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『増補新装版 他者への自由』

 
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井上達夫 著
『増補新装版 他者への自由 公共性の哲学としてのリベラリズム』

「[増補] 浮かれし世界が夢の跡──リベラリズムの哲学的再構築」(冒頭)(pdfファイルへのリンク)〉
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[増補] 浮かれし世界が夢の跡──リベラリズムの哲学的再構築
 
一 「折り返し点」の総括
 本書は、一九九九年に創文社から刊行した初版『他者への自由──公共性の哲学としてのリベラリズム』の増補新装版である。創文社が解散したため、同社から一九八六年に刊行した初版『共生の作法──会話としての正義』とともに、勁草書房によって再刊されることになった。『共生の作法』の場合と同様、本体は改変せず、本書の意義に関する現在の私の「自己分析」を、自著解説文として末尾に付したい。
 初版『共生の作法』は私の最初の著書であり、本書初版は著書としては「第二作」である。第二作を出すまでに約一三年かかったのは、怠けていたからではない。書きたくても書けない行き詰まり(writer’s block)に突き当たっていたからでもない。むしろ、様々な論文の執筆に追われて忙しく、本にまとめる余裕がなかったからである。第一作の初版『共生の作法』を出した三二歳前後から第二作の本書初版を刊行した四五歳前後までの間、私は第一作で提示した正義論を基底に置いてリベラリズムを哲学的に再定義するとともに、その法的・政治的含意を明らかにする研究に没頭していた。
 この研究をまとめて世に問う書物として、まず正義基底的リベラリズムの哲学的基礎を解明する本書初版を刊行した。その後、このようなリベラリズムの哲学的再編が法と政治の問題に対してもつ理論的・実践的含意を敷衍する著書を立て続けに刊行した。現代日本社会の病巣を剔抉する『現代の貧困』(岩波書店、二〇〇一年)、グローバル化により葛藤と亀裂がさらに深刻化した現代世界の諸問題を考察する『普遍の再生』(岩波書店、二〇〇三年)、さらに正義基底的リベラリズムの法理論的含意を探究する『法という企て』(東京大学出版会、二〇〇三年)がそれである(岩波書店から刊行した前二著はそれぞれ二〇一一年、二〇一九年に岩波現代文庫版として再刊されている)。
 四〇代後半の四年間に集中的に公刊された本書初版と後続のこれら三著は、三〇代前半からの二〇年弱に及ぶ私の研究を集大成した「四部作(a tetralogy)」とも言うべきものである。『共生の作法』初版が、その刊行と前後して『国家学会雑誌』に連載した私の助手論文「規範と法命題」──これを増補改訂した単行書が木鐸社より今春刊行される予定である──とともに、私の「青年期」の研究の総括だとすれば、これら四部作は、「中年期」における総括ということになる。ただ、「中年」という言葉はなんとも寂しい響きがするので、「人生の折り返し点」における総括と呼びたい。本書初版は、この「折り返し点四部作」の嚆矢であり、言わばその「哲学的原論篇」である。
 
二 時代背景──ポスト冷戦時代の夢の崩壊
 本書初版を含む四部作を刊行した私の人生の折り返し点は、二〇世紀から二一世紀への転換点と重なっていた。「世紀の転換点」と言ったが、キリスト教の暦法に従った世紀の変り目にすぎない時期に「時代の転換」というような大仰な歴史的意義付けをして、欧米中心主義の旗を振るつもりはない。ただ、世紀が変わったからではなく、世紀の変わり目と偶々時を同じくして、政治・経済・文化など様々な領域で世界が激動していたことは事実である。背景も影響も異なる様々な事象が錯綜し、単純な図式で当時の世界の変動を総括することはできないが、本書の問題関心に関わる断面を切り取るなら、「ポスト冷戦時代の夢の崩壊」と呼ぶべき激震が世界に走っていた。
 「ポスト冷戦時代の夢」とは、世紀の変り目のわずか一〇年ほど前に世界の人々が抱いた希望である。一九八九年一一月にベルリンの壁が崩壊し、その翌年、西独が東独を吸収合併する形でドイツが再統合され、一九九一年末にソ連が崩壊、東欧諸国もソ連支配の軛から解放されて民主化を進め、冷戦は「東側共産圏」の自壊による「西側自由世界」の勝利で終わったかに見えた。人類のイデオロギー闘争としての歴史は、リベラル・デモクラシーの最終的勝利により終わったとするフランシス・フクヤマの「歴史の終焉」論のごとき「多幸感(euphoria)」に耽溺する言説も広がった。
 さらに、一九九〇年、サダム・フセイン体制下のイラクによるクウェート侵攻に対し、国連安全保障理事会の承認に基づき、国連多国籍軍が軍事介入し、イラク軍を制圧してクウェートを解放した。冷戦時代には東西両陣営の常任理事国の拒否権発動合戦で機能しなかった安全保障理事会が、冷戦の終焉により侵略に対し実効的制裁を課すことができるようになり「国連による平和」の時代が到来したと喜ぶ言説が、メディアや一般人の間だけでなく、国際法・国際政治の専門家の間でも広がった。軍事的対立からの解放による経済的繁栄の利益が「平和の配当(Peace Dividend)」として世界にあまねくもたらされるとの期待も伴って。
 このとき世界中で多くの人々が「人類の永年の希望が成就する輝かしき未来」の夢を見た。夢に浮かれた。しかし、ベルリンの壁の崩壊が生んだこの夢は、その「壁」と同様に、まるで「壁」のあとを追うように、脆くも崩れ去った。(以下、本文つづく。傍点は割愛しました)
 
 
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