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『レヴィナスの企て』

 
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渡名喜庸哲 著
『レヴィナスの企て 『全体性と無限』と「人間」の多層性』

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はじめに
 
 エマニュエル・レヴィナスの哲学には――少なくとも一九六一年に公刊された『全体性と無限』までは――ある企てがあった。本書は、レヴィナスのテクストを最初期から『全体性と無限』まで辿ることで、この企てがどのようなものだったかを明らかにする試みである。ただしそれは〈他者の倫理〉ではない。むしろ、『全体性と無限』は、とりわけハイデガーが『存在と時間』で試みたような人間的な存在の具体的な存在様態についての現象学的な考察を自らの手で書き換える、というそれまでのレヴィナスの思想の営みの集大成だったと思われる。
 
 レヴィナスは、一九〇五年にユダヤ人としてリトアニアに生まれ、第一次世界大戦後にフランスにわたり、「現象学」という当時まだ新しかった学問に感銘を受け、エドムント・フッサールおよびマルティン・ハイデガーという二人のドイツ人哲学者に学ぶ。フランスに帰化し第二次世界大戦に従軍した彼は、四〇年からの五年間を捕虜収容所ですごす。戦後、フランスに戻ると、現象学とユダヤ思想の影響のもと、独自の哲学を展開し、一九六一年にフランスの大学での教授資格を得るための国家博士論文を提出する。それが『全体性と無限』だ。
 通常、この著作は、〈他者の倫理〉を説いたレヴィナスの第一の主著とみなされている。タイトルのとおり、「全体性」と「無限」が対置される。一方の「全体性」とは、あらゆる「他者」を自我あるいは〈同〉の支配のうちに回収する体制と言ってもよい。これまでの西洋哲学のほとんど全体が「「他者」の抑圧を実行し続けてきた」のに対し[Davis, 1996 : 1 /一〇]、レヴィナスは、「無限」に「他なるもの」の思想を「倫理」として対置した。そして、その「源泉」にあるのが、「他人」の「顔」、そしてそれに「応答する」という主体の「責任」という発想だ[佐藤、2000]。こうした〈他者の倫理〉の思想は、「アウシュヴィッツの後」と呼ばれる時代における「人間」の復興や[岩田、1994 : 二三六]、「生き延びた者」としての「倫理」を示すものと理解されてきた[熊野、1999 : vii-viii, cf. 横地、2015 ;Sebbah, 2018]。
 しかし、〈他者の倫理〉という展望のもとに実際に『全体性と無限』を読み進めてゆくと、幾度もつまずかざるをえない。
 試みに同書の内部に若干入ってみよう。『全体性と無限』は四部構成をとっている。確かに第一部では、「全体性」と「無限」、「同」と「他」という二項対立的な図式が示されるが、さっそく第二部に難関がある。そこでは、「倫理」はまったく扱われず、「他」を吸収し我が物とする――それを味わって楽しむという意味で「享受」する――自我のあり方が展開されるのだ。こうした「自我論」は、〈他者の倫理〉が否定して乗り越える対象として語られているのか。どのような意図のもとで享受の分析を行なっているのか。「享受」と「倫理」はどのような関係か。こうした疑問が当然浮かんでくる。これに対し、第二部後半から第三部にかけては、「顔」との関係や「応答可能性=責任」の概念が本格的に提示されるために、束の間の安心を得ることができる。しかし、第四部でさらなるどんでん返しが待っている。そこでは「エロス」や「繁殖性」という謎めいた語彙でもって「顔の彼方」が扱われるのだが、なんと、その主題は、「〈他人〉が他性を保ちつつも欲求の対象として現れる可能性、あるいは〈他人〉を享受する可能性」(TI, 285/四五八)、つまり再び「他者」を我が物にする可能性なのだ。どうして「顔」への「応答可能性=責任」を説く書物が、「顔の彼方」にまで歩を進め、〈他者の倫理〉を撤回するような議論で論を閉じるのか。本当に、『全体性と無限』の主題は〈他者の倫理〉なのか……。
 方法論的な観点からも疑問が残る。もともと、フランスにおけるフッサール現象学およびハイデガー存在論の紹介者として出発したレヴィナスは、『全体性と無限』で両者の批判を辞さないとはいえ、自らの方法論が現象学にあると謳い続けている。もちろん、レヴィナスは忠実な現象学研究者だというよりもその刷新や独創的な展開を目指したと言えるのかもしれない。それにしても、現象学とは、主体に「現れるもの」、主体が「経験」できるものを対象にすることを基本としていたはずだ。「顔」を「見えないもの」、「現れないもの」と呼び、さらには「絶対的なもの」「啓示」といった神学的な語彙を取り入れることも辞さないその思想は、はたして「現象学」と呼びうるのか[cf.Janicaud, 1991 : chap. 2 ; 関根、2007]。あるいは、「エロス」論で閉じられる書物の構成は、まるで「家族」から「社会」を経て「国家」にいたるヘーゲルの弁証法の道程を反転させ、「責任」論を「親密圏」へと回収させてしまう形而上学的な物語にも見える。だが、対面関係の倫理性を重視するはずの著作が、こうした親密圏の称揚で締めくくられるのはどういうわけなのか[井上、1999 : 二二八]。あるいはさらに、レヴィナスは、戦後フランスにおけるユダヤ思想の復興の一翼を担ったと評され、「レヴィナスの思想がユダヤ・キリスト教の伝統の、とくにユダヤ教の超越神の信仰の現代的継承である」とも指摘される[岩田、1994 : 二〇三; cf. 哲学会、2006]。そうだとすれば、そうした伝統や信仰を共有しない者は、その「哲学」をどのように受け止めればよいのだろうか。『全体性と無限』は、倫理学なのか、現象学なのか、形而上学なのか、ユダヤ思想なのか。
 
 『全体性と無限』およびそれにいたるまでのレヴィナスの思想を全体として理解しようとするとき、どうしてもこれらの問いに目をつぶって済ますわけにはいかない。本書は、レヴィナスを読みはじめそしてつまずく誰しもが抱くこれらの問いを念頭に、第一に、『全体性と無限』にいたるレヴィナス思想の形成過程に焦点を当て、第二に、同書の全体の構成に目を配ることで、この著作の総合的な解釈を提示することを目指す。
 ただし、どれほど意外に見えるとしても、レヴィナスの企ての中核にあったのは、「顔」に対する主体の「責任」を打ち立てる〈他者の倫理〉ではない――これが本書の第一の読解方針だ。むしろ〈他者の倫理〉という思想の典型をとりわけ『全体性と無限』のなかに認めようとする姿勢こそが、同書の理解をいっそう困難にしてきたとすら言えるだろう。本書では、その思想を最初期から辿ってゆくが、そのなかで、中核的ではなくとも確かに見られる〈顔の倫理〉という発想が、いつ、どのように生じたのか、それがレヴィナスの哲学全体のなかでどのような位置を占めるかも明らかになるだろう。
 また、「アウシュヴィッツ」以降にユダヤ思想の再建を図り、それを西洋哲学――とりわけ現象学――に接ぎ木した、という見方については、事後的に、思想史的な観点から見た場合、そのような評価も可能だろうが、そもそもレヴィナス自身がそれを企てようとしていたとは言いにくい。レヴィナスが『全体性と無限』の執筆に並行して、東方イスラエリット師範学校というユダヤ人の教員養成機関の校長を務め、ユダヤ教について多くの文章を残しているし、またその哲学思想には多種多様な仕方でユダヤ思想の影響と呼びうるものがあったことは否定できない。この点は、レヴィナス思想の形成という観点からも無視できないが、それを本格的に扱うことは本書の枠組みを大きく超え出てしまう。本書の続編となる次著に譲らなければならない。
 ただし、レヴィナスの「哲学」を主題とする本書は、この点について次のような指針を立てている。レヴィナス哲学にユダヤ教の思想の影響がどれほど認められるにせよ、レヴィナスは、自らの思想を、「ユダヤ教の伝統とまったく無縁の人間」でも「ちゃんと読むことができる」哲学として構築しようとしていたように思われる(Poirié, 111/一四七)。つまり、レヴィナスの「哲学」は、「ユダヤ教の伝統」によって「例証」されることはあっても、それを知らなければ理解できないものではない。そうした知識があればいっそう納得しやすいかもしれないが、なくとも理解できるものとして、あくまで「客観的に伝達可能な理解可能性」を有した哲学を構築しようとしていたはずだ(Poirié, 110/一四七)。三木清はかつて西田哲学について、東洋思想や日本思想として説明できるかもしれないがそれ自体は「日本に於いて作られた独創的な哲学」とみなすべきだと述べていたが[三木、1936]、レヴィナス哲学についても、同様にして「ユダヤ思想」とは一旦切り離した「独創的な哲学」とみなすことができるだろう。
 最終的に本書が明らかにすることを目指す「レヴィナスの企て」、それは、人間の存在様態を、単に経験的に記述するのではなく、その条件をなす根源的な次元にまで遡って検討することで、多層的に描き出すことだ。後年にどれほど「存在するとは別の仕方で」を自らの哲学のキャッチフレーズとしようとも、『全体性と無限』までは、人間の「存在すること」の多層性の考察こそが中心的な主題だと思われる。名詞的・実体的な概念としての、あるいは場合によっては価値論的な理解を誘う「存在」ではなく、あくまで具体的な、動詞的・力動的な出来事としての「存在すること」だ。
 方法論の観点から言えば、それは、どれだけ特異なものであっても現象学だ。
 一九二〇年代後半、フッサールの現象学に自らの指針を見出し、ハイデガーが示した実存論的分析論にどこまでも惹かれたレヴィナスは、両者から「志向性」および「超越」という考えを借り受けた。「人間においてこのうえもなく具体的なもの、それは人間の自分自身に対する超越である。あるいはまた、現象学者たちの言葉を使うなら、志向性である」(IH, 85 /八五)とレヴィナスは述べている。詳しくは後に見るが、問題になっているのは、「人間」が「存在する」あるいは「実存する」という事態を、なんらかの実体を想定した静態的な実在性としてではなく、〈なにかを志向している(向かっている)〉、〈自らを超越している〉という動的な出来事として捉えるということだ。外部から俯瞰的なかたちで観察し評価できるような存在様態ではなく、それぞれの「私」が、その都度さまざまな環境のなかに置かれ、さまざまな対象と接触しながら存在するその仕方のことだと言ってもよい。そのアプローチは、たとえば人類学者があれこれの部族のなかに入ってその具体的な生活の仕方を観察したり、社会学者があれこれの現場に入っていって、あえて当事者としてその現場の生を体験してみる「参与観察」に似ているかもしれない。いずれにしても、レヴィナスは、こうした「人間」の存在様態の記述を可能にすることを「現象学的方法」の功績として認め、自らのものにしようとしたと思われる。
 別の言葉では、それは「意味」ないし「感覚」の問題である。後年の対話で、レヴィナスは次のように述べている。

現象学的方法によって、私たちは、私たちの生きた経験のなかに意味=感覚(sens)を発見することができるようになります。その方法によって明らかになるのは、意識とは、意識の外部の対象、意識とは異なる対象とつねに接触する志向性だということです。〔…〕現象学とは、私たちが世界にいることに気づかせてくれるもの、私たちの生きられた世界(Lebenswelt)における意味(sens)の起源を取り戻せるよう省察すること(sich besinnen)だと言えるかもしれません。[Levinas, 1995 : 180. 強調は引用者]

フランス語のsens には多くの意味がある。「多くの意味がある」というときの「意味」、「感じること(sentir)」としての「感覚」、さらには「方向」という意味もある。レヴィナスの関心は、「人間」がそれぞれの世界のなかでとりもつ「経験」において、このさまざまな意味でのsens がどのようになっているかにあると言えるかもしれない。ここで、sens とは、「生きた経験」において、われわれがそれぞれ「意識の外部」に「志向」的に伸びてゆき、「意識とは異なる対象」に「接触」するときに生じるものとも言える。あるものに触れて感じること、空気を吸い込んで匂いを味わうこと、素晴らしいものを見て「目を保養」すること、得体のしれないものに触れ「それは何?」と尋ね、その「意味」を教えてもらうこと……これらの各々においてsens は、「感知器官」を意味する同根の語であるセンサー(sensor)が如実に示すように、「人間」とその「外部」との接触面(インターフェイス)で生じるものだ。「人間」がさまざまな対象と触れたときに生じる「感覚=意味」、それは対象に応じても異なるだろうし、自分が置かれている世界においても異なるだろう。リンゴを見るとき、匂いを嗅ぐとき、食べるとき、本が閉じないように重しに使うとき、「私」とそのリンゴの関係、「私」にとってそのときどきのリンゴがもつsens はそれぞれ異なるだろう。リンゴとの「接触」の仕方がそれぞれ異なるからだ。「感覚=意味(sens)」を通じたさまざまな「接触」の様態が、つねにすでに「人間」の「存在すること」のあり方を構成している――これが現象学者レヴィナスの確信だと思われる。
 本書の仮説は、このような「志向的=超越的」に理解された「人間」の「実存すること」の多様性を描きだすこと、つまり、さまざまな「世界との接触」における「感覚=意味」の多層性を描き出すことこそが、『全体性と無限』の課題だという点にある。同書第二部における糧の「享受」、第三部における「顔」への応答可能性としての「責任」、第四部における「女性的なもの」に対する「欲望」、これらはそれぞれこうした諸相にほかならない。ちなみに、本書の立場からは、〈顔の倫理〉もそうした諸相のうちの一つ――きわめて重要であり独創性にあふれた考えであることはまちがいないが、とはいえレヴィナスの企てを全体として見たときには中心的とは言えない一つ――となる。
 本書は、そのことを示すために、できるかぎり時系列に従った分析を試み、いつ、どのように、その思想が形成されたかを検討する。そのため、『全体性と無限』以降のレヴィナスの思想がどのような「転回」ないし「展開」を見せるのかについては今後の課題として残しておき、本書では取り扱わない。
 
 ただし本書が以上の読解指針をとるからといって、王道的な理解に異議を唱え、奇をてらった解釈を提示したいわけではない。本書の主張は、けっして筆者が独力で辿りつくことができたものではなく、とりわけ昨今のレヴィナスをめぐる資料状況の変化、それに伴う研究動向の推移から多くの示唆を得ている。
 振り返るなら、『全体性と無限』は最初から〈他者の倫理〉の著として迎え入れられたわけではない。というより、東方イスラエリット師範学校といういわば外国人学校の校長職を主な肩書きとし、定期的にではあるが非常勤講師のようなかたちで、哲学コレージュといういわば非認可の教育施設で講師をしていただけのこの在野の思想家の国家博士論文は、そもそも読まれてすらいなかった。ジャン=リュック・マリオンが言うように、フランスの哲学界隈にあっても同書の「受容にあたっては驚くべき遅れ」があった[Marion, 2015 : 11 ]。
 もちろん、フッサールの『デカルト的省察』の仏訳者にして、『直観の理論』および『実存の発見』を通じてフッサールおよびハイデガーの思想をフランスに導入した功績は専門筋からは認められていた。けれども、マリオンの証言によれば『全体性と無限』に向けられていたのは「驚嘆すべき無関心と沈黙の尊敬」だった。つまり、レヴィナスは「きわめて重要で、かなり難解な真の哲学者」としては認識されるものの、「遠くから尊敬」されるにとどまり、その哲学的な主張がそれ自体として受け止められるのにかなりの年月を要したというのだ。
 『全体性と無限』の解釈史をここで紐解く余裕はないが、モーリス・ブランショとジャック・デリダという注目すべき例外を除くと、公刊直後は、ほとんど注目されることはなかった。『ケンブリッジ・レヴィナス必携』序文でサイモン・クリッチリーが指摘するように[Critchley, 2002 : 2 ]、ヴァンサン・デコンブが一九三三年から七八年までのフランス現代哲学の展開をまとめた『同と他――フランス哲学の四五年』[Descombes, 1979]では、レヴィナスはほとんど言及されていない。もちろん、とりわけ現象学の領域では最初期からレヴィナスに注目をしていた研究者はいたし(ただし彼らは〈他者の倫理〉より「超越」概念を重視していた)[cf. Forthomme, 1979 ; Ciaramelli, 1989 ; Féron,1992]、レヴィナスからユダヤ思想への誘いを受けた研究者も少なくない。また、継続的に関係をもっていたカトリックの研究者たちとの交流も見逃せない。けれども、〈他者の倫理〉はおろか、その名前すら広く知られていたわけではなかった。
 レヴィナスが注目されるようになるのは、フランスにおいてですら八〇年代以降のことである。これは〈六八年五月〉以降のフランスにおけるいくらかの社会思想史的な背景も無関係ではないが、いずれにしても一九八〇年以降、いくつかの論集やシンポジウムを契機として、飛躍的にレヴィナスについての研究が増えてゆく。とりわけ、レヴィナス自身による対談『倫理と無限』のラジオ放送がなされ、同書が一九八二年に公刊されて以降、レヴィナス思想の受容が加速してゆく。東方イスラエリット師範学校の教え子にあたるサロモン・マルカによる一九八四年の解説書『レヴィナスを読む』[Marka, 1994]、フランス語では『エマニュエル・レヴィナス――あなたは誰』というタイトルがついたフランソワ・ポワリエとの一九八七年の対談本(『暴力と聖性』)などによって、レヴィナスの人となりも徐々に知られるようになる。八〇年代後半からは既刊著作も続々と普及版として文庫化されるようになる。そのなかで、一九八六年にスリジー・ラサールにて開かれたレヴィナスをめぐるはじめての大規模なシンポジウムが「第一哲学としての倫理」と題されたことは[Greisch et Rolland, 1993]、「倫理」というキーワードの定着に貢献したにちがいない。
 英語圏においても、同じ「第一哲学としての倫理」を冠する論集によってレヴィナス思想の導入がはじまる[Peperzak,1992 ; Manning, 1993]。とりわけ、ジャック・デリダの脱構築思想が英米の哲学研究の一部のなかで注目されて以降、英語圏でのレヴィナスおよびデリダ研究の中核を担ったサイモン・クリッチリーの『脱構築の倫理――デリダとレヴィナス』のタイトルが示唆するように[Critchley, 1992]、いわゆるデリダにおける「倫理的転回」に伴走するかたちで、〈他者の倫理〉としてのレヴィナスという像が定着していったように思われる。
 いずれにしても、このように受容史を足早に振り返って確認できるのは、『全体性と無限』という第一の主著は、それ自体として読まれたというよりも、すでにレヴィナスの哲学が全体として完成した地点から振り返るかたちで意味づけされてきた、ということだ。ふつうは「第一の」とは、「第二の」ものが出てこないかぎりはそう言われないが、『全体性と無限』は最初から「第一の」、あるいは「中期レヴィナス」の主著として読まれたということである。〈他者の倫理〉として『全体性と無限』を読むという方向性も、そうした姿勢に多分に基づいているだろう。
 転機が訪れたのは、二〇〇〇年代中葉である。
 二〇〇五年から二〇〇六年にかけてフランスをはじめ世界各地でレヴィナス生誕一〇〇周年を祝うシンポジウムなどが開かれたが[cf. Cohen-Levinas et Clément, 2007 ; Burggraeve, 2012a ; Burggraeve, 2012b]、これがレヴィナス思想全体の読み直しの契機となった。それから五年後の二〇一一年の『全体性と無限』公刊五〇周年の際には、日本を含む各地で同著を主題とした催しが開かれたり、論集が公刊された[Cohen-Levinas, 2011a ; Davidson and Perpich, 2012 ; 合田、2014 ; Cohen-Levinas et Schnell, 2015 ; Hoppenot, 2017]。こうしたなかで『全体性と無限』を主題的に再読する機運がいっそう高まっていった。
 もう一つ付け加えなければならないのは、二〇〇九年から開始した『レヴィナス著作集』の公刊である。現在まで、未発表資料を中心に三巻が公刊されている。第一巻には、とりわけ、第二次世界大戦中、概ね一九四〇年から四五年のあいだに書かれた七冊分の「捕囚手帳」に加え、『全体性と無限』の時期までの、招待状の裏紙などに書き記された「哲学雑記」が収録されている。第二巻には、これも戦後からほぼ『全体性と無限』が完成される時期まで基本的に毎年一度行なわれていた哲学コレージュという機関での講演録が収められている。第三巻には、大戦中に構想されたレヴィナスの二つの未完小説の原稿などが見られる。これらの資料には、既刊著作にすでに現れる表現や思考の形跡なども見られるが、その内容を検討してみると、これまで見られなかった発想や、気づかれなかった連関などが浮かび上がってくる。もちろん、著者本人が公刊を決断しなかった資料やメモ書きから、哲学者本人の秘められた思想や真意のようなものを推し量れるとするのは牽強かもしれない。しかし、これらのテクストと既刊著作とを付き合わせることで、『全体性と無限』に向けたレヴィナスの思想の歩みの全体像が――これまで見逃されていたり見誤られてきたりしていた風景とともに――浮かび上がってくるだろう。
 この著作集公刊は、レヴィナス研究にさまざまな新たな波をもたらすことになった。レヴィナスにおける「捕囚」を主題とするさまざまな論考が出され[Cohen-Levinas, 2011b ; Housset et Calin, 2012 ; 渡名喜、2015 ; Sebbah, 2018]、そのなかで新たなテーマが提示されたり、従来のテーマについての新たな視角がもたらされたりした。なかでも、「音の現象学」[cf. Arbib, 2012 ; Arbib, 2014 ; Richter, 2014]、さらには『全体性と無限』公刊直後から関心を寄せ『存在の彼方へ』へと結実する「メタファー」についての考察は重要だろう[Calin, 2012 ; Faessler, 2012 ; del Mastro, 2012 ; 関根、2013 ; Pavan, 2014 ; 犬飼、2019]。従来から見られていたテーマについても、「糧」をはじめ新たな検討は注目に値する[Pelluchon, 2012 ; Pelluchon, 2015]。とりわけ、こうした新たな研究状況を十分に踏まえたラウル・モアティおよびダン・アルビブによる『全体性と無限』の総合的な解釈の試みは、今後のレヴィナス研究にとって必読文献と言える[Moati, 2012 ; Arbib, 2014]。
 本書に関してもっとも重要なのは、次の二点である。
 第一に、ハイデガーとどのように距離を取るかがレヴィナスの関心の主要な部分を占めていたことは論を俟たないが、『著作集』第二巻の編者が強調するように、なかでも「被投性」に対する批判的検討こそが、レヴィナスの「ハイデガーの哲学に唯一対置されるに値すると言われる「新たな視点」がどのようにはじまるのかを理解させてくれる」ことがはっきりと浮かび上がってくる(O2, 24 /二〇)。本書も折に触れて注目するように、「捕囚手帳」から哲学コレージュの連続講演を通じ『全体性と無限』最終部にいたるまでに、「被投性か繁殖性か」という問いこそがレヴィナスの思索の展開を導いてきたとも言えるだろう[cf. 渡名喜、2016b]。
 第二に、『著作集』全体のきわめて重要な意義だと思われるのは、「エロス」の問題が四〇年代からレヴィナスの関心の中心の一つであることが明らかにされたことだ[cf. Nancy, 2011]。『実存から実存者へ』および『時間と他なるもの』の末尾で示唆される「エロス」や「繁殖性」といった概念は、「女性的なもの」や「愛撫」をめぐるその独特の散文的な文体も手伝って、レヴィナスの哲学ないし〈他者の倫理〉にとって、多かれ少なかれ収まりの悪いものと映っていた。これに対し、とりわけ『著作集』第一巻「捕囚手帳」に頻繁に見られる言及や、第三巻での小説『エロス』の発見は、「エロス」の問題系がむしろ『全体性と無限』にいたるレヴィナスの思想の通奏低音をなしていたことを示すとすら言ってよいだろう。
 
 本書が、「人間なるもの」という手垢に塗れたとも評されかねないテーマをあえて主軸にして、一見すると突飛な解釈を提示するにいたったのは、以上のような未発表資料の発見やそれに伴う研究動向の変化を背景にしている。それらを読み進めるにつれて、レヴィナスの著作は、時期ごとに独立した仕事として見るべきではなく、当初は荒削りで途中でいくらかの修正があっただろうが、とはいえ一定の企てに導かれて進められていったと考えるべきではないかと思われた。〈顔の倫理〉の思想的な意義をけっして低く見積もるつもりはないが、少なくとも『全体性と無限』までのレヴィナスの哲学にとっては、その位置づけを相対化して捉え直す必要があるように思われたのも、こうした経緯ゆえのことである。むしろ、『全体性と無限』という著作は、レヴィナスにとって、それまでに自身が公刊した著作(『直観の理論』、『実存から実存者へ』、『時間と他なるもの』、『実存の発見』)と並ぶ一冊の独立した理論書というよりは、それらを通じて完成させようとした自らの哲学の一つの集大成として読むべきだと思われる。
 
 本書は、以上のような展望のもと、おおよそ時系列に沿った五つの部分から論を進める。
 第Ⅰ部では、三〇年代までのレヴィナスの思想の最初期を取り上げ、現象学、ナチズム、ユダヤ性という三つの主題のあいだを巡りながら、レヴィナスが自らの哲学を紡ぎはじめる様を検討する。「フッサールに会いに行きハイデガーを見つけた」と語る若きレヴィナスの三〇年代初頭に書かれたフッサール論およびハイデガー論には、若書きの解説書にとどまらない独自の思想の方向性が示されている。「具体的な生」の「豊饒さ」を描きうるハイデガー存在論のほうに可能性を見てとったレヴィナスは、しかし、それが当時台頭してきた政治的な運動とある種の「精神性」を共有していることを感じとるようになる。この「ヒトラー主義」に対し、レヴィナスはあくまでも哲学的な分析を試みる。「ヒトラー主義」が「ユダヤ人」に対して強いる「決定的」な「繫縛」という問題を、レヴィナスは存在論的な次元まで掘り下げて捉え直すことで、そこからの「逃走」ないし「解放」の可能性を探し出そうとするのだ。
 第Ⅱ部は、第二次世界大戦における捕囚生活を経て、解放直後に自分自身の哲学を開陳しはじめる過程を追う。捕虜収容所のなかで綴られていた「捕囚手帳」の公刊により、「収容所」においてレヴィナスがどのような思想を温めていたのか、さらに、「捕囚の境涯」で準備されたと告げられる『実存から実存者へ』が具体的にどのように構想されていたのかがようやく見通せるようになってきた。そこから明らかになるのは、「捕囚手帳」に綴られた「私の哲学」の計画が、『実存から実存者へ』ばかりでなく『全体性と無限』にいたるまでのレヴィナスの哲学的企てのスケッチとなっていることだ。ここではさらに、同じ時期に書かれはじめたレヴィナス自身による小説の草稿にも目を配ることで、この企てがいかなるものだったかを明らかにしたい。
 第Ⅲ部では、四〇年代末から五〇年代初頭にかけて、すなわち『全体性と無限』(一九六一年)の構想を温めていた段階で、レヴィナスがどのように自らの思想を練り上げていったのかを見てゆく。『レヴィナス著作集』第二巻の公刊によって、この時期の講演記録を読むことが可能になり、レヴィナスの思想の展開をいっそう具体的に跡付けることができるようになった。ここで焦点となるのは、第一に「捕囚の境涯」において示された哲学的なプログラムが『時間と他なるもの』(一九四七年)においてどのようなかたちで定式化されてゆくかである。第二に、「顔」の「倫理」という発想がはっきりと現れるのもこの時期にほかならない。「顔」はどのようにして、またなぜ要請されなければならなかったのか。第三に、『実存の発見』(初版は一九四九年)を、そのもととなる講演原稿と付き合わせて再読することにより、独自の思想の内容を固めはじめたレヴィナスが、ハイデガーに対しどのように照準を合わせていたのが明らかになるだろう。
 第Ⅳ部は、以上の議論に基づき、『全体性と無限』全体の構成を再検討する。同著の内的構造について、第二部の「享受」の自我、第三部の「顔」への「応答可能性=責任」、第四部の「女性的なもの」へ向かう「エロス的欲望」の関係を「超越」と「内在」の弁証法的運動とか、ジグザグな展開といったかたちで理解する観点が提示されてきた。だが、レヴィナスの議論の各々は、そうした発展図式に基づいて配置されているのではなく、人間の「具体的な生」の全体を構成する各々の要素を記述しようとしているのではないだろうか。こうした観点から、まず第一章では、レヴィナスの「倫理」の思想がどのように固められていったのか、これをあらためてハイデガー存在論への批判および「政治」と「倫理」の対置から検討する。第二章から第四章にかけては『全体性と無限』それぞれの部と同じテーマを扱い、「享受」、「応答可能性」、「エロス」が、それぞれ、「身体」、「意味」、「時間性」の層において現象学的な志向性の構造を有するとともに、有限的な主体の「権能」を超えた「無限」との「接触」の場、言いかえれば「触れることのできないものの接触」の場(ないし感覚(サンス))をなすものであることを示す。
 これにより、『全体性と無限』という奇怪な書物が、レヴィナスが最初期から温めてきた思想、つまり「人間」なるものの「存在すること」の「意味」をめぐって、フッサール現象学およびハイデガー存在論の影響下で、とはいえそれを独自の仕方で乗り越える気概を保ちつつ、自らが練り上げてきた哲学体系を開陳するものであることが示されるだろう。
(傍点と注は省略しました)
 
 
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