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『ジャーナリズムの倫理』

 
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山田健太 著
『ジャーナリズムの倫理』

「序にかえて」「第2講 ジャーナリズム倫理の特性(冒頭)」(pdfファイルへのリンク)〉
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序にかえて
 
 言いたいことが言える社会を維持・発展させるには、言論の自由を保障する社会制度と、その制度の護り手である健全なジャーナリズム活動が不可欠だ。どんなに制度が立派でも、市民社会の中で豊かで自由闊達な情報流通が行われる「場」が存在しなくては、宝の持ち腐れといえるだろう。
 国民の安全・安心を維持する上でも国家安全保障は重要であるが、同時に市民一人ひとりの自由や権利の保障も大切であって、それらはケース・バイ・ケースで比較衡量され、バランスよく社会選択がなされてきた。しかし残念ながら、今日の世界的状況をみると、その自由の保障制度とジャーナリズムの双方が危機に瀕している。
 テロや戦争によって、国家安全保障が声高に叫ばれ、そうした声が社会全体を覆うことで、常に国益が優先され、個人の人権は追いやられる状況がある。さらに新型コロナウイルス感染症のパンデミック等で、言論表現の自由を含めた私権の制限が当然視される事態が生じた。人権の制約は「例外」であったはずなのが、その例外が一般化し、原則と例外の逆転現象がそこここで起きている。
 一方でジャーナリズムも、伝統的マスメディアの衰退によって、継続的安定的な権力監視機能が社会の中で弱体化しているといわれる。あるいはインターネットによって個々人からの不特定多数向けの情報発信が容易となり、プロフェッショナルとアマチュアの境界線がどんどん低くなってきた。そうした中で、職業専門家としてのジャーナリストの希薄化が進んでいる。
 そういった時代状況にあるからこそ、あらためて「ジャーナリズム」とは何かを問いなおすことに意味があろう。
 とりわけ現代社会において、ジャーナリズムの必要性が認識されてきたのは、民主主義社会の成立・発展と強い連関性がある。近代ジャーナリズムは「デモクラシー・ジャーナリズム」という言い方もされることがあるが、民主主義を機能させるためには、ジャーナリズムが為政者(統治機構)から可能な限り距離をおき、従来は権力者に独占・寡占されていた情報や知識を、市民に広く伝達することが必要とされたからである。
 逆に言えば、中立・独立の立場から多様な情報を伝えることができる職務として、ジャーナリズムが社会的に必要とされたということだ。なぜなら、民主主義とは、市民が自分たちの判断で社会の進むべき方向を決めるということであり、その時の前提は、必要十分な情報を手に入れられることにほかならない。
 同時に、そうであるならば、ジャーナリズムが自ら守るべき姿勢も問われることになる。権力からの独立はもちろんであるが、正しいことを包み隠さず伝えることも大切だし、なにより、民主主義社会を維持するためには、戦争や憎しみを喧伝しないこと、独裁や専制を忌避することは必須だ。あるいは少数意見を尊重することや、市民の信頼を損なう行為を慎むことも当然だろう。
 こうした行動規範を、本書では「倫理」としていくつかの章に分けて解説している。現実には、マスメディアの姿勢が厳しく問われているのが実態だ。一方では政権に阿っていると批判され、もう一方では政権批判が過ぎて偏向しているといわれる。また別の局面では、メディアの取材・報道が市民の人権侵害として社会的に大きくクローズアップされる時代にある。
 いったい何が問題でその解決の可能性はあるのか。現場の記者や企業経営者にはどのような選択肢が用意されており、法的・倫理的に何が求められているのか。市民の誰もが情報を発信することが可能となったいま、その情報発信における社会ルールを考える上でも、ジャーナリズム(ジャーナリスト)のビヘイビアを検証・検討することが有効である。
 当然こうした行動規範と並行して、ジャーナリズムのありようを考えることも必要だ。「こうあるべき」という、理想としてのジャーナリズムあるいはジャーナリスト像である。それらとジャーナリズム倫理は密接に関係しているが、実際の報道がどうあるべきかについては、実践者であるジャーナリストに委ねたいと思う。ただし一方で、読者・視聴者・ユーザーである私たち市民は、個別の取材態様や報道内容を「辛口のサポーター」として、倫理上の観点からチェックしていくことは大切だ。
 本書の執筆にあたっては、現場でいま活躍されているジャーナリストを強く意識した。ジャーナリズムの現場で直面するであろう数々の問題への処方箋を示すものになれたら幸いである。同時に、インターネット時代において私たち誰もが情報の受け手であると同時に送り手であることから、プロのジャーナリストのみならず、すべての市民がスマートフォンで情報を発信する時に、知っておいてほしいことにも気を遣った。
 スマホ利用者はすなわち、言論法やジャーナリズムを学ぶ学生であり、一般市民そのものでもあって、報道倫理を知ることは、日々の生活の中での情報発信のリテラシーを高めることでもあるはずだ。メディアを学ぶ学生に限らず、とりわけ多くの若い人たちにとっての学びの書に加えてもらえることを期待する。
 また、いまだに日本においては「学」として確立しえていないとか、確立する前に消滅したとすら囁かれるジャーナリズムを、1 つの研究学問領域としての「ジャーナリズム学」にするために、少しでも役立ちたいという強い思いがあることを、あえて書き記しておきたい。それはまた、日本社会に成熟した民主主義を根付かせるために、必要不可欠な一過程だと考えるからだ。
 なお、本書は『法とジャーナリズム 第4 版』(勁草書房)と対をなすものであり、法と倫理は、表現の自由あるいはジャーナリズムを考える上で表裏の関係にある。したがって、本書のそれぞれの項目は内容的にも前著『法ジャ』と密接なつながりがあり、それを本文中ではたとえば、「法ジャ298 参照」と表記している。これは『法とジャーナリズム 第4 版』の298 頁を参照してほしい、という意味であることをあらかじめお断りしておきたい。
 前著『法ジャ』同様、左右ページ割とした。左ページにおいて、基本的な事項を解説し、右ページはそれに関する具体的な事例、詳細な実態、倫理綱領など、より理解を深めるための「資料」を掲載している。個別具体的な事例を知ることで、抽象的な議論になりがちな倫理問題を具体的にイメージしてほしい。
 また、各講の最終ページごとに関連する参考文献リストをつけている。ここに掲載したもの以外にも、多くの「ジャーナリズム」関連書籍はあるし、むしろ書籍以上に有益な論文も数多くあるが、ここでは単行本に限定している。また、倫理のありようについては当然のことながら、さまざま考え方があり、紹介した著書と必ずしも筆者の見解が一致しているわけではない。それも含め掲載した文献を手掛かりに、多様な見方・考え方を知っていただければと思う。
 
 
第2講 ジャーナリズム倫理の特性
 
Ⅰ メディアの倫理
 
1 コンプライアンスと倫理
 日本の場合、個々の企業体(媒体)が倫理綱領(ジャーナリズム倫理を明示的具体的に示したもの)を定める場合は多くはない。ただし、記者ハンドブックや記者行動綱領、番組制作ガイドラインといった形態の、事例に沿った具体的な行動規範や取材・報道上のルールをまとめたものを持っているのが一般的だ。また、放送局の場合は放送法で定められた番組編集基準を有する。
 これらは、広義の倫理綱領と呼んでもよかろう。一方で、一般企業同様に就業規則を有し、何かトラブルがあった場合には、規則違反として当該社員を処罰したり、社として謝罪することもよく見受けられる。この場合、最近よく使われるのが「コンプライアンス違反」という理由だ(法ジャ111 参照)。
 コンプライアンスは通常、法令遵守(順守)と訳されることが多いが、文字通りであれば、きちんと法に従って企業活動を行っているか、会社として組織的にチェックが効いているか、ということが問われる。流行り言葉でいえば、社としてのガバナンスがしっかりしているか、ということだ。
 一般企業の場合は会社法によって、社長が音頭をとり社員が違法行為をしないよう、日ごろから社内体制を整備して、しっかり目を光らせることが求められている。これは、内部統制義務(善管注意義務)と呼ばれる。したがって、収益を上げたいがために、社員に脱法行為をそそのかすなどはもってのほかだし、見て見ぬふりをしたり、商品やサービスに問題が生じているとの指摘があったにもかかわらず、その改善を図らず放置する行為などが、広く処罰の対象となっている。
 さらには、こうしたコンプライアンス上の重大なトラブルが発生した場合、その問題の所在と解決方法を、当該企業の内部努力や自浄作用に求めることは困難だと判断し、企業としての禊を対外的に示す方法として、外部の有識者や法律実務家(弁護士)に検証作業を委託することも一般的だ。飛行機事故などの場合は、法制度として独立した常設の調査委員会が強制力を有した調査を実施、報告書が公表される。(以下、本文つづく)
 
 
◆ 海外の倫理綱領
SNJ(SYNDICAT NATIONAL DES JOURNALISTES、フランス・ジャーナリスト連合)の倫理綱領
 
 1918 年7 月に策定されたフランス・ジャーナリスト憲章(Charte des devoirs professionnels des journalistes français)は、現在の原型が1938 年1 月15 日版で、2011 年3 月に改正。
 
※ 1938 年版(『ジャーナリストの倫理』)
 その名に値するジャーナリストは
・すべての記事に責任を取る
・中傷、証拠のない非難、文書の改竄、事実の歪曲、虚偽を最も重大な職業的過ちとみなす
・職業的名誉に関して最高権威者である同僚の権限しか認めない
・職業的品位と両立しうる任務しか受け入れない
・ 想像上の題名や内容に言及したり、また情報を得るためや誰かの誠意を不意打ちするために卑怯な手段を使うことを自分に禁ずる
・ 公共サービス機関やジャーナリストの資格、影響、関係が利用される可能性があるような私企業では金はもらわない
・商業、金融宣伝の記事には自分の名前を署名しない
・いかなる盗作も行わない
・同僚の文章を使う場合、筆者名を引用する
・同僚の地位を懇請したり、劣悪な条件で働くことになると提案して退職を勧奨しない
・職業上の秘密は守る
・私利私欲の意図で新聞の自由を行使しない
・自らの情報を誠実に発表する自由を引き受ける
・良心の辱めや正義への配慮を第一の規律とみなす
・自分の役割を警察官のそれと混同しない
 
※最新2011 年版
 ジャーナリストのための職業倫理憲章(Charte d’éthique professionnelle des journalistes)で付加された主たる項目は以下の通り。
・人の尊厳と無罪推定を尊重する
・ジャーナリズム行動の柱として、批判的思考、真実性、正確性、誠実さ、公平性を保持する。証拠のない告発、危害を加える意図、文書の改竄、事実の歪曲、画像の不正流用、嘘、操作、検閲と自己検閲、事実の非検証は許されない
・表現、意見、情報、解説、批判の自由を擁護する
・情報を入手するための不公正で金銭的な手段を禁止する
・報道の自由を利己的な意図で使用しない
 
 SNJ が1926 年にパリで結成したのがFIJ(Fédération internationale des journalistes、国際ジャーナリスト連盟、英=International Federation of Journalists、IFJ、ベルギー)で、約15 の職業組織を結集し、194 6 年にOIJ(Organisation internationale des journalistes、国際ジャーナリスト組合)として再出発したものの、冷戦で西側メンバーの離脱が相次ぎ、195 2年に現在のかたちで再創設された。1954 年にはボルドー宣言と呼ばれる「ジャーナリスト行動綱領」を発表。(以下、本文つづく)
 
 
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