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あとがきたちよみ
『日本資本主義経済史 文化と制度』

 
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寺西重郎 著
『日本資本主義経済史 文化と制度』

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日本語版への序文
 
 本書は2020年12月にシュプリンガー社から刊行したJuro Teranishi, Culture and Institutions in the Economic growth of Japan (Springer 2020)の日本語版である。原書はかなり長文であるが、日本語版は、できれば多くに人にお読みいただきたいとの思いから、注と付録などは省略し、基本的に本文のみをできるだけ読みやすい形で訳出した。多少の加筆訂正はあるが、最小限にとどめてある。本書の目的は、欧米文化への収斂がいわば当然視された20世紀と違って、21世紀ではその収斂の動きが一段落し、各国が固有の文化の意味と価値を自問し始めたという認識に立ち、グローバル化した世界における日本の立ち位置を見つめなおすことにある。そのための特定のテーマとして、市場秩序・経済成長に対する制度と文化の関係に焦点をしぼり、制度ないし法的ルールによって市場を秩序付けることによって経済成長が達成された、という欧米的な経済政策原理は、明治維新以前の日本では適用しがたく、日本における市場秩序は、文化すなわち世代にわたって受け継がれてきた伝統的な信念と価値の体系に基づく規範によって形づくられたものであることが主張されている。
 本書では、こうした欧米的な制度論の基礎には、公共ないし集計量としての功利主義的な社会的厚生の概念の、人々の間での「共有」による、制度構築コストの低さがあることを指摘する。明治維新以前の日本では、西洋的な公共の概念の共有がなく、人々がそれぞれの身近な他者とのかかわりを中心に生活を送ってきたことが、社会における制度構築のコストを高くし、代わって文化的規範による秩序付けによる市場と経済の発展が生じたことが示される。
 現代の科学は、トーマス・クーンによれば、一定の既存パラダイムを前提として、パラダイムにかかわる諸仮説の批判的検討によって発展するという方法論に立っている。このため、本書でも、以下の序論で明らかにするように、生産要素などの諸資源の市場における効率的配分が経済成長をもたらす、という通常の経済学のパラダイムの枠組み内で、ダグラス・ノースの制度論を出発点にして、いわば批判のターゲットにする形で、議論が展開されている。しかし制度による市場の秩序付けという考え方は、ノースに始まるものではなく、いわんやノースに固有の考え方ではない。
 もともとキリスト教世界の公共の概念は、ルネサンス期に人文学者や神学者の間に芽生え、宗教改革時のカルヴァン主義の下で、万物の創造主である全能の神による宗教的賞罰の観点から、神の栄光を高めるために神の最高の創造物たる公共世界や人類を重視し、公共の厚生にかかわる神の命令としての道徳規範に従う、という行動にかかわって多くの人々の世界像の中核概念として一般化したものである。マックス・ウェーバーが強調したように、カルヴァン主義における身近な他者への関心の禁止ないし単なる被造物にすぎない身近な他者を偶像視することの否定の教えが、西洋の人々の内面的世界像における公共や人類といった抽象的な概念の重要性を一気に高めたのである。18世紀以後の脱宗教・世俗化の動きの中でも、この概念は終始西洋的な道徳観念の基礎を構成した。拙著『経済行動と宗教』(2014年、勁草書房)でも論じたように、ルネ・デカルトやジョン・ロックを転機とする、宗教からの脱却と自我の発見の中で、身近な他者に距離を置き、他方で公共概念を重視する、という思想は一層強まっていった。日本においては自我の発見は、内面的世界像において、身近な他者の重視をもたらしたが、西洋では公共の重視をもたらしたのである。人間本来の内在的な善への志向があるとした道徳感覚学派や、一般的見地に立った「公共的利益に対する共感」を唱えたデイヴィッド・ヒュームなどの模索に始まり、「事情に精通した公平な観察者」というアダム・スミスのアイデアを経て、公共概念は、主として西洋で発展した現代経済学に連綿と受け継がれてきた一貫した思想の核である。欧米の主流の経済社会思想は、科学的進歩の中で世俗化が進む一方で、さまざまな社会的に「埋め込まれた(エンベッドされた)」日常的・現世的制約の中で、公共との共感、公共との共存、公共的視点の共有などの公共概念にまつわる世界像を中心に据えることで、幅広い意味で、今なお宗教的伝統の枠組みの中にあるのである。ノースの制度論は、こうした内面的信念の伝統に立ち、人間の知識と理性の限界から自生的な市場秩序を否定し、法と制度による秩序付けを主張するフリードリッヒ・ハイエクや、功利主義などをめぐる諸善の争いを回避し、手続き的合理性の観点から正義の基準を提唱するジョン・ロールズやそれを批判するマイケル・サンデルなどの最近の一群の論争の一環として、それらと相並んで、構築されていると言えるであろう。
 資本主義経済における市場は、制度、文化またはそれらの組み合わせによって構造が形づけられ秩序付けられる。制度は法律や規則などによって、文化は社会規範や慣習によって市場を構造化し秩序をもたらす。制度と文化のどちらを主として用いるかはそれぞれの社会の文化的伝統によって形成される人々の内面的世界像に左右される。以下で本書では、内面的世界像は、西洋ではキリスト教由来の公共概念に基づくものであるが、日本では公共の概念は歴史的に未発達であり、日本人の内面的世界像は主として身近な他者を基本的な構成要素として形成されてきた、と考える。文化的伝統自体も日々進化しているが、そうした歴史的に形成されてきた世界像は現在の世界でもさまざまな面で経済社会システムに埋め込まれていると考えられる。今後における世界の文化的文明的協調のためには、多様な内面的世界像の間の調和の道を探ることが必要である、というのが本書の政策的な主張である。
 
 以下では、長期の日本経済史に関して、本書が持つ意義と思われるものについて説明しておこう。日本経済史の研究は、戦前から戦後しばらくまでは、マルクス主義経済学の圧倒的な影響の下に、その後数十年はアメリカを中心に、またアメリカ経済を暗黙の素材にしつつ(拙著「20世紀の経済学を回顧する」『経済セミナー』2011年4・5月)、欧米のキリスト教由来の経済社会思想の影響の下に構築されてきた近代経済学により、進展してきた。
 欧米の経済社会思想史との対比を明らかにするために、本書の考察は、万物の創造主としての全能の神の存在しない、仏教世界の輪廻と在来的な神道の世界観の考察から始められる。日本経済における萌芽的な市場勃興期である鎌倉時代に発生した新仏教の教義が、内面的な民族の信念と価値の伝統に対してもたらしたインパクトを軸に、情報の需給と重ね合わせつつ、日本における市場秩序の変容の過程を論じるという構成をとっている。神の創造した人類や公共世界という概念の存在しない近世までの日本の観念世界において、現世のみならず想像上の輪廻の世界で出会う身近な他者への限りない愛着と共生へのこだわりが、どのようにして日本人の内面的な経済的世界像を生み出し、制度でなく文化的規範が日本の市場経済社会の歯車を回していったのか、が論じられている。いわば、ミクロの身近な他者との全人格的なかかわりの上に、個人個人の世界像の間の調和とつながりの連鎖から、日本の市場秩序は形成されてきたのであり、たとえば、社会契約理論に見られるような、市民が一斉に街の広場に集まり、あるいは集まるという虚構の上に、一挙に市場秩序のルールとしての制度を決定する、という思惟上の仕組みが通用する世界とは決定的に異なっているのである。江戸時代に入って以降、日本でも脱宗教の動きが始まったが、身近な他者にかかわる世界像は、今なお、日本の社会的に組み込まれた慣行や発想パターンなどの日常的諸制約として、日本人の行動を規定している。あえて卑近な例でいえば、最近のコロナ禍において、西洋では強制力を伴うロックダウンという制度的対応、日本では自粛要請という文化規範的対応によったという政策思想の違いにも対応している。
 イギリスでは全国レベルの市場経済化が進展するなかで、無名の他者との間での市場価格に基づく新しい交換メカニズムに不慣れな人々の不安を解消するために、スミスは市場にキリスト教由来の公共利益を実現する内在的メカニズムが存在することを示すモデルを提示した。ヒュームは財産権を守るシステムが公共のためになると論じた。ヒュームやスミスのモデルの影響を受けつつ、人々はキリスト教由来の公共の利益の集団的追求の社会経済的な意味を確認した。そうして形成されてきた内面的世界像が、制度構築にあたっての人々の合意形成の容易さ、社会的コストに影響し、コストを経由して市場の秩序付けの方法が定まってきたのである。スミスたちが用いたモデルに共通し、キーワードとなった公共ないし社会という概念が人々に共有されたことにより人々の集団志向性を高め、制度構築にかかわる集団行動のコストを引き下げたことが、西洋の制度に基づく市場の秩序付けをもたらしたのである。
 要するに、本書の理論の新しさは、歴史的に形成された内面的世界像の違いが、制度を中心に市場の秩序付けを行うか、それとも文化的規範によって行うかのコスト面の違いに帰結し、市場秩序形成の仕方を決定したということにある。西洋では、人々の内面的な世界像を形作るキリスト教由来の公共概念の「共有」が、制度による市場秩序の構築についての合意形成のコストを引き下げ、その結果、市場の秩序付けにおける制度の有効性と発展に帰結したのである。こうしたロジックは、異文化である日本のケースを考察することによって導かれたことが重要である。日本では、世界像の中核が公共概念などという、誰にとっても内容がほぼ同一で、共有しやすいものではなく、個人のまわりの身近な他者との関係にかかわるものであったために、身近な他者は人それぞれで異なるという単純な理由により、制度設定に当たって配慮すべき内面的世界像が個人によって異なったのである。その結果、日本では、制度を構築しようとした場合、望ましい制度についての合意形成が容易でなく、集団行動による制度の設定が高コストであった。このため、制度による市場秩序構築でなく、代わって、身近な他者との間で培われた文化的な規範が、市場の秩序形成の方法として選ばれたのである。
 
 本書では、欧米における制度による市場の秩序付け、日本における文化的規範による市場の秩序付けという対比の理論を展開し説明するとともに、この理論に基づき、長期の日本経済史を一貫した(コヒアレントな)理論から再構成する試みがなされている。その過程で、筆者自身もあまり予期しなかった、いくつかの新しい結論が得られた。各章の内容は第1章末尾でも概説されるのだが、ここでは、日本経済史に直接かかわる第4章から第7章の分析の視点と結論的な主張を簡潔に整理して、本書から導かれる長期日本資本主義経済史論の流れを総括しておこう。
 本書の資本主義経済史は中世初期における日本人の内面的世界像の形成過程の分析から始まる。まず平安時代末期から鎌倉時代にかけての時期は、日本人の経済行動における身近な他者に基づく内面的世界像と価値観が形成された時期である、とされる。第4章では、日本における仏教と神道を軸とする13 世紀頃から14世紀頃にかけての文化史をたどり、鎌倉時代における新仏教の誕生の過程とその論理構造を、大乗仏教の大衆救済にかかわる教理の自律的進化と律令制度の衰退のインパクトという枠組みの中で考察し、日本人の内面的な経済社会的世界像の形成過程を分析する。新仏教は、世俗の善行による仏教的真理の追究による成仏の達成という廻向理論に基づいて、日々の日常的職業行動を宗教実践の場としたため、日本人の内面化された世界像における身近な他者との関係性が、単なる輪廻の場での身近な他者関係を超えて、さらに深く強いものになったことが論じられる。公共概念ではない、身近な他者を基本概念とする日本の経済的世界観の誕生である。経済史的に重要なことは、鎌倉新仏教の、この易行化(世俗の日常における修行の容認)という教義改革は、身近な他者に基づく経済社会的な世界像を創り出しただけでなく、求道主義という新しい行動様式を生み出し、この行動様式が、律令制度の衰退に伴う経済の市場化の中で、職業の専門化と社会的分業の急激な進展をもたらしたことである。すなわち、鎌倉新仏教における世俗的な日常の職業活動における宗教的真理追求の有効性の容認は、成仏のために「道を究める」という行動を聖化した。このため、易行化は単に禁欲的な職業行動をもたらしただけでなく、それぞれの職業、道における卓越、専門性の追求(求道)を聖なるものとして人々に動機付けたのである。このことが、おそらく人類史上まれな社会的分業の急激な進展をこの時期に引き起こしたと考えられるのである。
 第5章で分析される室町時代から戦国時代にかけての時期は、日本経済の文化、独自の内面的世界像に基づく市場の秩序付けシステムが形成され始めた時期であるとともに、その内在的欠陥が明らかになった時代であると考えられる。この時期の経済は、求道主義に基づく社会的分業の加速と専門性の追求を軸にして、緩やかな成長を開始するとともに、身近な他者概念に基づく内面的世界像の下で、制度と文化の不整合による諸問題に直面し苦闘することとなった。この苦難の過程が、15世紀以降16世紀にかけての社会的分業の加速がもたらした社会の信頼レベルの低下過程の文化的背景を軸に分析される。求道主義の下でのそれぞれの専門の道における人々による卓越の追求は、南北朝期以後、社会的分業化を加速させ、未発達な情報システムの下で、古代社会以来の信頼水準を急速に引き下げた。加えて、身近な他者を中心概念とする世界観の普及は、武士階級の自己救済行動に象徴される封建制度的人間関係の弱化と寸断化をもたらした。また日本の封建制が貴族の支配する律令制の一部として成立したことが、武士(武家)と貴族(公家)の価値観の対立に政治的な意味を与え、土地支配などをめぐる階級対立にかかわる諸問題を先鋭化させた。こうしたなかで進行した情報の非対称性のドラスティックな悪化が、室町幕府による関係依存的政治の腐敗およびモラルハザードの蔓延と共進的に変化し、さらに、「武士貴族」化した室町大名の価値観の二重性が、家臣の雇用市場における情報の非対称性と相乗して逆選択現象をもたらし、戦国時代の下剋上現象を引き起こしたのである。制度としての封建制度は、文化的要因を基礎に持つ下剋上現象によって、最終的に機能不全に陥った。さまざまな日本型芸術が花開いた室町時代は、文化が制度を支配した時代であり、また文化による社会と市場の秩序構築の凶暴ともいうべき負の側面が如実に現れた時代でもあった。
 江戸時代は、日本経済の文化による秩序付けという特質の内在的欠陥を克服し、安定した経済成長を達成し、その中で日本的経済システムの基礎が形成された時代である。第6章では江戸時代の経済成長が、官民挙げての倫理システム構築への努力とその結果としての行動規範の標準化、その中で生じた商業や流通の取引コストの低下過程に焦点を合わせて考察される。この時期の経済に特徴的な長期的な金利水準の低下は、潤沢な貨幣供給による流動性プレミアムの低下ではなく、道徳律の開発と普及による行動の標準化、信頼水準の改善という、文化的な要因から導かれるリスク・プレミアムの低下によるものであることが実証的に示される。江戸時代の経済成長は、人々の経済行動にかかわる情報の非対称性の改善、信頼の回復によるリスクの低下によるものであり、その結果生じた取引コストの低下に牽引された商業主導の成長であったのである。この意味で、江戸時代の経済成長には、中世の戦国時代にかけての社会における信頼水準低下の裏返しの側面がある、ということがこの章の大きなメッセージである。戦国時代の逆選択によって生じた下剋上の不可解さと恐怖が江戸の平和と繁栄につながったのである。また、この時代、かつて職業活動の聖化をもたらしたような宗教の圧倒的影響は明らかに弱まったが、求道主義は人々の努力水準を高め、成長に寄与した。家システムの農業や商業部面への普及は求道の成果の継承を容易にし、成長を助けた。しばしば注目されてきた農業技術や土地制度は江戸時代の経済成長の主要な説明要因ではない。
 明治維新以降は、維新の開国と太平洋戦争の敗戦の下で、西欧の文化と制度の怒濤の移入が生じ、日本は伝統的な経済文化との調整に苦吟しつつ、西欧的な制度に基づく市場の秩序付け方法を採用し経済制度の近代化を達成した時代である。第7章では、明治維新と第二次世界大戦での敗戦という二つの契機における日本の経済文化の変容が論じられる。明治の指導者たちは、西洋的な制度を積極的に導入する一方、身近な他者との間で育まれた信頼ベースの社会と求道主義に裏付けられた人的資本の果実のシェアリングからなるステークホルダー社会という江戸時代からの文化的遺産をできるだけ守ろうとした。前者については、その伝統を尊重し、在来産業を存続させ名望家の信頼による地域社会システムの構築を行った。後者については、個人の自由を最大限認めながら戸主を中心とする人的資産蓄積システムを維持するために、家システムの改革を行った。こうした政策はそれなりの効果を発揮したが、明治の指導者たちは、それと同時に、欧米の列強に伍して国家を存続させるためには西洋の公共の概念の持つ国民精神の高揚と求心性が必要であると考えた。この観点から、彼らは国体という代替的な文化概念により西洋的な公共概念を日本に移植させようとし、国体概念による伝統的内面的世界像の改変、新思想体系の構築を試みたのである。しかしこの試みはその目的を達成できなかっただけでなく、軍国主義者に利用され、無残な失敗に終わった。
 昭和の敗戦の後、近代化改革の不徹底への反省から、在来産業と家システムを切り捨て、核家族制に基づく労働者の動員による大量生産と新しいライフスタイルに基づく大衆消費社会への移行が試みられた。そうした移行を行うという国民的決意に基づく消費と投資の需要の盛り上がりが、高度成長をもたらした。人的資本の蓄積と継承のシステムはステークホルダー社会としての日本型企業に部分的に受け継がれた。拙著『歴史としての大衆消費社会』(2017年、慶應義塾大学出版会)で論じたように、高度成長経済をもたらしたのは単なる余剰労働の存在や海外の輸入技術の利用可能性ではない。しばしば成長の原因とされる高貯蓄も成長の恒常所得理論的な結果でしかない。「差し当たって」文化の伝統を忘れて、アメリカ的な大衆消費社会に全面的に移行し成長を達成するしかない、という敗戦の瓦礫の中での限定合理性に基づく決意が高度成長をもたらしたのである。
 
 以上が、本書で導かれた長期日本資本主義経済史論の概略である。得られた結論は、いずれも作業仮説のレベルにある。読者諸氏の今後の批判と討論の材料となれば幸いである。もちろん、今後詰めなければならない課題も膨大である。これは経済史の歴史研究とともに文化と市場経済にかかわる理論研究についても言えると思う。もし読者の中に、この制度vs文化という問題に関心を持たれる方々がいれば、こうした問題を共にお考えいただけると幸いである。
 内面的世界像に基づく市場秩序の構築の仕方の違いに焦点を当てた制度vs文化という枠組みが日本経済史分析の唯一の有効な方法であるとは、筆者はもちろん思っていない。むしろ、こうした風変わりな議論は、同僚(ピア)や読者に受け入れられないかもしれないという、不安感の方が強い。ただ、一般論として言うと、近代化した現代日本経済の分析とちがって、長期歴史分析では、西洋の土壌に発達したキリスト教的世界観と制度論を中心にした経済学のつまみ食い的問題設定の有効性は限定されざるをえないと思う。本書の議論をあえて制度vs文化という論脈で大胆に要約すると次のようになる。第一に、日本では文化ないし内面的世界像はその独自の経路に従って、強い自律性を持って進化した。鎌倉新仏教の誕生と発展の経緯がこのことに関する有力な証左である。また江戸時代における社会規範の進歩は意図的な文化的営為であり、また文化政策の結果であった。西洋的に、文化が制度の影響下で内生的に決まる二次的な要因であるという主張は、日本の中近世史では成り立たない。第二に、制度は日本の長期的な構造変化と経済成長に極めて限定的な効果しか持たなかった。封建制は、求道行動による情報の非対称性の悪化と武士と貴族の価値観の対立という文化的要因によって室町後期には完全な機能不全に陥った。江戸時代の経済成長において、土地制度や財産権などの制度要因の果たした役割は二次的であった。文化面での社会規範の進歩による情報の非対称性の改善、その結果としてのリスク・プレミアム、したがって取引コストの低下が成長の主要因であった。戦後の高度成長も、人々の決意に基づくアメリカ的大衆消費文化への移行が主たる原動力であった、という意味で著しく文化的な現象であった。
 最後にノースの文化に関する考えを敷衍しておこう。彼はその代表作ノース(North 1990)で述べているように、経済システムの秩序構築にあたって文化ないし行動規範(彼の定義ではインフォーマルなルール)が果たす役割を明確に認識していた。ただ彼は「インフォーマルなルールは重要である」(p.36)が、「今のところ我々は文化の進化に関する十分に明快な(ニートな)理論を持ち合わせていない」(p.44)という理由で、文化の固定性・非伸縮性を強調し、制度による秩序付けの優位を主張したのである。事実、ノース(North 1990)は、西洋の公共の意識の知的伝統とパラダイムに立ちつつ、インフォーマルなルールの潜在的に圧倒的な重要性を認識した上で、あえてフォーマルなルールによる秩序付けを擁護する目的を持った研究である、とも言えるものである。彼がインフォーマルなルールの固定性を強調するにあたって、「日本の文化は第二次大戦後のアメリカの占領の下でも生き残った」(p.36)と述べていることに気付いたとき、筆者は深い感動を覚えたことが忘れられない。(ノースとは1996年の “The Institutional Foundation of Economic Development in East Asia” と題するIEA(International Economic Association) Round Table 会議で3日間並んで座った記憶があるが、そのとき筆者の文化vs制度のモデルはその片鱗さえなく、実質的な意見交換はできなかった。残念ながら彼はこの本の英語版出版の5年前の2015年に逝去した。)
 ただノースの本が書かれたときと違って、非西洋の文化に関する研究と経済における文化の役割に関する研究はかなり進展してきた。本書はその一端を担おうとするものであり、また最近注目を集めている「宗教の経済学」は、いまだ西洋ないしアメリカ的文化を前提になされているという性格が強いが、文化を宗教財の需給という概念に立った市場理論で解き明かそうという野心的な試みにある程度の成功を収めつつある。中世における宗教財の需要と供給が鎌倉新仏教という革新をもたらし、その影響は文化と制度に埋め込まれて現在に至るまで続いていることを論じた本書はこの宗教の経済学と強い補完関係にある。この点における本書の問題意識とアプローチの特質については、「書評:バロー・マックリアリー『宗教の経済学』」(『経済研究』2022年(4月)、73巻2号(182-185頁))に取りまとめておいたので、ご参照いただけると幸いである。
 
 
序論
 
 グローバリゼーションの進行に伴い、西洋資本主義による近代化の先導とその後の制度的競争によって、各国の制度は互いに類似性を強めてきた。制度の同質化を反映して、経済行動に関連する文化もまた、国際的な取引と相互作用を促進するために収斂しつつある。しかし、最近の地球規模の問題に関連する政策調整の難航度合いから考えると、文化の内面化された部分は、多様な歴史的背景を持つ国の間で、さまざまな地理的、民族的、宗教的条件を反映して、信念と価値観の両面で異質性を保持したままの状態が持続しているように思われる。
 ダグラス・ノースは、技術の進歩、物的資本と人的資本の蓄積、規模の経済など、経済諸成長の原因とみなされてきた経済変数は、実は経済成長の本当の原因ではなく、経済成長の現象にすぎないと主張した。経済パフォーマンスと成長の基本的な決定要因は制度であるというこの主張はまた、文化は二次的かつ補助的な役割しか果たさないという主張を暗に意味している。規制や法律など、人間が考案したゲームのルールとして定義されている制度が、市場メカニズムの構築と秩序付け、および経済主体のインセンティブの調整を通じて成長を引き起こす主要かつ基本的なアクターであるというノースの主張に従えば、前述の内面化された文化の多様性は経済的パフォーマンスにとって重要ではないことになる。しかし、本書では、制度だけでなく、各国に固有の、歴史的に伝えられた信念や価値観として定義される文化も、経済パフォーマンスの基本的な決定要因として不可欠であると主張したい。文化が、慣習を形成し、個人の行動規範を確立することを通じて、市場の構造の規定と秩序付けにおいて、インセンティブの調整において、制度と並んであるいは制度以上に主要な役割を果たしてきたと見られる可能性のある国もある。明治維新以前の日本はこの典型的な例である。制度にのみ重点を置くノースの主張は必ずしも、バランスのとれた見方ではない、というのが本書の立場である。内面化された文化と制度はともに自律的に進化し、機能的で効率的な市場秩序をもたらしてきた。制度は主に個人の行動に制約を与えることによって、文化は主に慣習と個人が従う行動基準を生み出すことによって、市場に秩序をもたらしてきたのである。本書はさらにまた、内面化された文化は、制度と文化のコストに影響を与えることを通じて、それぞれの国の制度、文化、またはその両方の組み合わせの間の選択に密接に関連していると主張する。本書は、こうした立場から、13世紀から20世紀の日本における文化の進化のダイナミクスと制度との相互作用を説明するための首尾一貫したモデルの構築を目的とするものである。
 本書のモデルでは、文化は、行動に関する部分と内面化された部分からなり、それぞれはともに信念と価値観で構成されている。文化の行動にかかわる部分、行動の信念と価値観は、市場行動の調整における個人と社会集団の間の日常的な相互作用を担当している。個人のゲーム理論的相互作用は、文化の行動部分の働きの典型的な表現である。内面化された信念は、個人が経験する世界の構造とその詳細、いわば世界観を担当しており、内面化された価値観は、認知的、倫理的、美的価値観などの合理的な行動の基準を担当している。加えて、文化の行動部分の働きの基本的なモードは、文化の内面化された部分に強く依存している。さらに、それぞれの国の文化や制度を確立するための相対的なコストは、主に内面化された文化に影響される。このことの具体的な意味はこうである。個人は、自分の環境、自分が経験する世界を解読および評価するためのイメージ図的な世界像を持っており、市場の構造を規定し秩序付けを行い、インセンティブを形成するための望ましい方法についてそれぞれの意見を表明する、と想定されている。文化と制度の構築の相対的なコストは、個人の意見を集約することの容易さ、したがって、内面化された文化の内容である世界像に依存する。西洋では、個人が経験する世界についての内面化された文化は、おおむね公共の概念に基づいており、その公共概念は個人間で多かれ少なかれ類似していたため、意見の集約は容易であり、人々を共通のルールで縛る制度を設立するコストは低かったと考えられる。内面化された文化が個人それぞれの身近な他者で構成されていた日本では、身近な他者のメンバー構成が個人間で大きく異なるため、意見を集約して共通のルールを見出すことが難しく、制度構築のコストが高かったと考えられる。
 明治維新以前の日本では、個人は主に身近な他者との交流に関心を持っており、個人の内面化された信念には公共や社会全体という概念はほとんど存在しなかった。これは仏教における、輪廻という想像上の概念における身近な他者との相互関係の中から生まれる業の蓄積に関する強い関心を反映したものであった。加えて、日本では、身近な他者への関心は、通常考えられる仏教の影響だけではなく、歴史的な経験から、特に強いものであったと考えられる。日本の宗教改革は、古代の中央集権経済システムが衰退し始め、経済の市場化が加速するなかで行われたため、改革によって促進された宗教実践の簡素化、いわゆる易行化は、職業活動のなかで、悟りのための宗教的功徳を求める行動を引き起こした。個人は職業活動において他者に比較して自身を高めようとする意欲を強く持つようになり、この傾向が職業の専門化と社会的分業をさらに加速したのである。この職業行動の聖化ともいうべき現象により、身近な他者との相互作用が、個人の内面化された文化に、日本では他の仏教国では見られないほどの大きな影響を与えるようになったと考えられるのである。
 身近な他者のメンバー構成は個人によって大きく異なるため、社会の多様な意見を要約することによって市場行動を秩序付け調整するための効率的な制度を確立することには、日本では非常にコストがかかることとなった。このため日本では市場経済の構築と秩序付けは主に文化、特に倫理と社会的な道徳的規範、によって行われることとなったのである。倫理と道徳的規範は、17世紀から19世紀半ばにかけての江戸時代に、政府や民間の知識人や武士などのエリートによって意図的に開発され、人々の間に広まっていった。行動の慣習は小グループ内で合意され、グループの相互作用の規範がグループ間で確立され、さらに、グループ間の連鎖関係が徐々にマクロレベルに拡大したのである。これに対して西洋では、全能の神によって創造された人間ないし公共世界という宗教に関連する概念があり、個人の内面化された文化において、社会活動への参加と協力という形での個人間の強い集合的行動志向性が存在したため、社会の構成員を束縛する制度を構築するコストが日本に比べて大幅に低位にあったと考えられる。社会契約理論で想定されたモデルのように、人々は制度構築のために、たとえば町の広場に集まる準備ができており、あるいは実際に集まらないまでも、一つの場所に集まっているという仮想の状態を想定する準備ができており、日本のケースのように小グループから積み上げるのではなく、一挙にマクロレベルでルールへの賛否を表明し人々の意見を集約することのできる社会であったのである。
 コストの違いは、個人レベルでの内面化された文化の表現である世界像の、個人間の相互作用を通じての、収斂の容易さによって引き起こされることに注意することが重要である。西洋では、世界像は主に公共の概念を基礎に作られており、公共の概念は、多かれ少なかれ人々の間で共通していたと考えられる。これに対して日本では、世界像は主に輪廻という想像上の過程で出会う身近な他者を基礎にその内容が構成されており、身近な他者、すなわち友人や知人は、個人間でそれぞれ異なっていたと考えられる。こうした日本と西洋の世界像の内容の違いは、世界像の共有のしやすさと意見集約の容易さ、つまり集合的行動志向性のレベルを説明し、日本と西洋の間で制度を確立するためのコストの違いを引き起こすのである。個人間で世界像の内容が大きく異なる日本では、世界像の共有が容易ではなく、西洋に比べて制度の確立にかかるコストが高くなったと考えられるのである。
 西洋の経済発展は、主に、日常の活動を調整するためのさまざまな制度的装置の下で育まれた工業技術の開発によるものであったが、江戸時代の日本の経済成長は、文化の意図的な開発による行動の標準化による取引コストの削減と、宗教的動機によって高められた小規模生産者の努力のレベルの向上によるものであった。西洋における工業技術の発展と日本の倫理の取引コスト効果の違いもまた、文化の内面化された価値のパターンに関連していたと考えられる。西洋では、認知的価値観が時間とともに重要性を増してきており、日本では、近世に向けて倫理的価値観が支配的になったと考えられる。このことは、日本の歴史における倫理的発展と西洋における認知科学の発展の重要性を説明している。倫理的価値の尊重の高さは、日本での取引を秩序付けする際の文化の役割の重要性を説明し、認知的価値の尊重の高さは、工業技術の開発に関連する制度の重要性の原因にかかわっていると言えよう。内面化された信念は制度を確立するコストの決定において極めて重要な役割を果たし、内面化された価値は認知的価値と倫理的価値の間の選択を通じて成長のパターンに影響を与えたのである。
 本書は、内面化された文化の進化と市場秩序における文化の役割によって、13世紀から20世紀までの日本の社会経済的ダイナミクスを首尾一貫して説明するための、一つの準備的な試みである。
 ノースは、文化は機能的に変更するにはその持続性が強すぎること、および文化の変更を意図的に管理することが難しいという理由で、市場の秩序付けにおける文化の積極的な役割を否定した。明治維新以前の日本には、いずれの条件も成立しない。江戸時代、政府は社会の秩序付けを目指して文化への働きかけを主導し、社会経済の安定に適合的な新しい倫理規定を作りあげた。他方、明治維新以前の日本の制度は、朝廷に基礎を置く貴族(公家)政府と武士(武家)政府の間の価値体系の対立、および封建的ルールと仏教的な行動規範と価値の対立のため制度は著しく非効率的であった。さらに、政府の利益団体活動によって、制度はその非効率にもかかわらず、きわめて粘着的で持続性を維持していた。江戸時代の武士政権は、敵対勢力から身を守るための制度的工夫を凝らしたが、そのことが引き起こしたさまざまな経済的非効率をほとんど気にすることはなかった。
 明治維新後、西洋の制度や産業技術が急速に日本に導入され、日本人は啓蒙文化に結晶化した西洋の文化システムを精力的に吸収した。明治の指導者たちが国の歴史的一貫性と精神を確立するための闘いは、輸入された西洋の制度を伝統的な内面化された文化に適応させ、歴史的伝統のメリットを可能な限り維持しようとする試みであった。彼らの政策は概ね成功したが、公共の概念の代替としての国体の概念を確立する政策は、国体の概念が1930年代に軍国主義が台頭した理由の一つをなしたことから見て、成功とは言えないものであった。国体概念の導入は、いわば制度的装置によって西洋の公共概念の代替物を確立することによって、歴史的に受け継がれた内面化された文化を部分的に代替させようとした政策であった。文化の持続性からして、そのような政策は失敗せざるをえない運命にあったと言えよう。この失敗を、明治の指導者たちが無知で人々の世界像の持続性を理解できなかったことから説明することはできないであろうから、明治初期の国際的な緊張の深刻性が、限定合理性に基づく次善の政策として彼らにこの政策を採用させたと結論付けなければならない。歴史的に育まれてきた内面化された文化は、今でも日本人の心に深く根付いている。伝統的な内面化された文化と外国の「先進的な」文化との融合または代替を実行することは容易ではない。われわれは、明治の指導者の失敗を考慮して、この点に関してより慎重かつ真剣である必要があろう。最も重要なことは、深い理解と相互尊重に基づいて、両方の文化の協力と共存の方法を見つけることであるように思われる。世界経済の効率化には、競争と制度と技術並びに文化の行動的な部分の最終的な収斂が不可欠であり、他方で、グローバルな協力の調和のとれた発展には、それぞれの国の内面化された文化の多様性と長期的には人間の創造性の維持尊重が不可欠である。
以上要するに、制度だけでなく文化も市場の秩序と経済行動において重要である。グローバル化した経済における制度の同質化と各国固有の文化的要因の持続という条件の下で、制度と文化をどのように組み合わせるべきかが問われなければならない。世界経済における制度の収斂は、必ずしも市場の構造構築と秩序付けの方法の同質化を意味するのではない。文化の違いは、市場の働きに直接影響を与えるがそれだけでなく、市場の秩序付けに当たって所与の制度が持つ重要性に影響を与えることによっても、国の経済パフォーマンスに影響を与える。歴史的に受け継がれてきた文化とグローバル化された制度との組み合わせの程度は、各国の文化の内面化された部分によって決定される。
 今日の世界経済におけるさまざまな不協和の現象は、各国間の制度と文化の組み合わせの違いに根ざしているように思われる。世界経済の協調と国際公共財の提供に関連する緊急の問題に対処するために、本書には各国の多様な制度と文化の組み合わせをどのように調和させるかという難しい問題に直面する必要がある。文化の内面化された部分の構造をグローバリゼーションの研究に組み込む必要がある。日本の文化の内面化された部分の長期的な進化の分析にかかわる本書はまた、日本の制度と文化の組み合わせの世界経済における意味を検討することを、いま一つの目的としている。
 
 
あとがき
 
 日本語版を書き終えて改めて思うことは、筆者が1970年頃からの50余年の経済学研究において一貫して追求してきたことは、日本資本主義の本質と存在意義を考えるにはどこに注目すべきか、ということであったということである。筆者なりの結論は、文化vs制度という理論的な視点から、世界資本主義の経済文化の多様性を解析し、それに基づき世界の共存の条件と日本やアジア経済の特性を明らかにするということである。
 日本資本主義の特質を考えるという問題意識を持ったことの背景としては、なによりも当時の一橋大学の実にリベラルで活気に満ちた学問的雰囲気があった。いま思えばそれは、個性豊かな諸先生方が「マル経」「近経」など多種多様な方法で、日本資本主義のあり方を模索されていた時代であったような気がする。個人的には、それに加えての大きなきっかけは宇沢弘文教授の影響であったと思う。筆者が大学院を終えるころから、シカゴ大学から日本に帰ってこられた宇沢さんに六甲、箱根、宝塚、逗子などでのコンファランスにたびたび呼んでいただき、またしばしば都内の酒席で深夜まで、彼の新古典派モデルに対する懐疑論を徹底して叩き込まれたことが強くかかわっている。それ以来、筆者はいかにして新古典派経済学と日本資本主義史論をつなぐかという問題との格闘との先の見えない煩悶の中で、研究者生活を送っていたような気がしている。一橋大学経済研究所の金融論と日本経済の専門家としてスタートし、日本金融史やアジアとの比較金融システムなどの研究を進めるなかで、経済思想史・経済哲学関係の文献をひたすら読み漁る日々であった。
 日本資本主義の歴史と新古典派経済学の関係を文化ないし宗教を中心に考えるということに思いが至ったのは、筆者が長年お世話になった一橋大学を退職した2005年頃であった。この問題意識については、1990年頃から、アジア研究にかかわったことが影響している。1990年頃から2005年頃にかけては、さまざまな国際会議に出て、各種の海外のジャーナルや論文集に20本以上の英語論文を書き、世界銀行関係の多くの経済学者やアジアにも関心のある代表的な理論経済学者とも交流を行った。ただ、こうした交流の場では世界銀行の「東アジアの奇跡」プロジェクトに見られるような、文化の差異を無視したアプローチに対しての何とも言えぬ違和感を覚え、また文化的背景の差異を十分説得的に説明しえないという、こちら側のもどかしさにさいなまれるという状態が10年以上にわたって続いた。しかしそうした過程のうちに次第に、もどかしさや違和感の原因は日本やアジアの研究者の側にあることに気付いていったように思われる。すなわち交流の難しさあるいは欧米の研究者の日本ないしアジアの経済文化に関する理解の困難は、日本やアジアの研究者の発信不足が原因であり、その背景には、日本ないしアジアの経済学者自身が十分なその経済の文化的基礎の自覚を持っていないことがあるのではないかと考えるに至ったのである。たとえ不完全でも、誰かが自分たちの経済文化の分析に本格的に取り掛かる必要があるとの思いが、高まったのである。
 それまでの筆者は、宗教に関してまったくに素人であったから、13〜15世紀の日本仏教の原典や、日本語訳であっても、ルターの討論メモ、カルヴァンの著作などを(筆者なりに、ではあるが)読みこむのはかなりの難業であった。10年余をかけて、日英の宗教史と市場経済史の比較分析にかかわる『経済行動と宗教』(2014年、勁草書房)、戦後経済を消費にかかわる文化的視点から分析した『歴史としての大衆消費社会』(2017年、慶應義塾大学出版会)、さらに異種資本主義の宗教的基礎という形での暫定的見取り図としての『日本型資本主義』(2018年、中公新書)を書き、少しずつ見通しが開けてきた記憶がある。これらの基礎作業で積み重ねた思索を踏まえて取りまとめた本書は、ひとまずの区切りであろうと思っている。
 宇沢さんとともに、本書の成立にあたって筆者が大きな影響を受けたのは中村隆英教授の存在であった。中村さんから教えていただいた日本経済史の理解における思想や文化の重要性という視点がなければ、本書の完成はありえなかったであろう。彼の主業績は在来産業論であるとされるが、それは日本の文化的伝統の重要性の認識に基づくものであったがゆえに説得的であったのだと思う。中村さんはその師である有沢広巳教授から、日本資本主義の岩盤にボーリングせよ、と教えられたと記している。筆者の研究は、いまだ岩盤をボーリングするところにまでは進んではいないが、本書によって筆者なりの形で日本資本主義の岩盤の表面に到達したのではないか、という感慨を覚えている。
 「日本語版への序文」でも述べたように、本書の制度vs文化というモデルは日本経済史に関して筆者自身も予期しなかったさまざまな新しい知見ないし作業仮説をもたらしてくれたが、海外への発信の方法についても本書で一つの発見があった。中公新書の『日本型資本主義』と本書の関係を手掛かりに説明しておこう。中公新書で筆者は、この分野の筆者なりの〝見取り図〟を展開したつもりでいる。この見取り図の構図自体は十分に広いし、現在でもその考察は的確性を失ってはいない、と考えている。しかし本書との間には一つの重要な差異がある。それは、中公新書の著作では、ウェーバー的な資本主義の精神をキリスト教的な資本主義の精神として、仏教や儒教に基づく資本主義の精神と対比的に取り扱い、両者を総括する概念として異種資本主義という言葉を使ったが、本書ではこの用語を避けたことである。その理由は、異種資本主義という用語は、歴史的な宗教基盤の運命性ないし過度な経路依存性を強調しすぎることで、各国の資本主義の間の相互の理解と共生・協調の可能性を閉ざしてしまう可能性があると考えたことにある。本書では、宗教を含む内面化された文化の違いを、市場秩序の作り上げ方法における制度(法的ルール)と文化(行動規範)の組み合わせという共通のベクトルで測れる形で取り上げ、西洋と日本の歴史的な資本主義的経済成長を対比的に説明することを試みた。本書で提示されたモデルでは、これらの資本主義は根本的に異種のベクトルに属すものではなく、制度と文化という二つの市場秩序の作り上げ方法の間のウェイトのおき方という共通のベクトルの上で異なるのみである。
 また、筆者には「近代の超克」や近代化理論批判、進歩史観批判に込めた気持ちは痛いほどわかるし、それらの議論が超長期的に誤っているとはいまだに思えない。過度のグローバル化と成長至上主義によって特徴付けられる近代資本主義は、地球環境や核兵器の拡散などの問題を見ても、将来にとって決して絶対的に好ましいものとは言えない。しかしそれを正面から否定していては、日本は生き残れないし国際的な発言力を維持できない。世界資本主義の多様性を、文化的基礎と制度の面から把握し、諸資本主義の共生のためには、それぞれの長所と短所を積極的に認め合い、相互の尊重の念のうちに、共存の道を探る必要がある。そのためには、歴史と文化の違いを踏まえた共通のベクトルの上での議論が不可欠であろう。その意味で異種資本主義という概念は不適切である。悉有仏性、すなわちすべての生けるものには生を全うする権利がある、という絶対的な平等と人権意識に立った理論を中世以来、全社会的に実践し、身近な他者に対する全人格的な敬愛と互恵の意識、人と自然との全面的な共生に基づいて社会経済システムを形成してきた日本経済の稀有な経験の意義は高い。しかしそれを主張するにあたって、西洋的近代を異種の近代で超克するという考えはやはり短絡的であり、適切なグローバリゼーションの恩恵を無視することになる。それゆえ、まず共有しうる基礎的な経済理論である新古典派経済学の枠組みにおいて多様な解を許容したモデルを提示し、その上で解の一つとして日本のあり方の意義を認めてもらう、というのが筆者の到達した国際的な発信の戦略である。
 筆者ごときがマックス・ウェーバーと比較するのは僭越行為以上のなにものでもないが、あえてわかりやすく言うと次のようになろう。ウェーバーは有名なプロテスタンティズムの論文で、宗教改革時に生まれた欧米人の内面的文化に着目することによって、西洋資本主義における公共の価値の認識と禁欲的労働行動の出現を説明したが、日本経済の宗教文化史を分析した本書は、内面的文化の違いが制度構築のコストに影響することに注目して、市場秩序の付け方における日本と欧米の資本主義の市場秩序の作り上げ方法の違いを説明しようとしているのである。もちろん前途遼遠にして道半ばではあるが、現在筆者は、長年感じてきた新古典派アプローチに対する違和感が少しずつ薄れてきているような感覚を持っている。
 今後の筆者の作業課題は多々ある。第一に、本書で展開した制度と文化のモデルを国際比較的に拡張することがある。具体的には、昨年日経新聞に書いた問題(「米中、『文明の衝突』避けよ」日本経済新聞「経済教室」2021年1月10日)をもとに、キリスト教(とイスラム教)、仏教(とヒンズー教)、儒教の内面的世界観の形成に基づき英(米)、日、中の三国を制度と文化の役割の観点から比較考察したい。第二は、本書がマクロ的な日本経済の成長にかかわる文化と制度を問題にしたのに対し、ミクロの視点から文化と制度を論じることである。いわば本書の姉妹編として、ミクロ経済システムにおける文化と制度の関係を分析することである。具体的には、明治維新以降の日本は欧米的な文化の基盤の上に構築された金融制度を導入したが、その導入過程は、日本の内面的文化の伝統とどのようにかかわっているかという問題である。戦後にかかわる拙著『日本の経済発展と金融』(1982年、岩波書店)と戦前期にかかわる『戦前期日本の金融システム』(2011年、岩波書店)の内面的文化基盤への接続の試みである。
 前著『経済行動と宗教』から始まり、本書の完成に至るまで、この分野の私の研究は、勁草書房の宮本詳三氏の多大な支援と過分な賛辞による激励に負っている。記して厚くお礼を申し上げたい。また、文化分析重視の立場から原著の英語版の出版を引き受けてくださったシュプリンガー社の河上自由乃氏にも、この場を借りて厚く御礼申し上げたい。
 
2022年夏
寺西重郎
 
 
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