発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが、けいそうビブリオフィルにご登場です。書評連載なのですが、なかでも「燃えた」本についてご紹介くださる予定です。「燃えた」とはどういうことなのか? 「燃えよ」と願う本があるのか? どうぞお楽しみください。[編集部]
本は燃えてきた。
書く者は、燃えたぎる想いを一冊の本に託し、読む者の心を燃え立たせ、その火は社会を煽り、民衆は立ち上がり権力者は怒り、本は焼き払われ、ときには書いた者、読んだ者すら焼き殺された。
人の心も世論も紙のパルプも炎上しまくり。それが本の歴史である。
はじめまして、小倉ヒラクと申します。僕は発酵文化のスペシャリストとして、世界各地の発酵や微生物に関わるモノや歴史を調べてまわる仕事をしています。数年前から何冊か著書も執筆していて、本に囲まれた生活を送っています(僕の活動にご興味を持たれた方は拙書『発酵文化人類学』(木楽舎、角川文庫)をご一読あれ)。
本好きが高じて、これまで様々な媒体で書評記事や解説文、帯文を書いてきました。そのご縁もあり、このたびマイ本棚に多数ある勁草書房さんのWEBサイトで本にまつわる隔週連載執筆の機会をいただきました。で、どんなテーマにしようかな……としばし考えた後、『燃えよ本』というスゴいタイトルの連載を始めることにしました。
で。最初に断っておくと、燃えるような情熱で読書しよう!という呼びかけではなく、古今東西の「炎上本」、時代をクリアに切り取り、物議を醸し、後代の礎(いしずえ)となった本とその周辺のトピックスを取り上げていきます。
今でこそ書店に行けば「教養のために本を読もう!」と己を高めるため、デキるビジネスマンになるため、円滑な人間関係を築くためのナレッジが詰まった本がギッシリ並んでいます。が! 古代からつい数十年前まで、本を書いて出版するのはもちろん、読んで所有するのも命がけ、という社会が当たり前のように存在していたのですね。
裏を返せば、それだけ一冊の本が社会に与える影響が大きく、世界を変えてしまう可能性があったわけです。
例えば孔子の『論語』。
伝説の儒家、孔子の名言を後代の弟子たちがアンソロジーとしてまとめた本なのですが、秦の始皇帝の時代、人徳でなく法律で世を治めようとした時の政権から危険視され焚書坑儒(書を焼き、儒者を坑(穴)に生き埋めにする)の憂き目にあいます。
他にもカエサルによるエジプトのアレクサンドリア図書館の焚書やヒトラーによる非ドイツ的思想の本の焚書など、古代から現代まで象徴的な炎上が繰り返され、本は燃えまくってきました。
本は好奇心に溢れた読者に新たな世界の視点を、虐げられてきた者に不条理の構造の理解をもたらします。ところが。かつてなかった「新しさ」、あるいは当然であったものの論理的矛盾をつく「明晰さ」が全ての人に行き渡ることを、時の為政者は良しとしなかった。
物理的に燃やされるまでいたらなくても、権力を揺るがすほど内容がアヴァンギャルドすぎたり、猥褻すぎたり、荒唐無稽すぎたりして議論を巻き起こし、裁判沙汰になったり関係者が死んだりなど大炎上した本も多数。
ちなみに本を燃やすフィクション作品も多數。レイ・ブラッドベリ『華氏451度』は焚書がテーマの古典SF、タイトルは紙が自然発火する温度(摂氏だと233度)。そして近未来SF映画『デイ・アフター・トゥモロー』では氷河期になったニューヨークで主人公たちが図書館の本を燃やして暖を取っていました。
物質的にもコンテンツ的にも燃えやすい。それが本。
そして。ハイカロリーで炎上しながら灰になることなく、現代まで生き延びてきたタフネスの極み、それが古典。
革新的であればあるほど、覚悟があればあるほどリスクが増す出版は往々にして、アンダーグラウンドな非合法活動であり、それを書く著者も、出す出版社も、売る書店も一筋縄でいかなすぎるエキセントリックな人物のオンパレード。
この連載は、毎回あるトピックスを設定し、それにまつわる複数冊の本を取り上げながら社会の燃えっぷり、炎上のきっかけになった著者の過剰なバイタリティ、炎上に巻き込まれて右往左往した当時の人々の悲喜こもごもを描いていきたいと思います。
なお選書する際のポリシーとしては、
■ 見つけやすい本を
それなりの品揃えの書店や図書館ですぐ見つかるもの で、そのトピックスにおける代表的な古典/名著
■ ニッチトピックスも扱う
文系理系問わず普段読者の皆さまが触れなさそうな話題も積極的に扱う
■ 系譜がなんとなくわかる
複数の本を取り上げることで、そのトピックスがいかに立ち上がり、発展し、議論になってきたかを文字数制限のなかでなるべく掘り下げます
それでは前口上はここまで。第1回のトピックスは「書店」。それでは行ってみよう、燃えよ本!
《バックナンバー》はこちら⇒【燃えよ本】