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『増補改訂版 言語哲学大全Ⅰ』

 
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飯田 隆 著
『増補改訂版 言語哲学大全Ⅰ 論理と言語』

「増補改訂版へのまえがき」「後記二〇二二年」(pdfファイルへのリンク)〉
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増補改訂版へのまえがき
 
 いま自分が書いている本をもとに授業したことは、たびたびある。『言語哲学大全』のどの巻も、そのようにして書かれた。しかし、すでに書き上げた本を「教科書」として授業をしたことは、これまでに一度しかない。それは、『言語哲学大全』の第Ⅳ巻が出版された翌年に、第Ⅰ巻を教科書に指定して「フレーゲとラッセル」という題の授業を行ったときである。
 ところが、教科書に沿って授業をしたのは最初の一、二回だけで、その後はもう、教科書はあまり関係なくなってしまった。いちばん大きな原因は、自分で話していて退屈してしまうことである。自分がむかし書いたことを取り上げて、批判するのならば良かったのかもしれないが、なかなかそこまで距離は取れない。よって、一度した話を繰り返すのを避けて、フレーゲについては、言語哲学よりは数学の哲学、ラッセルについては、「表示について」の解説よりは、ストローソン以後の確定記述句の意味論という具合に、「教科書」には載っていない話をした。
 こうした経験があったので、電子化に伴い、『言語哲学大全』の新版を作るという話をもらって、すぐ考えたのは、もとのテキストに手をつけ出したら、きりがなくなるということだった。したがって、もとのテキストへの変更は最小限にとどめて、現在の時点から補足が必要だと思われる箇所への長めの補註と、初版が出版されて以降の展開について述べた「後記」を付け加えて、「改訂」よりも「増補」の方に力点がある「増補改訂版」とすることにした。
 初版のテキストへの変更は、主に、句読点とカッコ類の使い方にとどめた。また、初版より後に出た翻訳への参照、および、文献への指示を、註に付け加えた。こうした追加は、[ ]でくくった。[ ]は、初版で、引用の際に私が補足する場合にも使っていたが、どちらの使い方がされているかは、コンテキストから明瞭だろう。
 三十五年も前に出した本を、改訂し増補するなどということが可能になったのは、この間にわたって、この本を求め続けてくれた多くの読者と、この本を出し続けてくれた出版社のおかげである。これからも、この本が、紙の本として、あるいは、電子化された本として、新たな読者を獲得できるならば、まことにありがたいことである。
 
 この増補改訂版を出すにあたっては、勁草書房編集部の土井美智子さんに、すっかりお世話になりました。ありがとうございます。でも、まだ第Ⅰ巻が終わっただけで、あと三巻残っています。これからもよろしくお願いします。
 
二〇二二年七月一七日
飯田隆
 
 
後記二〇二二年
 
1 分析哲学史の中のフレーゲとラッセル
 本書の初版が出たのが一九八七年であるから、それから三十五年も経ったことになる。自分のいる年を「二千何年」と言うことに慣れることなどないだろうと思っていたのが嘘のようである。
 これだけの年月が経てば、いくら進歩がないと言われる哲学でも、いろいろな変化がある。その中には、ただの流行によるものもあるが、そうとは片付けられないものもある。本書で扱っている事柄と密接に関係する変化として、二つを挙げることができる。
 まず、ジャンルとしての「分析哲学史」の確立ということがある。このジャンルの中にもいくつかのサブジャンルがあるが、とりわけ盛んなのは、「初期分析哲学史」というサブジャンルである。その主要な研究対象である、フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインという三人組は、哲学史研究のなかでは、いまや、デカルト、スピノザ、ライプニッツの三人組や、ロック、バークリー、ヒュームの三人組に匹敵する存在である。つまり、三人のあいだの影響関係、および、三人それぞれの、とりわけ三人組の筆頭に来る人物の、それ以前の哲学との関係が、事実考証をもとにであったり、あるいは、大胆な仮説を提起することであったりと、やり方はさまざまだが、重要な研究課題になっている。
 よく言われることだが、哲学史研究には、歴史寄りのそれと、哲学寄りのそれとがある。歴史寄りの哲学史研究に私はあまり魅力を感じないので、主に哲学寄りの哲学史研究に話を限る。この種類の哲学史研究は、いわゆる「後知恵からの哲学史」で、過去の哲学を、それが現代の哲学をどれだけ先取りしているかという観点から見ると思われがちだが、全部が全部そうであるわけではない。第一、それでは、哲学として得るところが何もなくなってしまう。哲学としての哲学史研究が面白いのは、それが過去の哲学の中に、現在では見失われてしまった問題や問題への解決、あるいは、萌芽としてありながらも、その後の進展の中で展開されないままに終わってしまった発想を見つけてきてくれるからである。
 こうした哲学史研究の、この間に生じた目覚ましい例として、フレーゲの数学の哲学の再評価がある。本書におけるフレーゲへの見方を決定したダメットの『フレーゲ――言語哲学』の初版が出たのは一九七三年だが、そこでかれは、フレーゲの数学の哲学は、その言語哲学と違って、現代的な興味をもたないと書いている。ダメットのこうした評価は、その十年後に出たライトの『フレーゲと対象としての数』(一九八三)、および、一九八〇年代半ばから発表され出したブーロスの一連の論文によって、覆されることになった。
 よく知られているように、フレーゲの主著『算術の基本法則』は「法則V」と呼ばれる公理のために矛盾が生じることがわかった。ラッセルのパラドックスである。このために、フレーゲの体系は長らく救いがたいものとみなされてきた。この「常識」を覆したのが、ライトとブーロスである。かれらは、フレーゲの体系のすべてを捨て去る必要がないことを示した。すなわち、ブーロスが「ヒュームの原理」と名付けた命題さえ仮定すれば、二階の論理の中で「二階ペアノ算術」と呼ばれる算術の公理がすべて導出できる。フレーゲは、ヒュームの原理を法則Vから導出したが、法則Vと独立にヒュームの原理を論理的真理として正当化できれば、フレーゲとラッセルが目指した論理主義を改めて擁護する可能性が出てくる。よって、この発見は、フレーゲの業績の再評価にとどまらず、論理主義を現在の数学の哲学に復活させる効果ももった。
 いまやフレーゲが分析哲学の祖とされているせいか、フレーゲへの入門書は、この間に数多く出版された。「デカルトからフレーゲまで」と謳った哲学史の本まである。だが、本書の主題である言語哲学に関しては、ダメットの存在が大きすぎるせいなのか、かれの『フレーゲ――言語の哲学』が与えたような衝撃とまでは言わなくとも、フレーゲに対する新鮮な見方を提供してくれるものは多くはない。私が読んで感心したものには、ダイアモンドとリケッツの仕事がある。どちらも、ウィトゲンシュタインがフレーゲから何を学んだのかという点に焦点をあてている。
 フレーゲの著作の数はそれほど多くないし、さらには、その遺稿の半数以上が第二次大戦中の空襲で焼けたという事情もあって、二〇二一年現在、世界で唯一のまとまった著作集として、日本が誇ってよい『フレーゲ著作集』は、それほど厚くない本六冊ですんでいる。また、ラッセルのパラドックスの出現のような劇的な出来事はあるにせよ、フレーゲの人生が、とくに大きな事件のない、一九世紀ドイツの学者の典型的なものであったことは、決定版の伝記として長年待たれていたクライザーのものが、多くの人から、うんざりするほど退屈だと思われたことからもわかる。
 言うまでもなく、ラッセルは、これらすべてと対照的である。まず、ラッセルは百歳近くまで生き、その間にさまざまなジャンルにわたって多数の著書を著しただけでなく、じつに多くの論文や論説を残した。発表されずに終わって遺稿として残されたものも数多い。そうした文章を集大成するThe Collected Papers of Bertrand Russell(正確には、「ラッセル全論文集」だが、以下では「ラッセル全集」として参照する)は、一九八三年に刊行が始まっているが、索引の巻も含めて全部で三十六巻から成る予定だという。見たことのあるひとならばわかるように、たいていの巻は厚くてずっしりと重い。とりわけ、本書と関係の深い巻は際立っている。『数学の原理』を準備していた時期(一九〇〇~一九〇二)の第三巻(一九九三年刊行)は千頁近くあり、続く「表示について」に至る時期(一九〇三~一九〇五)の第四巻(一九九四年刊行)も八百頁の厚さである。
 ラッセルの生涯がさまざまな事件に富んでいることもよく知られている。かれは、大学の職を二度も追われている――一度目は、第一次大戦中の反戦活動のせいでケンブリッジ大学から、二度目は、第二次大戦の直前に自由主義的な道徳観のために、ニューヨーク市立大学から。他方でかれは、ノーベル文学賞を受賞している(一九五〇)。ラッセルは生前、分析哲学の創始者のひとりとしてよりもむしろ、相対性理論から結婚論に至るまでの幅広い主題にわたる著書をもち、婦人参政権運動からベトナム戦争反対運動まで一貫してリベラルの立場で活動した「哲学者」として知られていた。
 ウィトゲンシュタインの優れた伝記を書いたモンクが、次の主題としてラッセルを選んだのは自然にみえる。やはり一巻本では無理だったのだろう。第一巻が一九九六年に、続く第二巻は二〇〇〇年に出ている。ただし、この本も、フレーゲについてのクライザーの伝記とはまったく別の意味で残念なものと私には思われる。たしかにそこで描かれている人生は退屈なものではないが、この伝記が残す後味は決して気持ちの良いものではない。モンクはラッセルに対してフェアではないのではないかという印象が強く残る伝記だった。
 このように、本書の初版が出てからの三十五年ほどのあいだに、ラッセルについての基礎資料と伝記的事実には、前よりもずっと近付きやすくなっている。ラッセルと一九世紀末イギリスの観念論哲学との関係に焦点をあてた優れた研究書が一九九〇年代初頭に二冊世に出たが、これが、ラッセル全集の第一巻が刊行された後であるのは、偶然ではないだろう。
 同じ頃に出版されたニールの『記述』は、哲学史的研究というよりは、言語哲学に属する本であるが、ラッセルの記述の理論に対するストローソンの批判(一九五〇)以来、支持者を失ったようにみえた、この理論を言語哲学の現場に復帰させる効果をもった。二〇〇五年は、記述の理論が最初に述べられた「表示について」が出版されてから百年経ったというので、この論文がもともと発表された『マインド』誌が四百頁以上の特集号を出しただけでなく、前年には分厚い論文集も出版された。だが、ここに収められた論文の多く――後者の場合はほぼ全部――は、ラッセルの理論そのものというよりは、著者の関心に応じて、それをさまざまな場面に適用するために拡張したり変更したりすることに専念しているようにみえる。『数学の原理』から「表示について」までの時期をカバーしている全集の第三巻と第四巻をもとにした大部の研究書の出版が待たれるところである。
 もちろん、フレーゲとラッセルは、後知恵からの哲学史、つまり、哲学のなかで最近になって出てきた理論や見方が、過去の哲学のなかで先取りされていたり、その逆に、無視されていたりすることに焦点を合わせる哲学史研究の格好の標的である。数学の哲学に関連する話題が多いが、言語哲学の中でとくに議論になってきたのは、自然言語に対するかれらの態度である。
 ここでも、フレーゲの方が取り上げやすいとみえて、議論が集中している感じがする。ひとつには、ラッセルの言語哲学は、『数学の原理』(一九〇三)から『数学原理』(一九一〇~一九一三)の時期、ウィトゲンシュタインからの大きな影響を受けた『論理的原子論の哲学』(一九一八)を中心とする時期、それに『意味と真理の探究』(一九四〇)以後と、少なくとも三つの異なる時期に区分することができ、その間にさまざまな違いがあるからである。自然言語とラッセルとの関係が問題となるとき取り上げられるのはやはり、最初の時期、なかでも「表示について」を中心とする記述の理論である。
 フレーゲとラッセルの論理学は、数学の証明を表現するために作られたために、そのために必要ではない自然言語の特徴は切り捨てられた。こうして論理学の言語から追放されたものの中には、時制を始めとする文脈依存表現、「なければならない」とか「かもしれない」といったさまざまな種類の様相表現、「~と思う」や「~ことを望む」といった間接話法を構成する表現などがある。こうした表現についてフレーゲが何を語ったかは、多くの言語哲学者の興味を引いてきた。とりわけ、文脈依存表現と間接話法を構成する表現について論じる際にフレーゲから始める哲学者も多い。これらの特徴については、本書および後続する巻でも触れているので、ここでは、どの巻でも触れていない自然言語の重要な特徴についてのフレーゲとラッセルの対応について簡単に述べたい。
 自然言語の中には、複数性を表示するための特別の機構を備えた言語がある。フレーゲのドイツ語、ラッセルの英語、どちらもこの種類の言語である。したがって、ひとりの人やひとつの物について話しているのか、それとも、複数の人や物について話しているのかは、言葉の形によって区別される。だが、フレーゲとラッセルの論理学の言語に単数と複数の区別はない。その理由は、この言語が数について中立的だからではなく、単数を基本とする言語だからである。複数の人や物について語っているようにみえる命題は、それが、ひとりの人やひとつの物についての命題から、この言語に備わっている論理的操作によって構成できるもの以外は、この言語に属する命題であるとは認められない。たとえば、英語の文、
  ⑴ John and Tom are students.
という文の主語は「John and Tom」という複数であるから、動詞は複数形「are」であり、補語も複数形の「students」であるが、この文は、次のように単数形しか現れない二つの文の連言と同値である。
  ⑵ John is a student and Tom is a student.
したがって、⑴は、⑵に対応する文があることによって、論理学の言語でも表現できる。
 しかし、次の文はどうだろうか。
  ⑶ John and Tom are married.
この文には、⑵と同じように単数形だけが現れる文の連言に書き直せる読みもあるが、そのようには書き直せない読みもある。そちらの読みは、複数形を用いなければ表現できない事態を表している。
 ⑶のこうした読みを、フレーゲと(一時期の)ラッセルがどう扱ったかを知る材料は揃っている。面白いことに、二人の対応は対照的である。本書の初版が出た頃は、たぶんフレーゲの対応が正しく、ラッセルのそれは興味深いが無理だろうと判断されただろう。当時の私もそう判断したに違いない。しかし、この間に、この評価は(私も含めて)逆になったように思われる。そして、これは、典型的な後知恵の哲学史の産物である。つまり、この二十年ほどの間に哲学で市民権を獲得した複数論理(plural logic)の観点からは、『数学の原理』のラッセルは先駆者とみなされ、フレーゲは敵対者とみなされるからである。
 単数形の文の論理的結合で表せない文をフレーゲがどう扱うかは、遺稿の『数学における論理』から、もっとも明瞭に見て取ることができる。この中でフレーゲは、「ジーメンスとハルスケは最初の大きな電信網を建設した」という文――もちろん、これに対応するドイツ語の文――を取り上げ、「ジーメンスとハルスケ」によって表示されているのは、ある複合された対象であり、この対象について言明がなされていると述べている。フレーゲのこうした対応は、現在では、典型的な単称主義(singularism)の立場であり、私は、複数論理の他の支持者と同様、複数性の扱い方としては誤っていると考える。
 他方、ラッセルの『数学の原理』での扱い方は、フレーゲと対照的である。かれは
  ⑷ Brown and Jones are two of Miss Smith’s suitors.
という文を取り上げて、「二人であるbeing two」と言われているのは、ブラウンとジョーンズであり、この述語は、ブラウンとジョーンズのひとりひとりにあてはまるのでもなければ、ブラウンとジョーンズから成るひとつの全体にあてはまるのでもないと言う。こう言うことでラッセルは明らかに、複数論理を先取りする形で、一度に複数の対象に関して述語づけを行うという複数述定(plural predication)を認めている。『数学の原理』の多くの読者を悩ませてきた、一としてのクラスと多としてのクラスという区別も、ラッセルが最近の複数論理と同じ方向で考えているのだとわかれば、謎ではなくなる。ブラウンとジョーンズを要素としてもつ集合について語るとき、われわれは一としてのクラスについて語っており、他方、ブラウンとジョーンズという二人の人物について語るとき、われわれは多としてのクラスについて語っているのである。
 だが、一としてのクラスと多としてのクラスという区別を堅持するためには、複数のものへの指示や述定についての明晰な理解が必要である。『数学の原理』でラッセルが苦心しているのは、まさにこの点であると思われる。もしもラッセルがこの路線で進んだならば、かれは、フレーゲのような単称性に基づく論理とは異なる論理――複数論理――の創始者になったかもしれない。だが、そうならなかったことは言うまでもない。「表示について」(一九〇五)以降、ラッセルはむしろ、複数性は自然言語の表面に属する現象にすぎないとみなすようになったとみえる。
 『数学の原理』には、これ以外にも、その後標準となった見方から自由になって見直してみれば、有望でありながら未開拓に留まっている発想が、まだまだ、ころがっていそうである。これからの研究に十分期待できるところである。
(以下、本文つづく。注は割愛しました)
 
 
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