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『あまりに人間的なウイルス』

 
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ジャン=リュック・ナンシー 著
伊藤潤一郎 訳
『あまりに人間的なウイルス COVID-19の哲学』

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訳者あとがき
 
 本書は、Jean-Luc Nancy, Un trop humain virus, Bayard, 2020 の全訳である。日本語訳では、「COVID-19 の哲学」という副題を加えている。原書は二〇二〇年一〇月半ばに刊行されており、収録されている論考は同年の三月から六月にかけて発表されたものである(「まえがき」のみ、著者が述べているように八月に書かれている)。二〇一九年末に発生し、瞬く間に世界中に広がった新型コロナウイルス感染症に関しては、事態の性質からして論考がいつ発表されたのかという日付が重要な意味をもつだろう。そのためここではまず、各論考の発表日時や媒体などの初出情報を示しておく(URLの最終確認日は、すべて二〇二一年四月一〇日)。
 
「あまりに人間的なウイルス」二〇二〇年三月一七日にYouTube チャンネル「感染の時代に哲学する」において発表された映像。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=Msu0hAJXdhw
「「コミュノウイルス」」二〇二〇年三月二五日に『リベラシオン』紙に発表された論考。
「子どもでいよう」二〇二〇年四月四日にイタリアで配信されたライブストリーミングにおける講演。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=JsQ2HB7ABoA
「悪と力」二〇二〇年四月七日にYouTube チャンネル「感染の時代に哲学する」において発表された映像。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=kT7S2ciWz9o
既訳として「病と力」(市川崇訳、『三田文学』、第九九巻第一四二号、三田文学会、二〇二〇年)があり、訳出に際して参考にさせていただいた。
「自由」二〇二〇年四月二六日にYouTube チャンネル「感染の時代に哲学する」において発表された映像。初出時のタイトルは、「自由に関する問題」だった。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=yPZgTJQO5FY
「新ウイルス主義」二〇二〇年五月一一日に『リベラシオン』紙に発表された論考。初出時のタイトルは、「新自由主義(ネオ・リベラリスム)から新ウイルス主義(ネオ・ヴイラリスム)へ」だった。
「自由を解放するために」二〇二〇年五月二一日に、イタリアのパドヴァ大学主催のもと行われたオンライン講演。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=QmWjJD5Pyt8
「有用性と非有用性」二〇二〇年五月三一日に、メキシコの「フェスティバル・アレフ」で行われたオンライン講演。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=nFFZI4Z6FQ8
「あいかわらずあまりに人間的な」二〇二〇年六月八日にYouTube チャンネル「感染の時代に哲学する」において発表された映像。
URL:https://www.youtube.com/watch?v=cthb0n7CtQY
「ニコラ・デュタンとの対話」二〇二〇年三月二八日に、ニュースマガジン『マリアンヌ』のWeb サイトに掲載された対話。本書に収録されるにあたって増補がなされている。
URL:https://www.marianne.net/culture/jean-luc-nancy-la-pandemie-reproduit-les-ecarts-et-les-clivages-sociaux
「未来から来るべきものへ─ウイルスの革命」二〇二〇年五月一八日に『ル・モンド』紙に発表された、ジャーナリストのジャン=フランソワ・ブトールとの共著論考。初出時のタイトルは、「コロナウイルス─民主主義だけが、私たちの歴史がコントロールできないということと集団的に折り合いをつけることを可能にする」だった。
 
 コロナ禍における議論は、いずれもその時々の状況を強く反映したものとならざるをえず、それゆえ時が経つにつれ執筆時の背景が見えにくくなっていきかねない。そのため、現時点では自明と思えることであっても、新型コロナウイルス感染症をめぐる時事的事柄に関しては適宜訳註で補足したことをお断りしておく。
 そうした細かな情報以外のコンテクストとして最低限補足しておかなければならないのは、ジョルジョ・アガンベンとの関係だろう。本書では「あまりに人間的なウイルス」が冒頭に配されているが、実のところナンシーによる新型コロナウイルス感染症に関する論考はこれが最初のものではない。それ以前の二〇二〇年二月二七日に、ナンシーはウェブ雑誌「アンティノミーエ」に「ウイルス性の例外化」という短いテクストを発表している(拙訳、『現代思想』第四八巻第七号、特集:感染/パンデミック、青土社、二〇二〇年)。このテクストは、アガンベンがその前日に公表した「エピデミックの発明」(『私たちはどこにいるのか?─政治としてのエピデミック』高桑和巳訳、青土社、二〇二一年所収)に対する応答という色合いが強く、それゆえに本書には収録されていないものと思われるが、「あまりに人間的なウイルス」をはじめとする本書の各所には、アガンベンを意識した議論が散見されるうえ、「ニコラ・デュタンとの対話」の末尾ではアガンベンに対する直接的な言及もなされている。その意味でも、本書はアガンベンの『私たちはどこにいるのか?』とあわせて読まれるべきものだと言えるだろう。
 またアガンベンとナンシーの議論は、ロベルト・エスポジトをはじめとする多くの哲学者や思想家の注目を集め、さまざまな応答を引き起こした。前掲『現代思想』の「感染/パンデミック」特集号には、エスポジト「極端に配慮される者たち」とセルジョ・ベンヴェヌート「隔離へようこそ」の翻訳も掲載されているのであわせて参照されたい(いずれも高桑和巳訳)。
 さらにアガンベンとの関係でもう一点だけ補足をしておきたい。初出情報を見れば明らかなように、本書に収められたナンシーの論考の多くはウェブ上で発表されたものである。とりわけ、YouTube で公開される動画に積極的に登場するナンシーの姿は、コロナ禍以前の公的なシンポジウムやインタビューの際に収録された映像とは異なる印象を与えるものだった。コロナ禍においては、授業であれ会議であれ学会であれ、プライベート空間からビデオチャットシステムなどを利用して参加することが常態化したが、そうした「相互接続」のあり方に直接的には言及せず動画に登場するナンシーの態度をどう見るかは考えるべきところだろう。少なくとも、コロナ禍における動画配信という「相互接続」への向き合い方に関して、ナンシーとアガンベンのあいだに際立った違いがあったことは記憶にとどめておかなければならない。この間、アガンベンはけっしてプライベート空間から動画を配信しなかったが、そうした態度はコロナ禍において「あらゆる公共空間の純然たる廃止」が進んでいるという意識に裏打ちされているはずである(「説明」、前掲『私たちはどこにいるのか?』、三九頁)。デジタルデバイスとともに、いつのまにか家の中に複数のカメラが侵入し、それが「活用」されている現在、コロナ禍における公/私の区分という問いは、ナンシーが提起する「相互接続」の問題を考えるうえで避けて通ることはできない。
 ナンシーの議論の内容については、訳者あとがきでこれ以上余計なことを付け加えないほうがよいだろう。読者が本書を開く時と場所に応じて、そこから新たな思考が紡がれていくとしたら、訳者としてはそれに勝る喜びはない。
 
 
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