「憲法学の散歩道」単行本化第2弾! 書き下ろし2編を加えて『歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』、2023年5月1日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
※本書の「あとがき」をこちらでお読みいただけます。⇒『歴史と理性と憲法と』あとがき
ジョゼフ・ラズはイスラエルの出身である。H.L.A. ハートの指導の下、博士号を取得してオクスフォード大学で長く法哲学を教え、現在はコロンビア大学とロンドン大学キングズ・コレッジの教授を務めている。2018年には、東洋のノーベル賞とも言われる唐奨(Tang Prize)の「法の支配」部門を受賞した。
彼に「道徳と自己利益」という論稿がある*1。彼の論稿の多くがそうであるように、かなり屈曲した議論が展開されている。結論は、おそらく、多くの人にとって意外なものである。以下はその梗概である。
ラズの議論に忠実な梗概であるよう努めてはいるが、必ずしも彼の表現や設例そのままを用いてはいない。そのため余計な、あるいは彼自身の意図から外れた含意が示唆されているリスクもあることをお断りしておきたい。
人が意図的に行動するとき、つまり反射的な行動や夢遊中の行動などではないとき、人は理由にもとづいて行動する。他の選択肢よりも、ある選択肢が好ましいと考えるので、その選択肢をとる。人とはそういうものである。
人が考慮すべき行動の理由は、通常、おおきく2種類に分かれると考えられている。道徳的な理由と自己利益にもとづく理由である。自己利益にもとづく理由は慎慮(prudence)にもとづく理由とも言われる。そう行動することで、自分の幸福(well-being)にどのような帰結がもたらされるかにかかわる理由である。
しかも、道徳的な理由と自己利益にもとづく理由とは、しばしば衝突するとも考えられている。そうすることは自分のためにはならない。しかし、道徳的にはそうすることが求められる。そうしたことが、しばしば起こるものだと考えられている。
自己利益に貢献するのは、たとえば、価値のある(あるいは意味のある)目標の達成や人間関係の構築・維持である。価値ある事業を成功させること、価値ある友人関係を取り結ぶことは、自己利益に貢献する。暴力組織にかかわりあってやたらに人を傷つけたり金品を強奪したりすることは、自己利益に貢献しない。
ところで、道徳的な理由と自己利益にもとづく理由とがしばしば衝突するのはなぜかと言えば、人の行動を支える理由がおおきくこの2つに区別できるから、ということになりそうである。たとえば、自分だけの利益に貢献する行動は自己利益を理由としているが、自分以外の人々の利益に貢献する行動は道徳を理由としているとか。
しかし、よく考えてみれば、両方の理由にもとづいて善い(good)と評価される行動は多い。病気になった母親の面倒を見ること、それは母親の利益になる。しかし、それは母親と自分との関係をより親密にし、自分の人生の質も向上させる。自分の日々の仕事をこなすこと、余暇に食事をしたり趣味のテニスをしたりすることも、いろいろな形で自分だけでなく、自分以外の人々の利益にも貢献している。
とすると問題は、道徳的には善い行動であるが、自己利益には全くならない行動があるかである。
たとえば、きわめて邪悪な人を殺害する道徳上の必要に迫られたとき、人を殺すことはとても嫌なことでそんなことはしたくないと考えるかも知れない。その行動は、自己利益には貢献しないのだろうか。感情の上ではしたくない行動であっても、結果としては自己利益には貢献しているのではないか。道徳上の強い必要に迫られて人を殺すとき、自分の人生はその道徳的義務を無視する場合より、より善い人生になっているのではないか。
あるいは、自分の収入のうちいくらか(たとえば1万円)を慈善団体に寄付することは、道徳的には──supererogation(義務なき働き)ではあるが──善いことだが、自己利益には反しているのだろうか。しかし、慈善団体に寄付し、社会全体の利益に貢献することで、やはりあなたの人生はより善い人生になっているのではないだろうか。
嫌な思いをすることや、損をしたという思いをすることは、心情的には苦痛であるかも知れない。しかし、だからと言って、それが自己利益に貢献していないことにはならない。それに、邪悪きわまる人間を殺したとき、慈善団体に寄付をしたとき、何の満足感も覚えないものであろうか。
道徳的理由と自己利益にもとづく理由を峻別することができないとすると、道徳と自己利益とが衝突するという「常識」的な見解にも疑問が投げかけられることになる。
道徳的理由と自己利益が決して衝突しないというわけでもないであろう。さまざまな理由は衝突するものである。しかし、道徳的理由と自己利益にもとづく理由とが衝突するとしても、それは具体の状況に応じてたまたま衝突するのであって、必然的に衝突するわけではない。
つづきは、単行本『歴史と理性と憲法と』でごらんください。
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。山を熟知したきこり同様、憲法学者だからこそ発見できる憲法学の新しい景色へ。
2023年5月1日発売
長谷部恭男 著 『歴史と理性と憲法と』
四六判上製・232頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45128-9 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。
【目次】
1 道徳対倫理――カントを読むヘーゲル
2 未来に立ち向かう――フランク・ラムジーの哲学
3 思想の力――ルイス・ネイミア
4 道徳と自己利益の間
5 「見える手」から「見えざる手」へ――フランシス・ベーコンからアダム・スミスまで
6 『アメリカのデモクラシー』――立法者への呼びかけ
7 ボシュエからジャコバン独裁へ――統一への希求
8 法律を廃止する法律の廃止
9 憲法学は科学か
10 科学的合理性のパラドックス
11 高校時代のシモーヌ・ヴェイユ
12 道徳理論の使命――ジョン・ロックの場合
13 理性の役割分担――ヒュームの場合
14 ヘーゲルからニーチェへ――レオ・シュトラウスの講義
あとがき
索引
「憲法学の散歩道」連載第20回までの書籍化第1弾はこちら⇒『神と自然と憲法と』
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