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『ケアの倫理と共感』

 
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マイケル・スロート 著
早川正祐・松田一郎 訳
『ケアの倫理と共感』

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序文
 
 近年、ケアの倫理は、倫理思想・倫理理論として多くの注目を浴びる立場になった。しかし、そのアプローチの擁護者の多くは、ケアの倫理を、他の道徳的な思考様式を補完ないし改善するうえでどうしても必要なものと見なすのみで、道徳全般についての独り立ちした理論とまでは見なしていない。そうした見方とは対照的に、本書では、ケアの倫理によって、個人と政治の両方に関連する道徳について包括的な説明を与えることができるし、またそうすべきであると論じる。さらに、こうした包括的な視点から考えることで、ケアの倫理が現代のカント的な自由主義と単に折り合わないのみならず、それよりも優れていると論じることになる。(その過程で、帰結主義や新アリストテレス主義的な徳倫理学に対して、なぜ私が慎重な立場をとるのか、その理由もいくらか明らかになるだろう。)
 私は、共感という観点から妊娠中絶の問題にアプローチできることを知って以来、長年、本書のプロジェクトに取り組んできた。執筆はそれほどスムーズにいったわけではなく、草稿のかなりの部分をやむなく削除したものの、最終的には、そこで削除した箇所は本書の基礎となる部分として書き改められることになった。本書での議論が正しい道筋を辿っているとしても、今後さらに考察し詳述すべき問題も数多く残されている。しかしそれでも、ケア倫理学者は、本書によって恩恵を得るはずだと私は考える。ケアの倫理というアプローチが、一般的に思われている以上に、論争を巻き起こすのみならず、理論としても有望であるという点を知ることになるのだから。
 ケアの倫理は社会の既存のあり方を肯定するので、フェミニストが実現を目指していることを妨げるのではないか。そういった疑念がしばしば表明されてきた。しかし本書では、事実がまさにその正反対であることが示されるだろう。ケアの倫理は、共感という要素を重視し共感概念を体系的に用いる。そうすることで、家父長的な考えや制度の問題点を、極めて説得的かつ未来志向的な仕方で論じることができる。さらにそこでは共感という概念が、〔正/不正といった〕道徳的な区別をする際の新たな一般的規準として機能する。そしてケアの倫理が、昨今の心理学における共感研究を取り入れることで、道徳教育に関する(ある種の)体系的説明─従来のケア倫理には欠けていた説明─をどう展開できるようになるのかも、明らかになるだろう。ケアの倫理に共感の概念はまさに不可欠なのであり、本書のタイトルが伝えようとしているのも、まさにその点なのである。
 
 
訳者解説(抜粋)
 
二 共感に基づくケアの倫理の構築─本書の功績
 
二・一 規範倫理学のアプローチとしてのケアの倫理
 スロートは、本書『ケアの倫理と共感』において、前著での感情主義的徳倫理学をケアの倫理としてさらに洗練させることで、ケアの倫理を規範倫理学のアプローチとして展開するに至る。
 規範倫理学は、道徳的な判断の根拠を探究する倫理学の主要領域であり、道徳的判断において前提にされている行為の正/不正、責務の有/無、慣習や制度の正義/不正義といった道徳上の区別に関して、その根拠や規準を明らかにしようと試みる。例えばスロート自身が論じている具体例を用いるなら、「ヘイトスピーチは不正にあたる」「目の前で苦しんでいる子どもを助ける責務がある」「性差別的な慣習は正義に適っていない」といった道徳的判断は、それぞれ順番に、行為の正/不正、責務の有/無、慣習や制度の正義/不正義といった道徳上の区別を前提にしている。規範倫理学は、そういった道徳的区別がどのような根拠によって正当化されるのかを考察するのである。
 規範倫理学のアプローチとしては、義務論、功利主義、徳倫理学を挙げることができるが、スロートの本書における最大の貢献は、この三つのアプローチに加えて、ケアの倫理もまた、同様に有力な規範倫理学のアプローチであることを示す精緻な哲学的議論を展開した点にある。そして、この点こそがギリガンやノディングズには見いだせないスロートの独自の貢献になっている。いくらか踏み込んで説明しよう。
 前節でも触れたように、ギリガンやノディングズによって創始されたケアの倫理は、女性に多く見られる道徳的経験を不当に周縁化する主流の倫理学に対する、根本的な異議申し立てであり、その革新性は、どんなに強調してもしすぎることはない。ギリガンやノディングズによれば、従来の道徳発達理論に特徴的な「正義の倫理」においては、他者から分離独立した強い個人が前提にされている。そして、個々人が、一般化可能な道徳的原則に基づいて自分の振る舞いを理性的に律することが、理想とされている。しかし、ギリガンやノディングズの考えでは、伝統的な正義の倫理のアプローチは、多くの場合、男性に頻繁に見いだされるものであって、女性によりよく見いだされる、具体的で個別な倫理的配慮の重要性を十分に考慮していない。ギリガンもノディングズも、私たちが一人では生きていけないような傷つきやすさを抱えた存在であるという事実を重く受け止める。そして、私たちがそれぞれ複雑な事情を抱え、一般的原則では捉えきれないような入り組んだ現実を生きている、と考える。だからこそ倫理的対応においては、相手から発される声に注意深く耳を傾け、「相手がどのような状況に置かれているのか、どのような個別のニーズを抱えているのか」に関して、具体的かつ繊細に理解すること、またそこでのニーズに責任をもって応答することが、極めて重視されるのである。そしてスロート自身の倫理学も彼女たちのこういった発想に多くを負っている。
 しかし、ギリガンやノディングズは、それぞれ発達心理学、教育学において研鑽を積んできたこともあって、道徳哲学において長らく議論されてきた規範倫理学の主要な問い─行為の正/不正、責務の有/無、社会的慣習や制度の正義/不正義といった道徳上の区別が、どのような規準・根拠に基づいて正当化可能なのか、という問い等─に真正面から答える形で議論を展開しているわけではない。もちろん、ギリガンもノディングズも、そのような伝統的な規範倫理学の枠組みに縛られない問題関心の広さによって、従来の(そして現行の)男性中心主義的な倫理学を相対化するような革新的な貢献をなしたと言える。さらに、そもそも「倫理学とは何か」ということ自体に、不変の定義があるわけではなく、それは常に時代状況の中で批判的に再解釈ないし更新されるべきものである。
 いずれにせよスロートは、ギリガンやノディングズに深い敬意を払いつつも、彼女たちが示さなかった点、すなわちケアの倫理の方向性が、規範倫理学における伝統的な問いに応答するうえでも有効だという点を示していく。それゆえスロートは、ケアの倫理を、他の主要なアプローチとの比較検討を通して、規範理論として擁護するという課題に真正面から取り組んだ点で─ギリガンが本書のそのような画期性を高く評価したように─極めて独創的であったと言うことができるだろう。
 しかし、このことは同時に本書が、専門性の高い哲学的議論へと踏み込んでいくことを意味している。実際、本書の内容は、読者が倫理学の基礎知識をいくらか身につけていることを前提にしており、そのためギリガンやノディングズの著書と比べて難解であるように思われる。またケアの倫理を規範倫理学の一つの有力なアプローチとして確立するためには、これまでの道徳哲学者と共通の土壌で論戦を張る必要があり、その結果、哲学者が用いてきた技巧的な事例をもとに、緻密な議論が抽象的に展開する場合もある。そこで以下では、本書の内容を章ごとに、重要だと思われる論点をかいつまんで、解説していきたい。なお本書で展開されている議論や論証全体は、もっと複雑で錯綜しているが、以下では分かりやすさを重視して議論が単純化されていることを最初にお断りしておく。(以下、本文つづく)
 
 
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