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『基礎から学ぶ宗教と宗教文化』

 
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岸 清香 著
『基礎から学ぶ宗教と宗教文化』

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はじめに
 
 現代社会の中で,一般的な日本人にとってみれば,宗教を身近に感じる機会は多いとはいえないだろう。公立学校では特定の宗教教育を行うことはないし,知識として見聞きすることは多少あっても,自分自身の宗教観や信仰心を改めて考えることは極めて少ないのではないだろうか。
 このような傾向は,なにも日本に限ったことではない。一概にいうことはできないが,世界的にみても宗教への関心は若年層を中心に低下してきている。宗教施設である教会やモスクに熱心に通う人たちばかりではない。
 しかしながら,現代を生きる我々に対して宗教が果たす役割が完全に消滅したかといえばそうではない。影響力は低下してきているとはいえ,ローマ教皇やダライ・ラマといった宗教指導者の発言は世間の注目を浴びている。また,国家や民族の枠を超えた集団を形成しており,昨今の日本において,特定の信仰をもたずとも何らかの宗教を信仰する人々と交流する機会は一般化しつつある。それゆえ,日々の生活を営む上で宗教についての一定の知識やそれに対する理解は各人が素養としてもちあわせておくべきことともいえる。
 そもそも,宗教に基づいた紐帯は,目に見えない神や仏といった超越的なもの(something great)を信仰することで形成されている。本質的にそうした超越的な存在への崇拝等を中心に据えず,政治理念の下に形成される国家とは対立しやすいものでもある。
 特に代表的な既存宗教をみていくと,宗教に基づいた共同体等は当初争いを避けるために成立したものが多い。信仰を中心に結びついた人々によって,政治的・経済的ルールが構築され,信仰者同士による相互扶助等によって平和的な社会が希求されてきた。同時に,特定の共同体を形成することが時に他の共同体との利益相反を引き起こし,過激な宗派や思想グループを生み出してきた歴史がある。アフガニスタンでのタリバーン勢力やシリアなどを中心として広範囲にわたるIS 勢力などがその一例といえよう。
 現代社会においては,宗教間,民族間,国家間の単純な対立は少数であって,例えば国家対特定の民族集団といった構造をとり,複雑に関係し合っている。そうした状況下にあって,単純に宗教を論じることは困難であるが,各宗教への一定の理解は昨今必要性を増しているといっても良いだろう。
 また,各宗教は基本的に共同体の拡大,つまり信仰者の獲得を積極的に行ってきた歴史がある。その過程で数々の分派が起こり,時として激しい争いなどを引き起こしてきた。この歴史的経緯を反省し,近年は異なる宗教同士や同宗教の宗派間の対話を促進する傾向が高まっている。いわゆる相互理解を深めようとする動き(エキュメニカリズム)が活発である。コロナ禍の中で,宗教や宗派を超えた祈りの実践が行われたのも印象的である。こうした世界的情勢を鑑みると,基本的な宗教理解は特定の宗教を信仰しない人や宗教的意識に乏しい人にとっても,無縁のものではなくなっている。
 しかし,日本で生活していると生活文化としての宗教的要素を感じる機会がほとんどないという人も少なくない。ただなんとなく,神仏の存在を信じていて,時折寺社仏閣に参拝することがあるといった人が多いのも事実である。
 さらに興味深いのは,既存の宗教や新宗教といった類のものを忌避する人は多いにもかかわらず,オカルトや占いといったスピリチュアルな要素が好まれたり,アニメやマンガ,ゲームなどで超自然的な力が登場するといった宗教的要素の援用はごく自然に受け入れられている。例えば,『鬼滅の刃』に登場する鬼をごく自然に受け入れ,鬼に対して人間と同じように感情移入する人は多いし,『呪術廻戦』で呪術を駆使することには対価が必要であるなどの認識を当たり前のように受け取るごとくである。特にバーチャルな世界観の中で,疑問を持つ人は少ない印象がある。
 他方で,リアルな世界でも,宗教施設が世界遺産に登録されて観光資源として活用されるといったことも積極的に行われている。旅行先としてだけでなく,時に宿泊施設やイベント会場として利用されている。日本に限らず世界的にもこうした事例が見られることから,宗教的施設や宗教概念,死生観などを含む宗教的世界観は人々の生活の中に取り込まれている節さえある。
 なお,日本では年中行事として,新年には初詣に行ったり,お盆の頃には墓参りに行く人も少なくない(神々を祀るのは神道の文化であるし,お盆は仏教の祖先を供養する盂蘭盆からきており,墓参りの習慣は中国の伝統思想に由来する)。本書でも詳しく説明するが,日本では神仏が共存する神仏習合といった状態を受け入れており,世界的にみても大変特殊な状況であるといえる。
 ハロウィンやクリスマスを祝うなどヨーロッパに起源を持つイベントも一般化している。「宗教」と聞くと,何やら怪しいと訝しむ傾向がある一方,宗教的な起源を持つものであってもイベントの導入などには比較的寛容で,親しむ風潮があるのはやはり日本独特であるといえよう。
 そうした文化を持ち合わせていても,「特定の宗教を信仰しているか?」と問われた場合に,「○○教(ないしは○○派等)を信仰している」と明確に答える人は少数派であるのが日本の現状である。実際,自覚的な信仰をもつ日本人は20─30% 程度と言われている。毎年宗教統計が出されているが,約7 割は神道と仏教の二重宗教を信仰する存在に分類される。何をもって信仰を持つとするか?という命題に答えるのは非常に難しいが,日本において信仰を持つということが,かなり意識的な行為であることが宗教統計を見る限りでもうかがえる。
 同時に,例えば神社等の宗教法人では,その地域に住んでいる人を氏子とみなすが,実際に自覚的に氏子意識がある人の数が把握されているわけではない。神社の管轄する地域以外で神道への信仰心を持つ人を崇敬者と呼ぶが,明確な信仰を表明する人は少数派であって,日本人の宗教への帰属意識や信仰度合いをはかるというのは非常に困難といえる。
 総じて,日本社会においては,「宗教的なもの」にはあふれているものの,特定の宗教を信仰するといった強い意識は一部を除き希薄であるといえよう。抽象度の高い事象等についてごく広い範囲で受け入れられているものの,こと「宗教」と言われればなじみが薄く,時として危険なもの,避けるべきものといった印象をもたれている。
 こうした文化が醸成されたのは,かつての日本で多くの新興宗教が生まれてきた歴史等にも原因がある。特に,戦後は信教の自由が原則となり,宗教法人令・宗教法人法によって数多くの宗教団体が成立している。特定の教団を母体とした分派教団も形成され,宗教の多様化も進んだ。
 新宗教について本書では多く触れないが,日蓮正宗の在家組織から発足した創価学会をはじめ数多くの宗教法人が存在する。神道に大きく影響を受けた黒住教や生長の家,法華信仰の影響を受けた霊友会等も一定の規模を誇っている。霊友会系の教団の中で,信者数が最大の教団は日蓮系・法華系の立正佼成会である。ごく一部ではあるが,キリスト教系の新宗教としてイエス之御霊教会教団等もある。こうした宗教教団の布教活動やオウム真理教のような社会的な大事件によって悪いイメージを持つ人もいる。
 古くから日本人は同調主義などの言葉で語られることが多い。一概にいえることではないが,日本社会を取り巻く状況や人々の生み出す雰囲気が全体の方向性を決定しているという意味では,日本はある種特殊な社会を形成しているといえるし,宗教に対する理解やイメージもまた,そうした環境によって規定されている部分がある。
 こうした状況下であるからこそ,他国に比して比較的自由にさまざまな宗教について語れる国であることは日本社会の利点であるといえよう。同時に宗教理解ひいては他文化理解などを可能とする素地があるともいえる。
 昨今の世界は複雑化しており,グローバル化とローカル化が混在している。日本に入ってくる移民は少ないとはいえ,留学生や外国人就労者は増加の一途をたどっている。アジア近隣諸国を中心として多くの人口流入がある昨今,若年層を中心に日本にいながらにしてさまざまな宗教を信仰する人々と接点がもたれている。海外に行けば,当然ながら日本国内にいる以上にさまざまな民族・宗教をバックグラウンドにもつ人たちと接することにもなろう。こうした現代社会を鑑み,宗教的な知識や感覚が乏しいとされる日本人ではあるが,今後よりよい社会を形成するために基礎的な宗教的知識を理解することは必須の教養であるといえる。
 上記の背景に基づき,この書籍はひとまず伝統的な既存宗教に焦点をあて,各宗教の基礎的知識(宗教的な概念や用語,宗教的実践等)を平易に理解できるようにまとめたものである。主に教養として宗教を学びたい大学1, 2 年生レベルを読者として想定しているが,同時に広く宗教に関心のある層に向けて執筆したものである。この書籍の内容が読者諸氏の役に立つことを真に願うものである。
 
 
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