期して活動する複数の神経細胞群が存在するとき、この同期的活動が繰り返されると、これらの神経細胞群どうしはシナプスを介してつながり、相互の伝達効率を上げていく。これが学習、記憶の基礎である。
 皮肉にも、モリーのケースではまず神経細胞の損傷が可塑性を刺激したのだろう。ある女性は、三歳のときにてんかん治療のために大脳皮質の右半分を全摘出されたが、驚くことに手術一〇日後には歩いて病院を退院したという。右半球の全摘という荒療治が、左半球の可塑性のスイッチを入れたのだ。モリーも、嗅覚を一時的にせよ完全に失うほど、重篤な脳損傷を被った。その後の回復過程における彼女の、「においは突然現れ、そして数週間で消えて」いったという体験は、可塑性のプロセスを連想させる。神経細胞は、ほかの神経細胞とのつながりをつくる際、長期増強という可塑性の特性がはたらき、まず過剰に、いわばむだともいえるほどのシナプスでつないでいく。さらに、過剰な接続の一部は長期抑圧という特性によって、間引かれていく。一度は過剰につくられた神経接続が失われると、結果的に学習を促すのである。においが現れ、消える。モリーが克明に記した、些細にみえる主観的体験の記述は、嗅覚の可塑的機能が現れるさまを繊細に表現している。
 可塑性はまた、「適度な」ストレスによって高まるという研究も本書と密接な関係をもつだろう。ストレスがかかると、私たちは自律神経系と神経内分泌系という二種類のストレス反応経路を活性化させる。このうち、神経内分泌系は視床下部、脳下垂体を介して副腎皮質という内臓から糖質コルチコイドを分泌させる。これが一般にいうストレス・ホルモンである。通常、ストレス・ホルモンの血中濃度が高いままになると、体内で炎症が引き起こされ、腎臓は肥大し、ひいては元に戻らない身体疾患や脳の萎縮につながる。すなわち可塑性が抑制されるのである。しかし、「適度な」ストレスならば、神経細胞は間接的に神経繊維を伸ばし、ほかの神経細胞との接続を促すメカニズムを発動させる。この「適度」には多様な要因が絡んでおり、一概に定義することは不可能だ。モリーは、大学院に進んで過密なスケジュールに苦しんでいた二〇〇七年の秋、「くたくたに疲れる」状態ながらも、「やりがいも感じ、やる気も刺激された」状態だった。恋人のマットに兵役復帰命令が下った後という大変な時期でもあった。しかしモリーは「ありとあらゆる」においを感じるようになってゆく。これが「適度な」ストレス環境というにはあまりにも厳しい状況だと感じるかもしれない。だが新たな、厳しい環境への適応が要求される場面で、神経細胞は新たに生まれ、相互のつながりを強めたであろうことを、彼女の体験は雄弁に物語っている。精神的危機が、たしかに可塑性のチャンスでもあることを改めて教えてくれるのである。
 モリーの「感情」的機能に起因するさまざまな経験は、本書に伸びやかな空間的広がりともいえる魅力を与えている。傷つきやすく繊細で、一方で大胆なモリーの感情世界。この「感情」は可塑性と並んで嗅覚回復の鍵となる機能である。ただし、一般的な「感情」についての誤解を解いておこう。私たちはまず、「悲しい」と意識してから、「涙が出る」などの身体変化が起こると思いがちである。しかし、そうではない。まず視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など、感覚受容器に刺激が入力され、この情報が大脳辺縁系の扁桃体に届き、さらに脳幹部が刺激される。すると自律神経系の覚醒を含むもろもろの身体変化、たとえば「頭に血がのぼる」「手に汗を握る」と表現されるような無意識の身体変化が、その感覚入力に伴う体験に特異的に引き起こされる。この身体変化が再び大脳にフィードバックされて、はじめて感情を「意識的に」体験する。すなわち私たちは、「恐ろしい」から「泣く」のではなく、「泣く」から「悲しい」という感情を生起するのだ。
 こうした感情の生起過程は、米国の神経科学者アントニオ・ダマシオによるソマティック・マーカー仮説で広く知られたが、この源流ともいえる考えは、一九世紀後半のジェームズ・ランゲ説に遡る。米国の心理学者ウィリアム・ジェームズは、身体的変化の知覚が「悲しい」など主観的感情体験を生じさせるというモデルを提唱した。後に多くの論争を経て現在、こうした感情の生起過程があらためて注目されている。
 私たちは、意識的に感じ、意志決定し、その後に行動するという、誤った直感的解釈にどうしても拘泥してしまう。ダマシオらがいう感情が起こるメカニズムの理解になかなか辿りつけないのは、意識を行動の因果のおおもとに据えたいからであろう。意識的活動が後発的に生じるという事実は、「意識的な自分自身」が希薄にされかねない。しかし本書には、感覚の受容、それに伴う無意識の身体変化によって、私たちが鮮やかで意識的な感情体験を「経験させられている」という事実に気づかされる場面がちりばめられている。モリーが嗅覚を回復していく初期に用いた「においの観念」や「においをとりまくオーラ」、さらには「記述もできず、定義もできない」という表現は、においの受容に伴って扁桃体を介して引き起こされる身体変化、すなわち無意識に引き起こされる変化が、依然として回復の中途にあり、不完全であることを、的確に表現しているとも捉えられよう。
 嗅覚は、ほかの感覚と比較して、系統発生的に原始的であるとして注目する研究者も多い。それは、嗅覚以外の感覚が、視床を介して大脳新皮質のそれぞれの感覚野で処理されたあとに、系統発生的に古い部位である大脳辺縁系へと神経路が伸びているのに対し、嗅覚系のみ、嗅球からの入力が、視床、大脳新皮質を介さずに大脳辺縁系に届くことや、嗅上皮の感覚細胞の形が原始的であることなどによるのだろう。こうした嗅覚系の特異性をことさらにとりあげ、特別扱いする態度は、多様な感覚入力によって知覚世界を形成する人間の心理学的理解を歪めるおそれもあり、注意が必要だ。
 同時に、モリーの生々しい体験や、レイチェル・ハーツの強調する嗅覚と感情との深遠な関係性については、もっと検討を深めていかなければならないこともまたたしかだろう。モリーは、自身の感情状態と嗅覚との関係に敏感に気づき、嗅覚の鈍麻と感情・認知の機能の減退との関係性についても詳細に調べている。認知症の予防的治療に嗅覚検査が有効であることを示唆する研究も見られるようになった。嗅覚がこうした特性をもつのか、ほかの感覚とのちがいが存在するのかについていまだ結論は得られていない。今後、研究が進めば、より興味深い関係性がわかるかもしれない。
 モリーは、嗅覚の回復過程でさまざまなにおいを感じるようになるが、そのにおいが何のにおいであるのかがわからない、つまりにおいの「同定」の困難に直面する。この経験は、においが言語を介する同定とは切り離された表象としても存在しうることを示唆している。嗅覚受容器におけるにおい分子の受容、それに伴う身体変化、引き続いて生じる意識的な感情体験、さらにはにおいの同定という、多様な異なる過程を経てにおいの知覚・認知の全体像はようやくその輪郭を描くのだろう。おそらくモリーの嗅覚の回復過程は、いったん分断された(と考えられる)嗅上皮から嗅球への接続が、新たに細胞の新生によって再構築され(これも以前とまったく同じ接続ではないだろう)、たとえば「きゅうり」を構成する嗅覚受容体の反応の様式が新たに再構成されることから始まった。その後、より高次な脳の領野、すなわち扁桃体以降の経路に存在する、前頭眼窩皮質や側頭葉との再接続が生じたと考えられる。参照するにおいの記憶はある。過去に触れたにおいに対するあらゆる反応の片鱗をつぶさに辿りながら、モリーは自身の嗅覚世界を新たに構築していったのだろう。
 この、「においの同定」という最終段階は、じつは健康な人間でもたいへん難しい。日常的なにおいでさえ、私たちの同定率はまぐれ当たりとかわらないともいわれる。においの学習はだれにとっても、もっぱら人間特有の高次な学習、すなわち言葉ラベルと結びつけて覚えていくことなのかもしれない。しかし、フランスのグラースで言葉と結びつけてにおいを捉えることに行き詰まったモリーは、調香師学校の校長ロン・ウィネグラッドを尋ね、ここで、「頭で考えすぎ」と指摘される。それから、新たなにおいの入力と既存の記憶とを無理矢理結びつけるのではなく、とにかく嗅ぐこと、感じること、楽しむことに気持ちを切り替えたように見受けられる。嗅いでいるにおいについてイメージしながら、とにかく嗅ぐことは、入力される末梢と刺激が届く中枢の同期的活動を導き、相互の接続に役立つ。いくつもの感覚が呼び起こされる多感覚性の経験をするとき、嗅覚の入力の欠落によって、モリーはそれまでと同じ身体変化を経験できず、感情反応にも、同定の能力にも問題が生じていた。視覚野と扁桃体との接続の問題で生じるカプグラ症候群でも、眼の前の母親に扁桃体を介する無意識の身体反応、ひいては意識的な感情体験が生じず、母親が宇宙人に乗っ取られたと思うことさえあるという。眼の前にいるボーイフレンドにも同じ感覚が生じなかったというモリーの体験は、まさに嗅覚を含む多感覚性の情報の受容が、その情報をまるごと受けとめることで特異的な無意識の身体変化を生じさせ、意識的な感情や記憶の経験を誘発して、対象の同定を導くことを示していると思われる。さまざまな香りを嗅ぎ続けること、末梢から信号を送り続けること、扁桃体を介してそのにおいに特異的な身体変化が生じること、それが中枢にフィードバックされることで感情喚起が促されること、それがやがてにおいの同定へと結びつくこと。モリーは自身の体験を通して回復への道筋に自ら明かりを灯していくのである。
 本書は、モリーの嗅覚回復を主軸として、彼女の主観的世界や人間関係の変遷、嗅覚研究を含む神経科学、心理学研究にいたるまで、欲張りなまでに情報が詰め込まれている。さまざまな研究、研究者についての記述は、彼女の興味の偏重がやや見受けられるものの、きわめて広範な領域に及ぶ。においの世界に興味をもつ読者には最新の研究も含む貴重で興味深い情報が凝縮されているばかりか、嗅覚研究者にも刺激的な内容が満載である。モリーが嗅覚研究の最前線で活躍する多くの研究者に果敢にアプローチするエピソードには、彼女の新たな目標であるジャーナリストとしての才能の一端を感じとることができる。個人的には、嗅覚心理学者パメラ・ダルトンとのエピソードは印象的だ。ダルトン自身が、じつはエレベーターで襲われた経験をもち、そのことでPTSDを発症したこと、シンナーのにおいをトリガーとする無意識の恐怖反応を自ら系統的脱感作法を用いて治療したことを知る嗅覚研究者は少ないだろう。本書ではこのように、個性的な研究者との出会いがじつに生き生きと描かれ、さらに彼らのより人間的な一面を垣間見ることができる。ときに彼らの個人史を、ときに仮説の域を出ないストーリーを、モリーは著者として見事に炙り出す。論文や学会では決して見られない、一人間としての研究者の記述は、本書の魅力に鮮やかな彩りを添えている。
 彼女が繰り返し描く「無」の世界について、ふだん我々は考えることはない。においの存在しない世界を想像することもない。「死」について考えることも希だ。おそらく考えること自体が不快や恐怖を伴うこうした思考は、それを避ける無意識の機能を脳が備えているのだろう。しかし、死、そして嗅覚損失といった、我々にとっての「無」について、それを現実に体験したり、強い現実感をもって想像したりすることが、いかにその後の人生を豊かにしてくれるのかを、本書はまざまざと見せつけてくれる。喪失は体験したものにしかわからない壮絶さや悲哀で描かれ、彼女が再びそれを取り戻すさまは、形容しがたい豊穣な世界観で読者に迫り、訴えかけてくる。我々には嗅覚がある。はてしない広がりと奥行きをもつこの感覚世界を、本書は我々に再認識させ、再探索させるのである。モリーの希有なる嗅覚回復への希求性、貪欲な学習、豊かな感受性が、今後の彼女にもたらす新たな嗅覚世界の地平を、続編でぜひとも拝読したい。
(こばやしたけふみ/生理・認知心理学)
 
 
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