あとがきたちよみ
『正しい核戦略とは何か』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2022/7/26

 
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ブラッド・ロバーツ 著
村野 将 監訳・解説
『正しい核戦略とは何か 冷戦後アメリカの模索』

「序論」「新終章 日本の読者のためのその後の展開と課題」「監訳者解説・あとがき」(冒頭)(pdfファイルへのリンク)〉
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序論
 
 米国は,新たな核抑止に関する議論が必要な時代に入りつつある。そこでは最も根本的な問題を議論することが必要とされている。すなわち,米国の核兵器は共産主義やソ連と共に「歴史のごみ箱」に捨てられるべき,単なる冷戦時代の遺物なのだろうか。それとも核兵器は,米国の安全保障にとって,重要かつ代替不可能な貢献をしうるものなのだろうか,という問題だ。
 この議論は3 つの主要な要因をきっかけとしている。第一は,アフガニスタン及びイラクでの戦争から15 年を経た,米国の国防戦略の再評価である。ここには多くの問いが存在する。米国の軍事計画にかかわる人々にとって,対テロ作戦や対反乱作戦からの方向転換は可能なのか。中東における不安定性と,欧州におけるロシアの攻撃性を考えた際,アジアへの安全保障戦略の「リバランス」は可能なのだろうか。中国やロシアとの限定戦争について真剣に考えるべきだと言えるだろうか。北朝鮮との戦争の蓋然性は高いのか。そうだとすれば,北朝鮮は自身の国益を守るために新たな軍事能力をどのように利用するのだろうか。イランは「核保有に向かう」のか。そしてそれは米国の安全保障戦略にどのような意味合いを持つだろうか。米国自身や同盟国が深く長期的な紛争に巻き込まれないようにしながらも,中東を前向きに発展させるために,米国は何ができるだろうか。これらの問いへの答えには,米国の核政策及び核態勢への重要な示唆が含まれている。
 第二の要因は安全保障環境の変化である。これは冷戦終結以来の米国の政策の前提に疑問を投げかけている。まず2014 年のロシアの外交政策の大きな転換は,欧州及び米露関係における核兵器の将来の役割に関して根本的な疑問を提起した。また,北朝鮮による米国本土にまで到達可能な兵器の開発は,米国の安全保障戦略にとってますます深刻な脅威となっている。さらに,中国は確実な核報復戦力の展開において目覚ましい進歩を遂げている。その一方で,欧州,アジア,中東の同盟国はこれらの安全保障環境の変化に不安を感じ,米国の安全保障上のコミットメントが長期にわたり信頼できるという新たな形での保証を求めている。これらの新たな前提は,米国の核政策を新たな方向に導くかもしれない。
 くわえて,第三の要因は,米国の政治指導者が核戦力を有効に機能する状態に保つのにどの程度投資するのか,そもそもそれらに投資すべきなのかどうかを決定する必要があることだ。これまでの約25 年間,米国は現有の核戦力を運用し維持することにだけ必要な資金を費やしてきた。つまり,核兵器を近代化したり,更新したりする必要はなかったのである。しかし次の約25 年間には,すべての現存する核運搬手段の3 本柱と貯蔵している核兵器はどうにかして近代化を行い,更新しなければならない。とくに現在の財政難に加えて,10年以上にわたるイラク・アフガニスタンでの戦争後に必要な通常戦力の刷新とも競合するため,この核兵器近代化の意思決定は本質的に容易ではないものになるだろう。
 しかし米国はこれらを議論する準備ができていない。核抑止政策や核抑止態勢の議論に関係する者のほとんどは,この問題についてはじめから態度を決めてしまっている。おおまかに言って,彼らは相容れない信念を持った2 つの学派に分けられる。
 一方の学派は核戦争を恐れ,核テロの危険性を高く見積もり,核兵器廃絶を求め,核保有国が核廃絶に向けて努力することを強く支持している。それと同時に,米国に対しては核兵器への依存を減らすようにさらに努力する責任と,他の模範となるような振る舞いを求める。そしてこの学派は核兵器反対,軍縮賛成を情熱的に主張している。
 もう一方の学派は,核兵器を必要かつ有益と認め,国家及び非国家主体の危険性を捉え,米国が軍事的及び政治的目的のために十分な核兵器を維持することを支持する。この学派は,核廃絶によって世界がより平和になるとは考えておらず,核兵器を安全保障戦略の中心から外して軽んじることにも異を唱えている。彼らの主張は現実的だが,軍縮論者のように情熱的ではない。
 これら2 つの学派は自分たちの主張を通そうとはするが,まともに向き合って議論しようとはしていない。互いに理解を示すような主張もあるにはあるが,一般的には両者は自分たちの主張に固執し軽蔑しあっているに過ぎない。長きにわたる深い両者の亀裂に鑑みると,政策において両者の合意があることは非常に稀だ。
 これら対立の結果,アメリカ連邦議会での議論は膠着してしまい,そこではいかなる核政策のための意思決定も困難となってしまっていた。この膠着状態からの抜け道を探すべく,2007 年に連邦議会は共和党と民主党が同数の委員会を設立し,次のような2 つの端的な問題提起を行った。米国の核政策を長期にわたって維持するのに十分かつ新たな超党派の基盤はあるだろうか。もしそうした基盤があるならば,それはどのようなものだろうか。この問いに対し,多数の課題への意見の相違にかかわらず,戦略態勢委員会(Strategic Posture Commission)は前向きな結論を出した。それは,核の脅威を減らし最終的には廃絶するための政治的努力と,今ある脅威を抑止するための軍事的努力を組み合わせるバランスのとれたアプローチ(balanced approach)に基づけば政策を持続させることはできる,というものであった。
 しかしそれから7 年が経ったが,いまだにこのバランスのとれたアプローチに基づく第三の学派は形成されていない。オバマ政権がこのアプローチを歓迎し,核政策の発展と実行の指針としたにもかかわらず,である。2 つの学派の支持者は時々このアプローチを称賛することはあるが,残念ながら,その誉め言葉に自分たちの学派の主張を超えた具体的な政策意思決定への協力等の実行が伴うことはめったにない。
 本書は,米国の核政策・核態勢に関するこれらの議論の概要を再生産するものではない。むしろ来るべき核政策の議論について知り,それらをより生産的な土台に載せる一助となることを目指している。この目標に向けて,本書には数多くの目的がある。
 第一の目的は,将来的に核兵器の数及び核兵器への依存を減らすために,さらなる手段を米国と他の核保有国がとれるようにするための環境整備に関するオバマ政権の取り組みを見直し,評価することである。オバマ政権は,この目的のため,真剣かつ持続的な高官レベルでの取り組みを行ってきた。しかし重要な成果はあったにもかかわらず,全体としては成功とは言いがたい。教訓は無数にある。
 第二の目的は,核抑止を21 世紀に適応させようとするオバマ政権の取り組みを見直し,評価することである。オバマ大統領は,核兵器が存在する限り,核抑止は有効でなければならないと宣言し,国防総省に対して核抑止を21 世紀の諸問題に有効な形で維持するよう指示してきた。この取り組みにより,核の影(nuclear shadow),拡大抑止及び戦略的安定性のもとでの地域紛争に起因する新たな困難についての重要な視点が明らかにされてきた。この点についても教訓は多い。
(傍点は割愛しました。pdfでご覧ください)
 
 
新終章 日本の読者のためのその後の展開と課題
 
 2015 年に出版された本書が日本で出版されることになったのは,日本において核政策への関心が高まっていることを示すものだ。日本における核政策への関心は,北朝鮮の核の脅威や,中国の軍事力と野心の増大,米国の「核の傘」に対する懸念,そして日本人が長らく願ってきた「人類を核対立から遠ざける手助けがしたい」という感情など,さまざまな要因によって高められてきた。これらの関心は,(1)どのようにして抑止力の信頼性を確保するか,(2)どのように抑止と軍縮のバランスをとるかという課題に対して,日米両政府が新たな考え方を通じたコミットメントを行うことで強化されてきている。
 これらの問題について,きちんとした情報に基づいた議論が公になされることがより重要になってきている。それができなければ,政府の政策は国民の支持を得られず,持続性に欠けるものになってしまう。この日本の読者のための新終章では,核をめぐるより開かれた議論を促進するため,3 つの重要な目的を設定した。第一は,2015 年以降の地政学的環境に生じた主要な情勢をレビューすること。第二は,それらが米国の核戦略に与える影響を考えること。そして第三は,現在の情勢が日米同盟に与える影響を考えることである。
 
2015 年以降の主要な地政学的進展
 
 グローバルな核をめぐる安全保障に影響を与えるという点において言えば,2015 年以降にはとくに3 つの重要な進展があった。第一は,大国間の関係が大幅に悪化し,大国間競争や紛争が激化しているという点である。
 
損なわれる大国間関係
 2014 年にロシアが軍事力を背景にクリミアを併合したことを受けて,プーチン大統領は欧州の安全保障秩序や米国主導の国際秩序に対する闘争心をより強めてきた。彼のNSC(国家安全保障会議)は,冷戦後の安定的な解決状態そのものについて再交渉したいと言っている。プーチンは「新たなルールか,それともルール無しか」と述べるとともに,数多くのルールを無視した活動を行ってきた。その中には,特定個人を狙った治外法権的な殺人,禁止されている化学兵器の使用,西側民主主義諸国の各種機能に対する干渉,数十の軍備管理や関連取り決めの違反が含まれる。くわえて,プーチン政権下で行われてきた核兵器への投資については,2015 年時点ですでに多くの証拠があったが,その傾向は変わっていない。またプーチンは,2018 年に全く新しい戦略的運搬手段を公表している。もしこれらの兵器が実戦配備された場合には,ロシアの核戦力は3 本柱どころか,5 本柱や6 本柱に拡大することとなる。
 また2015 年以降,中国の自己主張は,政治,経済,軍事とどの側面から見てもますます強まっている。習近平国家主席が掲げる「中国の夢」には,中国が主要な国際的役割を果たすことが含まれており,そこではいわゆる「屈辱の世紀」に生じたすべての領土問題の解決が前提となっている。習近平は,中国の発展モデルが西側モデルよりも優れていると主張しており,中国の国際的役割にイデオロギー的側面を加えている。さらに,米国を地域から追い出すことを念頭に,「アジアの問題を解決し,アジアの安全を守るのは,アジアの人々である」とも主張している。また,中国軍部は「中国の国益の継続的な拡大」について論述している。習近平政権のもとでは,核戦力及びミサイル戦力の近代化と多様化が続いており,核戦力は今後10 年で倍増すると予想されてもいる。
 ロシアと中国の指導者がこれまで以上に好戦的になっていることを受けて,米国の政策立案者らは,大国間関係の長期的展望について楽観視するのをやめた。オバマ政権はロシアとの関係を再構築したものの,二期目に入ると,抑止概念を更新するとともに,(1991 年に中止した)対露有事を想定した正式な軍事計画を改定するなど,「ロシアに対する新たなプレイブック」を模索するようになったのである8。また,中国についての認識も根本的に変化しており,中国は数年のうちに「潜在的な責任ある利害関係者」から「戦略的競争相手」とみなされるようになった。トランプ政権は,大国間のライバル関係が復活していることや,長期的な戦略的競争の問題に早くから注目しており,超党派の幅広い支持を得ることとなった。他方でトランプ大統領は,プーチン大統領への個人的な親近感や,積極的な対中貿易戦争,一部の同盟国を友人を装った戦略的競争相手とみなすなど,戦略に複雑さを加えたことも事実であった。
 またトランプ政権は,ロシアや中国との長期的な戦略的競争へのアプローチを構想する中で,競争の軍事技術的側面を強調するとともに,サイバー空間や宇宙空間における「オーバーマッチ〔軍事的な圧倒的優位を築くこと〕」能力や戦略的優位性を確保するための態勢構築に努めてきた。もちろん,プーチン大統領や習近平主席は,米国が自分たちに対して圧倒的な軍事的優位を築こうとするのを受け入れたいとは思っていないだろう。だからこそ,破壊的な新技術をめぐる新たな形での軍事的競争や新たな軍拡競争,直接的な武力衝突,そして戦時における誤算や望まないエスカレーション・リスクの増大といった,新たな懸念が生じているのである。
 バイデン政権は,ロシアや中国との軍事的競争を抑制する一方で,両国が国際的規範や合意に違反するような行為に対しては,厳しい姿勢でのぞむことが期待されている。しかしながら,ロシア政府や中国政府との関係改善という意味において,オバマ政権以上の成果を上げることができるかどうかは未知数である。またバイデン政権は,欧州やアジアの同盟国との関係を修復,改善しようとするだろうが,これも先行きは不透明である。これらの同盟国は,ロシアと中国双方に対する米国の戦略的立場を強化するためには不可欠な存在だ。
 
地域的課題の激化
 
 2015 年以降の北東アジアの安全保障環境は,ますます悪化している。たとえば北朝鮮は,核兵器と長距離運搬手段の増強を進めている。トランプ大統領は,北朝鮮との和解を政策上の最優先事項とする文在寅大統領の誘いに乗る形で,金正恩に大胆に歩み寄ったものの,望まれた北朝鮮の非核化を実現することはできなかった。また中国は,非核化を進めるよう金正恩を説得する気がないか,あるいは説得自体ができないことが明らかとなっている。いまや金正恩は,韓国や日本の政治的な機能を喪失させうるほどの壊滅的打撃を与える手段を手にしている。米国の規模の大きさや北朝鮮からの距離を考慮すると,北朝鮮は米国を存亡の危機にさらすほどの存在にはなっていない。しかし,戦時に米国のミサイル防衛を圧倒することができれば,米国に対しても核による甚大な損害を与える可能性が出てきている。
(以下、本文つづく。注番号は割愛しました)
 
 
監訳者解説・あとがき
 
「正しい核戦略」を理解するきっかけに乏しい日本
 本書を手にとっていただいた読者の方々にとって,本書は「核戦略」に関する何冊目の書籍だろうか。核戦略と抑止論は,安全保障をめぐるさまざまな議論の中でも,最も高度な体系的発展を遂げてきた政策・学問領域といっても過言ではない。米ソ冷戦という核大国間の対立は,一歩間違えれば人類の存亡に繋がりかねないきわめて重大な問題であり,それゆえ冷戦期の米国では,「ベスト・アンド・ブライテスト」と呼ばれるさまざまな分野の専門家が,官民学の垣根を越えて,全面核戦争を回避するための方策を議論し続けてきた。核戦略と抑止論は,まさにそうした危機感のもとで誕生し発展した人類の叡智のひとつの到達点であった。
 一方,日本において核兵器をめぐる問題は,米ソ冷戦を背景とした戦略論とは異なる形──反核・平和運動の文脈──で語られることが長らく支配的であった。広島・長崎への原爆投下という悲劇的な歴史を持つ日本において,それはある意味自然なことではある。それに戦略的文脈からしても,冷戦の第一戦域は基本的に欧州であり,日本を含むアジアはあくまで欧州で戦端が開かれた際に副次的な影響を受ける第二戦域に過ぎない側面があったこともまた事実であった。
 ただそれでも,これまで日本において核兵器をめぐる問題を戦略的に議論しようとする試みが全くなかったわけではない。たとえば,防衛庁防衛研修所(現在の防衛省防衛研究所)の桃井真や京都大学教授であった高坂正堯に代表される戦後第一世代というべき現実主義派の国際政治学者によって,米欧で行われていた核戦略や抑止に関する主要な議論が翻訳され紹介されていた時期もあった(ハーマン・カーン,桃井真・松本要訳『考えられないことを考える──現代文明と核戦争の可能性』ぺりかん社,1968 年,高坂正堯・桃井真共編『多極化時代の戦略(上・下)』日本国際問題研究所,1973 年など)。
 しかしながら,これらの文献のほぼすべてが,今や絶版になってしまっている。学生であれば,大学の図書館や指導教員の蔵書等に頼る手があるが,その他の潜在的読者にとっては古書であっても手に入れるのは容易ではない。さらに,冷戦の終結とともに全面核戦争の恐怖が去ると,米欧の安全保障コミュニティにおいても,核戦略や抑止をめぐる問題への関心は急速に失われてしまい,代わりに地域の民族紛争や予防外交,そして2001 年9 月11 日の米国同時多発テロ以降は,対テロ戦争や核不拡散のような非対称脅威に関する議論が盛んに論じられるようになっていった。
 一部の人々から「核の忘却」と呼ばれるこの傾向は,日本の学会や論壇においても同様であり,実際2000 年代以降に日本で出版された核戦略に関する書籍はごくわずかしかない。その結果,日本の人々が冷戦期に行われてきた核戦略や抑止をめぐる議論を正しく理解する手がかりとしては,安全保障概論の教科書に相当する書籍の一部を参照するか,難易度の高い原書を前提知識なしで読み解くしかない状態が長らく続いてきてしまった。またその弊害として,安易な核武装論や観念的な軍縮論のような,国際政治学や安全保障論の基本に基づかない両極端の一般書が,核問題に関心を持つ潜在的読者の誤った入り口になってしまうケースも少なくなかったように思われる。
 ところがそうした間にも,核兵器をめぐる国際安全保障環境には次々に新たな問題が生じ,今や一般の人々にも漠然とした危機感を感じさせるものになってきている。たとえば,北朝鮮は核・ミサイル能力を急速に発展させ,韓国はもとより,日本,そして米国本土までをも脅かす存在となった。(INF 条約をはじめとする軍備管理上の約束をことごとく破り)中国は,有事に米軍の介入を阻止・妨害する能力として,精密誘導が可能な核・非核の中距離ミサイルの拡充を続け,今や西太平洋地域において即時打撃能力の圧倒的な優位を確立している。また2021 年に入ってからは,中国が少なくとも250 基以上のICBM用サイロを建設している様子が報じられたことは記憶に新しい。そして,INF条約をはじめとする軍備管理上の約束をことごとく破り続けてきたロシアは,本書の編集中の2022 年2 月24 日,核の脅しをちらつかせながら,ウクライナへの全面侵攻を行った。本書は,2022 年2 月以降に生じたウクライナをめぐる情勢を直接扱っているわけではないが,そこで検討すべき抑止上の論点や課題については,全体(とくに第4 章,第6 章)を通じて,すでに詳細に分析されていることがおわかりいただけるだろう。
 本書の著者であるブラッド・ロバーツ氏は,長年ワシントンで核戦略の研究や政策実務に携わってきた専門家として,こうした状況に早くから警鐘を鳴らし,冷戦期の核戦略や抑止,軍備管理をめぐる議論の中で培われたさまざまな教訓を手がかりとしつつ,それらに修正を加えながら,今日の新たな核の脅威に向き合う重要性を訴えてきた。そして本書は,『「核の忘却」の終わり』(秋山信将・高橋杉雄編:勁草書房,2019 年)の時代が到来していることを人々に認識させ,核戦略や抑止をめぐる問題が再び重大性を持って議論されるきっかけを作った一冊として位置付けられている。
 
冷戦期から続く核戦略の系譜
 2015 年の出版以来,本書は冷戦後(とくにオバマ政権以降)に行われた米国の核戦略の検討過程を正確に理解する上での必読書として,さまざまな論文等で引用されており,2016 年には全米図書館協会が選出する優良学術書籍に選出されている。一方でロバーツ氏がそれ以前の議論を詳しく紹介していないのは,紙幅の関係もさることながら,米欧ではローレンス・フリードマンの『核戦略の発展(The Evolution of Nuclear Strategy)』(Palgrave Macmillan; 4th ed. 2019)等に代表される核戦略の歴史に関する著作が何度も改訂を重ね,出版され続けているという背景がある。
 しかし日本では,前述のように現在でも誰もが手にすることのできる核戦略の歴史に関する良書は限られてしまっている。そこで以下では,核戦略の歴史に馴染みのない読者の方々に向けて,冷戦期から現在に至るまで米国の核戦略や抑止をめぐる議論が体系的発展を遂げてきた経緯を,基本となる概念の解説も含めて,ごく簡単に振り返っておきたい。
 
「核抑止」概念の誕生
 そもそも,抑止とは「全体の損得計算において,コストが大きくなることを相手に認識させ,その行動を思いとどまらせること」を指す。抑止が機能するには,①相手に耐えがたいコストを課す能力,②能力を使用する意図,③直面している事態の重大性の相互認識という3 つの条件が揃わなければならない。また抑止力には,耐えがたい打撃を与える能力(例:都市部への大規模核攻撃)による脅しに基づく「懲罰的抑止」と,相手の行動を無力化できる能力(例:ミサイル基地などの軍事目標に対する限定核攻撃やミサイル防衛による損害限定)によって,行動の非効率性を認識させる「拒否的抑止」の2 つに大別される。
(以下、本文つづく)
 
 
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