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『競争入札は合理的か』

 
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渡邉有希乃 著
『競争入札は合理的か 公共事業をめぐる行政運営の検証』

「序章 日本の公共工事調達と「競争」」「第1章 日本における公共調達制度改革とその背景(冒頭)」(pdfファイルへのリンク)〉
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序章 日本の公共工事調達と「競争」
 
 国土開発の計画を策定した全国総合開発計画を五次にわたって展開し,公共事業が国土・経済基盤形成上の重要な役割を果たしてきた日本にとって,公共工事の管理は今なお重要な行政課題のひとつであり続けている。公共事業は市民の税金を原資として行われるため,ここでは,市民の税金を浪費しない「低価格」で,市民の福祉に資する「高品質」な工事の実現が求められる。ただし実際には,政府が直接的に工事作業を担うことはほとんどなく,多くの場合は民間事業者がこれを請け負うことになる。よってこの「低価格・高品質」という目標の成否は,公共工事調達の活動,すなわち,工事発注者としての行政組織による事業者選定活動の成否に,その多くを依存している。
 工事に限ったことではないが,政府による調達活動(公共調達)は,主に競争入札によって行われる。一般的な市場原理からも言えるように,事業者同士の競争が調達物の価格を下げ,質を高めると考えられているからである。しかし日本の公共調達に関しては,しばしば,入札をめぐる制度設計に競争制限的な側面が多くあるという指摘がなされてきた。このことは,低価格で高品質な工事調達を目指す行政組織の活動にとってどのような意味を持つのか。本書の基本的な問題関心は,この点に向けられている。
 この関心のもとで,本書は次のように展開する。まず第1 章では,現行の日本の公共調達制度の概要を確認したのち,1990 年代後半以降に進展したいわゆる公共調達制度改革の展開について整理する。日本では1993 年のゼネコン汚職騒動を契機として,入札の競争性向上を目指す公共調達制度改革が進展した。しかしそれ以降もなお,日本の公共工事調達には競争原理と矛盾した制度設計が残り,競争制限的な制度運用が維持されてきたと言われている。ここに,本書の問い「日本の公共工事調達に見られる,競争原理と矛盾した制度設計・競争制限的な制度運用は,政府による工事調達の活動においてどのような合理性を持つのか」が提示される。
 第2 章では,この問いに答えるうえで本書に示唆を与えうる先行研究の展開を概観し,検討する。先行研究は,日本の競争制限的な調達制度運用を土木建築部門の部分的利益追求の帰結として説明してきた一方で,市民の全体利益との関係では,調達・入札制度設計と調達結果との直接的な因果関係を議論する中で,主に経済性の観点から,市民の全体利益を最大化する最適な制度設計のあり方を検討してきた。またより一般的に,「制度」を「合理性」という観点から眺めようとする研究関心は,「アクターの自己利益を最大化するために,どのような制度が選択される(べきな)のか」という制度論的な考え方のみならず,「目標追求にかかる複雑で困難な過程が,その制度を通じていかに克服されているのか」という意思決定論的な考え方にも支えられてきた。このことと,先のような調達・入札制度研究の展開とを対照すると,本書には次のような検討の視角が提案される。それはすなわち,日本の競争制限的な調達制度運用が持つ,市民の全体利益にとっての合理性について,「既存の制度は,目標追求にかかる複雑で困難な意思決定過程の克服をいかにして支えているのか」という側面から議論する,というものである。
 こうした視角から検討するため,第3 章では,意思決定論における基本的な考え方を援用しながら,本書の分析枠組みについて検討する。公共工事調達という活動は,行政組織による,工事事業者決定のための意思決定過程として捉えることができる。ただしそこで,市民の全体利益の実現,すなわち低価格で高品質な工事調達を目指すとき,価格・品質間の最適なバランスを示す唯一の受注者を,無数に存在する工事事業者の候補の中から選び出すことには,膨大な情報コストが要される。一方で,行政組織に利用可能なリソースには限りがあることから,こうした情報コストのすべてを負担することも困難であるだろう。しかしこの状況を,限定的合理性を背景とした意思決定論の枠組みのもとに解釈すれば,リソースに限りのある行政組織も,何らかの戦略を用いてこの情報コストを削減することによって,最適ではなくとも満足のいく選択肢には近づくことができると考えられる。このときたとえば,事業者選定に競争入札を利用することそれ自体も,検討すべき選択肢の数を限定するという意味では,情報コスト削減に寄与する戦略として捉えることができる。
 しかしこのとき,入札の評価基準は行政組織自身の手で設計せねばならないという現実的な背景を踏まえると,競争入札を利用するのみでは,事業者選定にかかる情報コストを完全には解決できないだろう。なぜなら,評価基準を設計する際には,価格・品質という二つの価値の間で最適なバランスを見出すことの情報コストに,依然として対峙する必要があるからである。このとき,行政組織の限られたリソースの範囲では,要される情報コストのすべてを負担することは難しい。対処しきれない情報コストが残される以上は,競争入札を利用してもなお,最適な入札結果の導出が実現しない可能性を排除できないのである。
 よって本書では,「行政組織はこの残された情報コストにどのように対処しているのか」という観点から,各調達制度運用の持つ合理性についての説明を試みる。先取りして述べれば,最終的に導かれる結論は,「競争原理と矛盾した制度設計・競争制限的な制度運用こそが,この残された情報コストを削減するための戦略として機能している」というものになる。
 最終的な結論は,次のような手順を経て導かれる。まず,第4 章~第6 章の各章において,日本の競争制限的な調達制度運用の例として象徴的なものを三つ取り上げ,それぞれ個別に議論する。具体的には,競争入札の落札価格に上下限基準を設けて制限する運用(第4 章),入札参入要件の設定により応札数を事前抑制する運用(第5 章),下限基準を下回る入札を無条件に失格とする「最低制限価格制」の運用(第6 章)である。
 各章では,調達制度運用と入札結果に関するオープンデータや,筆者が国の機関・地方自治体の調達実務担当者を対象に実施したアンケート調査の結果を用いながら,それぞれ仮説検証型の実証分析を行う。ここでは,各章で取り上げる制度運用のいずれもが,低価格・高品質を目指した事業者選定にかかる情報コストの削減に役立っている様子を,主として計量分析を通じて示していく。
 最後に終章において,第4 章~第6 章のそれぞれの分析結果を総合し,それらの共通点に着目して含意を抽出する。これにより,本書の問いに対する解答として,「競争原理と矛盾した制度設計・競争制限的な制度運用は,事業者選定にかかる情報コストの削減を通じて低価格・高品質の両立的追求に貢献し,公共工事調達に関する行政運営上の合理性を高めている」という結論が導出される。
 以上のように本書の関心は,公共工事の事業者選定にかかる複雑な過程を行政組織が克服していくうえで,現行の調達制度運用がどのような機能を果たしているのかという手続的な側面を描き出すことにある。この点で本書は,公共調達・入札制度研究における既存の研究関心,すなわち,制度選択そのものを説明しようとする制度論的関心と,アウトプットとの直接的な因果関係において最適な制度設計をモデル化しようとする関心とを,架橋するものとして位置づけることができる。とりわけ,こうした考察枠組みの実現のために事業者選定の活動を「行政組織による意思決定過程」として捉えようとすることは,これまでの調達制度研究にはあまり見られなかった,本書に独自の試みである。 また,このような枠組みの採用は,競争制限的とも評される日本の公共工事調達制度について,談合や公正性の問題を超えた文脈で認められる機能上の利点を明らかにすることに貢献するものでもある。とくに日本における公共工事調達研究は,ゼネコン汚職騒動とそれに伴う調達制度改革を契機として盛り上がった面が大きく,その多くが,汚職をもたらした制度・アクター間構造の描出と,より適切な制度設計の提案とに力を注いできた。この意味でも本書は,日本の公共工事調達制度に対する観察視座として,新たな議論の方法を提案する試みになると言えるだろう。
 
 
第1章 日本における公共調達制度改革とその背景
 
1 日本の公共調達──現行制度の概要
 日本の公共調達は,国については会計法と予算決算及び会計令(予決令),地方自治体については地方自治法と地方自治法施行令で規定されている。これらが定める事業者選定様式と選定にかかる評価基準とは,図1.1 のように簡潔に整理することができる。
 すなわち事業者選定様式についてはまず,競争の方法による(競争入札)か,あるいはこれによらず発注者が任意に相手方を特定して契約を結ぶ(随意契約)かに大別され,さらに前者には,一般競争入札と指名競争入札という二つの方法が存在する。一般競争入札とは,公告により不特定多数の者を誘引し,資格要件を満たしかつ競争の参加申し込みを行った者の間で競争を行わせる方式である。一方で指名競争入札は,発注者が特定多数の者を指名することによって申し込みの誘引をし,その特定多数の者の間で競争を行わせる方式である。これらについて法制上は,一般競争入札の利用が原則とされている(青木編2015: 436, 501; 国土交通省2015: 64; 六波羅2016: 114─115)。
 選定にかかる評価基準は,価格競争方式と総合評価落札方式とに大別される。前者は入札参加者のうち最低価格を提示したものを落札者とする方式であり,後者は価格以外にも工期・機能・安全性などを総合的に評価して落札者を決定する方式である。このうち総合評価落札方式は「最低価格落札基準により難い契約について」適用できるものとされており,法制上の原則は,価格競争方式下での最低価格による落札にあると言える(国土交通省2015: 74, 76; 六波羅2016: 114─115)。
 また,会計法や地方自治法にある規定のうち,事業者選定様式・選定にかかる評価基準以外の面で特筆すべき制度に「予定価格制」がある(会計法第29条の6; 地方自治法第234条第3 項)。日本の公共調達では必ず,発注者側があらかじめ費用を積算して予定価格を決定し,これを落札価格の上限拘束として設定せねばならない。こうした規定は欧米諸国の調達法にはほとんど見られず,また同様の規定を有する韓国・台湾での運用と比べても,これほど厳格な上限規定は日本以外に見当たらない(城所1999: 83, 121; 木下2017: 161, 198─200,291)。
 以上のように日本の公共調達に関する基本的な法令の規定を参照する限り,行政組織による工事事業者選定の原則は,予定価格の範囲内で,価格競争方式の一般競争入札により落札者を決定することであると判断される。しかしたとえば,2019 年度に国土交通省の各地方整備局が発注した直轄工事(港湾空港関係を除く)を見ると,その事業者選定方法の内訳は表1.1 の通りとなっており,その大部分が総合評価落札方式の一般競争入札によるものであることがわかる。この状況はどのような経緯をもって生まれてきたのか。その背景は,明治期以来の公共工事調達制度の変遷から,うかがい知ることができる。次節ではその変遷を見ていこう。
(以下、本文つづく。図表と脚注は割愛しました。pdfファイルでご覧ください)
 
 
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