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今田絵里香 著
『「少女」の社会史 新装版』
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はしがき
「少女」というカテゴリーはどのように生み出され、どのような意味を込められたのか。またその意味はどのように移り変わっていったのか。本書はこれらのことを明らかにする。
わたしが「少女」というカテゴリーについて知りたいと思い始めたのは少女時代のことである。少女の頃、わたしは本好きの子どもの例に漏れず、大人から薦められるままに「名作」と名付けられた本を読み漁った。子ども向け文学から読み始め、大きくなるにつれて夏目漱石などの日本及び西欧の「古典」に手を出していった。しかしあるときはたと気付いた。「少女が主人公の文学があまりにも少ない」と。少女が脇役でも主人公の相手役でもないものは、子ども向け文学でもせいぜい『赤毛のアン』『若草物語』『あしながおじさん』くらいである。驚いたことに、「名作」や「古典」と名付けられた文学の世界は、「少年」か「大人の男性」が活躍する世界でしかないのである。それらの文学は面白くなかったわけではない。しかしわたしにはどこか遠い世界を描いたものに思え、自分とは無関係のものであるように思われた。一方で、「名作」や「古典」ではない文学には少女を主人公にしたものがたくさんある。しかしそれは「少女小説」と名づけられ、文学の世界では片隅に追いやられていた。このようなことは今ではテクステュアル・ハラスメントとされ、問題化される視点も出てきている。当時のわたしはそういった視点を手に入れていたわけではなかったが、そのことをきっかけにしてわたしなりに「少女」について考え始めた。どうして少女を主人公にした文学は「名作」や「古典」の世界では少ないのか。またそういった文学はどうして「少女小説」「少女文学」として傍流に位置付けられているのか。このような疑問は当然、「少女」は社会のなかでどのようなものとされているのか、どのような扱いをされているのかという疑問に発展していった。
ところが「少女」ほど曖昧で、わかりにくいものはない。というのも、「少女」は常に「少年」と「少年ではないもの」の間を揺れ動いているからである。そのような揺れ動きが典型的に見て取れるのが学校である。学校の教師は「少年」にも「少女」にも猛勉強を要求する。ところが現実は雇用機会も昇進も男女によって大きく異なる。「少女」は今の楽しみをなげうって猛勉強しても、「少年」のように職業を獲得でき、昇進できるとは限らない。したがって「少女」は常に選択を迫られている。将来の利益がほとんど期待できなくてもそれでも勉強するか。それとも早い段階で手を切り、学歴獲得競争から退散するか。
子ども文化の世界に目を転じれば、「少女」も「少年」のようにサッカーをしてもいいし、文学を愛好してもいいとみなされている。しかし少女文化はスポーツであれ芸術であれいつでも子ども文化の傍流とみなされている。男子サッカーよりも女子サッカーのほうが、また少年文学よりも少女文学のほうが圧倒的に地位も知名度も低い。「少女」がおこなうこと、関心を示すことは「少年」のそれより大したことではないし、取り扱うに値することではないとみなされているのである。
このように、建て前としては「少女」も「少年」と分け隔てなく扱われるべきであるとされている。しかし実際はあくまでも「少年ではないもの」として扱われている。つまり「少女」は「少年」であり、なおかつ「少年ではないもの」なのである。それゆえ、実際の少女は「少年」と「少年ではないもの」の二つの方向に常に引き裂かれることになる。
このような「少年」と「少年ではないもの」の間で揺れ動く「少女」はいったいどのように生み出されたのだろうか。また、「少年」と「少年ではないもの」という二つの矛盾する存在は「少女」のなかでどのように包含され、共存させられていったのだろうか。さらにそのような「少女」の意味付けは時代によってどのように変化していったのだろうか。本書では以上の問いに取り組み、「少女」の意味内容とその歴史的な変遷を示すことによって、社会における「少女」の意味付けはこれまでも変わってきたし、これからも変わり得るものであることを示したい。
その方法として、本書はまず「少女」というカテゴリーが生み出された時代に遡る。そして日本で初めて刊行された子ども向け雑誌を分析することで、「少女」というカテゴリーが創出されるプロセスに迫る。その後、「少女」というカテゴリーとその意味内容を人々に広めた『少女の友』という少女雑誌を分析する。この雑誌を創刊の1908(明治41)年から敗戦まで分析することによって、この雑誌が創出した「少女」の意味内容を明確にし、その歴史的な変遷を追うことができる。しかしそれだけでは、「少女」というカテゴリーとその意味内容の存立背景を知ることができない。つまりどのような人々にどのような理由で支持されたのかということである。よって次の作業として、『少女の友』の受容過程に迫ることが必要になろう。読者はどのように「少女」というカテゴリーを受け容れたのか。そのことを分析することによって、「少女」というカテゴリー存立の社会的背景を探る。それとともに、それが読者の少女たちにどのような影響を及ぼしたのかという「少女」の社会的な機能を考察する。
本書の構成は以下のとおりである。
序章は「少女」という表象を捉える視点を先行研究の整理から導き出す。さらに分析対象と方法を確認する。
第Ⅰ部の目的は少女雑誌の創出した「少女」という表象を解明することである。第1章は、少年少女雑誌が生まれる前の子ども雑誌を分析し、「少女」の誕生に迫る。第2章は、少女雑誌が示した「少女」の身体の変遷を確認する。その際、「少年」のそれと比較しつつ、両者の類似点と相違点を確認する。第3章は少女雑誌に示された「少女」の行為規範の変遷を明らかにする。第4章は少女雑誌が描写した「少女」の成功を解き明かす。このことによって、「少女」がどのような「大人」に接合されていたのかを考察することができよう。
第Ⅱ部の目的は「少女」という表象の受容過程を解明することである。第5章は読者が少女雑誌の提示する「少女」をどのように捉え、受け容れていたのかを明らかにする。ここで読者たちが「少女」という表象を核に広範なネットワークを形成していたことが明確になるであろう。第6章は「少女」を核にしたネットワークにおける読者同士の関係を考察する。そこでは「エス」といわれる少女同士の関係のルールが浮かび上がることになるであろう。
最後に終章で結論を展開する。
*史料からの引用にあたっては、旧字体の漢字は新字体に改めた。史料としての正確性を期するため、現代では不適切な表現もそのまま引用した。ご了承いただきたい。