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『幽玄とさびの美学』

 
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西村清和 著
『幽玄とさびの美学 日本的美意識論再考』

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序章 日本的美意識
 
1 幽玄と象徴
 幽玄やわび・さびは日本的美意識だ、という。それは、日本文化を代表する世阿弥の能や利休の茶道、芭蕉の俳諧がそれぞれに理想とする美の理念をあらわしており、それゆえそれらはとりわけて「日本的なるもの」、日本に固有の精神の真髄だというのである。じっさいこんにちでも、「わび・さび」と聞いてひとはまず「閑寂ななかに奥深いもの」が感じられる茶室や竜安寺石庭を思い浮かべるし、薪能のポスターにはしばしば「明神能幽玄の花」(『神田明神薪能』)とか「火影ゆらめく幽玄模様」(『南都春日・興福寺古儀薪御能』)というように、幽玄は能の決まり文句として用いられる。紅葉まつりのポスターにも、「闇夜を染める幽玄な夜もみじ」(『弘前城菊と紅葉まつり』二〇一七年)とか「千年の彩りの中で静かに幽玄の時を遊ぶ」(『花筺もみじまつり』二〇一〇年)のように用いられるが、前者は薪能と同様に、松明や照明によって闇夜に浮かびあがった能舞台や紅葉の優美なさまが、がんらい「暗さ」を意味する漢語の「幽・玄」のもつ響きとぴったりあっているという理由で、後者は福井県の「花筺(かきょう)」という土地が世阿弥の能『花筺(はながたみ)』の舞台であることから、とくに幽玄という語がキャッチコピーとしてえらばれたのだろう。これらの語についてわれわれはなんとなくわかったような感じをもつ一方で、それらがそもそもなにを意味しているのかを正確にいいあらわそうとすると、それらはたちまちはっきりした輪郭を失って、謎めいた呪文のようなものになってしまう。いまわれわれとして、とくに幽玄と「さび」にかんして、あらためてこの謎を解きあかそうとするには、まずはこれらの語がいつ、どのようにつかわれ、それがどうして能や俳諧と結びついたのかを、簡略にでもたどってみる必要がある。(以下、本文つづく)
 
 
あとがき
 
 「幽玄」はわたしにとっては、学生時代以来の宿題である。昭和六〇年代は、戦前の幽玄論の第一世代のあとの、いわば第二世代ともいうべき時代で、雑誌の特集や書籍のタイトルに、幽玄という、よくわからないが、その字面からもなんとなく深遠な響きをもつことばを目にすることが多かった。当時美学をはじめたばかりのわたしは、能に興味がありしばしば能楽堂に足をはこんでいたこともあって、とくに能における幽玄を論じていそうな論文や書籍をあれこれと読んでみた。だがじっさいにそれがなにを意味しているのかは結局わからなかったし、以後も幽玄・わび・さびを基軸とするようないわゆる「日本的美意識論」には関心を寄せつつも、その時代をこえた実質としての「日本的なるもの」を想定する主張には、こんにちにいたるまで違和感をもたざるをえなかった。本書はこの長年の違和感の所在を解明するべく、現在においても、そして専門研究者のあいだでもいぜんとして謎にとどまる幽玄と「さび」を、これらの語がじっさいに使われた文脈をたどってあきらかにしようとするものである。
 わたしにはこれまで、能や歌舞伎についてはいくつかの美学的論考がある。このたび美学者として幽玄と「さび」の謎を、その源流である和歌や俳諧にまでさかのぼって解明することは、わたしにははじめての試みである。当然のことながらその作業はわたしに、あらためてわが国における日本文学研究の伝統と蓄積の分厚さを再確認させるものとなった。本書の議論の多くは、すでに日本文学研究者たちによって多方面になされてきた研究成果に負っている。だがそうした資料や研究を渉猟するなかで、美学の立場からかれらの議論に参与するべきいくつかの論点があること、そして美学者としてこのテーマになにがしかの寄与ができることもわかってきた。それはたとえば、感覚特徴と美的質、象徴・象徴主義と暗示、物語りと描写、発話主体と語りの視点、懐旧・追憶の静観と恋慕・悔恨の焦燥、ときに物我一如と記述されるような対象・情景と感情・気分の照応関係といった論点であり、本書はそうした問題に美学的なアプローチでせまろうとするものである。この意味で本書は幽玄と「さび」という美的概念についての「美学」であり、その結論をふまえての「日本的美意識論」の再考なのだが、著者としてはたんに美学に関心をもつひとのみならず、日本文学に関心を寄せる多くのひとにも読んでもらいたいと願っている。
 
 
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